揺れ動くもの【3】
気づけば12月。
『ごめん! 本体逃がしちゃった!』
再び紺野の声。梛は山頂に差し掛かっていた。木嶋が『たぶん、梛の方へ行ったぞ!』と忠告してくれる。ちょうど山の頂に到着した梛は、足を止めて刀の柄を握り、身構えた。鯉口を切る。
視界に何かをとらえた。梛は間髪入れずに刀を鞘走らせる。居合一閃。手ごたえはあったが、倒せてはいない。
「妖魔と遭遇。たぶん、本体かな」
分身体を見ていないので何とも言えないけど。梛は刀を構えなおす。
その妖魔は人型だった。人間の姿に見えているだけだが。一応、この山に追い込んだ妖魔については聞いている。相対する人間の『心の底』を写し、その姿をとるのだという。めちゃくちゃ強いわけではないが、なかなかに厄介で滅しきれなかったらしい。
これが梛の深層心理なのだろうか。人の形、剣を持っている。黒く影になっていて、はっきりした姿が見えないが、どこかの軍人のような格好をしていた。
ふと、記憶が刺激される。額と目から血を流す透一郎が何かを叫んでいる。行け、行け、振り返るな、と。晴季を抱えたまま走り、振り返ったその先には。
「……っ!」
刀を握る手が、いや、全身が震えていた。は、と梛は目を見開く。
そうだ。こいつは。兄さんでも勝てなかった。
もちろん違う、とわかっている。この妖魔は透一郎の片目と片腕を奪った相手ではないし、ただ梛の深層心理……奥底に隠している恐怖心を具現化しているだけだ。わかっている。わかっているが。
「斬れない……っ」
絞り出すような声は、依織たちに届いていた。
『どうした、梛。大丈夫か?』
落ち着け、と常にないほど穏やかな依織の声を聴いて、梛は叫んだ。
「ダメ! 斬れない! 私は……!」
兄が勝てなかった相手に、勝てるはずがない。
いつまでたっても攻撃してこない梛に、妖魔の方から襲い掛かってきた。動揺を隠せないまま攻撃をよけ、何とか刀を振るう。両腕で横ざまに振った刀は、妖魔に当たった瞬間に半ばから折れた。
「っ!」
この刀はそう簡単に折れるものではない。梛は概念上成立していれば、大概のものを斬ることができる。しかし、それは彼女がそれを『理解』しているからそうなる、という能力である。つまり、『斬れない』と思っている今、本当に斬れないのだ。刀が折れたのは、梛の心が負けているから。
一応構えなおすが、斬れる気がしなかった。普段の梛であれば、間合いが半分になった刀でも問題なく妖魔を斬れるだろう。今は、それができない。できないくらい動揺していた。
『大丈夫か? 今、木嶋さんがそっちに』
『斬れる!』
依織の言葉にかぶせるように、男の声が聞こえた。めったに荒げられることのない、その低い声。祐真の声だ。
『大丈夫、梛。お前になら斬れる! お前が自分を信じていなくても、俺がお前を信じている。俺はお前ががむしゃらに稽古して、努力して、強くなってきたのを見ている。だから』
お前を信じている俺を信じて、目の前の妖魔を斬れ!
聞きようによっては、ひどい話だと思う。できないと言っている人間に、やれ、と言っているのだから。しかし。それでも。
祐真がそういうのなら、斬れる気がした。
攻撃を避け、思い切り懐に飛び込む。刀が折れたため、そうしなければ斬れないのだ。斜め下から斬り上げる。今度はあっけなく、斬れた。梛はじっと己が斬った妖魔を眺めていた。
「……あー、梛が妖魔を討伐完了」
背後から声が聞こえて、振り返った。いつの間にか木嶋がそばまで来ていた。どうやら、応援に駆けつけてくれたらしい。
『こっちも、分身体の消滅を確認』
紺野からも報告が上がり、やはり今梛が斬ったものが本体で間違いないらしかった。了解、と依織の声が通信機越しに聞こえた。
『お疲れ様。下山してくれ』
相変わらず、何となく言動が偉そうだな、とぼんやりと思った。
滑り降りるように下山していく。出発した地点が見えてくると、梛はぱっと駆け出した。死んでも行く、と言って本当に来てくれた祐真にその勢いのまま抱き着いた。
「っと」
さすがに驚いたようだが、祐真はよろめかずに梛を受け止めた。梛は祐真の肩に顔を伏せると口を開いた。
「ありがとう。助かった」
「お前の力だ。わかっているだろう?」
「うん……」
祐真に抱き着く手に力を籠める。祐真は頭を撫でてくれた。
「……本当は、斬れるってわかってた」
いつもより幾分幼い口調で、梛は言う。
「あいつは兄さんを斬ったやつじゃなかったし、たとえそうであっても、私が斬れないなんてこと、ありえないのに」
思い込みたかっただけなのかもしれない。自分は、透一郎より弱いのだと。兄を神聖視している自覚はある。彼の全盛期に、同じだけの力で戦えなかった後悔からかもしれない。
「……俺も、自分は透一郎さんや……彰次より、至らないと思う」
梛の頭をなでながら、祐真はささやくように言った。梛はうん、とうなずく。
「それでも、それは、俺が引いていい理由にはならないんだ。至らないと思っていても、これまでしてきたことが、無駄だったとは言いたくない」
お前も、と祐真は言葉をつづけた。
「優しいお前は、自分の力を信じられないかもしれない。でも、俺たちは知っている。見てきている。お前がちゃんと努力して、強いということ。だから、何度でも言う」
俺はお前を信じている。お前がしてきた努力を信じている。だから、少しでもいい。お前も自分を信じてやってくれ。
祐真の訴えに、梛はもう一度うなずくと、体を離して微笑んだ。
「そうする」
誰かが認めてくれるなら、信じられる気がした。依存気味な自覚はあるが、これからちゃんと自立していけば、祐真も、透一郎も今までのように見守ってくれるだろう。
「ごめん。刀折っちゃった。これ、始末書?」
気を取り直して依織に尋ねると、「報告書はいるな」と返答があった。能力の性質上、武器を破損することの少ない梛はちょっと眉をひそめた。
「自業自得だけど、いるんだね……」
「まあ、梛が武器を破損するのは珍しいからな」
「大丈夫だ。俺が知る限り、透一郎さん、刀の破損を二回、銃の紛失を一回やらかしてる」
祐真からのタレコミに「マジで?」となる。あの腹黒く隙のなさそうな兄が?
「それ、私に言ったって兄さんが知ったら、祐真さん締め上げられるんじゃないの?」
そう言うと、しまった、と彼は口を押えたが、すぐにきりっとして言った。
「梛の方が大事だ」
「うん、ありがとう。いろいろと残念だけどね」
ツッコミを入れていたら調子が戻ってきた。依織が機材を片付けながら口をはさむ。
「二人とも落ち込むな。今日は梛が狩ったクマで、熊鍋だ」
「夏に鍋は熱くないか……?」
言葉の切れはいいが真面目に天然な依織と、どうあがいてもおっとりさんな祐真の会話である。うん、と梛は何度目かわからないがうなずいた。
「まず、夏の熊肉はおいしくないというし、解体しないといけないから今日は食べられないよね。というかまず、首を落としちゃったから、肉に血が回って臭みがあると思うんだよね……」
おいしくいただくにはちょっと難しい気がした。それよりも、誰かこのポジションを代わってほしい。二人に突っ込むのはちょっと大変だ。紺野たちもすでに下山しているが、巻き込まれない位置で笑っている。
まあ、気落ちしている梛を励まそうとしてくれたというのはわかるので、みなまで言わないけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
閑話的な話でした。いや、たまには梛と祐真の話も入れないとな、と思って……。




