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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
冬の婚礼
12/37

4

 一頭の馬が慌ただしく宮廷の西門に駆け込んでくるのが目に入って、上階の回廊を通りかかったアユインは足を止めていた。

 黒鹿毛の馬に見覚えがあったからだが、しばらく眺めていると、馬の背から飛び降りる青年の姿は、やはり王太子のものである。

 数人の従者が遅れて広場に駆け入った。リヨンが彼らを待たず石造りの壁の影に消えてしまうのを見て、アユインはため息をついていた。彼は一瞬考え込むようにして向かう先を見やったが、やはりと覚悟を決めると、踵を返したのだった。


 ひとの賑わいを背にして、午後の静まりかえった宮廷内をまっすぐ王の謁見の間へと向かった。大階段を上りきって、大股に広間を目指す。彼がその剣幕のまま一室へと踏み入ったとき、立ち話をしていた二人の大臣が顔をあげた。

 主の姿のない玉座を一瞥すると、リヨンは二人へと歩みを向けた。王太子の抱える憤りに気付いて、ひとりが彼へと体を向ける。何かなだめる言葉をかけようとしたのだ。

「セウレウスとの婚姻の話を進めている者は誰だ」

 先に問われて、公爵ユガーラは口ごもった。温雅なこの男にしては珍しく、戸惑いの色を顔に浮かべて、隣に立つ同輩アムオニオへと視線を向ける。戦地の活躍はめざましくも、宮廷にいては才気の色あせてしまうアムオニオは、二人の視線を浴びて、むしろ驚いた表情を返すのだった。

「答えろ」

「殿下、」

 王太子の厳しい口調にも、務めて穏やかにユガーラは言った。

「まずは落ち着いてください」

 悠長な公爵の態度に、むしろリヨンの怒気は色濃くなるようだった。しばしの見つめ合いは、広間に差した人の気配によって途切れる。ユガーラの安堵した顔を見て、アユインは一礼の後、広間へと歩み入った。

「何かございましたか」

 青年の冷静な声は、場の緊張をほぐすようでもある。しかし彼を見やったリヨンの瞳に、怒りの熱はいまだ冷めなかった。

「シェネフ家に婚姻の話を持っていったのは誰かと聞いているんだ」

「誰かがというわけではございません」

 答えたユガーラに、リヨンはにらむような視線をあてた。

「セウレウスが持ち出した話でございます」

 二人に割って入るように、アユインが言葉をかける。見返したリヨンの顔に嫌悪の色が混じるのを、彼は辛抱強く見つめ返した。

「シェネフ家にとっても、悪いお話ではございません。セウレウスは今や、わが国で大きな力を持っております。彼らと親族関係を結ぶということは、大変に大きな意味を持つはずです」

 言い聞かせるアユインの声に、リヨンはゆっくり頭を振っていた。

 彼女が受け入れるはずがない。払う犠牲の多い戦乱と、その要となったセウレウス家を、彼女ははっきり否定して見せたではないか。

 しかし、彼女の父や周囲はどうだろう。リヨンの心の怖れを読んだように、それまで黙っていたアムオニオが、口を開いて言った。

「伯爵は、話を受け入れたと聞きますが」

 とっさにリヨンは、武官の男へと顔を上げていた。体中が熱くなるのを感じる。全身の血が煮えたぎるようだった。険しい表情を一斉に向けられて、アムオニオの目は三人の間を居心地悪げにさまよった。

 リヨンが惑わせた視線の先にアユインの姿を捉えるのと、彼がその眼差しを見返すのは、ほとんど同時であった。

 呆然となったリヨンは、動じずに彼を見つめるアユインに、ものを言わせぬ意志を感じとっていた。彼は未熟な教え子が自らのわがままに気付き、幼稚な怒りの静まるのを、じっと待つつもりなのだった。

 二人の大臣と近侍の騎士の間にいて、リヨンは孤独に立たされていることに気がついた。怒りは深い失望に変わる。心に開いた空虚の穴に、あらゆる熱が奪いとられてしまうようだった。

 アユインから力なく視線を外す。一瞬の戸惑いの後に場の三人から顔をそらせて、そのまま広間に背を向けた。

 

 重い足取りは、知らずと中庭を望む回廊へと向けられた。

 三人の前を立ち去った足早の歩調もやがて緩まり、回廊を人気のない西側に差し掛かったとき、ついにリヨンは歩みを止めていた。

 庭には斜陽が差し込み、秋草の盛りに暮れひとときの彩りをそえている。辺りに風がそよぐと、秋の山に見る賑わいとは違った寂寥の感を漂わせた。高い空は色淡く、西日の光が柔らかに散っている。

 セウレウス家との話が出た時に、彼女は巻き込むまいと誓ったはずだった。しかしそれは、まったくの無意味であった。

 決めたのはエピウゾン伯だろうか。彼女も、承諾したのだろうか。セウレウス家の振る舞いを忠告した彼女が、彼らの血縁者との婚姻の申し入れを、躊躇なく承諾するとは考えられなかった。

 もしかするとネフェリンは、セウレウス家の意図を汲んだのかもしれない。彼女の決断によって、リヨンもまた心を決めるだろう。だからこそ、彼女は受け入れざるをえなかった。幼くから親交のある友人との関係を否定するために、決意しなければならなかったのだ。

 そう思いつくと、シェネフ家の選択にも矛盾はないように思われた。しかし頭では納得しながらも、気持ちではどうしても受け入れられずにいる。

 ネフェリンはいつでも自分の場所にいた。人を寄せつけず、彼自身、どこまで彼女の孤高の場所に居合わせることができたのか分からない。その彼女が、簡単に他の人のものとなってしまうことが、考えられなかった。

 彼女が他人に心を開くはずがない。セウレウス家の血縁者だとなればなおさらだ。それでも案外に、そうでもないかもしれない。途端に不穏な考えが、胸の内に忍び込んだ。

 少女だった彼女が、婚姻や聖なる結びつきを通して、女性へと変わることもあるだろう。その思いつきは、彼の心をかき乱した。

 瞼を瞑ると、辺りに秋の気配が立ち上がる。今すぐに彼女に会いたいと思った。そうしてその声を聞きたい。互いの気持ちを確かめたかった。

 風が頬をなぜて、リヨンは目を開いていた。

 街の喧噪は高い空にこだまして、やがて薄れていく。眺めた先に、赤い瓦屋根の遠くまで続く風景が広がっていた。

 これまでも、そうしてこれから先も、この見慣れた景色の中で生きていかなければならない。エピウゾンの美しい森は、遠くに離れていっそう眩い金色に輝いた。しかしそれでも、彼がそこを己の故郷とするわけにはいかなかった。

 他に行き場所はない。彼らは追いつめられたのだ。

 いつか彼女の言った言葉を思い出していた。戦いが長引けば長引くほど、国は身動きがとれなくなる。彼女の言葉を深刻に受け止めていれば、何か変えられただろうか。

 胸の奥で光をあげる秋の山の風景に眺め入るように、目を細めながら、リヨンはある考えに思い当たった。

 彼女に誓った約束がひとつあったのだ。

 それを果たすことが、遠い土地に生きる彼女へ、彼の想いを伝えるたったひとつの手段のように思えた。

 今や会うことも叶わず、気持ちを確かめ合うこともできない。

 たとえふたりの繋がりを形にできなくても、その誓いを遂げることで、生涯変わらぬ献身の心を、彼女へと伝えることができる。

 はるかエピウゾンの地まで続く空を、彼は眺めていた。いまはリヨンの心に翳りはなく、見据えたわずかな光をはっきりとらえようと、立ち尽くしていた。

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