「カインの罠」
インタビューが再開されて、五分ほど経った頃——
扉が外からノックされた。
控えめな、しかし明確に権威のあるノック。
灯は即座に姿勢を正した。
「どうぞ」
彼女は公式の声で応じた。
扉がゆっくり開いた。
最初に二人の随行員が部屋に入ってきた。シチズン階級の、上級秘書官——グレーのスーツ、黒いネクタイ、無表情。
そしてその後ろから——一人の男が姿を現した。
背の高い、痩身の男。年齢は五十代後半と思しき。銀色の髪を後ろに撫でつけ、深い青のスーツを完璧に着こなしていた。眼鏡はかけていない。目は冷たい灰色——氷を削り出したような、鋭い視線。
カイン・ヴェスパー。
ギガ・フロート社の、総帥。
この男が蓮の父を殺し、ミオ計画を倫理から切り離した張本人。
蓮は警護員としての位置で扉の脇に立っていた。表情を完全に消していた。マナ波形偽装装置はフル稼働中。目の下の傷はケントの経歴に記載されていない。
カインが部屋に入ってきた。
彼の視線がまず、灯を捉えた。
「藤原君」
彼の声は意外なほど、穏やかだった。
「インタビューの、途中で失礼する」
「総帥、お忙しい中、ご訪問いただき、ありがとうございます」
灯は椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「お気になさらず」
カインはわずかに微笑んだ。
その微笑みには——温もりがなかった。
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カインの視線がエマに移った。
「クロフォード嬢」
彼は静かに言った。
「遠くから我々の研究所までお越しいただき、感謝する」
「総帥、お会いできて、光栄です」
エマは記者としての、完璧な公式の口調で応じた。
「取材にご協力いただき、ありがとうございます」
「国際的な報道は常に重要だ」
カインは頷いた。
「我々の研究の透明性を世界に示すために必要な、機会だ」
彼の言葉は完璧に政治的だった。
表面上は透明性を歓迎している——ように見えた。だがその視線の奥には別の意図が隠されていた。
彼の視線が次にジェイクに移った。
一瞬——
カインの目がわずかに細くなった。
何かを感じ取った——ような、動き。
だが次の瞬間、彼の表情は元に戻っていた。
「機材技師の方もお疲れ様」
「恐れ入ります」
ジェイクは頭を下げた。彼の声は完璧にシチズンの技師のものだった。二十年のブランクを感じさせない、流暢な演技。
そして最後にカインの視線が——蓮に向いた。
その視線が蓮の全身を貫いた。
冷たい灰色の目が警護員ケント・サトウを隅々まで観察した。
マナ波形偽装装置はまだ機能している。
シチズン階級として、認識されているはずだ。
だが——カインの目には何かの、疑念が走ったように見えた。
「警護、ご苦労」
カインは短く言った。
「依頼元は」
「国際機関の、正規契約です」
蓮は公式の声で答えた。
「証明書はお見せしましょうか」
「必要ない」
カインは視線を灯に戻した。
だが蓮は感じ取っていた。
あの視線の一瞬——カインは俺を疑っている。
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「藤原君」
カインは灯に声をかけた。
「インタビューの残りの時間——私も同席しても構わないか」
「もちろん、です」
灯は公式の口調で答えた。
彼女の表情は完璧に冷静だった。だが——蓮は彼女の指が机の下でわずかに震えていることに気づいていた。
真実を知った直後の、元凶との対面。
彼女の内面は極めて複雑だった。
カインは灯の隣の椅子に座った。
インタビューが再開された。
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「藤原君の研究は我が社の最も重要な資産だ」
カインはエマに公式の説明を始めた。
「彼女の倫理的ガイドラインがなければ、ミオ計画は国際的な批判を受けていた」
「藤原さんは極めて優秀な研究員です」
エマは丁寧に応じた。
「具体的には彼女の、どのような貢献が貴社にとって、重要ですか」
「試作体の、権利保護」
カインは答えた。
「我々は単に技術を追求する企業ではない。倫理的な責任を果たしている」
その言葉を蓮は聞き流した。
カインは灯を道具として、利用している。彼女の倫理的な立場を企業の対外的な、正当性の看板として、使っている。真の目的——灯自身をコアへの導線として、犠牲にする——を隠しながら。
エマもそれを理解していた。
彼女の質問は次第にカインの言葉の矛盾を探る方向にシフトしていった。
「総帥」
エマは静かに聞いた。
「試作体の権利保護、とおっしゃいましたが——試作体を意識抽出の対象として、扱う場合の、倫理はどうお考えですか」
カインの動きがわずかに止まった。
「意識抽出——?」
「仮定の話です」
エマは続けた。
「もし、地下の何らかの意識と試作体の意識を混合させる技術が開発された場合——その試作体は道徳的に保護されるべきですか」
部屋の空気がわずかに緊張した。
エマはカインの計画の核心を公式のインタビューの場で間接的に問いかけた。
カインはしばらく沈黙してから答えた。
「興味深い、仮定の質問だ」
彼は微笑んだ。だがその微笑みは明確に冷たかった。
「科学の進歩は常に倫理と緊張関係にある。だが我々は常に倫理を優先している。——藤原君の、指導の下」
彼は灯の方を見た。
「そうだね、藤原君」
灯はしばらく沈黙してから頷いた。
「……はい、総帥」
彼女の声には——わずかな、震えがあった。
カインはその震えを感じ取ったようだった。
「藤原君」
彼は低くしかし優しく、続けた。
「インタビューの後、少し時間を取れるか。近日の、研究の進展について、直接報告を受けたい」
「……はい」
灯は頷いた。
罠——だった。
カインは灯をインタビューの後、個別に確保しようとしている。
蓮の伝えた真実を彼女の中で消化する時間を与えない。即座に企業の論理で上書きする——それがカインの狙いだった。
蓮は奥歯を噛んだ。
時間が限られている。
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インタビューはその後三十分、続いた。
カインはその間極めて丁重だった。エマの質問に模範的な答えを返し続けた。灯も公式の立場を崩さなかった。
最後にエマが時計を見た。
「貴重なお時間をありがとうございました」
彼女は頭を下げた。
「インタビューをこれで終わらせていただきます」
「こちらこそ、ありがとう」
カインは優雅に応じた。
彼が立ち上がった。灯も立ち上がった。
「藤原君、では私の執務室で少し話をしよう」
「……はい、総帥」
二人は部屋を出るために扉の方に向かった。
その瞬間——
灯が蓮の隣を通り過ぎる瞬間——
彼女の指がわずかに蓮の手を掠めた。
極めて微細な接触——だがそれは明確な、意志の表現だった。
行きます——という、彼女の返答。
屋上で待っていてください——という、返答。
蓮は表情を変えなかった。ただ、わずかに指を返した。
二人は部屋を出て、廊下の奥へと消えていった。
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扉が閉まった後——
エマが蓮に低く囁いた。
「成功したのですか」
「成功した」
蓮は短く答えた。
「彼女は来る」
「屋上へ」
「ああ」
「時間は」
「カインの執務室での面談は恐らく三十分」
蓮は続けた。
「その間に俺たちは屋上に移動する。——そして灯が来るのを待つ」
エマは頷いた。
「行きましょう」
三人は機材を素早く片付けて、部屋を出た。
だが廊下を歩き始めた瞬間——
蓮は気配を感じた。
廊下の遠く——建物の奥——電磁の、わずかな痕跡。
ゼノン。
あの男がこの建物の、どこかにいる。
蓮の心臓がわずかに跳ねた。
カインは俺たちを逃がすつもりはない。
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第46話 完




