表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
秋はとこしえ  作者: 白九 葵
グメリン包囲戦
17/37

4

 山際に日暮れの赤が滲んだ。大地は夜を間近にして静けさを取り戻している。

 今朝方の一戦を、我知らずと時の向こうに置き去った、美しい暮れだった。

 天幕の内側にこしらえた食堂は、兵士たちの会話で幾分か賑わっている。しかし話は戦況への芳しくない憶測ばかりで、明るいものではない。辺りをはばからず、大声で愚痴をこぼす者もいた。

「逃げる敵を追わないなんてな」

「考えがあってのことだろう」

 なだめた言葉に取り合わず、憤りの混じった声は続けられた。

「やつらを撃破していれば、包囲を阻止できたはずだ」

「まだ包囲されたわけじゃない」

 賑わいをくぐってヘルシンは奥の席へ辿りついた。大声の主を背にして腰を下ろすと、背後の会話がとたんに静まる。思わず肩越しに耳を傾けたが、皿の擦れ合う音が響くばかりである。

 包囲戦に備えて、目に見えて乏しくなった食事へと彼は視線を戻した。

 別の方向から席を立つ音が届いた。物音のひとつはやがて彼の方へと向かってくる。顔をあげたヘルシンは、神妙な面持ちのカルボを見つけていた。

「お部屋まで持たせますのに」

 言われてヘルシンは手もとの皿へ目を落とした。野菜と煮込んだ麦粥へと匙を突っ込む。副官は気を遣ってくれるが、今日は人の喧騒に紛れたい気分だった。

 寡黙なままの上官に息をついて、カルボはその隣に腰掛けた。

「グメリン公とは何かお話されたのですか」

 粥を口に運びながらぶっきらぼうに答える。

「話し合いは明日だ」

 押し黙ったカルボに気がついて、ヘルシンは隣へと視線を向けた。

 晴れない表情は、先の判断が状況を悪くしたのではないかと、気に病んでいるためだと思われた。食事をとるヘルシンの手も思わず緩む。

「こうなった以上、仕方ない」

 言い聞かせるように言って、粥を口へと放り込んだ。カルボの意気消沈の眼差しが、彼の横顔に注がれる。

「やつらは正面切って戦う真似はしないだろう。退いて正解だった」

「しかし、今後は……」

「そうだ」

 答えながらヘルシンは首肯いていた。今はまだキリエスの手の内にいる。ここからどう主導を取り戻すかを考えなければならない。だが、そうしようと試みると、ラセルの好意のない顔が思い浮かんでくる。

 キリエスの執拗で小賢しい細工も厭わしいが、目下彼の気を滅入らせているのは、軍事の才覚なくふんぞり返るばかりの公爵なのであった。

 一旦は手を止めたヘルシンだったが、皿を持ち上げると粥の残りをかき込んだ。


 蝋燭の灯りが照らす室内に揃った顔は、一様に固い表情を浮かべた。

 領主ラセルを待つヘルシンも、険しい面持ちで腕を組んで座っている。やがて数人を引き連れた足音が、廊下の向こうから近づくのが聞こえた。

 一室に踏み入ったラセルは、すでに席に着いている家臣とダンブリの指揮官の顔を、ざっと見渡した。視線をあげない一同から目をそらせて、小太りの領主は部屋の奥へと進む。彼が中央の席へついてもしばらく、誰もが重い口を閉ざしたままであった。

 肘をついて組んだ手に顔をうずめて、ラセルは辺りへ視線を行き渡らせた。

 彼の目は会議卓の隅に座るヘルシンへと注がれる。周囲の者が不躾なその眼差しに気付くより早く、ラセルは視線を宙になげた。

 しばしの沈黙の後に、ゆったりとした口調でその言葉は発せられた。

「討って出てはどうかね」

 やや甲高い声は辺りによく響く。一瞬の間の後に尋ね返したのは、同席した元は北の要塞の将官であった。

「口減らしをしろと?」

 部下の荒っぽい言い様に、ヘルシンは内心でため息をついていた。間を置かずに言葉を差し挟む。

「キリエスに我々と全面対決する気はありません」

 刺々しい空気をいさめるように、彼は独特の低く響く声で続けた。

「我々が出陣したところで、戦力をすり減らすだけです。それでは、彼らの思うつぼです」

 ヘルシンの落ち着きのある物言いは、会議卓を囲む者たちの注意を引きつけた。蝋燭の灯りが浮かび上がらせた顔のひとつが、おもむろに口を開く。

「ではどうする」

「援軍を待つべきです」

 答えたヘルシンの口調は明瞭としていた。思わず場の一同は互いの顔を見合わせるのだった。

「冬が明けないと難しい」

 答えたのはラセルであった。憮然とした面を組んだ手の向こうに半ば隠したままで、ヘルシンの刺すような眼差しを受け流している。

 提案をのらりくらりとかわすラセルに、さしものヘルシンも辛辣な物言いを抑えられずにいた。

「王はグメリンを見捨てるおつもりですか」

「そうではない」

「では、」

「南の戦況が思わしくないのだ」

 口を開きかけたヘルシンを遮って、ラセルが言った。

「キリエスのような小国のことなど、我々でなんとかできると思っておられる」

 拳で卓上を打ちつけて、ヘルシンは立ち上がっていた。目を丸くしたラセルが、呆然とこちらを見上げている。言葉をなくした家臣たちの視線を受けながら、椅子の上で固まっているラセルへとにらむ眼差しを注いだ。

 今日までキリエスの侵攻を押さえ込んできたのは誰だったか。北の要塞があったからではないか。彼ら防衛線の守護者に守られて、グメリン領主はいったい何をしてきたというのか。

 喉まででかかった言葉を飲み込んで一同を見渡すと、ヘルシンは暗い会議室を逃れるように席を離れた。


 低い雲が地平まで垂れ込め、明けの大地をさらに寒々しく見せた。

 広い平野の向こうに逆茂木の並ぶ影が長く伸びている。荒野に馬を駆けさせていたヘルシンは、やがて走りを緩めて、覆い布の間から空際を見渡した。

 追いついたカルボと従者も、彼に合わせて馬を歩ませた。冷え込みは日増しに厳しくなっている。この寒さの中、包囲線をはって宿営を続ける敵方も、疲労は並大抵ではないだろう。

 相変わらずラセルは出陣の考えを譲らない。グメリン公は全力で叩けばキリエス軍を追い返せると思っているのだ。その要望をいつまでも聞かぬふりするわけにはいかなかった。

 食糧は減る一方で危機感は増している。かといって無為に挑むわけにはいかない。敵陣に隙を見つけて、状況を打破する策を見つけねばならなかった。

「東のワイラケ河付近が手薄に感じましたが」

 背後から届いたカルボの声に、ヘルシンは鈍色の空へと顔をあげた。白息が朝のほの明るさの中に散る。

「あれは罠だ」

 返答の代わりに肩越しからカルボの眼差しが注がれた。手綱を馬の首にあてて歩ませながら、彼は言葉を次いだ。

「追いつめられれば人は決死の覚悟を抱く。しかし、逃げ道があると知れば、兵の心は動揺するだろう」

「では、」

「敵を包囲するときは、逃げ道を用意しておくものだ。あれは、他の者へは報せるな」

 言ってヘルシンは上空を仰いだ。朝の明るさが次第に天に満ち渡り始めている。おぼろな光は彼ら三人の輪郭を浮かび上がらせ始めていた。

「戻るぞ」

 肩越しへと彼はそう声をかけた。

 馬を駆けさせると、吹き付ける風が冷たく頬を刺す。グメリン城の城壁は近づくにつれ、彼らを覆うように高々とそそり立った。

「昨日もグメリン公は、キリエスの包囲線を妨害しろと仰せられていたようで」

 背後から風にのってカルボの声が届いた。目指す先に現れた城門を見据えながら、ヘルシンは考えをめぐらせる。高姿勢が日ごとに憎らしい公爵の顔が瞼に浮んだ。ここにも解決の糸口を探らなければならない問題が潜んでいるのだった。

 城門に辿り着いた彼らを確認して、城壁の番兵が下方へ合図を送る。門扉が開かれるまでの間、馬を立ち止まらせるヘルシンに、カルボがもう一言つけ加えて言った。

「城内に不安が広がっているようです」

 隣へ並んだカルボへと思わず視線を送る。見返した副官に、しかしヘルシンは口を閉ざしたままであった。

 彼自身そのことをひしと感じていた。今はそこまで手が負えないが、しかし見過ごすわけにもいかない。なぜ出撃しないのだという不満と、やがて厳しい食糧難にさらされるのではないかという不安が入り交じって、城内にじわり広がりはじめていた。


 ヘルシンが宿舎へ戻る頃には、空はすっかり明るくなっていた。起き出した兵士たちがまばらに中庭を行き交っている。

 グメリンに逃れてきたばかりの頃に比べ、間に合わせの就寝所も今は整えられ、仮初めながら宿舎が設けられていた。

 私室へ入ると疲れがどっと押し寄せた。のどの渇きを潤そうと卓上の水差しに手を伸ばした時、宿舎の外に騒がしさを聞いた。今しがた帰った彼を追ってきたような唐突さであった。

 あるいはそれは予感だったか。水差しをゆっくりと卓上に戻し、扉を見据える。荒々しい足音は宿舎内へと上がり込み、やがて彼のいる部屋の前で止まった。

 二三ささやきが交わされた後、扉が乱暴に開かれた。廊下の暗がりに、長剣の刃が数本ぎらりと光る。

 ヘルシンは動じず、入り口の向こうに現れたグメリンの兵士たちを眺め見た。

 部屋に屹立していた男と目が合って、ラセルは一瞬怯んだ表情を浮かべた。気を取り直してすぐに、隣に立つ側近へとあごをしゃくって見せる。それを合図にして、髭をたくわえた長身の男が一歩進み出た。

 短い睨み合いの後、男の低い声が響いた。

「あなたには、ダンブリを敵の手に落とした、その責任をとっていただく必要がある」

 怪訝に見返すヘルシンの視線を受けても、男は平然として言葉をつづけるのだった。

「しばらくの間、ご謹慎願おう」

 言い終わるのを待たない内に、兵たちが回り込んでヘルシンの腕をとった。

 にらむ視線をラセルへと注ぐ。彼の胸には愚策を選んだ領主への怒りと失望が渦巻いていた。

 両脇を固められたヘルシンに憤りの眼差しを向けられても、ラセルは涼しい顔をみせるだけであった。

 頑に兵を動かそうとしない指揮官の対処は、これで片付いたのだ。煩わしさを払ったラセルの横顔は、むしろすがすがしい笑みさえ浮んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ