「深層への道」
隠れ家の前で四人は最後の装備確認をしていた。
蓮とエマとジェイク。そして灯。
サキが灯の新しい端末を最終調整していた。
「マナ波形の隠蔽と簡易的な生体防御。深層じゃそれだけで十分だ」
「ありがとうございます」
灯は端末を受け取り腕に装着した。手つきはまだぎこちなかった。
ライアンがホログラム地図を広げた。
「ルートは旧第十八層の排水路経由。深層第八十一層まで一本道だ」
「所要時間は」
蓮が聞いた。
「休憩を含めて二日」
ライアンは地図を指でなぞった。
「そこから先は深層組との連絡次第だ。ゴーストタウンまではさらに一日」
「サキとライアンは」
「俺たちはここに残る」
ライアンは短く答えた。
「世論工作と後方支援。それが俺たちの役目だ」
サキが灯の肩を軽く叩いた。
「生きて帰ってこい。お前の兄貴と一緒にな」
灯は小さく頷いた。
「はい」
四人は隠れ家を後にした。
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排水路の入り口は中層第十八層の外れにあった。錆びた鉄扉。湿った空気。
「ここから下る」
蓮が扉を開けた。
暗闇の奥から冷たい風が吹き上げてきた。深層特有の湿った土と鉱物の匂い。
灯が一瞬足を止めた。
「……この匂い」
「知っているのか」
「わかりません。でも――」
彼女は額に手を当てた。
「なぜか体が覚えている気がします」
蓮は彼女をしばらく見つめた。
八歳の時、父が一週間彼女をここに隠した。その記憶が彼女の中にまだ残っているのかもしれない。
「無理に思い出そうとしなくていい」
蓮は静かに言った。
「体が覚えていることは、いずれ自然に戻ってくる」
灯は頷いた。
四人は階段を下り始めた。
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段を下るごとに空気が変わっていく。
人工の光が消え、代わりに淡く発光する菌類の光が通路を照らし始めた。
「マナ濃度、上昇中」
ジェイクが腕の計器を確認した。
「第八十一層に近づいている証拠だ」
灯の足取りがわずかに遅くなった。
「大丈夫か」
蓮が聞いた。
「少し、めまいが……」
「深層はマナ濃度が高い。慣れていない体には負担がかかる」
ジェイクが説明した。
「ゆっくり進めばいい。急ぐ必要はない」
エマが灯の隣に並んだ。
「私も初めて深層に来た時、同じでした」
彼女は小さく微笑んだ。
「今は少しずつ慣れています。あなたも大丈夫です」
灯はその言葉にわずかに安堵した表情を見せた。
その時――
通路全体が、低く唸った。
足元の岩盤が、微かに震える。
「地震か」
ジェイクが天井を見上げた。
「いや」
蓮は耳を澄ませた。
「知性体の鼓動だ。前に感じたものと同じ」
遠くで、何かが崩れる音が響いた。深層生物の遠吠えのような声も、微かに聞こえた。
「最近、頻度が増している」
ジェイクが低く言った。
「目覚めが、近づいている証拠だ」
灯が不安げに周囲を見た。
「ここは、いつもこうなんですか」
「昔はもっと静かだった」
蓮は短く答えた。
「今は違う。世界そのものが動き始めている」
四人は警戒を保ちながら休憩を挟んで深層への道を着実に進んでいった。
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第八十二層。神殿への道の途中。
ローレンとミオとクロの三人は結晶の回廊を歩いていた。
「エールに会いに行くのか」
クロが聞いた。
「和解の話を進めるなら、プリーストの協力は欠かせない」
ローレンが答えた。
「あの連中は知性体の変化を誰よりも早く察知する」
神殿の奥、生きた結晶の壁の前に白いローブの人影が立っていた。
「エール……!」
ミオが声をかけた。
「久しいな、ミオ」
エールの声は低く多重に響いた。
「知性体の目覚めが加速している。お前も感じているだろう」
『はい』
ミオは頷いた。
『和解の条件とカインの計画について、お伝えしたいことがあります』
「聞こう」
エールは静かに応じた。
ミオはレイヤー・ゼロの防衛の仕組みと、灯が鍵となるリスクについて順を追って説明した。
エールはしばらく沈黙した後、口を開いた。
「その話、初耳ではない」
「……?」
「知性体は我々にも断片的な情報を送っている」
エールは続けた。
「灯という娘が意志の力で拒めば鍵は機能しない。だが意志だけでは長くは保たない」
「保たない、とは」
ローレンが聞いた。
「カインの装置が直接彼女の意志を上書きしようとするからだ」
エールの声に初めて緊張が滲んだ。
「彼女には支える者が要る。意志を外から補強する存在が」
『それは――』
ミオがはっとした。
『私にできますか』
「お前になら、できるだろう」
エールは頷いた。
「お前も知性体の破片を宿す者。共鳴を使えば彼女の意志を支えられるはずだ」
ローレンが一歩前に出た。
「もう一つ聞きたいことがある」
「なんだ」
「カイン以外の勢力は動いているのか」
エールはしばらく沈黙した。
「深層と中層の狭間で、独自に動く者たちがいる」
彼は低く言った。
「今はまだ、詳しくは語れない。だが遠くないうちに、お前たちも彼らと向き合うことになるだろう」
ローレンの表情が引き締まった。
「三つ巴というわけか」
エールは答えなかった。ただ静かに目を伏せただけだった。
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神殿を出た後、三人はしばらく無言で歩いた。
「灯を守る方法が見つかったな」
クロがぽつりと言った。
『はい』
ミオは静かに答えた。
『でも実際にできるかどうかは会ってみないとわかりません』
「会えばわかる」
ローレンが言った。
「お前とあの娘は同じ根を持つ。理屈より先に体が通じ合うはずだ」
ミオはその言葉に小さく頷いた。
コアの広間へ戻る道すがら、彼女の意識の端に再びあの気配が触れた。
蓮の気配。近づいている。
『……もうすぐ』
彼女は小さく呟いた。
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深層第八十一層。地上組は休憩地点で一夜を過ごしていた。
夜と呼べるものはなかった。だが発光する菌類の光がわずかに弱まる時間帯があった。深層の擬似的な夜。
灯は岩壁にもたれ目を閉じていた。だが眠ってはいなかった。
「眠れないのか」
蓮が隣に腰を下ろした。
「はい。色々と考えてしまって」
灯は目を開けた。
「ミオさんに会うのが、少し怖いです」
「怖い?」
「私の中にある破片が彼女と同じものだと聞きました。会えば何かが変わってしまう気がして」
蓮はしばらく黙っていた。
「変わることは悪いことじゃない」
彼は低く言った。
「俺もこの旅で何度も変わった。それでも前に進めている」
灯は彼を見つめた。
「……そうですね」
彼女は小さく笑った。
「兄さんと呼んでもいいですか」
蓮の動きが一瞬止まった。
「ああ」
彼は短く答えた。
「好きに呼べ」
灯は頷いた。その表情には初めて確かな安堵があった。
少し離れた場所で、ジェイクとエマが焚き火の番をしていた。
「兄妹らしくなってきたな」
ジェイクが火を見つめながら呟いた。
「ええ」
エマは小さく微笑んだ。
「あの二人には、まだ時間が必要です。でも、悪くない方向に進んでいると思います」
ジェイクは頷いた。
「透が見たら、何と言うだろうな」
「きっと何も言わずに、ただ笑うと思います」
エマの声には、確信があった。
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翌朝、四人は再び歩き出した。
やがて通路の先に巨大な空洞の入り口が見えてきた。岩盤に囲まれた直径二キロメートルの地下空間。
無数の光が遠くに瞬いている。
「ゴーストタウンだ」
蓮が低く言った。
灯が息を呑んだ。
「あそこに……」
「ミオたちが待っている」
蓮は歩調を速めた。
約束の場所まで、あと少しだった。
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第49話 完




