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「水の檻」

十個の水の武器が、同時に降ってきた。


蓮の頭に一瞬で計算が走る。直線軌道の槍が三本、曲射の刃が四枚、球状の衝撃波が二つ、そして最後尾の霧状のものが一つ。回避不可能な多方向からの攻撃。


——だが。


「伏せろ!」


蓮はミオの肩を掴み、自分の体の下に押し倒した。


同時に、タンクの陰へと二人で転がり込んだ。


蓮の背後を、水の槍が五本、連続して空中を引き裂いて貫通する。直後、曲射の刃がタンクの壁面を斜めに削り取り、球状の衝撃波が床の水たまりを爆発させて飛沫を吹き上げた。


最後に降ってきた霧状のものが、蓮たちの頭上を通過していく。吸い込めば気道を切り裂くように設計された、極細の水の粒子。これがマリーンの決め技の一つだった。


五秒。


連続攻撃が、続いた。


蓮はタンクの陰に身を伏せ、ミオをさらに背中で覆いながら、計測器を確認した。ミオの心拍、正常。ミオの体温、僅かに上昇。彼女自身、今の攻撃を恐怖として認識し始めているのかもしれなかった。


蓮は片手で、ミオの頭を押さえた。


「動くな。——声も、出すな」


ミオは数秒、何かを処理する顔をしてから、小さく頷いた。


彼女は、命令を受けて頷いたのではなかった。


自分の判断で、頷いていた。


その変化を、蓮は頭の片隅に記録した。だが、今は感慨に浸っている場合ではない。


---


攻撃が、止んだ。


マリーンの声が、空中のパイプの上から響いてくる。


『おや、避けた? わりと賢いネズミだね、君』


彼女の足元で、床の水が集束している。再度、大規模な水の武器を生成している気配。


蓮はタンクの裏側を確認した。この円筒形タンクの高さは、約三十メートル。直径は約十メートル。タンク表面には管理用の点検ハッチと、冷却用の小型配管が、格子状に走っていた。


冷却配管。


蓮の目が、止まった。


配管の一本に、古い企業ロゴが刻まれている。液化ガス冷却系統、と小さな文字で書かれていた。


臨海第三処理場——化学プラントの下水処理を担当していた施設。有機溶剤や高温の排水を一気に冷却するための液体窒素タンクが、どこかに必ずあるはずだった。


蓮は記憶を探った。


サキから渡された装備パックの中に、この施設の旧稼働マップが含まれていたはずだ。ホログラム端末を素早く起動し、液体窒素系統の現在地を検索する。


——あった。


五十メートル先の大型タンクが、まだ稼働している液体窒素貯蔵槽だった。配管系統を見ると、放出バルブは蓮が今いるエリアに存在する。


頭の中で、計画が組み上がり始めた。


水使いは、水を使って戦う。


水を一瞬で凍結させる環境を作り出せば、マリーンの武器も、足場も、すべて動けなくなる。液体窒素の温度はマイナス一九六度。理論上、水は〇・一秒以内に氷結する。


問題は、発動タイミング。


液体窒素の放出範囲は、狭い。広がる前に蒸発してしまう。マリーンが、その範囲に来た瞬間に放出する必要があった。


彼女をその範囲に誘い込むには——。


蓮の視線が、ミオに向いた。


---


蓮はタンクの陰で身を屈め、ミオに手短に指示した。


「お前、もう一つ頼みたいことがある」


『応答します』


「まず、お前の観測半径内にいる取り巻き——残り六人、の位置をもう一度確認してくれ」


ミオは数秒、沈黙してから、頭を軽く振った。


『……現在、残り五人です』


「五人? 一人減った理由は」


『おそらく、先ほどの水の刃が、誤って一人を直撃しました。マリーンが範囲攻撃を仕掛けたことで、彼女自身の取り巻きの一人が、巻き添えで負傷したようです』


「……いいね」


蓮は小さく笑った。マリーン自身が、自分の味方を削ってくれている。


「残り五人の位置、俺の左腕のホログラムに表示を続けてくれ。一人ずつ、処理する」


『了解しました』


蓮は周囲を再確認した。マリーンは頭上のパイプ上で、次の攻撃を準備している。距離的に、彼女がこちらを直接視認することは、タンクが盾になって難しい。彼女の目になっているのは、浮遊ドローンだ。


ドローンを一機ずつ撃ち落としていけば、マリーンの視界は徐々に狭まる。


蓮は予備拳銃を抜き、アテロイド弾頭を装填した。拳銃の射程は短いが、ドローンの動力モジュールを一発で破壊するには十分な威力がある。


一機。


タンクの陰から、素早く照準して撃った。ドローンが火花を散らして落下する。


二機。三機。


すぐにマリーンが反応した。


『あら、また消えた。ドローンを壊してるの? 卑怯な戦い方ね』


「卑怯?」


蓮は独り言のように返した。ドローンを通して、マリーンには聞こえているはずだった。


「配信という視聴者の目のある場所で戦うことを選んだのは、あんただ。その目を奪うのは、戦術としては普通だろ」


『視聴者を、面白くない展開に付き合わせるのは、クリエイターとしての配信者に対する侮辱よ』


マリーンの声に、初めて苛立ちが混じった。


蓮はさらに二機、撃ち落とした。


これで、浮遊ドローンは残り十五機。マリーンが個人配信者として確保している撮影機材の、約三分の一を削った形になる。


——と同時に、蓮は左腕のホログラムの動きに気づいた。


取り巻き五人のうち、二人がゆっくりと動き出している。マリーンの注意が蓮に集中している隙に、側面からの挟撃を狙っているのだ。


蓮は即座にタンクの裏側に回り、彼らの進路を逆算した。最も早く到達するのは、北側のタンク三基先から来る男。距離、約四十メートル。到達時間、約十五秒。


蓮は、その男の予想到達点に、最後のジャマーを仕掛けた。


タイマー式、十秒後に発動。


そして、拳銃を握り直した。


---


十秒、カウント開始。


蓮は北側のタンクの陰に身を寄せ、男が来るのを待った。


男が到着する。配信ドローンを三機連れた、氷属性系の能力者。中年の男で、配信での登録者数は多分、マリーンの五分の一程度——彼女に寄生している寄生虫クラスの配信者だった。


男はタンクの陰を覗き込もうと、角に身を寄せた瞬間——


ジャマーが発動した。


男の能力が、一瞬だけ霧散する。氷の冷気を纏って接近していた彼の、自分の防御用の氷の鎧が、予告なく消えた。


蓮はその一秒の隙に、拳銃の銃身で男のこめかみを正確に殴打した。


男は気絶して崩れ落ちた。


ドローン三機を、再びアテロイド弾頭で撃ち落とす。


取り巻き、残り四人。


蓮は立ち上がり、次の獲物を探した。


その時——水が、来た。


突然、床の水全てが、一斉に蓮を取り囲むように持ち上がった。直径五メートルほどの水の檻が、蓮の周囲に形成され、あっという間に高さ三メートルの球体となって彼を閉じ込めた。


水面に、マリーンの姿が映る。


彼女はいつの間にか、蓮の至近距離——十メートル先まで接近していた。


『ほらね。配信に集中してるように見えて、私はちゃんと周囲を観測してる。——二度目は言わないわよ、レンくん』


蓮の周囲の水が、圧力を上げ始めた。


外部に音を通さない。呼吸もできなくなる。水圧で圧死させるタイプの処刑。残り時間、約二分。


マリーンが笑っていた。


配信コメントが再び流れ始めた。『……え、これガチ?』『人を殺してる』『通報した』『でもレン君テロリストでしょ?』『でもちょっとやりすぎじゃ』


蓮の視界は、水越しの歪んだマリーンの姿と、遠くでこちらを見ているミオの姿だけだった。


ミオは、タンクの陰から半身を出して、蓮を見ていた。


薄紫の瞳。無表情。


だが、彼女の指先が、微かに動いていた。


何かを数えているような、一定のリズムで。


——ミオに、何かを任せる余地が、まだあった。


蓮は水の中で、目を閉じた。


そして、肺の中の空気を、すべて——吐き出した。


---


第8話 完

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