偽作あるいは擬作
カナエは前世、経済学部を卒業し、前世の職業は経営コンサルタントである――なんて都合の良い設定はない。
ないのである。
経済の「け」の字もない美大出身で、学力の頂点は受験終了直後の十八歳――つまり前世の十八歳。時の流れに身を任せ、使わない知識は見事に色褪せている。
それでも儲けが全て材料費に消えるなんてのは素人目にもおかしいとわかる。
それ、儲けてるって言わない。
タレをちょんちょんした人参をもぐもぐ咀嚼する。ご飯は冷める前に食べるに限る。
品種改良? なにそれおいしいの? と言わんばかりの野趣の強い人参は、アスファル――もとい、子供は苦手だろう独特の匂いがあるが、小分けされたタレをつけるとそれが風味に変わる。色鮮やかな茹で具合は、歯ごたえを残していて非常に好み。余熱まで計算されているのかっていう具合だ。
飲み込んで、一旦肉叉を置く。
そして、指を三本立てた。
「三つ。主菜と汁物と付け合わせの組み合わせの献立を、考えられますか? なるべく材料がかぶってて、でも目先を変えられるような。たとえば一つはパンなら、もう一つは麺類、のような。汁物や付け合わせは三つ共通で充分だと思いますけど」
名も知らぬ店長は、給仕と知り合いらしき見知らぬねーちゃんの言葉に困惑の表情を浮かべた。
そりゃそうだ。
「カナエさんっ! なにか、解決策が!?」
食い気味に縋ってきたのはララで、ガチャリと食器が鳴った。
「いや、落ち着いて。これで明日から繁盛店! のような起死回生の素晴らしい提案なんてありません」
「上げて落とす!?」
「上げてないし落としてません! ララさん落ち着いて。何はともあれ店長さんの意見を聞かないと。店長さんからしたら通りすがりのねーちゃんがなんか分けわかんないこと言い始めたーって状態だから! やめて肩掴まないで揺さぶらないで人参が出ちゃうー!」
ララの手によりゆっさゆっさ前後に振られながらカナエは悲鳴を上げた。
「あ、すいませんっ!」
「ほんともう! わたしこれ食べてるから、その間ちょっと話し合ってください。伸るか反るかを決めるのは、店長さんですよ!」
カナエが今度はパンを手に取り大きく口を開けたところで、目元をつり上げたララが店長に猛然と食ってかかり始めた。
この時点で、もめ事の気配を察知したほかの客がそそくさと席を立ち始めたので、何故かカナエが会計を代わった。
会計代理を済ませ再び着席し、パンをもぐもぐしながら知らん顔で聞き耳を立てる。
曰く。
父を亡くし、母の再婚相手との折り合いが悪く――着の身着のまま家出をしたララが、なけなしの小銭を握って初めて入った飲食店がこの店で、雇ってくれたのもこの店で、集合住宅の大家を紹介してくれたのも店長で、言葉の端々に彼女は店長を恩人として深く感謝しているのが窺えた。
学もなく、金勘定も簡単なものしかできないからわからなかったが、己の給料はどこから出ているのだとララが半泣きで訴えている。
それでも目を逸らし言葉を濁す店長相手に、ララが本格的に泣き出したあたりでカナエはパンを食べ終えたので、慌てて口を挟んだ。
「ちょ、ちょっとー! 店長ー! ララさん泣いちゃってんじゃーん!」
慌てすぎて、小学生返りした。
――赤面した。
「……失礼。えぇっと……その。それは、言えないほどヤバい筋から入手しているお金なんでしょうか?」
オロオロするばかりだった青年は、カナエの問いにがっくりと肩を落とした。
「……いえ。その……店が儲かってないってかっこわるくて。言いにくかった、だけです。ご、ごめんね、泣かないで……ララちゃんのお給料は、お店が休みの日に、荷揚げなんかの日雇いの仕事をして……」
その告白に、ララは蒼白になった。
「て、店長いつ休んでるんですか!? お休みなしなんですかっ!? は、働きすぎると人間って死んじゃうんですよっ!? わだしのお父ちゃんっ、不作で、いっぱい、いっばぃ働いてえぇ、朝、冷たぐで、かたくって、呼んでも、呼んだのに、わだじとなりで寝でだのに、きっ気づかなくっで、お、お、お父ぢゃん起ぎでぐれなかっだああぁぁぁぁっ!!」
――特大の地雷を踏んづけた。
カナエと店長は背筋を走り抜けた電流にそろって硬直し、次の瞬間泣き伏したララを全力で宥め始めた。
「大丈夫よ! まだ大丈夫だから!? ねっ!? 間に合う間に合う!? 店長ー!!」
「はい! 僕は元気です!! 休みなしでも働けるぐらい元気ですっ!?」
「ちょっとっ!? マジ慰める気あんのかゴラァ!?」
店長に失言にカナエの猫が一斉に家出する。
「うわああぁぁぁぁっ!!! 店長死なないでぇぇぇ!!!」
修羅場と化した店内に、ララの泣き声が反響する。
――体感で半刻ほどだろうか。
てんやわんやで宥めては失言ぽろりを繰り返す店長と号泣するララの間に挟まれ、泣き疲れぐっだりしてきたララを抱きかかえたカナエの黒瞳は、光が失せた。
「いい加減、男見せろよ。さもなくば男を晒した状態で通りに放るぞ。社会的に死にたい?」
「すいませんっしたぁぁぁぁぁ!」
何故か体育会系の謝罪が響いた。
「いや、やりませんけど。してほしいなら、腹を決めますけど。イヤだけどやりますけど」
「いえ、結構です、本当にっ! 僕が……考えなしでした。ララちゃんのお父さんの話、僕、聞いてましたから……」
「有罪。表出ろ剥いてやんよ」
「ほんっっとすいませんっ!! 黙っていればバレないって、思ってましたっ!!」
「……そこまでして、雇っていた理由、バレバレですけど……。言っても良い? 言っちゃって良い?」
半眼のカナエの目線を受け、店長は背筋を正した。
「……お願いします。ララちゃんに言われるより、百倍マシです」
「そうでしょうとも――“この、甲斐性なしが”!!」
「ぐはぁ!!」
伝家の宝刀の会心の一撃に店長は崩れ落ち、カナエはララの背中をトントンしながら、こりゃ片手間じゃ許されんぞと腹を括った。
「店長さん。わたしはカナエと言います。先日から、ララさんの隣人になりました。王都から来ました。わたしは飲食店の経営はよくわかりません。ただ、お客さんに、“なんでも”ではなく、三つに絞った献立を注文してもらう術を知っています。あなたが望むなら、それを用意します」
うずくまった店長がカナエを見上げたので、出来るだけ自信満々に見えるように頷く。
頑張れ表情筋。
「でも、仕入れと売り上げを計算したり、献立を考えるのはあなたです。だから、あなたが決めてください。ララさんに言われたから、ララさんが泣いたから、という理由は、やめた方が良いと――思います」
泣き疲れてうとうとしている汗ばんだララの体温は高く、心臓が引き絞られるように切ない。
「――どうか。好きな人を、嫌いになりたくなかったら、自分で決断してほしい」
困って、悩んで、答えがわからなくて相談して、その通りにして――どうしようもなく失敗したとき。
その人を恨むより、自分を恨めば、その人は失わない。
大切な人は、大切なままで――。
醜く歪んで我を失っても、自業自得だと己を嘲笑って、ただ、ただ、とっておきの宝物のように――君の名を呼べる。
この先どんな未来を歩いても、アスファルを恨む日は死んでも来ない。
「……はい。僕は、オラジェと言います。お話を、聞かせてください」
「はい。よろしくお願いします」
ねぇ、あーちゃん。
「おっかえりー遅かったわねー?」
「うふふあはは。あ、これお土産ついでの賄賂でーす。試食しましたけど、安定のおいしさですよ」
「突然の賄賂。何事」
よれよれと集合住宅に帰還したカナエは、薄暗い薬屋の明るい声にうっかり癒された。
パン耳ラスクのような揚げ菓子をずずぃっと帳簿台のヒルデにおもむろに進呈して警戒された。
「や。シクベルの花って、魔の森の薬草じゃないですか」
「そうね。それが?」
何かの丸薬を梱包しているヒルデは顔を上げずに小さく頷き、続きを促す。
「ということは、ヒルデさんは冒険者組合に依頼を出せますよね?」
「そうね。何か魔の森の素材がほしいってことー?」
カナエはこくりと首肯した。
魔の森のそばで暮らしていたカナエは、素材自体には詳しい。
だがその入手については……とってきてー! あらほらさっさ! という気の抜けたやりとりに終始する。
冒険者組合という組織が都市には存在すると知っているが――彼らは一般庶民からすれば、住所不定その日暮らしの日雇い労働の荒くれ者というなかなか接触しがたい人種である。
一目で乱暴な荒くれ者と、信頼のおけるきちんとした人物を見分けるのは、不可能だ。
一見ということは、印象は身なりが全てだ。
「さすが話が早くて楽ちんです。偽硝子大樹の樹液をはじめとした素材を少々、入手したく」
カナエは指折り欲しい素材を羅列する。
ヒルデが顔を上げた。
「変な物をほしがるわねー。よくある素材なら冒険者組合で購入できるけど、偽硝子大樹? 樹液でるの?」
「え。便利なのに」
「便利なの? 薬の原料以外はアタシも詳しくはないんだけど。まぁ危ない物はないみたいだし、ちょうど冒険者組合に依頼だそうと思ってたところだから、店番変わってくれるなら今日行っても良いけどー」
「ヒルデさん、おっとこまえー!」
「こんな美女つかまえて男前とはなによ」
調子のよい合いの手を打ったら、デコピンをいただいた。
「計算は出来ます。それで大丈夫なら、店番します。あと、胃もたれなんかの、胃酸を抑えるほうの胃薬、あります?」
「食べ過ぎたの?」
「いえ。すいません飲まないんですが、使いたいんです。天然鉱物が原料の」
あぁ、という様子で立ち上がり、ヒルデは棚から薬包を取り出した。
「何に使うんだか」
「そこは、お楽しみってことで」
現金と薬包を引き換えて、ニヤリと笑みを交わす。
「ふぅん。ま、この時間帯は、常連がいつもの薬を取りにくることが多いから、お客さんがこの薬くれっていうから大丈夫。血みどろの急患なんかは神殿の領分だし、計算が出来れば店番は可能よ。じゃ、行ってこようかしら。すぐ帰ってくるからー」
「いってらっしゃーい」
上着を羽織ったヒルデを見送り、カナエはそそくさと帳簿台を回り込んでヒルデの定位置に着席した。
隣の代筆屋は休業中の札が立てられており、字の読めない客にはカナエが代弁する必要があるだろう。
そう。
街で暮らす人々でさえ、ほとんど字が読めない。
男前ヒルデ様の帰還と入れ替わり、再びカナエは夕暮れ直前の街に走り、画材を購入した。
台所小屋の使用許可を取り、おもしろそうにのぞき込むヒルデを、「食べ物を作る訳じゃないんで」と生ぬるい笑みで追い出した。
別に出てけとは言っていないのだが。
どうも彼女は家庭の味に飢えているようだ。今度、時間を見つけて何か作ったら喜ぶかもしれない。
喜んでくれる人がいるなら、料理は苦ではない。
まずは夜光石を取り出すと、日が暮れて真っ暗だった小屋に光が満ちた。
「さて」
ヒルデの言通り、あまり使われていない台所をざっと掃除から始める。
買ってきてもらった魔の森の素材は、偽硝子大樹の樹液、泥粘膜、いちご蟲、泪石、黄土、笑い茸という品揃えで、魔物は泥粘膜のみ。入手の危険性が低いためか、安価だった。
桶の樹液に混ざったゴミなどをちまちまと手で取り除きつつ、カナエはちらりと、使われてない割に道具が揃っている台所に視線をやる。
――洗うから! 終わったらぴっかぴかに洗うから! 洗うから!
泥粘膜や笑い茸を煮たり、いちご蟲を潰したりする予定の調理器具に心から誓っておく。
「あー。型取り用シリコンが恋しいー。硬化剤ー。ウレタン樹脂A剤B剤の臭い嗅ぎたいー。あれけっこう好きー」
大家さんの家から、味噌貸してくださいならぬ火を貸してくださいと貰ってきた火種を釜戸に入れて、藁を突っ込みつつ火を育てる。
店長改めオラジェ青年と膝つきあわせて話し合って決まった献立は三種類。
原価は半分以下にしてと口を酸っぱくして訴え、その条件でオラジェが考えた、A定食B定食C定食である。
そうと決まれば、カナエはもりもり作るだけだ。
「みんな大好き、原寸大食品模型!」
懐かしくて、久々で、腕が鳴る。
カナエは没頭して、何かを作るのが大好きなのだ。