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「密告者」

監視拠点を離れて数時間後、通路の先に見覚えのある人影が立っていた。


灰色のコート。片目に眼帯。ジオフロントの交渉役だった。背後に数人の部下を従えている。


「また会ったな」


女は静かに言った。前に会った時よりも表情には僅かな疲労の色が滲んでいた。


「一人じゃないのか」


蓮が警戒した。


「今日は話をしに来ただけだ」


女は両手を軽く上げた。敵意がないことを示す仕草だった。


「内通者を突き止めた」


その言葉に全員の空気が張り詰めた。


「詳しく聞かせろ」


ローレンが低く言った。


蓮も緊張した面持ちで女の背後の部下たちを観察した。武装は最小限に見えたが油断できる相手ではなかった。


「監視拠点の警備強化について、こちらでも情報を掴んでいる」


女は続けた。


「装置の稼働が近づくにつれ、企業側も神経質になっているようだ」


「それは俺たちも確認した」


蓮は答えた。


「今はそれより、内通者の話だ」


---


「誰だ」


蓮は鋭く聞いた。


女は部下の一人を前に押し出した。


若い男だった。両手を後ろで縛られている。顔色は蒼白で目の下に深い隈があった。


「こいつが企業と通じていた」


女は低く言った。


「お前たちの位置情報を金と引き換えに売っていた」


若い男はうつむいたまま何も言わなかった。


「なぜだ」


ローレンが聞いた。


「家族を人質に取られていた」


女が代わりに答えた。


「企業がこいつの妹をシチズン候補として囲っていた。逆らえば殺すと脅されていたらしい」


灯の表情が曇った。


「それは……」


「同情する余地はある」


女は続けた。


「だが裏切りは裏切りだ。処分はこちらで行う」


彼女は部下に短く合図した。


「待て」


---


蓮が割って入った。


「殺すつもりか」


蓮は一歩踏み出しながら聞いた。


「組織の掟だ」


女は淡々と答えた。


「お前には関係ない」


「関係ある」


蓮は彼女を見据えた。


「その男の妹も藤原灯と同じような立場だ。企業に人質を取られている人間を、これ以上増やしたくない」


女はしばらく蓮を見つめた。


「甘い男だな」


「そうかもしれない」


蓮は引かなかった。


「だが殺さずに済む方法があるなら、それを選ぶべきだ」


「甘さが命取りになることもある」


女は静かに言った。


「この男は仲間の位置を売った。その結果何人が危険に晒されたと思う」


「わかっている」


蓮は答えた。


「だからこそ生かして償わせるべきだ。死んでしまえば、それすらできない」


女の部下の一人が口を挟んだ。


「代表、この男の処分は既に決まっている手筈です」


「黙っていろ」


女は短く制した。


「私が話している」


---


沈黙がしばらく続いた。


若い男が初めて顔を上げた。目に涙が滲んでいた。


「妹を人質に取られて、俺は……他に方法が見つからなかった」


彼は声を絞り出した。


「毎晩、迷った。仲間を売るくらいなら、自分が死ぬべきじゃないかと」


「なぜ死ななかった」


クロが冷たく聞いた。


「妹が一人残される。それが怖かった」


若い男は答えた。


「臆病者だと言われても構わない」


蓮はしばらく彼を見つめていた。


「臆病者とは思わない」


彼は静かに言った。


「大切な人を守ろうとしただけだ。方法は間違っていたが、気持ちまで責めるつもりはない」


若い男は驚いたように蓮を見た。


「……提案がある」


蓮は続けた。


「その男を俺たちに預けてくれ。妹の保護はライアンとサキに頼める」


女は部下を見た。


若い男は初めて顔を上げた。


「本当に妹を助けてくれるのか」


「約束はできない」


蓮は正直に答えた。


「だがやれるだけのことはやる」


若い男の目に涙が滲んだ。


「すまなかった。本当に」


女はしばらく考えてから頷いた。


「わかった。お前に預ける」


彼女は拘束を解いた。


「だが次はない。裏切りがまた起きれば、俺たちもお前たちを信用しなくなる」


「肝に銘じる」


蓮は頷いた。


---


女は踵を返しかけて足を止めた。


「一つ、忠告しておく」


彼女は蓮を振り返った。


「ジオフロントの中にも、この男と同じような弱みを抱えた人間がいる。上層部の実態は私も全ては知らない」


「どういう意味だ」


蓮が聞いた。


「言葉通りだ」


女はそれ以上語らず部下を連れて去っていった。


その背中を見送りながらローレンが呟いた。


「一枚岩じゃない、ということか」


蓮は女が消えていった方角をしばらく見つめていた。


「あの言い方、何か掴んでいるような口ぶりだったな」


「深追いはしない方がいい」


ローレンが言った。


「今は目の前のことに集中しよう」


「どこの組織も同じだ」


ジェイクが言った。


「完全に信用できる味方なんて、そう多くない」


エマが静かに言葉を継いだ。


「私たちも、いつか同じように試される日が来るかもしれません」


「その時は、今日の判断を思い出せばいい」


蓮は答えた。


---


女が去った後、若い男は深く頭を下げた。


「本当にありがとうございます」


「礼はいい」


蓮は短く答えた。


「妹の情報を詳しく話してくれ。今すぐライアンに連絡する」


ジェイクが端末を取り出した。


若い男は震える声で妹の名前と現在の居場所を話し始めた。


「名前は。歳は」


ジェイクが端末に打ち込みながら聞いた。


「サナ。十四歳です」


若い男は答えた。


「シチズン候補の育成施設に、半年前から」


灯がその名を聞いて僅かに息を呑んだ。自分と同じ年頃だった。


「施設の場所は」


ジェイクが続けて聞いた。


若い男は覚えている限りの情報を細かく伝えた。ジェイクはそれを一つずつ端末に記録していった。


「これだけあれば、ライアンたちも動きやすいはずだ」


ジェイクが端末を仕舞った。


灯がその様子を静かに見つめていた。


『兄さんらしいですね』


ミオが小さく言った。


「らしい……?」


『はい。誰かを切り捨てないところが』


灯は小さく微笑んだ。


「ええ。私もそう思います」


彼女は若い男に近づいた。


「私は藤原灯といいます。あなたの妹さんも、必ず無事に取り戻しましょう」


若い男は驚いた顔で灯を見た。


「あなたが、噂の……」


「はい」


灯は静かに頷いた。


「境遇は違っても、似たような苦しみを抱えていると思います」


若い男は目を伏せ小さく頷いた。


「名前を聞いてもいいですか」


灯が尋ねた。


「タクマです」


彼は答えた。


「よろしくお願いします、タクマさん」


クロがタクマの肩を軽く叩いた。


「これからよろしくな。装備の使い方くらいは教えてやる」


「ありがとうございます」


タクマは深く頭を下げた。


タクマは自分の装備を確認しながら小さく息を吐いた。


「俺は戦闘の訓練を受けていません。足手まといにならないか心配です」


「戦い方だけが役に立つわけじゃない」


蓮は言った。


「お前は企業の内部を知っている。それは俺たちにない武器だ」


「そうだといいんですが」


タクマは自信なさそうに答えた。


ローレンが彼の肩に手を置いた。


「不安なのは当然だ。だが焦る必要はない。少しずつ慣れていけばいい」


「ありがとうございます」


タクマは頭を下げた。


ジェイクが端末を確認しながら言った。


「レイヤー・ゼロまでの残りルート、更新しておいた。タクマの持っている企業の地図データも役に立った」


「少しは、役に立てているといいんですが」


タクマは呟いた。


「もう十分役に立っている」


蓮は短く答えた。


灯がタクマの隣を歩きながら小さく声をかけた。


「サナさんも、きっと兄さんの帰りを待っています」


「そうだといいんですが」


タクマの声が少し震えた。


「もう一度、ちゃんと顔を合わせて謝りたいです」


「その日はきっと来ます」


灯は静かに言った。


七人は新たな同行者を加えレイヤー・ゼロへの道を再び歩き始めた。


残された時間はあとわずかだった。


---


第59話 完

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