表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

「雷鳴の予兆」

三日間が、静かに過ぎた。


サキのジャンク屋の二階、物置として使われていた狭い部屋を、蓮とミオの一時的な居住スペースに改造した。布団を二組敷き、古いランプと本棚、そして共有の作業机を据えただけの、最小限の住まいだった。


朝——中層の人工太陽が天井の照明から昇る時間——ミオは必ず蓮より先に起きていた。


起きるたびに、彼女は同じ手順を繰り返した。毛布を折りたたみ、コップに水を注ぎ、蓮が目を覚ますのを待つ。プログラムされた動作というには、あまりに微細なゆらぎがあった。毛布の折り目の位置が、日によって少しずつ違う。水を注ぐ時の音の強さが、試すように変化していく。


三日目の朝、蓮が目を覚ますと、ミオは窓辺に座っていた。


「……何してる」


『観察しています』


「何を」


『外を』


蓮は起き上がって、窓辺に近づいた。ジャンク屋の二階の窓からは、中層第二十層の路地と、向かいの古いアパートの屋上が見える。屋上には、誰かが植えた鉢植えがあった。枯れかけた、小さな緑。


ミオは、その鉢植えを、じっと見ていた。


「……植物か」


『水を、貰っていません』


ミオが呟いた。


『三日間、観察しています。誰も、あの鉢植えに水をやっていません。——今日の午後、あの植物は、死にます』


蓮は、彼女の横顔を見た。


その顔には、わずかな翳りが浮かんでいた。無表情とは違う、何かを感じている顔。


「……気になるのか」


『分類、不明です。ただ、データとして不快に記録されています』


「それ、感情だよ」


蓮は短く言った。


ミオは、数秒、蓮を見つめた。


『……では、何故、あの植物に、水を与えたいと、私は思うのでしょうか』


「知らねえよ。お前が、そう思ったから、だろ」


蓮はあくびを噛み殺した。


「後で、コップ一杯、持って行ってやれ。屋上は壁伝いに登れる」


ミオは、首を傾げた。


『……許可しますか?』


「許可じゃねえ。——お前が、やりたいなら、やれ」


ミオは、しばらく窓の外を見つめてから、立ち上がった。


コップに水を注ぎ、部屋を出て行った。


階段を降りる足音が、いつもより、少しだけ早いのを、蓮は気づいていた。


---


装備の点検は、サキと共に行った。


パイルバンカーは全整備。外骨格は打撃吸収パッドを追加。新型のアテロイド弾頭を十発補給。ジャマーは新品三基、予備二基を確保。


サキは全ての装備を一つずつ確認しながら、ぽつりと言った。


「ゼノン、って奴は……ヴォルグとは、格が違うよ」


「知ってるのか」


「企業時代、一度だけ、見たことがある。まだ新人ダイバーだった頃の、訓練施設での模擬戦だ。——あいつは、訓練用の機材を、本気で破壊した。『加減』って言葉を、学んでない」


蓮はパイルバンカーのシリンダーを締め直しながら、頷いた。


「加減しない、か」


「しかも、電磁使いは性質が悪い。マナ・ネットワークを磁場に変換するタイプだから、ジャマーの効きが中途半端になる。——完全には防げない」


「じゃあ、どうする?」


「距離を取れ」


サキは、短く答えた。


「近接戦に持ち込まれた瞬間、お前は死ぬ。電磁加速で動くあいつの速度に、お前のパイルバンカーは追いつけない。——ヴォルグの時と同じ戦術は、通用しない」


「……」


蓮は、シリンダーを手の中で転がした。


同じ戦術は、通用しない。


では、違う戦術を作るしかない。


だが、三日間で、どこまで準備できる?


---


その頃、アッパー東京、セントラル・タワー最上階。


浮遊居住区の頂点、ギガ・フロート社・総帥室。


広い窓の向こうには、人工浮遊ブロックと、その下に広がる再建東京の夜景が見えていた。部屋の中心、黒いデスクの前に、一人の男が座っていた。


カイン・ヴェスパー。


年齢は四十代後半。銀色の髪を丁寧に撫でつけ、黒いスーツを隙なく着こなしている。彼自身からは何のマナ波形も漏れていない——だが、それは彼が能力を持たないからではなかった。空間を記述できる彼にとって、マナの漏出すら、彼の意志で制御できるのだ。


デスクには、マリーンの敗北配信の録画が、ループで再生されていた。


カインは、無表情だった。


ドアがノックされ、副官が入ってきた。


「総帥。ゼノン・メインスタッフが、準備を完了しました」


「——通せ」


ドアが開き、一人の男が入ってきた。


身長一九〇センチ、痩身。銀髪を短く切り揃え、青い両目は底冷えするほどに冷たかった。右目の下に古い刺青——電光の紋様が、刻まれている。装備は、軽量化された企業特務服。武器は、持っていない。彼自身が、武器だった。


S級ダイバー、ゼノン。


彼はデスクの前で、短く敬礼した。


「総帥」


「——工藤蓮の捕縛、引き受けてくれるな」


「捕縛、ですか」


ゼノンは、薄く笑った。


「……捕縛、とは」


「生きたまま、連れて来い」カインは短く言った。「だが、もし生きて連れて来ることが、不可能な場合は——」


彼は、モニターのマリーンの敗北シーンを指差した。


「彼女と同じ末路を、お前の判断で、決めていい」


「……承知」


ゼノンは、再び敬礼した。


だが、彼の青い目の奥には、殺意が、既に燃え始めていた。


「総帥、一つ、確認を」


「何だ」


「——ミオは?」


「最優先で、回収しろ」


カインは無表情のまま答えた。


「工藤蓮は、どうでもいい。——ミオが、全てだ」


「承知」


ゼノンは踵を返し、総帥室を出て行った。


カインは、モニターを見つめたまま、静かに呟いた。


「……面白い男だ、工藤透の息子は」


彼の口元が、わずかに歪んだ。


「——だが、もう、遊びは終わりだ」


---


三日目の夜、蓮はミオと共に、ジャンク屋の裏口から出ようとしていた。ギルド幹部会議の場、中層第十八層の隠れ家まで、徒歩で二時間の道のりだった。


出発前、ミオは階段の途中で足を止めた。


「……どうした」


『上に、変な気配があります』


「気配?」


『マナ・ネットワークの波形が、三日前と違います』


ミオの薄紫の瞳が、微かに光った。


『中層全体の電力系統に、不自然な磁場ノイズが混入しています。誰かが、意図的に、磁場を操作しています』


蓮は、窓の外を見た。


遠く、中層第二十二層の方向——路地の奥で、青白い電光が、一瞬だけ走った気がした。


ジャンク屋のモニター画面が、軽くノイズで揺れた。蛍光灯が、三秒間だけ点滅した。


ミオが、さらに言った。


『——接近しています。速度、時速六十キロ。距離、八百メートル。方向、南東』


「……サキ!」


蓮は階下に向かって叫んだ。


サキが、作業室から駆け上がってきた。彼女の手には、非常用の閃光弾が既に握られている。彼女も、異変を感じ取っていた。


「レン、南東って言ったか?」


「ミオが感知した。——時速六十キロで接近中。多分、ゼノンだ」


「裏口から出な。今すぐ」


「サキは?」


「あたしは囮をやる。——階段を駆け上がられないように、店内を爆破する」


蓮は息を吞んだ。


「爆破? 店を?」


「この店、もう使えない。お前たちが出て行った後、あたしがここに残れば、ゼノンはあたしを狩りに来る。——なら、店ごと吹き飛ばして、逃げる時間を稼ぐ」


「サキ——」


「行け、レン」


サキは、蓮を真っ直ぐ見た。


「あんたが生きてりゃ、親父の遺志は消えない。——あたしは、後から追いかける」


蓮は、数秒、彼女を見つめた。


そして、短く頷いた。


「……必ず、追いついてこい」


「当たり前だ」


蓮はミオの手を掴んで、裏口のドアを開けた。


路地は、異様に静かだった。普段聞こえる中層の生活音が、全て消えていた。電力系統が、既にゼノンの磁場で抑え込まれているのだ。


蓮は、ミオを背負い、外骨格のブースターを起動した。


走り出す、その瞬間——。


路地の奥、百メートル先の角に、青白い電光の影が、立っていた。


蓮の動きが、止まった。


影は、長身の男の形をしていた。右目の下に、電光の紋様が光っている。男の周囲の空気が、磁場で歪んで、彼自身の輪郭をにじませていた。


男は、動かなかった。


ただ、蓮の目を、正確に見て、短く呟いた。


「——工藤蓮、だな」


蓮は、返事をしなかった。


男が、微かに、笑った。


「私は、ゼノン。——お前を、捕縛しに来た」


電光が、彼の全身に、走った。


同時に、ジャンク屋の方角で、巨大な爆発音が響いた。


サキが、始めた。


蓮はミオを抱きしめ、反対方向に、全力で走り出した。


背後で、ゼノンの声が、響いていた。


「——逃げるな」


その声が、電磁波に乗って、路地の壁という壁を、震わせていた。


---


第一章、完。


追跡の、開始。


---


第12話 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ