表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/20

「指名手配」

ジャンク屋の裏口は、いつものように施錠されていた。


蓮は電子キーをかざすこともなく、扉の下の溝に指先を差し込んだ。内部の機械式ラッチが、三回の短い振動を返してきた。全て正常。入ってよし、という合図。サキが考案した、電子通信を使わない緊急認証システムだった。


扉を開けると、狭い廊下の奥から、コーヒーの匂いが漂ってきた。


蓮はミオを押し込むようにして中に入り、後ろ手に扉を閉めた。


「サキ」


呼ぶ。返事は、ない。


奥の作業室のドアが、半開きになっている。蓮はミオに「ここで待て」と身振りで示してから、先に入った。


サキは、作業机の前に座っていた。


ホログラムモニターに蓮の指名手配画像を映し出し、片手にコーヒー。もう片方の手は、机の下に添えられている——おそらく隠し銃のグリップに。彼女が振り返った瞬間、視線が合った。


サキは、数秒だけ蓮を見つめてから、緊張を解いた。


「……生きてたか」


短い台詞だった。いつもの口調。だが蓮には、その目の奥に一瞬だけ浮かんだ光が見えていた。


安堵。


そして——罪悪感。


サキは机の下の手を抜いて、戸棚からもう一つマグカップを取り出した。コーヒーを注ぎ、蓮の前に滑らせる。


「座りな。話を——」


「サキ」


蓮は座らなかった。


代わりに、マグカップをカウンターに置いた。カタリ、と硬い音。


「——依頼主、誰だ」


サキの動きが、止まった。


数秒の沈黙。


やがて、彼女は笑った。皮肉な、疲れた笑いだった。


「……気づいたか」


「死体を見た」蓮は短く答えた。「企業の特務第三分隊。三人とも既に殺されてた。それから、ヴォルグが『第三分隊が壊滅した』と言っていた。——つまり、企業は既に一度、回収作業に失敗してる。失敗したものを、俺に振り直す理由がない」


「……そうだね」


「じゃあ、誰だ」


サキは、カウンターに両肘をついた。赤毛の間から、左頬の古い火傷痕が覗く。疲れた顔だった。何日も寝ていないような。


そして——


「ジャンク・ギルドだよ」


と、答えた。


---


蓮は、短く息を吐いた。


予想の、ちょうど真ん中を射抜かれた感覚。


ジャンク・ギルド。サキがかつて所属していた、元企業エンジニアの非合法技術者集団。企業を捨てた者たちの、緩い連帯。


「あんたは、辞めたんじゃなかったのか」


「辞めたさ。正式には、ね」サキは肩をすくめた。「けど、縁は切れない。向こうもあたしを使いたい時があるし、あたしも向こうの情報を貰うことがある。——今回は、向こうが一方的に、あんたを使いたかった」


「カプセルの少女のことを、ジャンク・ギルドは知ってたのか」


「知ってた。数年前から追ってたらしい」


「それを、俺が?」


「あんたじゃなきゃダメだったらしいよ、レン」


サキが、目を上げた。


「理由は、言わなかった。——だが、お前の名前を指定してきた。『工藤蓮に仕事を振れ』、と」


蓮の指先が、マグカップの縁で止まった。


名前を指定。


ジャンク・ギルドは、レンを個人として認識している。ただのゴーストの、非合法回収屋として扱っているのではない。


——父の息子として、扱っている。


「……サキ」


蓮は低く言った。


「あんた、俺の父親の話、どこまで知ってる」


サキの肩が、わずかに動いた。


彼女は少しだけ迷ってから、マグカップを握り直して、口を開いた。


「全部、ってわけじゃない」


「知ってることを話せ」


「……分かった」


サキは、コーヒーを一口啜ってから、静かに語り始めた。


---


「お前の親父、工藤 透は、ギガ・フロート社の技術開発局・熱工学部の研究員だった。あたしと同じ部署。……同じフロア、隣の席だよ」


蓮は黙って聞いていた。


「あの頃——二〇二八年から二九年頃の話だが、ミオ計画ってのが極秘で進められ始めた。表向きは『都市機能のバックアップ』。裏では……人間の意識をデジタル化する実験だ」


サキは壁を見た。モニターの青白い光が、彼女の横顔を照らしている。


「お前の親父は、最初、計画の技術的な部分に関与していた。アテロイドを介した情報保存の研究でね。優秀だった。研究の中核メンバーの一人だった」


「……それで」


「ある時から、計画の倫理的な部分に気づき始めた。『バックアップ』じゃなく、『生きた人間を材料にして合成する』——そういう計画だったんだよ」


蓮の指が、一瞬強張った。


「生きた人間を、材料」


「ああ。試作体は——存在する子供の意識データを使った。企業側に都合のいい子供を、何人か」


サキは目を伏せた。


「お前の親父は、それを知って、内部告発を試みた。証拠資料を外部の海賊放送局に持ち込もうとしていた矢先に——『事故死』した。実験室の爆発、ってことになってる。あたしは、現場にいた」


彼女はコーヒーを一気に飲み干した。


「救えなかった。あたしは、助けられなかった」


蓮は、無言だった。


怒りは、湧かなかった。父が死んだ夜のことは、十七年前のことだ。何度も反芻してきた記憶だ。新たな情報を足されても、既に凍結されている感情は、動かない。


ただ、一つだけ、確認したかった。


「……ミオは、俺の家族か」


サキは、目を細めた。


「——分からない」


「分からないのか」


「ミオ計画の試作体は、複数人いた。誰が『成功』したかは、あたしも知らない」


沈黙。


時計の針の音だけが、作業室に響いていた。


蓮は、ミオの待つ入り口の方を見た。


廊下に立ったままの少女は、壁にもたれて、こちらを観察するように見ていた。薄紫の瞳。感情のない観察者の目。


彼女は、誰かの血縁かもしれない。


あるいは、誰かの失われた家族の一部かもしれない。


あるいは、誰のものでもない、ただの合成物かもしれない。


どれであっても、——俺は、彼女を守る。


それは、感情ではなかった。


父の遺言の実行だった。


『計画の鍵は、彼女に託した』——父は、ミオ計画の失敗を願った。ならば、計画の鍵であるミオが、企業の手に戻ることを、父は望まない。


俺は、父が始めた仕事を、途中から引き継ぐ。


ただ、それだけだった。


---


夜明けが、近かった。


サキの店の窓は、常に遮光カーテンで閉ざされている。だが、地下中層にも、人工太陽が昇る時間帯が存在した。中層居住区の生活リズムを維持するために、企業が定時に照明を調整するのだ。


蓮は立ち上がった。


「サキ、準備を手伝ってくれ」


「行くのか」


「ジャンク・ギルドの連中に会う」


サキが眉を上げた。


「危ない橋だよ。企業の裏をかいて、ギルドの裏もかく——そんな綱渡り、いつまで続けられると思ってるんだ」


「続けられる限りは、続ける」


蓮は短く答えた。


「それしか、やれることがないからだ」


サキは数秒、蓮を見つめてから、肩をすくめた。


「……あんたの親父も、そういう奴だったよ」


彼女は立ち上がり、戸棚から小さな鞄を取り出した。非常用の装備パック。蓮がこの店から出ていく時のために、常に用意されているものだった。


ミオが、ゆっくりと作業室に入ってきた。


サキは、初めて彼女を正面から見た。


左頬の火傷痕に、一瞬、緊張が走った。サキはそれを、すぐに消した。


「……あんたが、ミオか」


『はい。応答します』


「喋らなくていい。——観察はさせてくれ」


サキはミオの顔を、正面から覗き込んだ。銀白色の髪、薄紫の瞳、作り物のような白い肌。すべてを、一秒ずつかけて確認した。


そして、小さく呟いた。


「——似てるかもね」


「誰に」


「……さあね」


サキは視線を外し、鞄を蓮に渡した。


蓮は鞄を受け取り、ミオを見た。少女は無表情だった。サキの言葉の意味が、彼女にも蓮にも、分からなかった。


そのとき。


店の正面にある、もう一つのモニターが——新しいニュース速報を表示した。


蓮とサキが同時に視線を送る。


画面には、派手な赤い水着姿の女が映っていた。


海王マリーン。ゴールドランクの配信ダイバー。登録者数一二〇万人。モニターのテロップには、こう流れていた。


『マリーン選手、最新配信にて宣言——「テロリスト・工藤蓮への懸賞金、私が取りに行きます」』


画面の中のマリーンが、カメラに向かって、挑発的にウィンクする。


『ファンのみんな、お楽しみにね! 次の配信は、一匹のネズミを、真水で洗ってあげるよ』


蓮は、低く息を吐いた。


「……休む暇もねえな」


サキが舌打ちする。


「さっさと行きな。マリーンは運動会みたいに騒ぎ立てる奴だが、実力は本物だ。——生きて帰ってきな、レン」


蓮は鞄を肩にかけ、ミオの手を取った。


「行くぞ」


『応答します』


ミオは、少しだけ、自分から歩き出すリズムを、蓮に合わせた。


ジャンク屋の裏口が、静かに閉まる音がした。


---


第6話 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ