「真実の伝達」
第三応接室——白い壁、暖色の照明、深い茶色の家具。
灯は四人分のお茶を自分で淹れた。研究所の助手を呼ばない——それは彼女の、いつもの流儀らしかった。
「シチズン社会では珍しいですね」
エマが丁寧に観察した。
「普通、研究員クラスの方は助手にお茶の用意を任せます」
「私は自分でやる方が好きなんです」
灯はわずかに微笑んだ。
「手を動かしていると思考がまとまります」
彼女は四つのカップをテーブルに配った。深い緑色のお茶——上質な玉露の香りが部屋に広がった。
蓮はそのお茶を慎重に口に運んだ。
温かい、上品な味。
この味を俺は覚えている——
父・工藤透が家で淹れてくれていたお茶と同じ、銘柄だった。
偶然、ではないだろう。
灯は無意識のうちに父の家族の記憶を辿っている可能性があった。
「美味しい、お茶ですね」
蓮は低く言った。
「懐かしい、味がします」
灯は蓮を見た。
「懐かしい——?」
「子供の頃、家族がこういうお茶を淹れてくれていました」
蓮は慎重に答えた。
灯はしばらく彼を見つめていた。
そしてわずかに首を傾げた。
「私も——なぜかそういう記憶があるような、気がします」
彼女の声には戸惑いが混じっていた。
「でも私は施設で育ったはずなんです。家族の記憶はないはずなのに——」
「施設で育った」
蓮は低く繰り返した。
それが企業が彼女に伝えている、公式の履歴——だった。
真実は違う。
彼女は工藤の家で生まれた。
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しばらく雑談が続いた。
灯は極めて優秀な研究員だった。ミオ計画の倫理的な側面についても深く考察していた。彼女の話しぶりは専門家として、極めて洗練されていた。
だが時折——彼女の目の奥に揺らぎが走った。
自分の記憶と公式の履歴の、微細な矛盾。それを彼女は無意識のうちに感じ取っている。だがそれを正面から認識することは避けていた。
企業に育てられた——という事実が彼女の中に深い、無意識の疑念を生み出していた。
二時間後、灯が時計を見た。
「そろそろ、インタビューの時間ですね」
彼女は丁寧に言った。
「移動しましょう」
四人は応接室からインタビュー用の別室へと移動した。
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インタビュー室——第三応接室よりも公式な雰囲気の部屋。中央に二つの椅子が対面で置かれ、その周囲に記者用の機材の場所が確保されていた。
エマが記者の椅子に座った。灯がその対面に座った。ジェイクが機材の設営を始めた。蓮は扉の脇で警護の位置に立った。
インタビューの、正式な開始。
エマはホログラム端末を起動した。
「藤原灯さん、インタビューにご協力、ありがとうございます」
彼女は公式の口調で始めた。
「まず、あなたのミオ計画における役割について、お聞かせいただけますか」
「私はミオ計画の、生体倫理面を担当しています」
灯は答えた。
「具体的には試作体の、意識データの取り扱いに関する、倫理的ガイドラインを策定しています」
「倫理的ガイドライン——具体的には」
「試作体の、人権の尊重」
灯は続けた。
「試作体は人工的な存在ですが複雑な意識と感情を持ちます。——彼らを単なる実験材料として、扱うことは道徳的に許されない、と私は考えています」
蓮はその言葉を深く受け止めた。
彼女は極めて倫理的だった。
自分自身が試作体であるという事実を知らないにもかかわらず、試作体の人権を守る立場に立っていた。
それは——皮肉であり、同時に希望でもあった。
彼女は真実を知れば、必ず正しい選択をする——という確信が蓮の中で形成された。
インタビューは約三十分、続いた。
その後エマが時計を見た。
「藤原さん、少しお手洗いをお借りしてもよろしいですか」
「もちろん、です」
「では休憩を十分ほど、いただきます」
エマは機材をテーブルに置いて、部屋を出た。
その瞬間——
蓮が扉を閉めた。
部屋には灯と蓮の二人だけが残った。
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灯は少し驚いた顔で蓮を見た。
「……ケントさん?」
蓮は扉の前に立ったまま、低く言った。
「藤原、灯さん」
「はい」
「あなたに大切な話がある」
彼の声はいつもの警護員の口調ではなく——個人的な声だった。
灯はそれに即座に気づいた。
「……あなた——普通の警護員ではないですね」
「ああ」
蓮は率直に答えた。
「俺の本当の名前は工藤蓮」
灯の動きが止まった。
「……工藤」
彼女は低く繰り返した。
「藤原、ではなく」
蓮はしばらく彼女を見つめた。
この瞬間——彼の全ての旅の、最も重い、瞬間。
言葉を選ぶ余裕はなかった。
エマの助言通り、直接伝える。
「あなたは——俺の妹だ」
灯の表情が完全に静止した。
部屋の中の、時間が止まったように感じられた。
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数秒、彼女は動かなかった。
そしてゆっくり口を開いた。
「……その、根拠は」
彼女の声は冷静だった。だがその奥には深い揺らぎがあった。
蓮はコートの内ポケットから古い写真を取り出した。父の遺品の中から彼が持ち出してきた、家族の写真だった。
父・工藤透、母、蓮、そして幼い灯——四人が写っている。
彼はその写真を灯の前に置いた。
灯は写真をじっと見つめた。
彼女の指がわずかに震え始めた。
「……この、幼い女の子」
彼女は低く言った。
「私、ですか」
「ああ」
「私は——」
灯はしばらく沈黙してから続けた。
「施設で育ったと聞いていました」
「それは企業があなたに伝えている、公式の履歴だ」
蓮は低く続けた。
「真実は違う。あなたは工藤の家で生まれた。父・透、母、そして俺——四人の家族だった」
「……信じられません」
灯は写真を見つめたまま、呟いた。
「この写真はいつのものですか」
「あなたが五歳の時」
「そして私は——」
「八歳の時、企業に連れ去られた」
蓮は率直に答えた。
「親父はそれに抗議した。——そして殺された」
灯の指が写真の縁を強く握った。
「親父の名前は」
「工藤透」
「父の職業は」
「ギガ・フロート社の、ミオ計画の、上席研究員」
灯の呼吸がわずかに速くなった。
「その名前、記録で見たことがあります」
彼女は低く言った。
「二〇三〇年に事故死した、研究員」
「事故ではない」
蓮は即答した。
「カインに暗殺された」
灯の目がゆっくり蓮を見上げた。
その瞳の奥には——深い、動揺があった。
「もう一つ伝えなければならないことがある」
蓮は続けた。
「あなた自身が——ミオ計画の、試作体だ」
灯の動きが止まった。
「あなたの中には地下知性体の意識の、破片が組み込まれている。その破片があなたを無意識のうちに俺と繋いでいる。——だからあなたは俺に懐かしさを感じた」
「……」
「証拠は俺の妹——ミオがコアで対話している。あなたのことを確認している」
灯はしばらく動かなかった。
彼女の目から——一筋の涙が静かに流れた。
自分でも意識せずに。
「……信じたく、ありません」
彼女は低く呟いた。
「でも——なぜか体はあなたの言葉を真実として、認識しています」
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その時——
廊下の外で足音が近づいてきた。
蓮は即座に警戒した。
複数の、しっかりとした足音。保安隊員ではない。遥かに格の高い人物の、随行員の足音。
彼は写真をジャケットの中に素早くしまった。
カイン——が来ている。
その気配が扉の向こうから明確に伝わってきた。
「灯」
蓮は低くそして急いで言った。
「選択はあなたがする。俺は真実を伝えた。——これからどう生きるかはあなた自身が決めることだ」
「……」
「もし、俺たちと来る意志があるなら——インタビューが終わった後、屋上へ出てくれ。そこで待つ」
灯はしばらく沈黙してから頷いた。
「……考えます」
その瞬間扉が外側から開けられた。
現れたのは——エマだった。
彼女は部屋の中を素早く観察した。蓮と灯の様子を瞬時に判断した。
「藤原様、休憩、お待たせしました」
エマはいつもの口調に戻って、言った。
「次のインタビュー項目に進みましょう」
「……はい」
灯は深呼吸をして、椅子に戻った。
インタビューが再開された。
だが部屋の空気は——もう完全に変わっていた。
そして廊下の外から——もう一人の、足音が確実に近づいていた。
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第45話 完




