「分かれた道、繋がる意志」
朝、五時。
ZERO-2を三人は静かに出発した。
ジェイクは地下水脈のあるルートを選んだ。岩肌に湧き出る微小な水流を辿れば、水の補給が確保できる。深層の二日の旅では水の確保が最大の戦術判断だった。
彼の機械化された左腕には簡素な機材が装着されていた。地図ナビゲーション、深層生物の生体反応探知、そして通信ジャマー。最後の機能は企業の追跡を避けるための、ジェイク独自の改造装備だった。
「追跡されないよう、通信圏内ではジャマーを起動する」
ジェイクは低く説明した。
「ゼノンは深層から地上に戻った可能性が高い。だがジオフロントの偵察はまだ深層にいる。気をつけろ」
「了解した」
蓮は短く頷いた。
エマはジェイクから借りた防寒装備をしっかりと整えていた。地上人としての体力に深層育ちのジェイクが配慮した装備一式。彼女は自分がお荷物にならないよう、意識的に動きを整えていた。
「ジェイクさん」
彼女は低く言った。
「今日の行程は」
「約二十キロ、徒歩で十時間。一度、休憩を挟む。夜まで歩き続ければ、ゴーストタウンの外周に到達できる」
「了解しました」
三人はZERO-2を後にして、北西への通路を歩き出した。
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歩き始めて、二時間。
最初の休憩で三人は岩肌の小さな空洞に腰を下ろした。
ジェイクは保存食のパックを開け、三人分の朝食を簡素に分けた。
蓮は食事を取りながら、ジェイクに低く聞いた。
「ジェイク」
「ん」
「親父とどんな仕事をしていた」
ジェイクは食事の手を止めた。
しばらく彼は空洞の壁を見つめていた。
「……長い話になる」
「聞きたい」
蓮は率直に言った。
「親父のことを知っているのはもうあんただけかもしれない」
ジェイクは長く息を吐いた。
「俺は二〇二八年、ギガ・フロート社の研究員として入社した」
彼は低く語り始めた。
「当時、二十六歳。修士課程を卒業して、すぐに企業の最先端研究部門に配属された。——ミオ計画の、立ち上げメンバーだった」
「親父は」
「透はすでに上席研究員だった。年齢は俺より十歳上。彼が俺の直属の上司だった」
「……」
「俺たちは毎日、議論した。アテロイドの結晶構造、マナ・ネットワークの理論、そして——ミオ計画の倫理。透は最初から計画に反対していた。だが彼は反対しながら、計画の内側にいた」
「なぜ、内側にいた」
「外から反対しても止められない——透はそう判断していた。内側で計画の方向性を修正しようとしていた」
ジェイクは続けた。
「だが——カイン・ヴェスパーが企業の総帥に就任した瞬間に状況が変わった」
「カイン」
「現在の総帥。当時はまだ三十代だった。彼がミオ計画を完全に倫理から切り離した。試作体の作成、人間の意識データの強制使用——透が長年抑えてきた倫理的な歯止めをカインが全て解除した」
「……」
「透はその時決断した」
ジェイクは視線を下げた。
「企業から離脱する。そして外部から計画を止める。——彼は俺に一緒に来るか、と聞いた」
蓮は息を止めた。
「お前は——」
「断った」
ジェイクは率直に言った。
「家族がいた。妻と娘。当時、娘は三歳。俺の収入が彼女たちを支えていた。——透と共に企業を出れば、家族を養えなくなる」
「……」
「透はその選択を尊重してくれた。『お前はお前の家族を守れ』と言ってくれた。——俺はその言葉に甘えた」
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ジェイクはしばらく沈黙した。
空洞の中の静寂を岩肌に滴る水滴の音だけが満たしていた。
「二〇三〇年」
ジェイクは低く続けた。
「透が死んだとニュースで聞いた」
「事故、として」
「そうだ。だが——俺は知っていた。事故ではない、と」
「企業の暗殺」
「ほぼ、確実」
ジェイクは頷いた。
「俺は透の死後、自分を許せなくなった。彼が殺されたのは彼が単独で動いたから——俺が彼の隣にいなかったから」
「……」
「それから半年後——俺の妻と娘が車の事故で死んだ」
蓮の動きが止まった。
エマも息を止めて、ジェイクを見つめた。
「事故、だったのか」
蓮は低く聞いた。
「確認しようがなかった」
ジェイクは率直に答えた。
「だが俺は確信している。——透の死と俺の家族の死は無関係ではない」
「カインが——」
「証拠はない。だが俺が透の同僚だったことを企業は知っていた。俺が透の後を追う可能性を潰すための、警告だったのかもしれない」
ジェイクは長く沈黙した。
「俺はその日、深層に逃げた」
彼は低く続けた。
「家族を守るために透を裏切った。そしてその家族を失った。——俺の選択は何の意味もなかった」
「ジェイクさん——」
エマが口を開きかけた。
だが彼女はその言葉を続けることができなかった。
何を言ってもその後悔の重さには届かない——それを彼女は即座に理解していた。
ジェイクはエマの方を見て、わずかに微笑んだ。
「慰めは要らない」
彼は低く言った。
「俺は二十年、深層で生きてきた。その間に自分を何度も問い直してきた。——結論は出ない」
「……」
「だがお前たちと出会って、ようやく——俺の役割が見えてきた」
ジェイクは立ち上がった。
「透の息子とその仲間たちを守る。それが——俺の、最後の役割だ」
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第九十八層、ミオとクロの場面。
クロの応急手当を済ませた後、ミオは彼女を支えながら、上層への通路をゆっくり進んでいた。
第九十八層から第八十五層のゴーストタウンまでは徒歩で約三日の距離。ジェイクとローレンが手配した中継経路で深層住民の協力者が二人を順次、送り届けてくれる予定だった。
クロの右半身はまだ動きにくかった。だが彼女は自分の足で歩くことをミオに譲らなかった。
「俺は深層育ちだ」
彼女は低く言った。
「この程度の傷で運ばれることは許容できない」
『……分かりました』
ミオはそれ以上、何も言わなかった。
クロの誇り——を彼女は尊重していた。
二人は通路をゆっくり進んだ。
マナ・ネットワークの流れは第九十八層を離れるほど、急速に薄くなっていった。ミオの体内に流れ込んでいた強いマナも徐々に普通のレベルに戻っていく。彼女の薄紫の瞳の発光も淡くなっていた。
「ミオ」
「はい」
「コアで何を感じた」
ミオはしばらく考えてから答えた。
「……呼ばれていました。コアの中の何かが私を戻したいと思っていました」
「戻したい——か」
「自分の起源に戻る——という意味だと私は解釈しています」
「お前は戻らなかった」
「はい」
ミオは頷いた。
「クロとの約束を優先しました。——そして蓮さんに会いたかった」
「……」
クロはわずかに笑った。
「お前、人間になったな」
ミオはその言葉を深く受け止めた。
「人間になる——という概念は私の辞書にはまだ完全には登録されていません」
「いいんだ」
クロは肩をすくめた。
「お前自身がどう生きるか——お前自身で決めればいい」
二人はそれ以上、何も話さなかった。
通路の奥から遠く、地響きのような振動が伝わってきた。
深層の、奥で何かが起きている。
ミオはその振動を自分の感覚で捉えた。
『……クロ』
「ん」
『地下が本格的に目覚めようとしています』
「……」
『急ぎましょう。蓮さんたちと合流する必要があります』
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蓮の場面、深層北東の通路。
休憩を終えて、三人は再び、歩き出した。
しばらく歩いた頃、蓮は足元がわずかに震えたことに気づいた。
彼は即座に足を止めた。
「……今のは」
「地震」
ジェイクが即答した。
「ここ数日、頻度が増えている。震源は深層の更に奥」
「コア層——か」
「おそらく」
ジェイクは頷いた。
「ローレンから報告があった。深層全域で生物の異常な活動が報告されている。地下が目覚めようとしている」
蓮は奥歯を噛んだ。
父のノートの仮説——アテロイドが意識を持っている——が今、世界全体の動きとして、実体化しつつあった。
「急ごう」
ジェイクは低く言った。
「ゴーストタウンに急いで着く必要がある。——何かが起きる前に」
三人は足を速めた。
深層の岩肌は徐々に温度を上げ始めていた。地熱の活動が活発化している。深部の何かが起き上がろうとしている——その兆候はもはや、誰の目にも明らかだった。
蓮の中で——
焦りと確信が同時に形成されていた。
ミオに会わなければ。
彼女がコアに引き戻される前に。
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第34話 完




