「父の見ていた未来」
ZERO-2の中央のテーブルに三人が座っていた。
蓮、エマ、ジェイク。三つの椅子と簡素な岩のテーブル。焚き火の小さな炎が彼らの顔を淡く照らしていた。
最初の数分、誰も口を開かなかった。
蓮はジェイクを観察していた。父の同僚——その情報だけで信頼を寄せるには彼は慎重すぎた。エマの存在が間接的な保証になっていた。彼女はジェイクに助けられ、ここまで連れてこられた。少なくとも即座に殺す相手ではない——その判断が蓮の中で固まっていた。
ジェイクは蓮の警戒を理解している様子だった。彼は何も急かさず、ただ温かい飲み物を三人分、テーブルに並べた。
最初に口を開いたのはエマだった。
「蓮さん——ご無事で何よりです」
彼女は淡い微笑みを浮かべた。
「あなたが地下湖の岸辺で父のノートとチップを発見したことジェイクさんから聞きました」
「ああ」
蓮はコートの内ポケットから金属チップを取り出した。テーブルの中央に丁寧に置く。
「親父の、最後の遺言だ」
ジェイクはそのチップをじっと見つめた。
彼の機械化された左腕の指先がわずかに動いた——何かを思い出している動作。
「……これか」
彼は低く呟いた。
「透が最後に作ったもの」
「あんた、知ってるのか」
「作る過程を見ている」
ジェイクは頷いた。
「二十年前、透が企業から離脱する直前。彼は俺の研究室に来て、特殊な暗号化方式を設計していた。ただ一人の人物だけが解読できる——そういう仕様だ」
「ただ一人の人物?」
「おそらくお前だ」
ジェイクは率直に答えた。
「お前のマナ波形が鍵になっている」
---
蓮はしばらく沈黙した。
自分のマナ波形が鍵——その情報の意味を彼はゆっくり理解した。
彼は無能者だ。マナ・ネットワークに接続できない。だがそれは「マナを操れない」という意味であって、「マナ波形を持たない」という意味ではなかった。彼自身もわずかな個人特有のマナ波形を生体反応として、放射している。
その個人波形が唯一の鍵——だから父は息子が辿り着くことを絶対の前提として、計画を組んでいた。
「……親父は俺の存在を読み切っていたわけだ」
「ああ」
「だが俺がここまで来ない可能性を考えなかったのか」
「透は考えた上で賭けた」
ジェイクはゆっくり言った。
「お前が必ず辿り着くと信じていた。——だから託した」
蓮は長く息を吐いた。
父の信頼の重さが彼の肩に改めて乗ってきた。
「ジェイク」
「ん」
「チップは解読できるか」
「部分的にできる」
ジェイクはテーブルの上のチップを丁寧に手に取った。
「完全な解読にはお前のマナ波形が要る。だが外殻部分——暗号化されていない、序文は俺の機材で確認できる」
「やってくれ」
「ああ」
ジェイクは立ち上がり、ZERO-2の奥の部屋へと向かった。彼の機械化された左腕にはチップを読み取る機構が内蔵されているらしかった。
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ジェイクが奥の部屋に消えた後、エマが低く言った。
「蓮さん」
「ああ」
「ジェイクさんは信用できる人物だと私は判断しています」
「俺もそう思う」
蓮は率直に答えた。
「親父の目をしている。——あれは嘘をつく目じゃない」
「……」
エマは少しだけ、微笑んだ。
「あなた、人を見る目が——鋭い」
「生存のためだ」
蓮は短く答えた。
「この十年、間違った相手を信用すれば、死んでた」
エマはその答えの重みを深く受け止めた。
蓮の戦術観察眼は生存技術の延長——能力ではなく、生き残るための、長年の積み重ね。それはエマの記者としての観察眼とは根本的に異なる質を持っていた。
「ところでエマ」
「はい」
「あんた——親父の話、聞いたか」
「ジェイクさんからお聞きしました」
エマは頷いた。
「お父様は二十年前、国際機関に告発を試みていた。——その文書はギガ・フロート社の圧力で公開されませんでした」
「それを表に出すのがあんたの仕事だ」
「ええ」
「そしてそれと並んで——」
蓮はしばらく沈黙してから低く続けた。
「俺の妹を探す。——それもあんたに頼めるか」
「もちろん」
エマは即座に答えた。
「藤原灯——浮遊居住区の研究員。私の国際機関身分証があれば、接触は可能です」
「ありがとう」
蓮は短く頭を下げた。
エマもわずかに頷いた。
二つの目的——父の遺志と妹の発見——が彼らの間で正式に共有された瞬間だった。
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ジェイクが奥の部屋から戻ってきた。
彼の機械化された左腕にはホログラム投影機が接続されている。空中に青白い文字列が流れていた。
「解読できる部分を出力した」
彼はテーブルの上にホログラムを投影した。
文字列は父の手書き風のフォントで表示されていた。蓮の目にそれはまるで父が自分に直接話しかけているように映った。
「子へ。
もし、お前がこれを読んでいるなら、お前はジャンク・ギルドか、信頼できる協力者と共にいるはずだ。
俺の最終計画は三段階だ。
第一段階:ミオを企業の手から解放する。
第二段階:レイヤー・ゼロの真実を世界に開示する。
第三段階:ミオ自身に自分の運命を選ばせる。
第一段階はお前が既に達成した。第二段階の鍵はこのチップだ。第三段階は——お前とミオ自身に託す。
お前の選択を信じている。
——透」
蓮はホログラムを長く見つめていた。
三段階の計画。最終段階はミオ自身の選択。
その意味の重さを蓮はゆっくり理解していた。
父はミオを解放するだけでは満足しなかった。彼女に自分の運命を選ぶ権利を与えようとしていた。
それは人工存在を人間として扱う——という、究極の倫理的選択だった。
「……ジェイク」
「ん」
「第二段階の鍵って、何だ」
「チップの暗号化された本体部分——お前のマナ波形で解読できる、世界の真実そのものだ」
ジェイクは低く言った。
「俺が見ていない情報だ。だが透の言葉から推測するに——アテロイドの本質とミオ計画の真の目的が記されているはずだ」
「……」
蓮はテーブルに視線を落とした。
自分の体に世界の真実が刻まれている。
その事実は彼にとって、負担でもあり、使命でもあった。
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しばらくの沈黙の後、エマが口を開いた。
「ジェイクさん——もう一つお聞きしたいことがあります」
「言ってくれ」
「ミオさんはコアの方向に向かっています。コアには何があるのですか」
「……」
ジェイクはしばらく沈黙した。
そして低く答えた。
「俺も確証は持っていない。だが推測はできる」
「言ってください」
「コアには地下に元から存在した、何かが眠っている」
ジェイクは続けた。
「アテロイドの結晶構造に知性の痕跡がある——透のノートにそう書かれていただろう? コアはその知性の源だと俺は推測している」
蓮は息を止めた。
「つまり、ミオは——」
「自分の起源に引き寄せられている」
ジェイクは頷いた。
「ミオの基材——人間の意識データはもちろん人間のものだ。だがミオをミオとして機能させているOS——管理者権限そのものはおそらくコアの何かからコピーされている」
「……ミオはコアの一部ということか」
「正確にはコアの何かが人間の体に宿った存在」
ジェイクは訂正した。
「人間と地下の知性体の、ハイブリッド——それがミオ計画の真の意味だと俺は考えている」
蓮はその情報を頭の中で何度か反芻した。
ミオは人間でもあり、地下の知性体でもある。
そして彼女は今、自分の起源に戻ろうとしている。
あの広間で彼女がコアの前で振り返り、クロを助けに戻ったこと——その選択の重みが今、より深く蓮の中に響いた。
彼女は戻ってきた。
人間として、自分の意志で戻ってきた。
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ジェイクはテーブルの上の地図を開いた。
深層の詳細地図——彼が長年、独自に集めた情報の集大成だった。
「ミオとクロの現在位置を推定する」
ジェイクは地図を指で示した。
「深層のネットワーク経由で最新の報告を確認した。二人は第九十八層の、岩窟付近にいる。クロは負傷しているらしい」
「ミオは無事か」
「無事だ」
ジェイクは頷いた。
「だが深層生物の活動が増えている。二人の安全は急いで合流する必要がある」
「合流地点は」
「第八十五層、ゴーストタウン」
ジェイクは地図の中央を指した。
「ローレンに二人を運んでもらう。お前たちはZERO-2を出て、ゴーストタウンへ向かう。——そこで全員が合流できる」
蓮は短く頷いた。
「いつ、出発する」
「明朝」
ジェイクは答えた。
「お前の体力の回復と俺の準備を優先したい。明朝、出発すれば、約二日でゴーストタウンに到達できる」
「了解だ」
蓮はテーブルから立ち上がった。
「ジェイク、エマ。——よろしく頼む」
二人は無言で頷いた。
三人の連帯がZERO-2の小さな部屋の中に確かに形成されていた。
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その夜——
蓮はZERO-2の隅の寝台に身を横たえた。
久しぶりに信頼できる仲間と共に過ごす夜だった。深層の孤独な旅は長くはなかったが彼の中に確かな疲労を蓄積させていた。
眠りに落ちる直前、彼は——遠く、南西の方向にミオの気配を感じた。
あの孤独な夜と同じ感覚。
彼女は生きている。 彼女は戻ろうとしている。 彼女は——会いたがっている。
蓮は目を閉じた。
「……俺も会いたい」
誰にも聞こえない、低い独白。
そのまま彼は深い眠りに落ちていった。
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第33話 完




