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「亡霊」

制御室を出て来た道を戻ろうとした時、通路の先に人影が立っていた。


「ここまでよく辿り着いたものだな」


白いコートの男、ゼノンだった。


「やはり、お前がここにいたのか」


蓮は身構えた。


「謹慎中と聞いていたが」


「表向きの話だ」


ゼノンは静かに答えた。


「私はずっとここでカイン様の護衛を務めていた」


蓮は周囲を素早く確認した。他に人の気配はないようだった。


「他に誰もいないのか」


「今のところは私一人だ」


ゼノンは答えた。


「他の隊員には、ここに来るなと命じてある」


「なぜだ」


蓮が尋ねた。


「お前たちが来ることを、予測していたからだ」


ゼノンは静かに言った。


「ルシア様の動きは、以前から気になっていた」


---


「カイン様、か」


蓮は低く言った。


「随分と忠実だな」


「忠実というより義務だ」


ゼノンは答えた。


彼の視線がルシアへと移った。


「久しぶりだな、ルシア様」


「私に様付けはやめて」


ルシアは冷たく言った。


「あなたも兄に踊らされている一人でしかない」


ゼノンの表情が僅かに歪んだ。


「踊らされているのではない。私自身の意志だ」


---


「意志、というには随分と歪んでいるな」


蓮は言った。


「お前の妹はどうしている」


その言葉にゼノンの空気が変わった。


「なぜ、その話を」


「知っているぞ」


蓮は静かに続けた。


「お前が企業に従っているのは妹のためだろう」


ゼノンはしばらく沈黙した。


「……その通りだ」


彼は静かに認めた。


「私の妹はカイン様の管理下にある施設で暮らしている。私が従う限り、安全は保証される。それだけの話だ」


ルシアの表情が険しくなった。


「妹さん、名前は何というの」


「関係ないだろう」


ゼノンは短く答えた。


「関係あるかもしれない」


ルシアは食い下がった。


「私も、似たような境遇の子供たちを何人か知っている。もしかしたら」


ゼノンは僅かに動揺したように見えたが、すぐに表情を消した。


「今は、その話はいい」


ゼノンは一瞬視線を逸らした。


「話す義理はない」


「義理じゃなくて事実を聞いている」


蓮は静かに言った。


「妹の名前くらい、答えられるはずだ」


ゼノンは長い沈黙の後に口を開いた。


「ミナだ」


彼は低く答えた。


「妹の名前は、ミナという」


その名を口にした瞬間彼の表情に僅かな揺らぎが見えた。


「今、初めて名前を聞いた気がする」


ルシアが静かに呟いた。


「随分と大事にしてきたのね、その名前を」


---


「人質か」


クロが低く唸った。


「言葉を選べ」


ゼノンは鋭く言い返した。


「保護、と言ってもらいたいものだな」


「詭弁だな」


蓮は言った。


「それが人質じゃなくて何だ」


ゼノンの拳が僅かに震えた。


「お前に何がわかる」


「わからないさ」


蓮は正直に答えた。


「だが大切な人を守りたい気持ちだけはわかる。俺にも妹がいる」


---


「だからお前を止めるつもりなら容赦はしない」


蓮はパイルバンカーを構えた。


ゼノンも鉄片を取り出した。


「静音装備で来たようだが私相手には無意味だぞ」


「上等だ」


蓮は前に出た。


クロがルシアを庇うように立った。


「行け、蓮。ここは俺が守る」


「頼んだ」


蓮は前だけを見据えた。ゼノンとの間の距離が、これまでの戦いの中で最も張り詰めたものに感じられた。


蓮とゼノンの間に静かな緊張が張り詰めた。


---


二人は同時に動いた。パイルバンカーと鉄片がぶつかり合い鈍い音が通路に響いた。


「今日こそ、決着をつけるつもりか」


ゼノンが低く言った。


「決着なんて言葉、俺は使わない」


蓮は答えた。


「お前を止めるだけだ」


激しい打ち合いが続いた。狭い通路の中で二人の動きは制限されていたがそれでも互いに一歩も譲らなかった。


クロがルシアを背に庇いながら叫んだ。


「蓮、無理はするな。ここは撤退も選択肢に入れておけ」


「わかっている」


蓮は短く答えながらゼノンの一撃をかわした。


金属同士がぶつかる音が通路に反響した。


ゼノンの動きは以前よりも鋭さを増していた。


「腕を上げたな」


蓮は攻撃を捌きながら言った。


「お前を倒すためだけに、鍛え続けてきた」


ゼノンは静かに答えた。


その声には隠しきれない疲労の色も滲んでいた。


ゼノンの一撃が蓮の肩を掠めた。鋭い痛みが走った。


「甘いな」


ゼノンが言った。


「まだまだだ」


蓮は歯を食いしばりながら答えた。


彼はパイルバンカーを再び構え直した。肩の痛みは無視した。


「お前は、本当にそれでいいのか」


蓮は言葉を続けながら攻撃をかわした。


「妹のためだと言いながら、その手で誰かを傷つけ続ける。それのどこが守ることになる」


ゼノンの動きが僅かに乱れた。


「黙れ」


彼は鋭く鉄片を振るった。


蓮はそれを紙一重で避けた。


「図星か」


蓮は低く言った。


---


その時ルシアが叫んだ。


「ゼノン、待って!」


ゼノンの動きが一瞬止まった。


「妹さんの居場所、私が知っているかもしれない」


ルシアは続けた。


「兄のもとを離れる前、私も似たような管理システムを見たことがある。今の場所を突き止められるかもしれない」


ゼノンは驚いたように彼女を見た。


「本当か」


「今は証拠がない」


ルシアは正直に答えた。


「でも調べる価値はある。少なくともあなたが今のまま兄に従い続ける理由がなくなるかもしれない」


ゼノンはしばらく黙り込んだ。剣を下ろすことはなかったがその目には確かな迷いが浮かんでいた。


「今日は見逃してやる」


彼は静かに言った。


「だが次に会う時は、容赦しない」


「望むところだ」


蓮は答えた。


ゼノンは踵を返し通路の奥へと姿を消した。


クロが緊張を解いて長く息を吐いた。


「危なかったな」


「ああ」


蓮は肩の傷を確かめた。深くはないが血が滲んでいた。


ルシアが彼の傷を覗き込んだ。


「大丈夫?」


「これくらいは平気だ」


蓮は答えた。


「それより、ゼノンの妹の件、本当に手がかりがあるのか」


ルシアは静かに頷いた。


「確証はまだない。でも調べる価値はある。あの人を完全な敵にしないためにも」


蓮は肩の傷を押さえながら通路の奥に目をやった。ゼノンの消えた方向には、まだ重い沈黙が残っていた。


「あいつも、被害者の一人ということか」


彼は静かに呟いた。


「複雑な話ね」


ルシアが答えた。


「兄に関わる人間は、みんな何かを引き換えにされている気がする」


クロが二人の会話を聞きながら低く言った。


「早く、この居住区を出よう。長居は危険だ」


「そうだな」


蓮は頷いた。


三人は来た道を戻り始めた。


---


第78話 完

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