「深淵の扉」
二日後、八人は座標の中心地点に到達した。
そこには巨大な黒い岩壁があった。表面に無数のアテロイド結晶が埋め込まれ淡い光を放っている。壁の高さは見上げる首が痛くなるほどだった。
「これが……」
灯が息を呑んだ。彼女は一歩前に出て壁の輪郭を目で追った。
呼吸を整えながらもう一度壁を見上げた。周囲の空気が僅かに冷たく感じられた。
『レイヤー・ゼロへの入り口です』
ミオが静かに言った。
『知性体が、ここに道を隠していました』
蓮は岩壁を見上げた。
扉らしきものはない。ただ巨大な壁がそこにあるだけだった。表面の結晶が呼吸するように明滅している。
「開き方は」
「わかりません」
ミオが答えた。
『でも近づけば何か感じ取れるかもしれません』
タクマが岩壁の構造を観察しながら言った。
「企業の資料にも、この壁についての詳細な記述はありませんでした。存在自体、極秘扱いだったんだと思います」
「それだけ知性体が慎重だったということだ」
ローレンが言った。
エマが端末を構え岩壁全体を撮影した。
「これほどの規模の構造物、これまで見たことがありません」
彼女の声には抑えきれない興奮が滲んでいた。
「記録を残すのは後にしろ」
クロが軽く注意した。
「わかっています」
エマは端末を仕舞いながらも視線は岩壁から離さなかった。
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その時――
頭上から冷たい声が響いた。
「よくここまで来た」
蓮が視線を上げた。
岩壁の上、そこに白いコートの男が立っていた。ゼノンだった。彼の背後に数十人の保安隊員が整列していた。
「ここで待っていたのか」
蓮は低く言った。彼はパイルバンカーの安全装置を静かに外した。
「装置の予備座標を割り出していてな」
ゼノンは答えた。
「お前たちが来る場所は限られている」
彼の視線が灯へと移った。
「その娘を確保する。今度こそ」
保安隊員たちが一斉に武器を構えた。統制の取れた動きだった。
タクマがその陣形を見て顔をしかめた。
「精鋭部隊です。数だけじゃない、練度が違います」
「させない」
蓮は前に出た。
ゼノンはタクマの姿に気づき僅かに眉を動かした。
「裏切り者を拾ったか」
「拾ったんじゃない。仲間に加えたんだ」
蓮は言い返した。
ゼノンは薄く笑った。
「甘さは死を招く。いずれわかる」
「それは俺たちが決めることだ」
タクマは怯む様子もなくゼノンを見返した。
「あなたたちの計画の全ては知らない。でも間違っていることだけはわかります」
「意見が変わったものだな」
ゼノンは冷たく言った。
「所詮、駒の一つに過ぎなかったお前が」
「駒だったからこそ、わかることもあります」
タクマは静かに答えた。
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「散れ!」
蓮が叫んだ。
保安隊員たちが一斉に動いた。マナ・ネットワークを介した統一された戦闘。
クロがワイヤーで先頭の数人を絡め取った。エマとジェイクが後方から援護する。
ローレンとタクマが灯を守る位置についた。タクマは企業の戦術を熟知しており隊員の陣形を的確に読んだ。
「右から回り込む部隊がいます。三人」
タクマが叫んだ。
「ローレンさん、あちらを」
「わかった」
ローレンが即座に対応した。タクマの情報は正確だった。
「左の岩陰にも伏兵がいます」
タクマは続けて叫んだ。
「これも企業の標準的な包囲陣形です」
「助かる」
クロがワイヤーの狙いを変えた。
蓮はパイルバンカーを構えゼノンとの距離を詰めた。
「今日こそ決着をつけるぞ」
ゼノンが鉄片を放った。
蓮はそれを避けながら応戦した。
二人の間で激しい打ち合いが続いた。鉄と鉄がぶつかる音が岩壁に反響した。
ゼノンの動きは以前より鋭さを増していた。
「腕を上げたな」
蓮が言った。
「お前に負ける訳にはいかない」
ゼノンは短く答えた。
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その最中――
岩壁に巨大なホログラムが投影された。
カインの姿だった。
「工藤蓮」
カインの声が戦場に響いた。
「よくここまで来たな」
「カイン……!」
蓮の動きが一瞬止まった。
「装置は既に最終調整に入っている」
カインは冷たく微笑んだ。
「あと二日で私は新しい世界の始まりを迎える」
「新しい世界とは何だ」
蓮は問い返した。
「マナ・ネットワークの完全な支配だ」
カインは答えた。
「人類も知性体も、私が定めた秩序の下で管理される。それこそが真の平和だ」
「それは支配であって平和じゃない」
蓮は鋭く言い返した。
「支配のない秩序など存在しない」
カインは静かに続けた。
「お前もいずれ理解する。混沌よりも、管理された平穏の方がどれほど価値があるか」
「理解する気はない」
蓮は言い切った。
「言葉ではなく行動で示すといい」
カインのホログラムは静かに消えていった。
「奴は余裕だな」
クロが舌打ちした。
「余裕なんかじゃない」
蓮は拳を握った。
「焦っているんだ。だから姿を見せた」
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戦闘はなおも続いた。
灯とミオの共鳴が発動し仲間たちを守るマナ場が展開された。タクマも企業の戦術知識を活かし隊員たちの動きを事前に読んで対応した。
蓮とゼノンの一騎打ちは拮抗していた。だが僅かに蓮の方が押していた。
「くそ……!」
ゼノンが後退した。
「今日は退く」
「待て」
蓮が呼び止めた。
「装置の詳細を話せ」
「話すわけがない」
ゼノンは部下たちを連れ岩壁の陰へと消えていく寸前、足を止めた。
「一つだけ言っておく」
彼は振り返らずに言った。
「俺にも譲れないものがある。お前と同じようにな」
その言葉を残し彼は闇の奥へと消えていった。
戦場に静寂が戻った。
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「怪我人は」
蓮が全員を見渡した。
「軽傷が数人。だがみんな動ける」
ジェイクが答えた。
エマが端末で全員の状態を確認していった。
「深刻な怪我はありません。応急処置で十分です」
彼女は手早く止血帯を巻きながら言った。
「ありがとう、エマ」
ローレンが礼を言った。
タクマが自分の手を見つめた。微かに震えていた。
「初めての、本格的な戦闘でした」
「よくやった」
ローレンが彼の肩を叩いた。
「お前の情報がなければ、もっと苦戦していた」
灯は岩壁を見上げていた。
「あそこに、レイヤー・ゼロが……」
「ああ」
蓮は彼女の隣に立った。
「もうすぐそこだ」
彼は深く息を吸った。
タクマが岩壁に近づき手を触れた。
「不思議な感覚です」
彼は呟いた。
「まるで、壁の向こうに何かが生きているような」
『その通りです』
ミオが答えた。
ミオが岩壁に向き直った。
『皆さん、少し休んでください。開くまでには時間がかかるかもしれません』
「わかった」
蓮は頷いた。
七人と一人は岩壁の近くに腰を下ろした。エマが手早く簡単な食事を配った。
「食べておけ。この先何が起こるかわからない」
彼女はタクマにも同じものを手渡した。
「ありがとうございます」
タクマは礼を言って受け取った。
灯はミオの隣に座り岩壁を見つめていた。
「この壁の向こうに、本当に知性体がいるんですね」
『はい』
ミオは静かに答えた。
『長い間、探し続けてきた存在です』
「怖くないですか」
灯が尋ねた。
『少し怖いです』
ミオは正直に答えた。
『でも会ってみたい気持ちの方が強いです』
灯は小さく頷いた。
「私も同じ気持ちです」
ローレンが装備の最終点検をしながら言った。
「この先は今までとは違う戦いになるだろう。心して臨め」
「わかっている」
蓮は答えた。
彼は深淵の扉を見上げた。
その向こうに何が待っているのか、まだ誰にもわからなかった。
深淵の扉が静かに八人を待ち受けていた。
新たな戦いの本当の始まりが、すぐそこまで迫っていた。
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第60話 完




