「指名手配」
ジャンク屋の裏口はいつものように施錠されていた。
蓮は電子キーをかざすこともなく、扉の下の溝に指先を差し込んだ。内部の機械式ラッチが三回の短い振動を返してきた。全て正常。入ってよし、という合図。サキが考案した、電子通信を使わない緊急認証システムだった。
扉を開けると狭い廊下の奥からコーヒーの匂いが漂ってきた。
蓮はミオを押し込むようにして中に入り、後ろ手に扉を閉めた。
「サキ」
呼ぶ。返事はない。
奥の作業室のドアが半開きになっている。蓮はミオに「ここで待て」と身振りで示してから先に入った。
サキは作業机の前に座っていた。
ホログラムモニターに蓮の指名手配画像を映し出し、片手にコーヒー。もう片方の手は机の下に添えられている——おそらく隠し銃のグリップに。彼女が振り返った瞬間、視線が合った。
サキは数秒だけ蓮を見つめてから緊張を解いた。
「……生きてたか」
短い台詞だった。いつもの口調。だが蓮にはその目の奥に一瞬だけ浮かんだ光が見えていた。
安堵。
そして——罪悪感。
サキは机の下の手を抜いて、戸棚からもう一つマグカップを取り出した。コーヒーを注ぎ、蓮の前に滑らせる。
「座りな。話を——」
「サキ」
蓮は座らなかった。
代わりにマグカップをカウンターに置いた。カタリ、と硬い音。
「——依頼主、誰だ」
サキの動きが止まった。
数秒の沈黙。
やがて彼女は笑った。皮肉な、疲れた笑いだった。
「……気づいたか」
「死体を見た」蓮は短く答えた。「企業の特務第三分隊。三人とも既に殺されてた。それからヴォルグが『第三分隊が壊滅した』と言っていた。——つまり、企業は既に一度、回収作業に失敗してる。失敗したものを俺に振り直す理由がない」
「……そうだね」
「じゃあ、誰だ」
サキはカウンターに両肘をついた。赤毛の間から左頬の古い火傷痕が覗く。疲れた顔だった。何日も寝ていないような。
そして——
「ジャンク・ギルドだよ」
と答えた。
---
蓮は短く息を吐いた。
予想の、ちょうど真ん中を射抜かれた感覚。
ジャンク・ギルド。サキがかつて所属していた、元企業エンジニアの非合法技術者集団。企業を捨てた者たちの、緩い連帯。
「あんたは辞めたんじゃなかったのか」
「辞めたさ。正式にはね」サキは肩をすくめた。「けど、縁は切れない。向こうもあたしを使いたい時があるし、あたしも向こうの情報を貰うことがある。——今回は向こうが一方的にあんたを使いたかった」
「カプセルの少女のことをジャンク・ギルドは知ってたのか」
「知ってた。数年前から追ってたらしい」
「それを俺が?」
「あんたじゃなきゃダメだったらしいよ、レン」
サキが目を上げた。
「理由は言わなかった。——だがお前の名前を指定してきた。『工藤蓮に仕事を振れ』、と」
蓮の指先がマグカップの縁で止まった。
名前を指定。
ジャンク・ギルドはレンを個人として認識している。ただのゴーストの、非合法回収屋として扱っているのではない。
——父の息子として、扱っている。
「……サキ」
蓮は低く言った。
「あんた、俺の父親の話、どこまで知ってる」
サキの肩がわずかに動いた。
彼女は少しだけ迷ってからマグカップを握り直して、口を開いた。
「全部、ってわけじゃない」
「知ってることを話せ」
「……分かった」
サキはコーヒーを一口啜ってから静かに語り始めた。
---
「お前の親父、工藤 透はギガ・フロート社の技術開発局・熱工学部の研究員だった。あたしと同じ部署。……同じフロア、隣の席だよ」
蓮は黙って聞いていた。
「あの頃——二〇二八年から二九年頃の話だがミオ計画ってのが極秘で進められ始めた。表向きは『都市機能のバックアップ』。裏では……人間の意識をデジタル化する実験だ」
サキは壁を見た。モニターの青白い光が彼女の横顔を照らしている。
「お前の親父は最初、計画の技術的な部分に関与していた。アテロイドを介した情報保存の研究でね。優秀だった。研究の中核メンバーの一人だった」
「……それで」
「ある時から計画の倫理的な部分に気づき始めた。『バックアップ』じゃなく、『生きた人間を材料にして合成する』——そういう計画だったんだよ」
蓮の指が一瞬強張った。
「生きた人間を材料」
「ああ。試作体は——存在する子供の意識データを使った。企業側に都合のいい子供を何人か」
サキは目を伏せた。
「お前の親父はそれを知って、内部告発を試みた。証拠資料を外部の海賊放送局に持ち込もうとしていた矢先に——『事故死』した。実験室の爆発、ってことになってる。あたしは現場にいた」
彼女はコーヒーを一気に飲み干した。
「救えなかった。あたしは助けられなかった」
蓮は無言だった。
怒りは湧かなかった。父が死んだ夜のことは十七年前のことだ。何度も反芻してきた記憶だ。新たな情報を足されても既に凍結されている感情は動かない。
ただ、一つだけ、確認したかった。
「……ミオは俺の家族か」
サキは目を細めた。
「——分からない」
「分からないのか」
「ミオ計画の試作体は複数人いた。誰が『成功』したかはあたしも知らない」
沈黙。
時計の針の音だけが作業室に響いていた。
蓮はミオの待つ入り口の方を見た。
廊下に立ったままの少女は壁にもたれて、こちらを観察するように見ていた。薄紫の瞳。感情のない観察者の目。
彼女は誰かの血縁かもしれない。
あるいは誰かの失われた家族の一部かもしれない。
あるいは誰のものでもない、ただの合成物かもしれない。
どれであっても——俺は彼女を守る。
それは感情ではなかった。
父の遺言の実行だった。
『計画の鍵は彼女に託した』——父はミオ計画の失敗を願った。ならば、計画の鍵であるミオが企業の手に戻ることを父は望まない。
俺は父が始めた仕事を途中から引き継ぐ。
ただ、それだけだった。
---
夜明けが近かった。
サキの店の窓は常に遮光カーテンで閉ざされている。だが地下中層にも人工太陽が昇る時間帯が存在した。中層居住区の生活リズムを維持するために企業が定時に照明を調整するのだ。
蓮は立ち上がった。
「サキ、準備を手伝ってくれ」
「行くのか」
「ジャンク・ギルドの連中に会う」
サキが眉を上げた。
「危ない橋だよ。企業の裏をかいて、ギルドの裏もかく——そんな綱渡り、いつまで続けられると思ってるんだ」
「続けられる限りは続ける」
蓮は短く答えた。
「それしか、やれることがないからだ」
サキは数秒、蓮を見つめてから肩をすくめた。
「……あんたの親父もそういう奴だったよ」
彼女は立ち上がり、戸棚から小さな鞄を取り出した。非常用の装備パック。蓮がこの店から出ていく時のために常に用意されているものだった。
ミオがゆっくりと作業室に入ってきた。
サキは初めて彼女を正面から見た。
左頬の火傷痕に一瞬緊張が走った。サキはそれをすぐに消した。
「……あんたがミオか」
『はい。応答します』
「喋らなくていい。——観察はさせてくれ」
サキはミオの顔を正面から覗き込んだ。銀白色の髪、薄紫の瞳、作り物のような白い肌。すべてを一秒ずつかけて確認した。
そして小さく呟いた。
「——似てるかもね」
「誰に」
「……さあね」
サキは視線を外し、鞄を蓮に渡した。
蓮は鞄を受け取り、ミオを見た。少女は無表情だった。サキの言葉の意味が彼女にも蓮にも分からなかった。
そのとき。
店の正面にある、もう一つのモニターが——新しいニュース速報を表示した。
蓮とサキが同時に視線を送る。
画面には派手な赤い水着姿の女が映っていた。
海王マリーン。ゴールドランクの配信ダイバー。登録者数一二〇万人。モニターのテロップにはこう流れていた。
『マリーン選手、最新配信にて宣言——「テロリスト・工藤蓮への懸賞金、私が取りに行きます」』
画面の中のマリーンがカメラに向かって、挑発的にウィンクする。
『ファンのみんな、お楽しみにね! 次の配信は一匹のネズミを真水で洗ってあげるよ』
蓮は低く息を吐いた。
「……休む暇もねえな」
サキが舌打ちする。
「さっさと行きな。マリーンは運動会みたいに騒ぎ立てる奴だが実力は本物だ。——生きて帰ってきな、レン」
蓮は鞄を肩にかけ、ミオの手を取った。
「行くぞ」
『応答します』
ミオは少しだけ、自分から歩き出すリズムを蓮に合わせた。
ジャンク屋の裏口が静かに閉まる音がした。
---
第6話 完




