「アッパー東京、潜入」
中層第十二層からアッパー東京への上昇路——通称「昇龍」。
巨大な、垂直方向の高速エレベーターだった。一度に三十人を運ぶ、シチズン専用の輸送機関。蓮、エマ、ジェイクの三人は他のシチズンたちと共にその内部に入った。
エレベーターの内部は奇妙に清潔だった。
深層の岩の匂い、中層の機械油の匂い——それらが完全に消えていた。代わりにわずかな、人工的なフローラル系の香りが空気に混ぜられていた。シチズン社会の、最初の印象。
他の乗客たちは皆、端正な身なりだった。シチズンに相応しい、整った服装。誰もが互いを無視していた。他人に興味を示さないことがシチズン社会の礼儀。
蓮の偽装は完璧に機能していた。
ケント・サトウ——身分証はエレベーターの認証システムを問題なく通過した。マナ波形偽装装置は彼のゴーストとしての本来の波形を完全に隠していた。
エマは彼の隣で自然な姿勢でホログラム端末を操作していた。記者の仕事をしているふり。ジェイクは機材バッグを抱えて、技師の役割を自然に演じていた。
完璧な潜入チーム——として、彼らは機能していた。
エレベーターがゆっくり上昇していく。
数字が表示されていた——第百層、第二百層、第三百層……。
地上に近づくにつれ、表示の数字が増えていく。
---
約十分後、エレベーターが停止した。
ドアが開いた。
目の前に——アッパー東京の風景が広がった。
蓮は一瞬息を止めた。
人工的な空——青白く、淡く発光するドーム状の天井。本物の太陽光ではない、しかし完璧に再現された日中の光。空気は清潔でわずかに甘い香り。
眼前には広い大通りが伸びていた。両側に白い建物——優雅な装飾を持つ、各種の商店・カフェ・住居。通行人は全員、整った身なりだった。子供たちは笑い、走り回っていた。地下の住民が想像する、楽園の風景。
だが——蓮の目にはその光景が奇妙に作り物めいて見えた。
地下では人々は生き延びるために必死だった。深層では生物の脅威と戦い、中層では企業の権力と戦い——地下の住民は皆、何かと戦っていた。
アッパー東京の住民は——何とも戦っていないように見えた。
完璧な平和——それは地下の住民の犠牲の上に成り立っていた。
ジェイクが彼の隣に並んだ。
「……二十年前と変わっていない」
彼は低く呟いた。
「昔もこうだった」
「お前、ここに住んでいたのか」
「ああ」
ジェイクは頷いた。
「ミオ計画の研究員時代、第三層の社員寮に暮らしていた。妻と娘と」
蓮はその情報の重みを深く受け止めた。
ジェイクはこの風景の中で家族を持ち、家族を失った男だった。彼にとって、アッパー東京は懐かしさと悲しみが混在する場所——だったはずだ。
「……すまない」
蓮は低く言った。
「お前にとって、辛い場所だ」
「気にするな」
ジェイクは肩をすくめた。
「俺の役割はお前たちをここに案内することだ。——過去は過去」
彼の声にはしかしかすかな、震えが混じっていた。
---
「第一層は商業地区」
エマが低く解説した。
「最も警備が緩い層です。しかしシチズンの一般人が多く行き交うため、目立った行動は避けるべき」
「了解した」
「移動は地下鉄に近い、短距離輸送機関を使います。第二層への昇り口は徒歩で約十分」
三人は自然な歩調で通りを歩き始めた。
蓮の偽装——警護専門家としての彼はエマの三歩後ろを警戒した目で歩いていた。それはシチズンの警護員の、典型的な歩き方だった。
重力は確かに地上の七割程度だった。一歩、踏み出すごとにわずかに体が軽く感じる。ナタリアが警告していた通り——ブースターの推力計算が変わってくる。実戦になれば、要注意の要素だった。
第二層への昇り口——次のエレベーターホール。
三人は認証ゲートを通過した。
ゲートの前で保安隊員二名が立っていた。彼らはエマの身分証、ジェイクの機材技師証、そして蓮の警護専門家証を確認した。
全員、問題なく、通過——
彼らは第二層へと上昇した。
---
第二層は行政地区だった。
建物の質感が第一層よりも遥かに重厚になった。白い大理石、黒の鉄柵、整然と並んだ高層建築。ギガ・フロート社の関連機関が集中している層。
通行人の数は減っていた。代わりに保安隊員の数が明らかに増えていた。
エマは慎重に歩いた。
「この層はジェイクさんが知らないルートになります」
彼女は低く言った。
「事前に私が地図を確認しました。第三層への昇り口まで最短ルートを行きます」
彼女がリードして、三人は第二層を横断した。
保安隊員たちは彼らを見送ったが特に止めなかった。国際機関の正規取材——その身分は二層では有効に機能していた。
第三層への、昇り口。
次のゲート。今度は保安隊員、四名が立っていた。
審査はより厳しくなった。三人の身分証だけでなく、機材の検査も行われた。
ジェイクのバッグが開かれた。
中には録音機材、ホログラム録画装置、各種のアダプタ——機材技師として、当然のアイテムが入っていた。だがその奥に——密かにシンプルな金属パーツが隠されていた。
ナタリアの、特殊装備の、分解パーツだった。
保安隊員がその金属パーツを見つけた。
「これは何だ」
彼は低く聞いた。
ジェイクは平静を保った。
「ホログラム録画装置の、補助電池です。長時間取材の、予備」
彼は淡々と説明した。
「電源系の、機材ですか」
保安隊員はホログラム端末で何かを確認した。
数秒後、彼は頷いた。
「問題なし」
ジェイクはバッグを再び、閉じた。
事前の偽装——成功した瞬間だった。
---
第三層は研究地区だった。
建物の質感が再び、変わった。機能美を強調した、シンプルな白い建築群。ミオ計画関連の、複数の研究施設が集中していた。
通行人はほぼ全員が研究員らしい身なりだった。白衣、ホログラム端末を持つ手——何かの、研究について、議論している集団も見られた。
蓮はその光景を観察した。
ここでミオ計画が進められていた。
そして妹の灯が研究員として、働いている。
もしかするとすれ違っている、可能性すら、ある。
彼は注意深く通行人の顔を観察した。
だが——妹らしき女性は見当たらなかった。
まだ早い——インタビューは明日。今日は研究所の手前まで移動するだけ。
ジェイクが低く言った。
「第四層はより厳重だ」
彼は続けた。
「藤原灯氏の研究所は第四層の中心部にある。——そこには明日、インタビューの時間に入る」
「今夜は」
「第三層の、国際機関の安全な宿泊施設に滞在する」
エマが答えた。
「リチャード氏が手配してくれました」
三人は第三層の中心部へと向かった。
---
深層組、コアの広間。
ミオは知性体との対話を継続していた。
彼女は新しい情報を引き出していた。
『……地下知性体はレイヤー・ゼロにコアそのものを隠している』
彼女はローレンとクロに報告した。
『カインの強制侵入装置が機能するためにはコアの正確な位置情報が必要です。——だが知性体はその情報を巧妙に隠している』
「つまり、カインの計画はまだ完全には実行できない」
ローレンが頷いた。
『はい』
『しかし——カインは別のルートでコアにアクセスしようとしています』
「別のルート」
『ミオ計画の、別の試作体——藤原灯を介して』
ローレンとクロの動きが止まった。
「灯を利用して——」
『灯にも地下知性体の意識の、小さな破片が組み込まれています』
ミオは続けた。
『カインは彼女をコアへの導線として、使う計画を進めている可能性がある』
ローレンは長く息を吐いた。
「つまり——蓮が灯を救うことが世界の運命を決める」
『そう、解釈できます』
ミオは頷いた。
『蓮さんが灯さんをカインの計画から引き離せれば——世界は救われる』
『でなければ——』
彼女はしばらく沈黙してから続けた。
『カインは灯さんを犠牲にして、コアへの侵入を達成します』
二つの軌跡——地上組と深層組——がここで完全に繋がった。
蓮の妹救出とミオのコア対話は——同じ、世界の運命を決める作戦だった。
---
第43話 完




