「研究所へ」
第三層の、国際機関の宿泊施設——リチャードが手配してくれた、シンプルな三部屋。
その夜、蓮は自室のベッドの上で装備の最終点検をしていた。パイルバンカーMk.III、外骨格Mk.III、マナ波形偽装装置——全てを明日の朝、再び起動できる状態に調整していた。
扉が軽くノックされた。
「蓮さん」
エマの声。
「入ってください」
エマが扉を開けて、入ってきた。彼女は宿泊施設の制服に近い、シンプルな白い服を着ていた。記者として、自然な姿。
彼女は蓮の前の椅子に座った。
「明日の、最終確認ですか」
「ああ」
「装備、問題ありませんか」
「完璧だ」
蓮は短く答えた。
エマはしばらく沈黙してから低く言った。
「蓮さん」
「ん」
「明日、灯さんとお会いになる」
「ああ」
「準備、できていますか」
蓮はしばらく考えた。
「……準備、というのはどういう意味だ」
「会うことの、心理的な準備です」
エマは丁寧に言った。
「十年以上、会っていない妹さんと再会する。彼女は自分の正体を知らない。あなたがそれを伝える。——それは極めて重い瞬間です」
蓮は装備をテーブルに置いた。
エマの問い——は的を射ていた。
心理的な準備——彼自身、まだ完全にはできていなかった。
「正直に言えば——」
彼は低く答えた。
「できていない」
「……」
「会えるかどうか分からなかった頃は——会えればいい、とそれだけだった」
蓮は続けた。
「だが明日、確実に会う。——そして彼女に世界をひっくり返すような情報を伝える。——俺はそれをどう伝えればいい」
「正直に」
エマは即答した。
「遠回しでは彼女は信じない。直接真実を伝える。——それで彼女がどう反応するかは彼女自身の問題です」
「お前はこういうことに慣れているのか」
「記者として、何度か似たような経験はあります」
エマはわずかに微笑んだ。
「ですが家族同士の真実の伝達は——私の経験を超えています。蓮さん自身が判断する必要があります」
蓮は長く息を吐いた。
「お前——頼りになる」
「仕事ですから」
エマは肩をすくめた。
「ですが——個人的にも私はあなたを応援しています」
「……ありがとう」
二人の間に短い沈黙が流れた。
深い友情——ではなく、深い信頼。それが二人の関係の質だった。
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「もう一つ」
エマは続けた。
「カインの動きをリチャード氏が追加で報告してきました」
「何だ」
「カインは明日——自ら、第四層の研究所に来訪する予定」
蓮の動きが止まった。
「カインが——来る?」
「ええ」
エマは頷いた。
「取材時間と重なる可能性は——高い」
「罠か」
「ほぼ、確実」
エマは率直に答えた。
「彼がわざわざ研究所に来る理由は——私たちと何らかの形で接触したいからと判断できます」
蓮は奥歯を噛んだ。
「カインと対面する可能性がある——か」
「ええ」
「戦闘は避けたい」
「こちらも同じ意見です」
エマは頷いた。
「カインとの直接対決は——今はまだ勝てない」
彼女は続けた。
「最優先は灯さんとの接触と撤退。カインとの対峙は避けるか、最短で済ます」
「了解した」
蓮は装備に視線を戻した。
「明日、勝負だ」
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翌朝、午前八時。
三人は第三層から第四層への昇り口に向かった。
第四層への審査は第三層と比較にならないほど、厳重だった。保安隊員、八名。マナ波形スキャナーは各個人の生体反応を詳細に分析する。身分証だけでは通れない。
蓮の偽装装置はフル稼働していた。
ジェイクの機材バッグは再度、入念に検査された。だが——既に通過した第三層の認証で彼の機材は正規の取材機材として、登録されていた。再検査は形式的なものだった。
エマの身分証は第四層の入場リストに正式に登録されていた。彼女は淡々と認証ゲートを通過した。
全員、第四層に入境——
第四層は——完全に別世界だった。
通行人はほぼ全員が白衣の研究員かシチズン階級の上級職員だった。建物の質感は機能美の極致。シンプルだが極めて高品質な素材で構成されていた。
ミオ計画の、中枢部——そこに三人は入っていた。
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「目的の研究所はこちらです」
エマがホログラム端末でルートを確認した。
「徒歩で約十五分」
三人は第四層の中心部へと向かった。
道中、他の研究員たちと何度かすれ違った。取材として、彼らの会話を自然に観察した。
「ミオ計画第三段階の進捗報告」——という話題が頻繁に出ていた。 「カイン総帥の本日の来訪」——という言及も確認された。 「藤原研究員の特別プレゼンテーション」——という注目すべき話題も聞こえた。
藤原——灯のことだった。
彼女は何らかの特別なプレゼンテーションを今日、行う予定だった。それはおそらくカインの来訪と連動している。
蓮はその情報を頭に刻んだ。
カインが灯のプレゼンテーションを見に来る。
それは彼女をコアへの導線として、使う計画の最終段階の可能性がある。
急いで灯と接触する必要がある。
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研究所の入り口——目立たない白いシンプルな建物。第四層第二十七研究室。藤原灯の研究所。
入り口には専属の警備員、二名。
エマが身分証を提示した。
「ニュー・ワールド・ニュース、エマ・クロフォード。インタビューの予約があります」
警備員はホログラム端末で確認した。
数秒後、彼は頷いた。
「確認しました。第三応接室にて、藤原研究員がお待ちです」
「ありがとうございます」
三人は研究所の中に入った。
内部は——意外にも温かい雰囲気だった。
白い壁に植物の鉢、暖かみのある照明、深い茶色の家具。機械的な研究施設というよりも個人的なオフィスに近い質感。
第三応接室——その扉の前でエマが足を止めた。
彼女は蓮を見た。
「準備、できていますか」
「ああ」
蓮は短く答えた。
「やろう」
エマは扉をノックした。
扉がゆっくり開いた。
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部屋の奥に——一人の女性が立っていた。
藤原灯——あるいは工藤灯。
蓮の妹。
年齢、二十六歳。長い、艶やかな黒髪、整った顔立ち、研究員らしい知性的な目。白衣を着て、両手でホログラム資料を持っていた。
彼女はエマを見て、わずかに微笑んだ。
「お会いできて、光栄です。クロフォード様」
彼女の声は穏やかだった。
「藤原灯です。——インタビューの時間までまだ二時間ほどあります。お茶でもいかがですか」
「ありがとうございます」
エマは丁寧に答えた。
灯の視線がジェイクを通り過ぎ——最後に蓮の方を向いた。
彼女はしばらく彼を見つめた。
何かを感じている——ように見えた。
「……あなたは警護専門家の方ですか」
「はい」
蓮は低く答えた。
「ケント・サトウです」
「そうですか」
灯はわずかに首を傾げた。
「初めてお会いするはずなのに——奇妙な、懐かしい感覚がします」
蓮の心臓がわずかに跳ねた。
灯は無意識のうちに彼を認識している。
血の繋がり——あるいは彼女の中の地下知性体の意識の破片が何かを感じている。
「気のせいだと思います」
蓮は淡々と答えた。
「シチズン社会ではよくあることです」
「そうですね」
灯はわずかに微笑んだ。
「気のせい、でしょう」
だが——彼女の目の奥には何かが揺らいでいた。
真実への、扉がすでにわずかに開きかけていた。
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第44話 完




