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「エマの目覚め」

寒い——それが最初の感覚だった。


エマは目を開けた。


白い天井。低い、岩を彫り込んだ天井。焚き火の煙の匂い。毛布の重み——彼女の体は何枚もの毛布に包まれていた。


生きている——その事実を彼女は何度か確認した。


地下水脈の落下からどれだけ時間が経ったのか、分からない。だが彼女の体は保護されている。誰かが彼女を救助してくれた。


ゆっくり首を動かした。


部屋は約十平米。岩を彫った住居で家具は最小限。小さなテーブル、椅子が一脚、そして焚き火の前で薪をくべる、長身の男。


男はフードを被ったまま、こちらに背を向けていた。


「……」


エマは静かに咳をした。


男が振り返った。


フードの奥から鋭い、しかし冷たくはない目がエマを見た。年齢は四十代半ば。深層住民らしい、薄い肌の色、機械化された左腕——ガラスやローレンと同じカテゴリーの人物だった。


「——目が覚めたか」


男は低く言った。


「良かった。三日間、意識がなかった」


「三日……?」


エマは自分の声が嗄れていることに気づいた。


「水を飲め」


男は傍のコップをエマに差し出した。


彼女は両手でコップを受け取り、慎重に口に運んだ。冷たい、しかし清浄な水——深層の地下水脈から汲んできたものらしい。


数口飲んでから彼女は男を見た。


「あなたは——」


「俺の名前はジェイク」


男は率直に答えた。


「深層住民の一人だ。お前を地下水脈の岸辺で見つけて、ここに運んだ」


「助けてくれて、感謝します」


エマは英語訛りのある日本語で礼を述べた。


「気にするな」


ジェイクは肩をすくめた。


「深層では生きてる者を見つけたら、助ける。それがルールだ。お前が地上人だろうと関係ない」


---


エマは徐々に体を起こした。


毛布の中の自分の体を確認する。衣服は乾いた状態。誰かがずぶ濡れだった彼女の服を着替えさせてくれていた。プロフェッショナルな介護——彼女はジェイクのその気遣いを即座に察した。


「私の、装備は」


「そこに置いてある」


ジェイクが部屋の隅を指差した。


エマのフィールドジャケット、ホログラムレコーダー、国際機関の身分証——すべて、丁寧に並べられていた。


「身分証を見て、お前のことを知った」


ジェイクは続けた。


「国際報道機関ニュー・ワールド・ニュース所属、エマ・クロフォード、二十二歳。ロンドン本部から東京支局に派遣されている——その情報はお前の身分証から読み取れた」


エマはわずかに身構えた。


「読み取った後、どうしました?」


「他人には伝えていない」


ジェイクは率直に答えた。


「俺の判断で保留した。お前を企業に渡すべきか、ジャンク・ギルドに渡すべきか——あるいはお前自身にどうしたいか聞くべきか」


エマは長く息を吐いた。


ジェイクは信頼できる人物——少なくとも現時点では敵ではない。


「ありがとうございます」


「まだ感謝するのは早い」


ジェイクは皮肉な笑みを浮かべた。


「俺の質問に答えてくれるなら——お前のことを適切な相手に繋いでやる」


「質問——?」


「お前は誰のために深層に来た?」


---


エマはしばらく沈黙した。


ジェイクは彼女を急かさなかった。焚き火の薪がゆっくり燃える音だけが部屋の中に響いていた。


数分後、エマは口を開いた。


「私の父はジョナサン・クロフォード。——英国の元国会議員でした」


「政治家、か」


「ただの政治家ではありません。父はギガ・フロート社の国際的な権限拡張に常に反対していた、数少ない政治家の一人でした」


「敵だったわけだ」


「ええ。——そして二〇三五年、父は自動車事故で死んだ」


ジェイクは目を細めた。


「事故——か」


「事故と認定されました」


エマは低く続けた。


「ですが私は事故ではないと確信しています。父の死の前夜、父は私に一つの文書のコピーを渡していました」


「何の文書だ」


「工藤透氏が二十年前に国際機関に送った機密文書のコピー」


ジェイクの動きが止まった。


「……工藤透」


「ご存じですか」


「ああ」


ジェイクはしばらく沈黙した。


「俺も彼を知っている」


エマはその反応の重さを見逃さなかった。


「ジェイクさん——あなたも彼の協力者だったのですか」


「直接の協力者ではない」


ジェイクは慎重に言葉を選んだ。


「だが——彼の名前を深層で聞かされた者の一人だ。ローレンの工房で何度か、彼の話を聞いた」


「ローレン——」


「お前も彼女と会ったのか」


「ええ。蓮さんと一緒に」


「ふん」


ジェイクは頷いた。


「繋がりが見えてきたな」


---


エマは続けた。


「父が私に渡したコピーにはミオ計画の倫理的問題とその計画を止めるために工藤透氏が世界の各機関に協力を求めていた経緯が詳細に記されていました」


「だからお前はその遺志を継ぐために東京に来た」


「ええ」


エマは淡々と頷いた。


「父が殺されたのは——この情報を私が継承することをギガ・フロート社が予感したからかもしれません。当時、私は十七歳——情報を渡すには若すぎる年齢でした。父は最後の手段として、私に託したのです」


「重い遺産だな」


「ええ」


エマはわずかに目を伏せた。


「私が東京支局に派遣されたのは二〇四七年。父の死から十二年後でした。——ようやく深層に潜入する権限を手に入れたのです」


「それで蓮を見つけた」


「はい。工藤透氏の息子。——父の遺志と私の父の遺志がようやく繋がる場所でした」


「……」


ジェイクは長く沈黙した。


そして低く呟いた。


「お前も親を失っているのか」


「ええ」


「深層には親を失った者が多い」


ジェイクは視線を焚き火に向けた。


「俺もその一人だ」


---


「ジェイクさん——あなたの、過去は」


エマは丁寧に尋ねた。


「長い話だ」


ジェイクは首を振った。


「だが核心だけ、伝えておく。——俺は元、ギガ・フロート社の研究員だった」


「研究員——」


「ミオ計画の、初期メンバーの一人だ」


エマの動きが止まった。


「工藤透氏と同じ部署にいた。だが彼が告発を試みた時、俺は彼と行動を共にしなかった」


「……それは」


「俺は臆病だった」


ジェイクは率直に言った。


「彼が死んだ後、俺は自分の選択を後悔して、深層に逃げた。それから二十年——ずっと深層で生きてきた」


「逃避——」


「そうかもしれない」


ジェイクは皮肉な笑みを浮かべた。


「だがこれからは違う」


彼は焚き火の方から視線を戻し、エマを真っ直ぐ見た。


「お前が工藤透の遺志を継いでいるなら——俺もようやく自分の役割を見つけられる」


「協力してくれる、ということですか」


「ああ」


ジェイクは頷いた。


「俺の知っている、ミオ計画の初期データをお前に渡す。——お前の報道に使えるかもしれない」


エマはその提案の重みを即座に理解した。


初期メンバーの一人による、内部証言。


これは国際的な報道において、極めて強力な証拠になる。父の遺した文書だけでは弱かった証拠が生身の証言者の協力を得ることで世界を動かす力を持つ可能性がある。


「ありがとうございます、ジェイクさん」


「まだ感謝は早い」


ジェイクは肩をすくめた。


「俺がお前を信用するためにはもう少し時間が要る。だが——お前の話を聞いて、希望が見えてきた」


彼は立ち上がり、部屋の奥の棚に向かった。


「まず、お前の体を回復させる。それから蓮の捜索と合流を考えよう」


「蓮さんの、消息は——」


「深層のネットワーク経由で確認した」


ジェイクは棚から乾燥した薬草を取り出した。


「蓮は生きている。地下湖の岸辺で父のノートと最後のチップを発見したそうだ」


エマは深く息を吐いた。


蓮は生きている。


その情報は彼女にとって、最大の希望だった。


「それからもう一人——」


ジェイクは薬草を丁寧に分けながら、続けた。


「深層の南西方向で若い少女がコア層に向かっている、という報告が来ている。深層育ちの少女ともう一人、奇妙なマナ波形の少女——おそらくお前たちの仲間だろう」


「クロとミオ」


「二人とも生きている」


エマは両手を顔に当てた。安堵——強い感情が彼女の体を震わせた。


「良かった——」


ジェイクは彼女のその姿を見ながら、低く呟いた。


「……俺たちはまだ間に合うかもしれない」


---


第31話 完

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