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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
グメリン包囲戦
14/37

1

 冬の朝の空気はぐっと冷え込み、宵闇がようやく薄れはじめていた。

 グメリンの北の城塞ダンブリは、堅牢な石造りの城壁をめぐらせ、朝の靄の中に立ちそびえている。

 日ごと夜の警守が厳しくなる季節だった。寝床から抜け出してきたばかりの番兵たちは、冷えた空気に眠気を振り払いながら配置へ向かう。

 まだ夜も明けきらぬ薄暗がりの中、勤めを交代した彼らには、城門を開くひと仕事が待っていた。

 内防壁からの扉をくぐり、続く細い坂道を下ると、城壁に施された隧道にかかる二重の門扉が現れる。

 立っていた番兵と挨拶を交わして、男は冷たくなった手をもみほぐしながら、閂のかけられた扉へと近づいた。


 城塞のひと際高い主塔にも、交代の時間がやってきた。

 階段の途中から談笑の声が聞こえてきて、壮年の男は眉をひそめた。声の主は分かっている。彼より幾分か若く、振る舞いも浅慮な男だ。段を上りきって、場へと声をかける。

「交代だ」

 話は中断されたが、雑談の余韻は残った。番兵のひとりが立ち上がり、話し相手だった男に手を掲げてみせる。

「じゃあな」

「ああ」

 人影が階段の向こうに消えるのを見送ってから、後から来た年輩者は口を開いた。

「ちゃんと監視していたか」

 嫌みを言われて、壁のへりを腰掛けにしていた男は、肩越しへ視線を投じた。年長の番兵も顔をあげ、薄暗がりに眠ったままの大地を見晴るかす。

「問題ない」

 声は短く答えた。

 相づちも打たない年輩者に気付いたのだろう。若い番兵は、ひと時の沈黙をしのいだ後で、打ち明け話をするように口を開いたのだった。

「戦は間もなく終わる」

「どうして分かる」

 楽観的な物言いに、そっけなく男は尋ね返した。

「キリエスが停戦を申し込んできた」

 思わず声の主を振り返る。若い番兵は、口うるさい年輩者の驚く顔が見れて、満足したようであった。

「本当の話か」

「そういう噂だ」

「城主は、話をのんだのか」

「いや、突っぱねたらしい」

 大きく息をつくと、まだ暗い空へと視線を向ける。

「それでは、終わるとは言えんぞ」

「今に分かるさ、キリエスは分が悪くなってきたんだ」

「だといいな」

 闇に向かって腕を組むと、頬に冷たい風が当たった。

 いずれにしても冬は近い。戦はいったん中断するはずだった。

 ここで停戦の交渉が上手く進めば、若い男の言う通り、翌春までに戦争は終わるのかもしれなかった。

「キリエスでは王室の婚姻があるんだったな」

 思い出したように年長の番兵は言った。

「そのことが停戦へ向かわせるのかもしれんな」

「そんなの建前に決まっている。やつらは引き際がほしいんだ」

 納得を得て男は首肯いていた。白む空の下に、大地の姿がおぼろに浮かび上がりはじめている。長らく帰っていない故郷へと思いを馳せて、男は荒涼とした北の果ての大地を眺めたのだった。

 風景に投じた眼差しを細めた時、彼の目は闇に紛れながらも、城門に真っ直ぐ向かってくる影を見つけていた。

 それは三頭の馬であった。一瞬目を凝らしたが、上手く見定めない内から、不穏な予感が肌をなぜていた。

「おい」

 隣の番兵に声をかける。彼の声の調子に気がついて、若い番兵も立ち上がって振り返っていた。

 男は釘づけになっていた馬の影から、とっさに城門へ視線を移した。まさしくこの時に、城壁を囲む土堀に、跳ね橋が掛けられようとしている。

 悪い予感は確信に変わった。彼は声を張り上げていた。

 叫ぶ声が未明の闇を切り裂くのと、先頭の馬にまたがった人影が背から戦斧を抜くのは、ほとんど同時だった。

 薄靄の中に放たれた斧の刃が、回転の毎に微かな天の光をはねた。跳ね橋はそのまま堀の向こう岸におりる。三頭の馬の影は、掛けられた橋を渡って、城門に吸い込まれるように消えた。

 男は今しがた見た眼下の光景を呆然と眺めていた。隣で若い番兵の吹く角笛の音が、いまだ冷たい闇に沈んだままの城塞の町に響き渡る。執拗に響く角笛に、下界はにわかに騒がしくなった。

「門だ!城門へ行け!」

 男の上げた声は、近くの番兵から先の番兵へと伝達されていく。城門から伸びる坂道を見下ろす防壁に、早くも幾人かの兵の姿が集まり始めていた。

 戦闘の動きがわずかにあって後は、隧道を盾にしているのか、城門の辺りは静まり返っている。跳ね橋はいまだ向こう岸に掛けられたままであった。

 敵が攻め入るのを防御しているだけでは足りない。城門を閉ざさなければ。もどかしく声を上げようとした男の隣で、若い番兵が短く叫ぶのを聞いた。

 彼の視線を注ぐ先を、男も見やっていた。目に飛び込んだ光景を見て息をのむ。白む東の空を背に並び立つ軍勢の影があった。

 

 早朝の角笛の音を億劫に感じたのは、ほんの一瞬のことであった。

 城塞ダンブリの城主ヘルシンは、ほとんど反射的に飛び起きて、窓辺に進んだ。

 雨戸を開け放つと、ほの暗い空の色と冷えた空気が飛び込んでくる。下方の町には、兵の行き交う慌ただしさがあった。

 城塞の兵は、一見混乱の中にあるように見える。ただならぬ状況にあると知って、急ぎ窓辺を離れた。

 隣の部屋では、すでに彼の小性が目を覚まして、事態に戸惑いを見せて立ち尽くしている。努めて落ち着いてみせ、ヘルシンは少年に声をかけた。

「服を」

 言われて少年は、卓上に置かれた武具へと手を伸ばす。同時に、部屋の扉がコツコツと鳴った。向こう側に立つ家臣の、不安の色を浮かべた丸い顔が思い浮かんだ。

「入れ!」

 張り上げた声にそろりと扉が開かれる。予想と違わない青い顔を一瞥して問いかけた。 

「何が起こっている」

「キリエスでございます」

「奴らは停戦を申し入れてきたばかりではないか」

 荒く息を吐きヘルシンは言った。服を着込むと、小性の少年が胴鎧を手渡す。開いた扉の向こうから、城内の騒がしさが流れ込んできた。

「ええ、ですが、われわれは拒否の返答をしました」

「あのような条件など!」

 吐き捨てるように言って息をつく。準備が整うと、ヘルシンは大股に男の待つ扉へ向かった。

「返答したのは、たった数日前であったぞ」

 通り道を開けようとした家臣へ、足を止めて彼は視線を注いだ。

 丸顔の男も気付いていたか、血の気のない顔を首肯かせる。その胸中にある思いをとらえようとするように、ヘルシンは家臣の顔をしばらく眺めた。

 根負けして、家臣は言いづらい一言を口にするのだった。

「キリエスは初めから兵を挙げる気で、あのような申し入れをよこしたにちがいありません」

「……謀ったか」

 舌打ちと共に荒々しく扉を開け放つ。

 天に満ち始めた朝の光が、辺りを薄ぼんやり浮かび上がらせていた。喧騒へと足を向けたヘルシンを、家臣の男が慌てて追った。

「なぜ気付かなかった!」

 足早に歩を進めるヘルシンは、後から小走りについてくる男へと、大きな声で尋ねた。

「キリエスが兵を集めているのは、王太子の婚姻式のためという話で、」

「万が一を考えなかったのか!」

 返事が途切れた。文句を言っても始まらないのは、彼自身分かっている。忌々しさを追いやって、広場へと続く階段を駆け下りた。

 すでに兵を揃えていた筆頭隊長が、闘志をみなぎらせ歩み寄る司令官に顔をあげた。彼を出迎えながら、男は切迫した面持ちで口を開く。

「外壁の門は破られております。現在、内壁を守っておりますが、それも時間の問題です」

「数は、」

「一万……いえ、二万余かと」

 ヘルシンは眉を潜めた。ダンブリの八千の守備兵では、敵の部隊に及ばない。冬を前に半数の兵に暇を与えていたのだ。少しでも状況が耳に入っていれば、不覚をとることはなかったはずだった。

 視線をあげた先の、城門のあたりに火の手があがるのが見えた。熱した油が攻め入る兵たちの上に注がれ、今頃城門からの坂道は、阿鼻叫喚の相となっているだろう。しかし内門の扉一枚隔てた向こうに、すでに激しい戦闘が繰り広げられているとすれば、城内もそれだけ危うい状況にあった。

 なんとしてでも内壁門を破られてはならない。暁の暗い空を焦がす炎から目をそらしたヘルシンは、視界の端に駆け寄る人影を見た。

 整列する兵を監督する将官たちの間を縫って、副官カルボが駆け寄る。蒼白な面持ちであったが、むしろその表情はヘルシンの気持ちを気丈にさせた。

 冷静な部下は現状をよく把握しているだろう。しかしなおさら、彼は指揮官として、怯む思いを顔に出してはならないのだった。

 背が高く体躯の屈強な上官の前に立って、小柄さを感じさせるその副官は、一瞬惑う表情を見せた。部下の歯切れの悪さに、ヘルシンは思わず視線を注ぐ。将官カルボは、仁王立ちの上官に身を屈めるよう頼む代わりに、自ら背筋を伸ばして口を開いた。

「お逃げください、キリエスの兵は間もなく城内に入ってきます」

 騒然とする城内の音に紛れて、カルボの低い声は、しかしはっきりと耳に届いた。動揺を浮かべる代わりに、ヘルシンは厳しい眼差しを向けた。

 だが、カルボも身を引かなかった。城主ヘルシンが、命を燃やしてでも任を全うしようとするだろうとことは、彼の部下にとって安易に想像できることだっただろう。彼の前に踏みとどまって、根気づよく視線を返してくる。

 出撃の合図を待つ兵たちは、勢いを増す炎と喧騒に落ち着きをなくしている。一刻の猶予もなかった。目を逸らそうとしたヘルシンに、カルボがさらに言葉をかけた。

「地下通路を開いております、急がなければ手遅れになります!」

 その進言を振り払うように隊へと向き直るヘルシンの側へ、別の将官が立った。男はほとんど怒鳴るように言うのだった。

「グメリンへお行きください!ここは我々がお守りします!」

 ヘルシンはとっさに副官へ目を戻していた。上官の眼差しを見返して、カルボは懇願するように言った。

「今は逃れて、グメリンで態勢を整えるべきです。キリエスとの戦いは、ここで終わるわけではありません」

 明るむ空がもうもうとあがる煙に霞んでいた。怒号と叫びは混ざり合ってひとつの音となり、辺りの空気をふるわせている。

 混沌の光景をヘルシンの眼差しが一瞬さまよった。その時、内門の辺りに歓声とも悲鳴ともつかぬ声が湧き起こった。

「お急ぎください!」

 男は言うや否や剣を抜き、目の前の兵たちに命令を放った。すでに内壁の門の辺りで斬り合いが始まっている。広場からの傾斜道を、兵の塊が黒い雪崩となって流れ出した。

「ヘルシンさま!こちらです!」

 副官に呼びかけられても、まだヘルシンに決心はつかなかった。

 内壁の門から続く段の坂道の頂上に陣取った兵が、一斉に弓を放つ。矢の根が雨となって、内壁門をくぐり抜けてきた敵兵の上へ降り注いだ。

 キリエス兵も、これに怯む様子は見せない。内壁を背にして陣を取り、盾を防御に弓を放った。多勢の執拗な攻撃は、やがてこちらの兵の壁を次第に削いでいくにちがいない。次の号令で、ダンブリの歩兵隊がキリエス兵へと斬り込むだろう。しかしその攻防はどれほどもつだろうか。

 今見ている光景が、これまで守り続けた城塞ダンブリの最後の姿になるだろうという予感が、彼の胸によぎった。

「ヘルシンさま!」

 副官の呼びかけに、ヘルシンは戦闘の光景から目をそらした。安堵の表情もつかの間こと、カルボは踵を返し主塔へと向けて駈け足で段をのぼる。

 副官の後を追ったヘルシンは、その背中に、怒号と叫びの混ざった轟きを聞いた。

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