「使者たち」
三日後、中層第十二層の喫茶店にリチャードとサラが姿を見せた。店内は普段通りの静けさを保っていたが二人の表情には隠しきれない緊張があった。
「エマ、無事で何よりだ」
リチャードは深く頭を下げた。その仕草には心からの安堵が滲んでいた。
「藤原灯氏の証言、そして戦闘記録の配信――大きな反響を呼んでいる」
「勝手に配信したことは謝罪する」
彼は続けた。彼の表情には強い覚悟が浮かんでいた。
「だがあの瞬間を逃せば、真実は永遠に埋もれると判断した」
エマは静かに頷いた。
「結果として、正しい判断でした」
「本当にそう思うか」
サラが尋ねた。
「ジャーナリストとして、迷わなかったのか」
「迷いました」
エマは正直に答えた。
「でも真実を隠すことの方が、もっと大きな罪だと思いました」
リチャードは静かに頷いた。
「その覚悟、敬服する」
サラが端末を取り出した。
「私たちの方でも、独自に検証記事を準備している。専門家の分析も添える予定だ」
「助かります」
エマは頷いた。
「客観的な裏付けがあるほど、疑いは晴れやすいはずです」
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「国際機関から正式な使者が来ている」
リチャードは続けた。
「地下知性体との公式な接触を模索したいそうだ」
蓮は彼を見た。その表情には慎重さと僅かな期待が同居していた。
「使者とは」
蓮は身を乗り出して聞いた。
「国連の特別代表団」
リチャードはホログラム端末を起動した。
「東京隔離条約以来初めての正式な外交団だ」
画面に数人の人物が映し出された。先頭に立つのは初老の女性だった。深い知性を感じさせる、落ち着いた目をしていた。姿勢は真っ直ぐで揺るぎなかった。
「代表を務めるマリア・サンティアゴ氏」
リチャードは紹介した。
「国際仲裁機関の上級顧問だ。長年、紛争地域での調停に携わってきた人物だと聞いている」
「経験豊富な人ということか」
ローレンが言った。
「彼女ほどの適任者はいないだろう」
リチャードは答えた。
「過去にも複数の停戦交渉を成功させている。その手腕は本物だ」
サラが補足した。
蓮はホログラムの中の女性をじっと見つめた。
「信用できる相手なのか」
「少なくとも、私が知る限りでは公正な人物だ」
リチャードは答えた。
「だが最終的に判断するのは君たちだ」
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翌日、隠れ家にマリアが訪れた。護衛は最小限。彼女自身の意志で危険を承知の上での訪問だった。白髪交じりの髪を後ろで結い質素なコートを纏っていた。
「工藤蓮さん」
彼女は丁寧に頭を下げた。
「あなたの戦いを遠くから見守っていました」
「用件は」
蓮は単刀直入に聞いた。
「地下知性体との対話の仲介をお願いしたいのです」
マリアは率直に答えた。
「世界は今、大きな選択の岐路に立っています。企業の独占を終わらせるか。それともこのまま、破滅への道を進むか」
「あなたは、どちらを望んでいる」
蓮が尋ねた。
「もちろん前者です」
マリアは迷わず答えた。
「私はこれまで多くの紛争を見てきました。力による解決は必ず新たな憎しみを生みます。今回だけは違う結末を見たい」
『私でよろしければ』
ミオが進み出た。
『知性体の言葉を伝えることができます』
マリアはミオを見つめた。
「あなたが……」
「人間と地下知性体の橋渡し役です」
蓮が補足した。
マリアはしばらくミオを観察するように見つめた。
「失礼ですが、あなたの正体について、もう少し詳しく伺ってもいいですか」
『人間と地下知性体のハイブリッドです』
ミオは静かに答えた。
『詳しい経緯は、いずれ話せる時が来ると思います』
「わかりました。今は無理に聞きません」
マリアは頷いた。
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マリアはミオの前に膝をついた。
「知性体に伝えてください」
彼女は静かに言った。
「人類は過ちを認める用意があります。対話を望んでいます」
ミオは目を閉じた。
しばらくの沈黙の後、彼女は口を開いた。
『知性体からの返答です』
彼女の声にはいつもと違う重みがあった。
『対話に応じる用意がある。ただし、条件がある』
「条件とは」
『搾取の即時停止。マナ・ネットワークの使用制限。そして――カイン・ヴェスパーの追放』
マリアの表情が引き締まった。
「最後の条件は簡単ではありません」
「わかっています」
蓮が言った。
「だがそれなしに本当の和解はない」
マリアはしばらく考え込んだ。
「正直に言います」
彼女は顔を上げた。
「カイン氏の追放には、企業内外から強い反発が予想されます。彼を支持する勢力は少なくありません」
「それでも進めるべきだ」
蓮は言った。
「彼を野放しにしたまま和解しても、また同じことが繰り返される」
マリアは深く頷いた。
「その通りです。時間はかかるでしょうが、目指す方向は変えません」
タクマが口を開いた。
「企業内部にも、カイン氏のやり方に疑問を持つ人間は少なくありません。俺がそうだったように」
マリアは彼を見た。
「あなたの証言は、交渉の場でも重要な意味を持つでしょう」
「必要なら、いつでも話します」
タクマは頷いた。
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「国際仲裁機関として正式な交渉の場を設けます」
マリアは頷いた。
「三十日以内に企業側との初回会合を開きます。あなたたちにも証人として出席をお願いしたい」
蓮は少し考えてから頷いた。
「わかった」
マリアは立ち上がった。
「これは長い戦いになります」
彼女は全員を見渡した。
「武力ではなく言葉で世界を変える戦いです」
エマが静かに口を開いた。
「私たちも記録者として最後まで付き合います」
マリアは微笑んだ。
「頼もしい限りです」
タクマも進み出た。
「企業内部の資料なら、多少なりとも協力できます」
「ありがたい申し出です」
マリアは彼にも丁寧に頭を下げた。
ローレンが慎重な口調で尋ねた。
「会合の場所と警備体制は」
「中立地帯を予定しています」
マリアは答えた。
「国際仲裁機関が全面的に警備を担当します。ご安心を」
「安心はできないが、覚えておく」
ローレンは短く答えた。
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彼女が去った後、蓮は長く息を吐いた。
「政治の世界か」
「慣れない領域だな」
クロが肩をすくめた。
『でもこれも大切な戦いです』
ミオが言った。
『言葉で世界を変える戦い』
蓮は頷いた。
「ああ」
彼は窓の外、遠く霞む浮遊居住区の光を見つめた。
「三十日か」
彼は呟いた。
「短いようで長い。その間に、何が起きるかわからない」
ローレンが隣に立った。
「備えは怠らない方がいい」
「わかっている」
灯がふと口を開いた。
「私も、その会合に出席できるでしょうか」
「危険が伴う」
蓮は答えた。
「だが、それでも行きたいなら止めない」
灯はしばらく考えてから頷いた。
「行きます。自分の言葉で、伝えたいことがあります」
ミオが灯の隣に立った。
『一緒に行きます』
「ありがとうございます」
灯は微笑んだ。
クロが伸びをしながら言った。
「俺たちは護衛でついていくしかないな。政治の話は苦手だが」
「頼りにしている」
蓮は答えた。
ジェイクが端末を確認しながら口を開いた。
「会合までの三十日間、こちらでも証拠を固めておく必要がある。タクマの証言も整理しておこう」
「協力します」
タクマは頷いた。
エマが手帳に予定を書き込んでいった。
「記録する立場として、私も準備を進めます」
蓮は全員を見渡した。
「それぞれ、やるべきことがはっきりしてきたな」
「ああ」
ローレンが頷いた。
「やるべきことをやるだけだ」
新しい形の戦いが静かに始まろうとしていた。
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第64話 完




