「幹部会議」
深夜、隠れ家の作業室。
サキは、コーヒーを淹れ直していた。彼女の左腕の包帯は、自爆現場で金属片を受けた傷だと、短い説明があった。致命傷は避けたが、完全な治癒には二週間かかる——という、職人らしい簡潔な報告。
ライアンは、隅の机で何かのデータを確認している。彼の手元のホログラム端末には、蓮には読めない暗号化されたファイルが、何枚も開かれていた。
ミオは、サキの隣の椅子に座り、初めて見るコーヒーカップを、両手で観察していた。
「飲んでみるか?」
サキが声をかけると、ミオはカップに口をつけた。
数秒後、彼女は微かに眉を寄せた。
『……苦い、です』
「だろうな」
サキが短く笑った。
「あんた、味覚が起動し始めてるね。——いい兆候だよ」
蓮はその様子を見ながら、サキに低く尋ねた。
「会議は、何時からだ」
「三十分後だ。——幹部三人、と、お前。ミオは同席させる」
「ミオも?」
「契約相手だからな」サキは皮肉に笑った。「ライアンが言ってただろう。彼女を、人間として扱うって。なら、彼女自身に交渉の席に着いてもらう必要がある」
蓮は短く頷いた。
理屈は通っている。
しかし、その理屈が通っていることが、また、少し引っかかる気もした。ジャンク・ギルドは、ミオを取引相手として認めている——それは、彼女を特別な存在として扱うことと同義だった。
ミオは、コーヒーを一口だけ飲んでから、カップを置いた。
「……同席、します」
彼女の口調が、また一段、自然になっていた。
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会議室は、隠れ家の奥にあった。
長方形の机を中心に、椅子が六脚配置されている。机の上には、簡素なホログラム投影装置と、何枚かの紙の資料——電子記録を残さない、完全アナログの取引を意図した設備だった。
すでに、三人の人物が、座っていた。
席順、入って正面:年配の男性。白髪、眼鏡。穏やかな表情だが、目の奥は鋭い。観察者の眼。
右側:中年の女性。短く切った黒髪、無骨な作業着姿。整備士の手——指先に油の汚れが染み付いている。
左側:三十代後半の男性。痩身、神経質そうな顔、片手に常に端末を握っている。情報屋の風格。
「——着席を」
白髪の男が、短く言った。
蓮、ミオ、サキ、ライアンの順に、向かい側の椅子に座った。
白髪の男が、自己紹介を始めた。
「私はラム。ギルドの評議員代表だ。崩落前は、東京大学で物理学を教えていた。——お前の親父さん、工藤透のことも、よく知っている」
蓮の動きが、止まった。
「親父を、知ってる?」
「学会で、何度か議論した。——ミオ計画の倫理について、彼は強い反対意見を持っていた」
ラムは穏やかに続けた。
「今日、君たちを呼んだのは、彼の遺志を、正しい形で継ぐための話だ」
ラムの隣の女が、口を開いた。
「——ナタリア。技術担当だ。あんたの装備、もっとアップグレードできる」
彼女は短く挨拶し、蓮を観察した。新しい装備の構想が、既に彼女の頭の中で組み上がっているのが分かった。
左側の男も、口を開いた。
「——コウキ。情報担当だ。お前の妹、藤原灯の追加情報を、用意した」
妹。
蓮の心臓が、一瞬、速くなった。
「ただし——」
コウキの目が、鋭くなった。
「取引が成立した後、開示する」
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ラムが、会議の本題に入った。
「ジャンク・ギルドは、企業に反対する技術者集団だ。崩落後、企業の倫理から外れた研究を続ける、自由な科学者の集まり。——だが、近年、状況が変わった」
彼はホログラム投影装置を起動した。
空中に、地下世界の地図が浮かび上がる。第1層から第99層、そして第0層まで。
「企業は、第0層——レイヤー・ゼロ——に到達することを、最終目標としている。理由は、お前たちも気づいているだろう。地下深部に存在する、未知のシステムを、企業が独占することだ」
「ミオ計画の、本当の目的だな」
蓮が短く言った。
「その通り」ラムは頷いた。「企業の総帥カインは、自身と一部の特権階級だけが、新世界の支配者になることを目論んでいる。それを止めるのが、我々の使命だ」
「止めるために、ミオが必要、と」
「正確には、ミオの管理者権限だ」
ラムは率直に言った。
「彼女がレイヤー・ゼロにアクセスする能力を、我々が制御下に置くことができれば、企業の計画は破綻する。——だが、お前の最初の条件通り、ミオの意志を無視した利用は、しない」
蓮は数秒、ラムを見つめた。
「……一つ、質問だ」
「何かな」
「あんたたちが、ミオの権限を使った後——彼女は、どうなる」
室内の空気が、一瞬、静止した。
ラムは、目を細めた。
「……いい質問だ」
彼は穏やかに答えた。
「率直に言えば、管理者権限の集中行使は、彼女の身体に重い負荷をかける。完全に無害ではない。——だが、我々は、彼女の生存と健康を最優先することを、契約に明記する用意がある」
「生存と健康、か」
蓮はカップに視線を落とした。
「それは、彼女の意志とは、別物だな」
「……」
ラムは、その言葉に対して、沈黙で答えた。
会議室の空気が、微かに張り詰めた。
蓮が指摘した点は、契約の核心だった。ミオの生命と健康を守ることは可能。だが、彼女の意志、感情、自由を守ることは——契約には、書けない。
なぜなら、書いてしまえば、ギルドはミオを利用できなくなるからだ。
ミオが、ふと、口を開いた。
『……一つ、提案、します』
全員の視線が、彼女に向いた。
ミオは、淡々と言った。
『私は、自分の権限を、自分の意志で行使します。ギルドの方々が、必要な時に要請を出すことは認めます。ですが、最終決定権は、私が持ちます』
ラムが、目を見開いた。
その提案は、ミオが自分自身を、人格として認識していることの、明確な証だった。
「……」
ラムは、ライアンを見た。
ライアンは、肩をすくめた。
「言っただろう。——彼女は、もう、ただのシステムじゃない」
ラムは数秒、考えてから、頷いた。
「了承する」
彼は短く言った。
「契約条項に、その項目を追加しよう。——ミオ、君の意志を尊重する」
ミオは、静かに頭を下げた。
『……ありがとう、ございます』
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会議は、二時間続いた。
契約の細部を詰め、装備のアップグレード計画を立て、移動ルートを調整した。最後に、コウキが、妹の追加情報を、開示した。
「藤原灯は、生きている」
彼は短く言った。
「現在、浮遊居住区・第四層に住んでいる。年齢、二十三歳。ギガ・フロート社の研究員として、ミオ計画関連の部署に所属している」
蓮の動きが、止まった。
「ミオ計画の部署?」
「ああ」
コウキは、ホログラム投影で、一枚の写真を表示した。
若い女性。長い黒髪、知的な眼差し。白衣を着ている。
蓮は、その顔を凝視した。
妹の幼少期の面影が、確かに、そこにあった。
だが、同時に——別人の可能性も、否定できない顔だった。
「会う方法は」
「ある」コウキが頷いた。「ただし、浮遊居住区への潜入になる。準備に、約三週間かかる」
「三週間か」
「その間、お前は深層へ潜伏してくれ。ゼノンを引き付けつつ、ミオの能力解析も並行で進める」
「深層、ね」
蓮は短く息を吐いた。
第81層以下——ノー・マンス・ランド。企業の管理が及ばない、異形の世界。
そこに、三週間、潜む。
簡単な仕事では、ない。
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会議終了後、蓮は隠れ家の廊下で、ライアンに呼び止められた。
「レン」
ライアンは無精髭の顔で、低く言った。
「一つ、お前に伝えておく」
「何だ」
「ラムの評議員代表という地位は、形式的なものだ。実権は、他の場所にある」
蓮は眉を上げた。
「他の場所?」
「ギルドの中に、もう一つ、別の派閥がある。——表には出てこない、裏のリーダーだ。今日の会議は、表の三人で十分だと判断されたが、もし状況が変われば……」
ライアンは言葉を切った。
「……裏のリーダーが、出てくる」
「そうだ」
「そいつは、何者だ」
「まだ言えない」
ライアンは短く答えた。
「ただ、気をつけろ。ラムはお前の親父の友人だが、裏のリーダーは、違う可能性がある」
蓮は数秒、ライアンを見つめた。
「……あんたは、どっち側だ」
「お前の側だ」
ライアンは、皮肉な笑みを浮かべた。
「親父さんに、義理がある」
彼は短く頷き、廊下の奥へと去っていった。
蓮は、その背中を見送りながら、低く呟いた。
「……表と裏、か」
ジャンク・ギルドは、思っていたよりも、複雑な組織だった。
彼は、ミオの待つ部屋へと、ゆっくり戻った。
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第16話 完




