3
大地に低く差し込んだ朝陽に、丘陵地の稜線が赤く染まった。
朝の光は横に長く伸びたキリエス軍の影を、高台の上にくっきりと浮かび上がらせている。城外に配置された兵士たちに、敵兵を迎え撃つ準備は整っていた。
陣形を整えたグメリン軍は、ゆっくりと大地へと進みでた。歩兵隊の歩みとともに武具の擦れ合う音がたつ。白い鼻息を吐きながら騎馬隊が、青みがかる朝の大気へ動き出した。
城壁の向こうの開けた荒野に、長い帯となった陣形がふたつ、ゆっくりと近づいてゆく。師スコレウキの側に立ちながら、朝陽の中に黒い影がうごめいて直進するのを、マギネティスは息の詰まる思いで眺めていた。
自分が戦場に居合せていることへの驚きがあったが、よもや、その光景をわが街の城壁の上から眺めようとは。横に広く伸びた兵たちの影は、さながら城壁を守る前衛の盾である。その盾の強靭さを、マギネティスは願わずにいられなかった。
それでも、二万五千のグメリン兵に向かうキリエスは一万数千ほどであろうか。両軍いざ対峙するのを眺めると、グメリンが有利と見えた。
北の要塞の意表をついた奇襲の成功に気を良くしたか、キリエスはグメリンを落とせるのも安易と思ったのだろうか。指揮官ヘルシンが言い放ったように、戦いの行方を見守る誰もが、迎え撃つキリエスを一網打尽にする契機と見ているのだった。
ヘルシンは自ら軍を率いて、軍兵の黒い群れの中にいた。城壁から光景を眺めるマギネティスの目に男の大柄の背中は判別できなかったが、旗手のもつ軍旗が風にはためいて、総司令官の位置を知らせている。
兵士たちの背を見送るラセルは、そわそわと落ち着きがない。その小太りの公爵の後ろ姿にマギネティスは視線を落としていた。他の者とちがって、我が領主は事の成り行きに焦燥を抱いているようだ。
視線を感じて顔を上げると、隣に立つスコレウキが弟子から目をそらした。マギネティスは胸の内に湧いた思いを、つい口にのぼらせて尋ねたのだった。
「ラセルさまは兵の提供に、やはりご不満があったのでしょうか」
老人の眼差しは、じりじりと間合いをつめる、ふたつの軍兵の影に注がれたままだった。
「そのようなことはない、むしろ必要だったと考えておる」
マギネティスはふたたび、甲冑を着せられた主君の姿を眺め下ろす。ではキリエス軍を前にして、怖じ気づいてしまったのか。ラセルは腕組みで縮こまらせた体を時おり震わせて、出撃の合図が鳴るのを待っていた。
「キリエスを討つのは、困難だと思われますか」
弟子の質問に、老人は声をうならせた。ようやく師の渋い顔に気付いて、マギネティスは老人の横顔へと目をあてたのだった。
「困難ではない。ただ、過ちは許されないのだ」
「過ちというのは、」
「半端であってはいかんということだ。キリエスを完全に敗走させねばならない」
「それは、なぜですか」
素朴な心から出る疑問に、スコレウキは目を細めた。乾いて冷たくなった空気に面を向けたままで、師は口を開いた。
「三日前にグメリン周辺の町が、山賊どもに襲われて略奪を受けた。難を逃れた者たちが城内に逃げ込んでおる」
息をのんでマギネティスは、老人の顔を凝視した。ある不安が身の内にわき起こっていた。
「今、わが城は孤立しておるのだ。この戦でキリエスを追い払わねば、グメリンは窮地に立たされかねん」
「しかし、スコレウキさま、」
己の発した声が強ばって荒々しくなるのを、マギネティスは驚きをもって聞いていた。不穏な予感に気丈に立つように、語気を強くして続ける。
「それは、キリエスの仕業ではございませんか」
「そうかも知れん」
ため息を吐きながら、スコレウキは言葉を返した。
「なおさら、負けられんのだ」
「ですが!」
荒げた声が辺りに響く。それは開戦を今かと待つ将官や城壁に配された兵たちに、風の音くらいにしか聞こえなかっただろう。向かい合った二つの軍を一瞬見やりながら、マギネティスは師へと言葉を次いだ。
「ならば、この戦に応じてはなりません。キリエスに初めから戦う気はない、私たちが体力を消耗するのを待っているはずです」
スコレウキの黒い瞳が、マギネティスへと注がれた。いつも薄明かりを見定めるような虚ろな眼差しが、この時はしかと焦点を結んで弟子を見やった。言葉にすると、その不安はマギネティスの心をも締めつけた。
冷えて張りつめていた空気を切り裂いて、角笛の音が響き渡る。二人は同時に城外の光景へと顔を向けていた。低く始まり高い音に変えると、力強く伸ばして音を響かせる。出撃の合図であった。
先に動いたのはグメリン軍だった。兵たちに号令が掛かったか、前衛の歩兵隊から順に敵方へと雪崩をつくる。左翼部隊に混じって掲げられていた軍旗も、流れに引きずられるように、キリエス軍の方へと動いていた。
やがて二つの歩兵の最前線が衝突した。遠目に見て、もやは敵と味方の境界は分からない。その場に立ち尽くすより他にないマギネティスは、しかし目をそらせずに、両者入り乱れる戦いの前線を、呆然と眺めていた。
振り上げられて陽の光をはじいた剣は、次の瞬間、キリエス兵の体を切り裂いていた。命をかけたひとつの戦いは、他の喧騒にかきけされる。士気を奮い立たせるいくつもの怒鳴り声が辺りに響き渡っていた。
互角に剣を交わらせていた両軍だったが、グメリン軍の攻勢は徐々に明らかとなった。
猛攻に押されてキリエス兵がわずかに後退を見せた瞬間を、ヘルシンは見逃さなかった。横陣の左翼にいた指揮官は、騎兵隊に号令を飛ばす。白兵戦のまっただ中へと、騎兵の群れが飛び込んだ。と、同時に、キリエス側から矢が放たれる。矢は宙に弧を描くと、土煙舞う戦地に雨のごとく一気に降り注いだ。
攻撃の隙をつかれたグメリンの騎兵隊は乱れた。鏃の雨を免れた騎兵が敵陣に斬り込む。次いでキリエス兵が二度目の矢を放った。
矢の雨に打たれた騎兵隊は浮き足立った。鏃を浴びた兵が馬の背から転げ落ちる。舌打ちをして、さらなる攻勢に檄を飛ばそうとしたヘルシンの耳に、敵陣の角笛の音が届いた。
甲高く響いた音色は、低い音におさまってゆく。音に呼び戻されて、キリエスの歩兵たちが後退をはじめた。追撃を仕掛けるなら、この瞬間をおいて他にない。背を向けた者にかき立てられる闘争心が、ヘルシンの身のうちにわき起こった。
「追え!」
指揮官は声を張り上げていた。
「追って敵を一掃しろ!」
言い放つとヘルシンは馬を発進させた。我先に敵陣に斬り込んで、兵士たちの闘志を鼓舞するつもりであった。風に紛れて声が届いたのは、そんな時だった。
いくどか名を叫ばれ、その切羽詰まった呼びかけに肩越しを見やる。背後から近づく影は、副官カルボのものだった。
追いついた副官は馬を近づけた。蹄に蹴散らされ舞い上がった土ぼこりの向こうから、深刻な表情を向けている。ヘルシンは猛る心を抑えて馬の走りを緩め、心配性の部下を待たなければならなかった。
「深追いは危険です」
その言葉はヘルシンの胸に苛立ちを起こさせた。兵力差は明らかな上に、キリエス軍は撤退を見せているのだ。
「逃せば次はない!」
「計略にございます!」
背筋を伸ばして馬を駆けさせようとしたヘルシンに、切迫したカルボの声が放たれる。
「そんな訳があるか、この数で蹴散らせないはずがない!」
「この先は地形が複雑です、追えば兵が分散します!」
緊迫したその口調に、ヘルシンは向かおうとした先を振り仰いでいた。平地の向こうに伸びる丘陵地の起伏が、彼らを待ち受けている。敵軍の退いた後に未だ続く斬り合いの喧騒が、辺りの空気を震わせていた。
確かに、敵軍の引き上げの合図は見計らったように早かった。退くとみせて誘い込み、各個に撃破を狙う算段とも思える。ヘルシンは馬を足踏みさせて場にとどまらせた。
晴れない怒りを燃えたぎらせたまま、彼は敵兵の退却を見送るしかなかった。
低い冬空にのぼりつめた太陽が、乾いた大地に光を投げかけた。
城に戻ったヘルシンを迎えたのは、グメリン公ラセルの険しい表情であった。
キリエス兵を撃退させるのは、安易なことだと思っていたのだろう。ヘルシンも同様の思いだっただけに心持ちは苦い。背中に血気の鎮まらない兵士たちの気配を聞きながら、司令官は公爵の前に立ったのだった。
日はまだ天高くに輝き、グメリンの兵士たちの士気にも衰えはない。それでも踵を返さなければならなかった苛立ちを、彼もまた堪えなければならなかった。
事情を説明しようと口を開いたヘルシンより先に、ラセルが言葉を発した。
「周辺の町が、一昨日に賊どもに襲われてな」
眉間に皺をよせて、ヘルシンは公爵の顔を眺め見る。目の前の不機嫌な男の言わんとしていることを、彼もまた察していた。
「コランタムへの援軍の要請は?」
さっと質問を返したヘルシンへ、高慢な横顔をみせてラセルが答えた。
「向かわせておる。だが、数日はかかるはずだ。それに王が兵を出すかは分からん」
「この状況ですよ」
ヘルシンの声もまた険しいものになる。土ぼこりの舞う地平へ顔を背けて、ラセルの表情は苛立たしげなままだ。重い口を開いて公爵は言った。
「仮に援軍が出ても、ただ待つだけでは、持ちこたえられるか分からん」
「食糧はどのくらいですか」
問われたラセルは、ヘルシンをひとにらみして答えた。
「百日に満たない」
その視線には、逃れてきたダンブリの兵たちを忌むものが含まれている。考えをめぐらせて、ヘルシンは公爵の顔から目をそらせた。
数を減らしたと思ったキリエス兵は、少数でグメリン兵を引きつけておきながら、その間に包囲網を作り上げていた。先に周辺の町を襲い、グメリンへの供給の線を絶ったとなれば、その想定に違いはないだろう。
百日は応援を待てる。今日の戦闘の様子から、キリエス軍は戦いを挑んでも決着をつけるつもりはないはずである。耐えうる体力を削り取って、コランタムからの応援が到着する前に、グメリンを降伏させようと目論んでいるにちがいなかった。
彼をとどめた副官カルボの行動は正しかった。敵の本当の狙いは食攻めにある。
黄土の空を見やったヘルシンの頬に、風がひやりと触れた。




