揺れ動くもの【2】
「梛。明日、暇?」
明日というか、今日だけど、と依織が尋ねてきたのは、金曜日の深夜。正確には日付が変わり、土曜日のことである。うっかり妖魔を斬ってしまい、報告書を出すために本部を訪れていた梛は、依織に声をかけられたのだった。というか、依織はいつも本部にいる気がする。
「明日? まあ、当番でもないけど」
首をかしげながらそういうと、依織はひとつうなずいてから言った。
「一緒に山狩りに行かないか?」
「……山狩り」
正直、仕事にしてももう少しましな言い方があるだろうと思った。
土曜日の午前中。梛は首都郊外の山間部にいた。木々生い茂る結構な標高の山である。
「山狩りって、本当に山狩りなのか」
「だからそうだって言っている」
いや、依織の言い方も悪いと思う。『陽炎』五名、『朧』七名の大所帯。広大な山に結界を張り、逃げた異形を閉じ込めたのはよかったのだが。
「どこに隠れているのかわからなくなった」
のだそうだ。なので、『陽炎』を結界内に投入して山狩りの要領で倒してもらおう、となったらしい。それはいい。あまりないが、たまにはある話だ。
「聞かずについてきた私もだけど、もう少しちゃんと説明するべきだと思うよ」
「それでも梛はついてきてくれるんだな。お前のそういうところが好きだ」
「はいはい。弘暉さんもそういうところあるからね」
梛がそう受け流すと、依織はふふっと珍しく笑った。あまり表情が動かないことに定評のある彼女だが、感情がないわけではない。感情が出にくいという意味では、ポーカーフェイスの梛も似たようなものだ。
「梛が男なら、私は梛に惚れていただろうな。弘暉よりも男前で優しい」
「弘暉さんのは男気というやつでしょう。というか、うちの兄さんは?」
「透一郎さんは私には測りかねる」
「違いない」
梛は苦笑し、刀を持ったままその場にしゃがみこんだ。
「ねえ、依織ちゃん」
「なんだ」
「依織ちゃんは、弘暉さんのどういうところが好き?」
梛からの珍しい質問に、依織は少し驚いたようだが、すぐに「そうだな」と答えを探し始める。
「最後まで私に付き合ってくれるところ、だろうか。私がどんなにあきれるようなことをしても、最後まで付き合って、叱って、許してくれる」
梛としては依織が天然の自覚があるということに驚きだったが、自分で聞いた手前、話はそらさないことにした。
「そうか……ちゃんと好きなんだね」
「……どういう意味か分からないが、愛している」
「……」
「梛は瀬名さんのことが好きなんだな」
「……そう思う?」
梛が上目遣いに尋ねると、「違うのか?」と逆に首を傾げられた。梛はため息をついた。
「最近気づいたの。もう、自分にがっかり……」
「何故だ。別に悪いことではないし、お似合いだと思う。美男美女で」
「利害が一致しただけの関係だと思っていたんだよ……」
「何をいまさら。恋人だろう」
「婚約者だよ。恋人ではない」
似ているようで、違うものだ。祐真に聞いても同じことを言うだろう。またため息をつく。しかし、いつまでもそうしていられないので立ち上がった。
「そろそろ始めようか。というか、依織ちゃん、なんで私に声をかけたの」
「ああ。初めは弘暉に頼んだのだが、山火事になると断られた」
「なんだかんだで圧倒的火力の人だからね、あの人」
うっかり火炎魔法でも使われたら、確かに山火事になる。
「弘暉以外で同じくらい戦える人間が、私にはお前か瀬名さんしか思い浮かばなかった」
「ああ、祐真さんは今出張中だからね」
今日中には帰ってくるはずだが。研究所ではなく、『陽炎』の出張である。社会人になったので、そう言った遠出も容赦なく命じられるようになったらしい。
「だが、梛を連れて行くと言ったら、死んでも行くと言っていた」
ちらっと笑みを浮かべて依織が梛を覗き込んだ。珍しい依織の笑みに突っ込む余裕はなく、梛は緩む唇を引き結んだ。本当に、祐真は大切な時に絶対に間違えない。
「可愛いから写真撮っていいか?」
唐突な依織の言葉に、「そういうところだよ、依織ちゃん……」とちょっとあきれた梛だった。
梛は『陽炎』の隊員とともに入山した。なかなか広い山だが、半日もあれば回りきれるだろう。『朧』の調査員も二人、入山していた。
ほかのメンバーも同じだが、今日の梛は制服姿だった。高校の制服ではなく、『陽炎』の制服である。普段はみんな適当で、私服にジャケットやコートだけ羽織っている、というスタイルが多い。これは、急いで飛び出していくことが多いからだ。いつもいつも制服を着て生活するわけにもいくまい。
しかし、今回は文字通りの山狩り。足元は悪く、草や木の枝が引っかかることもある。そこで、防御面に秀でた『陽炎』の制服を身につけることになったのだ。黒いジャケットに黒いスラックス。足元は編み上げブーツの、割とオーソドックスな格好だと思う。これを着ると、梛が少年に間違われる率が上がる。
危なげなく山を登っていく。登山はしたことがないが、妖魔を追って山に入るなどということはざらにあるので、山登りは得意だ。好きではないが。一定の速度で登っていく梛は、はたから見れば異様でもある。
まだ誰からも発見の報告はない。もっと頂上付近にいるのだろうか。発見できていない旨を伝えると、依織がまさに今思い出しました、と言わんばかりの口調で言った。
『そういえば、この頃その山ではクマが出るそうだ。まあ、お前たちが負けるはずもないと思うが、気を付けてくれ』
マジでか。ちょうどその時、黒い影を見た気がして立ち止った梛は、目の前に現れた毛むくじゃらを見て、喉の奥から「んぐっ」という妙な音を出した。
『梛か? どうした』
「依織ちゃん……そういうことは先に言ってくれないかな……」
『梛ちゃん!』
『まさか出たのか!?』
一緒に山に入っている『陽炎』の隊員からの叫びだった。毛むくじゃらが立ち上がり、声を上げる。うん、二メートルはあるな。
『おい、今すげえ声聞こえたけど!?』
「ああ、うん。クマがね」
『やっぱり梛のところに!? 正直よかった!』
本音が漏れている。妖魔を倒せるのに、クマを倒せないということはないと思うのだが。領域を犯されたことに怒り、爪を振り下ろすクマから少し距離をとりながら梛は尋ねた。
「ねえ、このクマ狩っていいの? 狩猟免許持ってないんだけど」
今山に入っている中で狩猟免許を持っているのは、狙撃手の紺野くらいだろう。だが彼女は、梛と反対方面にいる。
『出たら狩ってくれてかまわん、むしろ何とかしてくれと言われている』
ひらりと爪をよけながら、それも先に言っておくべきことだな、と思った。
しかし、倒していいのならことは簡単だ。梛は刀をひらめかせると、一息にクマの首を落とした。
「C地点のあたりでクマを倒したから、後で処理を頼むね」
『了解した』
依織からはそう返答があったが、他のメンバーからは、『早っ! マジで!?』『一撃かよ。五秒もたってなかったぞ!』などと驚きの声が上がった。こいつら、梛をどうしたいのだろう。
『今夜は熊鍋か』
「たぶん、ちゃんと血抜きしてしばらく置かないと食べられないよ」
依織の発言に突っ込みを入れつつ、山登りを再開する。クマがここにいたということは、このあたりに妖魔はいないのだ。梛と反対側からか山を登っている、紺野たちの方面が怪しい。と。
『妖魔を発見! 分裂したわ!』
紺野の声だ。どうやら、狙撃したら分裂したらしい。単細胞生物なのだろうか。
「よし、紺野さん、そのまま応戦。篠原さん、木嶋さん、紺野さんの援護!」
立場上どうしても指示を出さなければならない最年少の梛である。即座に『了解』と返ってきたのでみんな否やはないということだ。梛はとにかく山頂を目指した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
山狩りです。クマに関しては99%違う気がするので、信じないでください。




