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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
グメリン包囲戦
15/37

2

 西に傾いた太陽は、冬の大気に赤く揺らめいた。

 山の峰は地平遠くに低く、うっすら青い影を伸ばしている。

 難攻不落を誇ったダンブリの城内には、油と獣の焼ける匂いが漂い、壁の至るところは血と煤で汚れていた。

 黒鹿毛の馬は死屍の折り重なる道に歩みを進ませ、やがて城塞の中央にあって周囲を望める広場へと立った。斜陽の照らす淡い光に、煤に黒ずんだ城壁や屍は青みがかった影となって、いっそう陰惨に映る。

 沈黙のまま、リヨンは辺りの光景を眺めていた。

「城主は南に逃れたようです」

 将官のひとりが、彼らの指揮官を見つけて馬を近づける。

 男に答える代わりにリヨンは、周囲を見渡して口を開いた。

「捕らえた者には無用に手を出さぬよう、女子供がいれば、それも同じだ」

 返答を失くした男の傍から、戦場に慣れたアムオニオが言葉を差し挟んだ。

「しかしそれでは、補助兵どもの褒美になりませぬぞ」

 一瞥を返した後、リヨンはその問いには答えずに言った。

「次の行動に移る、動ける者を集めろ」

 一瞬の沈黙があって、二人の将官は馬の身を引かせた。

 彼らから視線をそらせた時、離れてやりとりを見ていたアユインと目が合った。リヨンの詮索が及ぶ前に、アユインは口を開くのだった。

「先のワイラケ河に支隊を待たせてあります。すぐに追いますか」

「そうしよう」

 もの言いたげなアユインの眼差しを振り切るように、リヨンは馬の鼻先を広場の外へと向けた。


 コランタム王国最北端の城塞より南の都市グメリンでは、敵襲を逃れてきた司令官と数百の兵士を迎えて、グメリン公ラセルが不服の表情を顔に浮かべた。

 山脈の麓に広がる台地に住まうキリエス人が、グメリンの領有権を主張してから三度目の冬を迎えようとしている。

 これまで北の要塞ダンブリがその南下を阻止してきたが、両者に疲労が見え、妥協点を探り始めるべきかと思っていた矢先、キリエスから停戦の申し入れが届いた。コランタムにとってほとんど利のないその条件を、まずは突っぱねる意向で一致していたが、返事が届けられるや否や、キリエスは準備していた兵を動かしたのだった。

 その奇襲にまんまとやられて、ダンブリの城主ヘルシンは城塞を手放した。王室内の抗争と、南方からの異民族の襲来に手を焼いていたコランタム王国には、安易に兵を出すことができない。国内の状況から考えても、キリエスのような小国の動向など、北の城塞で食い止めておくべきだったのだ。

 考えるほどにラセルの苛立ちは深みを増したが、指揮官ヘルシンを責めることに耐えた。

 今はまず、状況を冷静に判断しなければならない。問題は、この先キリエスがどのように出てくるかである。

 家臣たちが顔を揃えた討議の間、彼は怒りで頬を紅潮させで押し黙ったままだった。


 開け放たれた扉からグメリン公ラセルが姿を現せた。重い体を不機嫌な足取りで運んで、廊下へと歩み出る。後に続く家臣たちの中に白い髭の老人を見つけると、マギネティスは近寄って、己の師に低く声をかけた。

 祐筆官スコレウキは弟子に気付くと歩みを緩め、領主取りまきの一団の背を見送った。

「様子はどうかね」

 弟子マギネティスの用件を察していた老人は、そう話を向ける。ダンブリから逃げ延びてきた司令官との連絡を取り次ぐ役目が、若い書生に与えられていたのだ。

 師について歩きながら、マギネティスはこの混乱に、いまだ緊迫感の解けない面持ちで老人を見返した。

「今朝にもダンブリからの兵が到着しています」

 老人は一瞬、険しい表情を見せる。

「して、ダンブリの兵の数は今は、」

「三千あまり、暮れにはさらに増えるかと」

 眼差しを宙になげて、スコレウキはしかつめらしい顔を作った。

「キリエスは捕虜をとらんか、寛大よのう」

 老人の横顔を、マギネティスは見つめていた。それは皮肉にちがいなかったが、キリエスが敵兵が南に逃れるのをあえて見過ごしたとの、指摘でもあった。

 それはキリエスの寛大さゆえだったのだろうか。一瞬の違和感は、しかし、別の問題によってたちどころに消えてしまう。マギネティスは思い出したように言葉を次いだ。

「ダンブリの指揮官が、兵を貸してほしいと言っております」

 スコレウキの厳しい目が、弟子へと注がれる。困惑の表情でマギネティスは続けた。

「キリエスに備えるのだそうです」

「ここまでやってくると考えておるのか」

 指揮官の過度な不安を、半ば笑うかのような言い方であった。

 戦闘でキリエスが負った痛手も小さくはないと聞いている。その足でより大きなグメリンへ立ち向かうとは考えられない。

 マギネティスも心境は同じだったが、ダンブリの指揮官の真剣な物言いが思い出された。何となくその男を説き伏せるのは、難しいように思われたのだ。

「キリエスが本当に、このグメリンに兵を向けるというのなら、ラセルさまも当然兵を出すに決まっておる。その時は、私がその取り次ぎをしてやろう」

 弟子に目を合わせて老人はそう言った。緩めた足取りをもとに戻して、ふたり廊下を歩む。事がどうなるかは分からないが、ダンブリの指揮官に返すひとまずの回答を得られて、マギネティスは安堵していた。



 城内は北西のはずれに設けられた、急ごしらえの宿舎の周りは、ダンブリからの兵ですでに溢れかえっていた。

 火床を組んだ周囲に、暖をとって立つ兵の姿がまばらに見える。小屋を出入りする人影は負傷兵の手当の要員だろうか。あとは炊き出しの支度か、兵士たちが辺りを行き交う、忙しない午後の野営地であった。

 焚き火の白煙が、低く垂れ込めた空を煙らせた。冷えた空気の中に、薪の焼ける匂いが、つんと鼻を刺激する。疲労と慌ただしさの入り交じった空間に、マギネティスは立ち尽くしていた。

 往来する兵たちの間にすくっと立って、微動だにせず一同を眺め見るその男の背中は、記念碑の石柱のようにさえ見える。動じないのに威圧的な背中に、若い書生は気後れしてしまうのだった。

 背後に注がれた視線を感じとったのか、ふと男は肩越しを見やった。場違いな青年の姿をその目がとらえる。二人の間を頻繁に行き交う兵士たちに、なおもマギネティスは一歩踏み出せないままでいた。

 ダンブリの指揮官は、グメリンの文官見習いの男をじっと見やった。それから組んだ腕を緩めて、指を上向きに折り曲げてみせる。うつむき加減でそっとため息をついて、マギネティスは歩みを進めた。

 兵士たちの中に混じると、色白でいささか丸みのある体つきの青年は、いかにも場にそぐわなく感じた。落ち着かない心持ちのまま、指揮官ヘルシンへと近寄る。

「兵はどれだけ集められる」

 指揮官の男は、一言目にそう尋ねた。返す言葉を失っていると、次いで低く響きのある声が続けられる。

「五個団は用意してもらいたい」

 マギネティスは視線をさまよわせた。しどろもどろに口を開いて、答えをつむぐ。

「その……キリエスは本当に、兵をこちらに向かわせているのですか」

「間違いない」

 声ははっきりと発せられた。

「彼らも多くの負傷兵を出しているはずです。果たしてそんな状況で、攻城に挑むというのですか」

「そうだ」

「根拠はあるのですか」

「報告を受けている」

 思わずマギネティスは息を吸い込んでいた。ダンブリの指揮官は、幾分か横柄さを感じさせるが、戦の嗅覚は狂いないにちがいなかった。

「兵たちが、キリエスがグメリンに向かうのを見たということですか」

「その通りだ」

 念入りに問いかけた書生の青年に、ヘルシンは語調を強めて言うのだった。

「明日朝までに用意してもらいたい」

 マギネティスの瞼には、のんびり構えた師スコレウキと、このところ不機嫌な公爵ラセルの顔が、うっすらと浮かび上がっていた。

「しかし、キリエスの兵力も充分ではないはずで、ほとんど自滅行為ですし、それにその……本当に五個団も必要ですか?」

「だからこそ必要だ」

 指揮官の男は、何を言っても返答に揺るぎがないのだった。おどおどとこちらを見やる青年に、ヘルシンは付け加えて言った。

「調子に乗ったキリエスの兵どもを、徹底的に一掃してやるのだ」

 指揮官の男の目は、地平の彼方へ注がれた。重苦しい冬空の向こうにいるキリエス軍の影を、見晴るかすようであった。

 長身の背を真っ直ぐにして遥かを望む男の胸に、燃えたぎる怒りの熱が渦巻いていることを、マギネティスは今更ながらにひしと感じていた。

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