声なき声を聞いて【6】
透一郎が目を覚ましたのは、倒れてから三日後のことだった。早朝に病院から連絡が来て、結局晴季と二人暮らしになった梛は慌てて弟を起こして出かける準備をした。
タクシーを捕まえて、面会時間になったとたんに病院に駆け込んだ。病室をノックする。看護師がドアを開けてくれた。
「ああ、おはよう。梛、晴季」
医者の検診を受けていたらしい透一郎が、ベッドに起き上って朗らかに言った。梛は安心となんでもなさそうな兄への怒りが渦巻いてその場に立ち尽くしたが、晴季はベッドに駆け寄った。
「兄さん!」
「晴季。心配をかけたね」
頭を撫でられて晴季が大声で泣きだした。兄は隻眼を困ったように細めた。
「梛も、おいで」
晴季の頭をなでながら、透一郎が言った。梛ははっとして兄の側による。医者が微笑ましそうに言った。
「もう大丈夫ですよ。しばらく入院は必要ですし、退院しても無理は禁物ですが」
「はい……あの、ありがとうございます」
梛が頭を下げると、「仕事ですから」とその医者は笑った。看護師は「何かあれば呼んでくださいね」とこちらもほほ笑んで医者と一緒に出て行った。梛はもう一度頭を下げて、立ったまま泣いている晴季を抱き上げてベッドの上に座らせた。透一郎は左腕だけで晴季を抱きしめた。
「びっくりさせてごめんね、ハル。梛も、大変だっただろう。ありがとう」
「うん……でも、みんな、助けてくれたから」
「そうか」
「うん」
こくんとうなずいた立ったままの梛を、透一郎は呼んだ。
「梛もおいで。抱きしめたい」
右腕の義手が外されたままなので、晴季を抱きしめたまま手招くことができないのだ。梛は晴季の隣に座ると、自分から透一郎に抱き着いた。
「兄さん、よかった……!」
「うん。私も、またお前たちの顔を見られてうれしい」
晴季を抱きしめたまま器用に頭を撫でられ、梛は兄の肩に額を押し付けた。兄弟三人が団子になっているこの状況、はたから見たら面白いことになっていると思う。
いいだけ抱き着いて落ち着いた梛は、晴季を椅子に座らせる。こんなにされるがままで大丈夫かちょっと不安になった。年の離れた末っ子だからって、甘やかしすぎただろうか。
「ところで、私の義手は?」
「ああ、祐真さんが預かってる。……っていうか、誰にも連絡してない……」
病院から連絡が来たのに驚いて、誰にも告げずに家を飛び出してきてしまった。今日は佐崎さんが来る日ではないが、祐真や都が家に様子を見に来ている可能性はある。
「梛にしては珍しいミスだねぇ」
「とにかく兄さんの顔見なきゃって思ったからね」
そう言いながら祐真や弘暉などに連絡を入れる。日曜日なので、今日のうちに何人か見舞いに来るだろう。
「今、梛と晴季は家に二人?」
「うん。一昨日は香江さんが泊ってたけど」
「……そうか」
元恋人の名を聞いて、透一郎は形容しがたい表情になる。きっと後で、香江に礼を言うのだろう。
「瀬名家に泊まろうかとも思ったけど、晴季は家に帰りたいっていうし、祐真さんが泊るよりは風紀的に安全かと思ったんだけど」
女子高生と男子児童二人の家に、成年男子が泊まり込むのははっきり言って案件だと思う。
「ああ、うん。そうだね。香江にはよくお礼を言っておくよ」
そのあとに、「なんで私が入院していることを彼女が知っているのかも気になるけどね」とにっこり笑って言われてぞくっとした。結果的に助かっているので、それ以上は責められなかったけど。
「兄さんはどう? しばらく入院って話だけど、どこか痛いとかは?」
梛は医師ではないから聞くことしかできないが、できれば教えてほしい。透一郎が正直に言うとも思えないが。
「本調子ではないね。倒れた時に比べれば、格段に楽だけど」
倒れたときは、なかなか気を失えなくて苦しかったそうだ。そのおかげで緊急手術の承諾書に自分でサインすることができたのだが。
「そういえば、私の荷物を用意してくれたのは梛かな」
「うん。そう」
「そうか……」
「そうだよ」
透一郎は左手で顔を覆って息を吐いた。やっぱり、年頃の妹に下着を用意されるのは嫌か。いや、梛もどうかと思いはしたのだが、だって用意する人間が梛しかいなかった。透一郎だって、梛が入院したら同じことをするだろうから許してほしい。晴季だけが、「兄さんどうしたの?」と無邪気に尋ねている。
とりあえず、最初にやってきた見舞客は祐真だった。梛の連絡を受けてすぐに飛び出してきたらしい彼は、透一郎に「目覚めてよかった」と声をかけた後に、梛に言った。
「家にいないから、驚いた。せめてメッセージに返信はしてくれ」
「ごめん。動転してたから」
ここ数日梛の動揺を間近に見てきた祐真は、これに納得したようだ。それからハタと気づいたように祐真が真面目な表情で言った。
「透一郎さんの腕を忘れてきた」
なかなかのパワーワードであるが、右腕の義手のことである。手術の際に外されて、そのまま祐真が預かったのだが、整備して家に置きっぱなしらしい。透一郎が「うん」とうなずく。
「目が覚めたから、つけてほしいかな」
「そうだな……一度帰って持ってくる」
生活するなら右腕もあったほうがいい。体に負担になるほど重くはないから、しているほうが無難だろう。
「梛と晴季も一度家に戻るといいよ。そのまま飛び出してきたんだろう?」
「ああ、うん」
梛も晴季もその辺にある服を着てきました、と言わんばかりだ。小さい晴季はともかく、梛のこれはない。
「ついでに、兄さんがいるものがあったら持ってくるよ」
「じゃあ端末を持ってきてもらえる? 書斎にある」
「了解」
透一郎は会社も持っている。親から引き継いだものだが、それらの管理も必要なのだ。兄が目覚めたので、安心して家に帰ることができる。
「一時間後に迎えに来る。昼を食べてから病院に行こう」
「わかった。ありがとう」
祐真に水無瀬家まで送ってもらい、一旦分かれた。晴季に着替えてくるように言って、梛は透一郎に頼まれた端末をとりに書斎に向かった。今朝取る暇のなかった新聞を郵便受けから取り出した時に、問題が透一郎の入院だけではなかったことを思い出した。
また、消印のない封筒が入っている。あて名は梛だ。見覚えのある封筒に梛は震える手で封を開けた。また、隠し撮りの写真と便せんが入っている。今朝、梛が慌てて家から駆け出る姿。晴季も写っている。便せんには、『お兄さんが倒れたんだって? つらいよね。抱きしめて慰めてあげたい(要約)』というようなことが書いてある。梛は手で口元を覆った。
どういうことだろう。今朝も見られていたということだが、そこではない。千里眼・水鏡を持つ梛は、気配に敏感なほうだ。なのに、何も気づかなかった。晴季も巻き込まれている以上、兄に話さないわけにはいかない。見かけが日本家屋な割にセキュリティがしっかりしている水無瀬家だから、侵入されることはないと思うが……。
きっかり一時間後、迎えに来た祐真と晴季とともに昼食を食べながらも難しい顔をしていると、祐真はおっとりと首を傾げた。
「大丈夫か、梛。思いつめていないか」
「え、ああ、大丈夫だよ」
「たいていの人間はそう言うんだ」
祐真がおっとりと言った。
「透一郎さんがいなくて不安なのはわかる。ダメだと思ったら言えよ」
「わかってる」
若干の齟齬が生じているが、梛はあえて正さなかった。晴季が「僕がいるから大丈夫だよ!」と祐真に訴えていて、ちょっと和んだ。
晴季を真ん中に手をつないで病院の廊下を歩いて兄の部屋の前までくると、ちょうどドアが開いた。中から出てきたのは。
「香江さん」
香江は赤くした目を見開いていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
梛も透一郎も、お互いに言っていないことが多すぎる。




