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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
冬の婚礼
13/37

5

 早朝の淡い青の空に、冷たい風が流れ込んだ。凛として澄んだ大気に、眩い初冬の光が射し込む。

 数日続いた祝宴の賑わいは、婚礼の日を今日にして静まり、街はいつになく厳かな朝を迎えていた。

 薄青い光を浴びるように窓辺へ向かって座っていると、朝の空気が頬をしんと冷やした。物思いにふける娘の眼差しに気がついて、髪を梳いていた侍女が、鏡をのぞきこんで声をかける。

「これまで王室へ嫁いだ、どの妃よりもお美しいと、都中のお噂ですわ」

 その言葉に、ヴェルネ・セウレウスの瞼へ、半月前に執り行われた婚約式の情景が浮かび上がった。

 本来なら粛然と行われる婚約式を、父カオラは華やかに演出した。やがて王太子妃となるセウレウス家の娘を一目見ようと、通りには大勢の人が集まったのだ。

 優美な刺繍を施した白の衣装を見て、父は喜びで目を細めた。兄のメイオは、貞淑を示す黒を勧めていただけあっていささか不満げだったが、ヴェルネからしてみれば、明るい色の方が華があって良い。兄は幾分か気が細かいのだ。

 観衆の目を満足させるだけの準備が彼らにはできていた。聖堂までの道を走らせる儀装馬車は、娘の美しい容姿が見えるようにと、天蓋のないものが選ばれた。街の中心を貫く通りに顔を並べた人々は、柔らかな絹の衣装に身を包む彼女の姿を見るや、騒ぎ立てるのも忘れてうっとり魅入ったのだった。

 ヴェルネは目の前の鏡に映る、国いち美しく幸運に恵まれた少女を見つめた。

 昔は気にしたあっさりした顔立ちも、大人びてくると涼やかで魅惑的に思えた。鏡の向こう側から微笑みかける少女は、確かにこの時、地上で最も美しい女性だった。

 婚姻の相手にも当然申し分はない。婚約式の日に顔を合わせたばかりの王太子は、噂通り凛々しく精悍な若者であった。すでに戦地へも赴き、勇敢で国を愛する青年なのだという。

 しかし一度もこちらに目を合わせなかったことは、唯一の気がかりである。もとは下級貴族であったセウレウス家との婚姻を、快く思っていないのかもしれない。

「殿下は大変勇敢な方だと聞いていますが、女性には奥手だと、」

 ヴェルネの不安をなだめるように、背後から侍女の声が届く。顔周りの髪を整えていた女の手が離れると、金の髪は朝陽の中に艶めいて輝いた。

 鏡の奥の女性に魅入ったヴェルネへ、屈んで顔を近づけると、侍女はささやくように声をかけた。

「ヴェルネさまとご一緒に過ごされれば、お気持ちも変わりますわ」

 思わず彼女は視線をあたりへさまよわせていた。鏡に映る侍女が上体を起こす一瞬に、微笑むのが目に入る。ヴェルネは再び、鏡に映る自分の姿を眺め見た。

 侍女に言われた通りに違いなかった。婚姻を結べば心を開かないわけにいかない。そうなれば、今はまだ冷めたあの眼差しを、彼女だけに向けるはずだった。

 張りつめた気持ちをほぐすように、知らずと彼女は呼吸を整えていた。

 時を告げる鐘が高らかに鳴り響く。いつもより明るく打ち鳴らされる音は、婚礼式を待ちきれずに彼女を讃える祝福の鐘だ。軽やかな鐘の音は冬の空気に凛と響いて、エルデツァの街のその向こうまで広がっていった。


 冬の陽は傾き始めると、またたく間に地平にむけて滑り降りた。

 遠く都の賑わいに耳を澄ませるように、空際へと目を細める。夜が近づけば、街はいっそう祝賀の華やぎに酔いしれるだろう。

 薄紅が滲み始める地平から目をそらすと、アユインは下方に整然と立つ兵士たちの姿へ視線を注いだ。

 出陣の準備はすでにできていた。夜間の行軍は、体力をより消耗してしまう。日が沈む前に兵を進めておきたかった。

 しかし、冷え込む空気の中に寄り固まって立つ兵士たちを前に、武官たちはゆったりと馬を行き来させるだけで、一向に陣を動かす気配はない。

 小高い丘から全体を見渡すと、その印象は一段とはっきりする。たなびく雲が赤みがかるのに目をやって、焦れる思いが微かに胸をついた。

 アユインは丘の中腹のあたりに、彼と同じように馬の背にまたがり、辺りの様子を眺め下ろす青年従士の姿を見つけていた。

 平民の出身ながら、類いない活躍が王太子の目に留まってから、以来は彼の影のように随伴してきた青年だった。その青年がこの土地にひとりいる様子は、何か違和感を覚えさせる。

 今回の作戦でこの若い青年に、支隊とは言え小部隊が預けられていた。青年レウカスもまた、丘の途中にあがって、発つのを今かと待つ兵士たちを見渡して、全体像を捉えようとしているのだった。その姿は不慣れな指揮者の健気な努力のようにも見えた。

 馬にゆっくりと斜面を下ろさせる途中で、青年の馬とすれ違った。挨拶を交わすように、アユインの馬はぶるっと鼻をふるわせる。鼻息が白く立ち上がった。相手の馬が頭を下げ、歩を引いた。

 アユインはそのまま馬を見慣れた顔の将官のもとへと歩ませた。近づく彼に気がついて、ふたりの筆頭隊長が顔を上げる。

「出発はいつです」

 尋ねたアユインを見て、アムオニオは険しい表情を見せた。

「分からん」

 つい眉をひそめたアユインに、彼は加えて言う。

「作戦は聞いている」

「総司令役はあなたでは」

 返す言葉に戸惑うようにアムオニオは、隣の男と視線を交わらせた。

「いや、」

 それから細めた眼差しをアユインへと向ける。

「そなたではないのか」

「私が、まさか」

 ほとんど驚くような声でアユインは答えていた。その返答を聞いて、またもふたりの将官は顔を見合わせるのだった。

 腕に覚えのある男たちは誰も、総指揮を任されているわけではないようだ。そのために、軍兵を率いるのは未熟であっても、召集をかけた王太子に近い者ではないかと考えるに及んだのだろう。

 アユインは辺りを見渡していた。身に吹きつける風はぐっと冷え込んでいる。思い当たって振り向いた先に、いまだ初冬の空気へと眼差しを投じるレウカスの姿を見た。

 手綱の右を引いて馬の腹を小突くと、丘へと歩みを進ませた。ふたりの将官の目を背に受けて、青年へと馬を近づける。今度はレウカスも、こちらを見るアユインの視線をまっすぐに受け止めた。

「今回の戦、誰が軍を率いるかご存知か」

 青年隊長は、若い将官を見返した後に答えた。

「はい」

 短い返答であった。言葉の続きを探るように青年の顔を眺めたが、もともと淡白な表情に、答えを示すようなものは見られない。尋ねる一言を胸にとどめたまま、青年との間に沈黙が降りた。

 にわかに背後からざわめきがたつ。レウカスが視線を上げるのにつられて、アユインも肩越しを振り返っていた。

 暮れの霞が降りた大地のその向こうに、土煙の立つのが見えた。勢い良く馬を駆けさせて、数人の人影が近づいてくる。見晴るかしたものの、その影が誰のものであるのか、彼もすぐに察していた。

 土煙をまとった黒い影の近づくにつれ、騒がしさは静まっていった。一陣の強風が野の草を吹き分けるように、並び立っていた兵士たちの間に自然と道が開かれる。青くかすむ空気の中に白く伸びる一条の道へ、そのままの勢いで黒鹿毛の馬が走り込んできた。主君に遅れて、護衛兵の六つの影がその後を追う。

 首を振るとアユインは、馬を回れ右させて丘を下った。

 隊の前列までぬけると、馬の走りを止めさせて、リヨンは全体をぐるりと見回した。

「殿下!」

 いち早く馬を向かわせたアユインが、厳しい声で呼びかける。

「どういうことです、これは、」

 彼を視界にとらえながらも、リヨンは真っ直ぐ前へと眼差しを戻した。何を言っても動じる気はないと知って、アユインは声を落として尋ねる。

「……よろしいのですか」

 リヨンの視線は冬の空へ投じられたままだった。

「父に承諾は得ている」

 張った声が返される。同じ疑問を持った他の者にも届くように、彼は朗然と言ったのだった。

 その言葉にまだ半信半疑のアユインへと、リヨンの眼差しが向けられた。

「機会は一度きりだ。だがいつどのようにやるかは、好きにさせてくれると」

 幾分か低めたが、しかし怯むことのない強い口調だった。

 アユインは目をそらし息をついていた。

 あれだけ拒否していたセウレウス家との婚姻を、黙して受け入れた彼の意図を、ようやく悟ることができた。彼は一度の交戦と引き換えに、王と取引を交わしたのだ。

 婚礼の夜に兵を揃えさせたのは、敵方の意表を突くためだと言い訳するのだろう。しかし、セウレウス家がこれをどう見るだろうか。そのことに王太子が無頓着であるのか、はたまた胸のすくような思いでいるのか、アユインには分からなかった。幼い反抗心のようにも思える行動は、それでも若い心へ頑な決意を秘めているように思え、それ以上の批判を口にすることができなかった。

 リヨンの左手が手綱を持ち上げると、馬は左へと体を向けた。青い霞の中に並ぶ兵士たちへと向き直る。彼が一同を眺めると、張った空気が隊の隅まで広がった。

「これより先を最後の戦と心得よ!」

 低くも張り上げた声が、辺りの空気をふるわせた。

「今日こそ我らの誇りを取り戻す! かならずや彼の地を奪還するのだ! 我に従い共にキリエスを勝利へと導け!」

 剣を抜き放ち、天へと突き上げると、同時に鬨の声があがる。鼓舞された兵たちの声は、彼らの足下さえ揺るがすようだった。

 将官たちが馬を進ませてそれぞれの隊列へと散る中、アユインは肩越しのリヨンの横顔を眺めていた。新しく立った指揮官は、揺るぎない眼差しを軍勢にじっと注いでいる。若者が一瞬にして場を従えさせたのには、彼の立場もあっただろうが、しかしその気迫におうものが大きかった。

 若き指揮官を突き動かすものがなんであれ、その信念に身をゆだねざるを得ない。覚悟を決めるとアユインは、手綱を引いて馬を陣へと向けさせた。

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