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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
冬の婚礼
11/37

3

広場から伸びる通り添いに立つロナルス城は、夜になるといっそう豪奢な姿を印象づけた。

 無数の蝋燭が石肌を照らして浮かび上がらせ、宵闇に壮麗な輝きを放つ。

 時おり風に乗って、楽隊の奏でる音楽が、宮廷の広間にも届いた。弦楽器の軽快な旋律に耳を傾けると、城に集まった人々の笑い声までも聞こえてくるようだ。

 広間を通りかかったとき、リヨンはつい足を止めていた。夜の空気を伝って響いてくる陽気な音楽に気がついて、通りを望む露台へと歩む。

 ロナルス城の輝きは、夜天をも照らすほどの眩さであった。

 人々の集いは戦乱の疲労を忘れようとするようだ。夜会を催したセウレウスにいたっては、戦など無縁であるかのように、景気の良い振る舞いを見せている。

 人の出払って、かえって静まり返った宮廷から、しばらくリヨンは夜に灯る円形の塔を眺めていた。

 背後から近づく気配を、すぐには気がつかなかった。靴先が床を擦る音がたって、肩越しを振り返る。

 広間の壁を浮かび上がらせる灯りの中に立つ黒髪の青年は、険しい顔を向けたリヨンに動じず、無愛想な表情でその視線を受け止めた。

「ここにおいででしたか」

 吐く息にまぜるような低い声が言う。

 青年レウカスの目が、わずかに夜の風景へ投じられた。リヨンも街の夜景をちらりと見やった後で、若い従士へと視線を戻した。

「ああいうのは苦手だ」

「セウレウスの催しだからではないですか」

 すげない口調に指摘されて、リヨンは苦笑いを浮かべていた。

 無言を返答にして、合奏隊の演奏が流れてくる方へ顔を向ける。冷えた夜風に、夜会場の輝きはどこか虚ろに見えた。

「以前はそうではなかったのに、いつからお嫌いに」

 背中越しに主君の姿を眺めていた青年は、彼の心を呼び戻す一言を口にするのだった。

 レウカスの言葉におのれを振り返った後、リヨンは、いや、と答えていた。

「昔から社交の場は苦手だ」

 肩越しに投じた視線を、青年へと向ける。

「野に出ている方が楽だな」

 今度は笑って見せた。彼を眺め返すレウカスに相変わらず表情はなかったが、主君のしばらくぶりの笑顔に、安堵したはずであった。返す言葉を失くしたというように、こちらを見つめていた。

「明日は付き合え」

 リヨンは踵を返すと、すれ違いざま青年にそう言った。

 宴の賑わいを背中に受けると、灯りに照らされ浮かび上がる回廊が彼を迎えた。炎のゆらめきが薄暗さを遠ざけている。

 不安定なゆらぎの中へ足を踏み出しながらも、風にのって流れてくる楽奏の音を振り払うことはできなかった。



 秋空は高く澄んで、薄い絹雲をたなびかせた。

 豊かに茂った草に、辺りは青い匂いで立ちこめている。遠く丘の上で群れた馬たちは尾を振りながら歩き、のどかな午後を過ごしていた。

 王都エルデツァの外れにある放牧地では、野山に数千頭の馬を自生させている。ここでは、そのうちの数百ほどを囲い込んで育成しているのだった。

 馬たちのうち、いかにも不機嫌なものがいた。他より立派な体格を主張しているのか、近づく仲間に鼻を鳴らして威嚇している。

 遠目に見ていたリヨンに「あれは?」と問われて、場長の男が手を振った。

「言うことを聞きませんよ」

 男の忠告にも関わらず、リヨンの眼差しは不機嫌な馬に注がれたままであった。若い王太子が次に言い出す一言が分かって、その言葉を待つように、一同は黙して丘の上の鹿毛の馬を眺めた。

「あれを」

 言ってリヨンは場長の男を振り返る。つい首を横に振りながらも、男は草を踏み分けて丘へと進んだ。

 傍らに立つレウカスと視線が合うと、彼は不同意を示して、眉を潜めてみせた。苦笑いでそらせた面を丘の上へと向ける。鹿毛の馬は近づいてくる相手に気付いているのか、男の気配を払うように長い鼻を大きく振った。

「手懐けられれば、難しくない」

 臆面なく言ったリヨンに、媚びのない友人は首を振ってみせる。馬を連れ戻った男に自ら歩んで近寄ると、リヨンは手綱を受け取った。

 背をとられると、鹿毛の馬は嫌がって身をふるわせた。押さえ込もうとすると、かえって反抗して、二三大きく跳ねる。馬が身をひねって向きを変えると、勢いに引きずられて、体が浮き上がった。次の瞬間には草地に振り落とされていた。

 遠くにあがった声が、草の擦れる音にかき消される。右肩から滑り込んで、体に強い衝撃を受けた。一瞬聞こえたのは、笑い声に似た明るい声だった。

 可笑しくなって、リヨンはその場に仰向けになった。

 草の匂いに身を沈めて、高い空を見上げる。薄い雲が南へと流れた。青い香りが体の奥深くに沁み入るようだった。

 恐れるもののない、幸福な時間。けれども、それはいつまでも続くものではない。婚姻を受け入れれば、自由でいれた自分が変わってしまう気がした。

 彼女とはもう、ふたたび会うことはできないかも知れない。ふいにそんな思いが胸をよぎる。

 高原の夏の空の下で、どうしても彼女への誓いを口にできなかった。そのことが、彼に嘘をつくことから逃れさせていた。

 言えなかったのは、こうなることへの予感があったからだろうか。

 いや、と思い直す。理由は分かっている。彼女に断られることを恐れたのだ。確かなことがない内に思いを打ち明けても、彼女は承諾しなかっただろう。どこかでその懸念を抱いていた。

 そうしてそれは今も同じだ。聖なる誓いを立てながら、その誓約に背いて生きることに彼女が賛同するはずがない。よもや、彼女の存在が彼にそうさせるのだとなると、その決意は頑だろう。

 彼を真っ直ぐに見て揺るがない、ネフェリンの眼差しが思い出された。彼女の生真面目さを疎ましく、同時に愛おしく思った。

 何が違えば、ともに側にいれただろう。もっと早く気持ちを打ち明ければ良かったのか。彼らの戦が泥沼に陥らなければ、希望はあっただろうか。あの日に約束を交わしていれば、背徳の道をともに歩んでくれただろうか。

 近寄る影に気がついて、リヨンは視線を向けていた。遠巻きに眺めるレウカスの不安げな顔が視界に入る。考え事を中断して身を起こすと、彼を取りまいていた人々に、安堵の表情がよぎるのが分かった。

「お怪我はありませんか」

 尋ねられて、右肘のひりつきに気がついた。鹿毛の馬に振り回された時、身を守ろうとして擦りむいたのかも知れない。傷口を確かめると、友人へと視線をやった。笑ってみせるリヨンに、レウカスは呆れと安堵のまじった表情を向けるのだった。


 解放された鹿毛の馬は、幾分か機嫌を良くして、丘の上から尾を振ってみせた。赤茶色の胴が陽射しを受けて艶めいている。秋の空を背に立つ馬の影を見やりながら、リヨンは丸太の柵に腰をおろした。

 擦りむいた傷口を気にする彼へ、レウカスが水袋を差し出した。受け取った袋の口を肘の傷へと慎重に傾ける。冷たい感触が、腕を伝って肘へと流れた。熱っぽくなった肌を冷ますのにちょうど良い。

 水は肘から流れて足下の草地へと垂れていく。大した傷ではなかったが、肌にまとわって水のこぼれていく感覚は、彼の心を落ち着かせた。青草の上をなぜる風が、うつむいたままの頬をかすめていく。肘を伝った水滴が、ぽつぽつと大地に滴った。

 物思いから覚めないリヨンの隣に、レウカスが腰を下ろした。親しげに振る舞うことのない彼にしては珍しく、リヨンは隣へと視線を向けていた。

 口をつぐんだままの沈鬱な横顔を眺める。初めは心づかいゆえの神妙さかと思ったが、目線を合わそうとせず、彼自身の思い煩いを抱えているようにも見えた。交わす言葉のないまま目をそらしかけたリヨンへ、重い口調が言った。

「セウレウスは、縁談にお忙しいようです」

 言葉の意味がすぐには分からず、隣へ座るレウカスの横顔を眺め見る。

 目を草地に向けたままの彼の横顔は、まだ話すことを躊躇しているようだ。しかし一度口にした言葉は飲み込めず、深く頭を垂れる。リヨンは隣の友人から目をそらさずに、彼の次の言葉を待った。

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