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「電磁の網」

路地を、走った。


ジャンク屋の方角からの爆発音は、まだ収まっていなかった。サキの仕掛けた自爆装置が、店の電気系統と連動して、第二段階の爆破を起こしている。中層第二十層の薄暗い空気が、爆風で一瞬だけ赤く染まり、すぐに灰色に戻った。


蓮は背中にミオを背負い、外骨格のブースターを全開にして駆けていた。


路地の脇には、廃車のスクラップが積まれている。


その鉄塊が、蓮が走り抜ける瞬間に、全て一斉に立ち上がった。


「——ッ」


蓮は咄嗟に身を反らした。


目の前で、錆びた車のドアが、磁力で空中に浮遊していた。それが槍のように形を変え、蓮の進路を塞ぐように斜めに突き刺さる。


ゼノンの能力。


磁力による金属操作。


路地に転がる鉄屑、廃車、配管の破片——全てが、ゼノンの武器になる。


蓮は急停止しながら、横道に入った。狭い裏路地。金属の量が比較的少ない場所を、無意識に選んでいた。


背後で、ゼノンの声が電磁波に乗って響いた。


『——逃げ切れない』


声は、四方の壁から同時に聞こえた。


『私の磁場は、この街区全体に展開している。お前がどこに走っても、鉄が、お前を狩る』


蓮は奥歯を噛み締めた。


走りながら、思考した。


ゼノンの磁場は、街区全体。距離を取れば取るほど、展開された磁場の範囲内で、敵に有利な戦場になる。


ならば——選択肢は、二つ。


一、磁場を回避できる場所へ逃げ込む。  二、磁場を強引に撹乱する。


ジャマーは、効くのか。


蓮は走りながら、腰のジャマーを一基、抜き取った。


投擲。後方の地面で、青白い光が広がる。


マナ・ネットワークが撹乱される。通常の能力者なら、これで一瞬、能力が霧散するはずだった。


だが——。


『——その手は、知っている』


ゼノンの声には、笑いが混じっていた。


『マナを、磁場に変換し直せばいい。お前のジャマーは、マナの撹乱しかできないだろう? 磁場そのものは、別系統で維持される』


蓮の背筋に、冷たいものが走った。


ヴォルグには効いたジャマーが、ゼノンには中途半端にしか効かない。


サキが言った通りだった。


同じ戦術は、通用しない。


---


路地の角を曲がった瞬間、蓮の目の前に、鉄骨の格子が立ち塞がった。


半径十メートル以内の鉄屑が、ゼノンの磁力で集束し、蓮の進路を完全に封鎖する檻を形成していた。


蓮はブースターを逆噴射し、急停止した。


戻ろうとする——だが、背後の路地にも、同様の鉄骨の壁が、既にせり上がっていた。


包囲。


蓮は、ブースターを切り、ミオを背中から下ろした。


「——お前」


短く呼ぶ。


ミオは、地面に立ち、薄紫の瞳で周囲を見回した。


『路地全体が、磁場に覆われています。マナ・ネットワークの正常な流れが、すべて捻じ曲げられている』


「ゼノンの位置は」


『約三十メートル先。路地の入口、私たちが入ってきた方向です』


蓮は息を整えた。


三十メートル。パイルバンカーの有効射程外。拳銃の精度も、磁場で歪む。外骨格のブースターで突っ込めば、鉄骨が体を貫く。


——詰みに、近い。


その時、路地の入口から、青白い電光が一歩、踏み入ってきた。


ゼノン。


彼は両手をコートのポケットに入れたまま、散歩のような速度で、蓮との距離を詰めていた。彼の周囲の空気は磁場で歪んで、彼自身の輪郭がにじむように見える。


「——時間の問題だ」


ゼノンは言った。


「お前のような無能者が、私の磁場の中で、何ができる? ジャマーは効かない。物理攻撃は鉄骨に阻まれる。距離を詰めれば、私の電磁加速で、お前は反応する前に死ぬ」


彼は二歩、進んだ。


距離、二十八メートル。


「ミオを置いていけ。——彼女だけは、生きて連れて帰る」


ゼノンの目が、ミオを見た。


冷たい青い目。だが、その奥に理解できない感情が、一瞬だけ揺れた。任務以外の何か。


蓮は、その揺れを見逃さなかった。


だが、今は分析している場合ではなかった。


「——お前」


蓮はミオに、低い声で呼びかけた。


「お前が、ヴォルグの部下を呼吸遮断で止めた、あの権限。——ゼノンには、効くか?」


ミオは数秒、計算した。


『効きません』


「効かない?」


『ゼノンの体表には、自己生成の磁場膜が常時展開されています。私の権限干渉は、マナ経由でのみ実行可能です。彼の体にマナが直接届かない以上、私の能力は届きません』


蓮は短く笑った。


「やっぱり、そうか」


ヴォルグは中堅、ゼノンは別格。


ミオの能力すら、通用しない相手。


だが、ミオは続けた。


『——ですが、別の方法があります』


「別の方法?」


『周囲の磁場を、私が一時的に乱すことが可能です。マナ・ネットワークの根幹に、管理者権限で直接介入します。——時間は、三秒』


三秒。


その単語に、蓮は反射的に微笑んだ。


ヴォルグ戦と同じ時間。


だが今度は、蓮が動く時間ではない。ゼノンの磁場が崩れる時間だった。


「やれるか」


『重い負荷が私自身にかかります。発動後、私はしばらく動けなくなります』


「俺が、お前を運ぶ」


蓮は短く言った。


ミオは、数秒、蓮を見つめた。


そして——頷いた。


命令に応じる頷きでも、確認の頷きでもなかった。


自分で決めた、頷きだった。


---


ミオの薄紫の瞳が、強く光った。


今までの観測モードの淡い光ではない。直接介入する時の、強烈な発光。


その瞬間、路地全体の鉄骨が、一斉に重力に従って崩れ落ちた。


ゼノンの磁場が、強制的に撹乱された。


彼の周囲を覆っていた磁場膜も、一瞬だけ、剥がれ落ちた。


『——何……ッ』


ゼノンが、初めて、声に驚愕を混ぜた。


彼は咄嗟に右手を上げた。再び磁場を集束させようとする——だが、マナ・ネットワーク自体が、ミオによって支配されている今、彼の能力の集束に通常の三倍の時間がかかっている。


残り、二秒。


蓮は動いた。


ゼノンに突撃するのではなく——反対方向に、全力で逃げた。


ミオを抱きかかえ、外骨格のブースターを全開。鉄骨が崩れた新しいルートを、強引に駆け抜ける。


ゼノンの磁場による束縛から、物理的に距離を取る。それが、蓮の選んだ勝利条件だった。


勝つためではない。生き延びるため。


——逃げ切れば、勝ち。


そう判断していた。


『待——』


ゼノンの声が、後方で響いた。


だが、彼の磁場が再構成された頃には、蓮は既に路地三本分の距離を、走り抜けていた。


残り、〇秒。


ミオの能力の効果時間が、終了した。


少女の体が、蓮の腕の中で力を失った。意識は失っていないが、全身が動かない。マナ・ネットワークへの強制介入の、反動だった。


「すまん、お前——」


蓮はミオを抱え直しながら、走り続けた。


ゼノンの磁場は、再展開されている。だが、距離が取れた今、完全な包囲は崩れていた。蓮は中層第二十層の、最も狭い裏路地網を選び、金属が少ない区画を縫うように走り続けた。


十分後、彼はようやく、廃ビルの一角に滑り込んだ。


---


崩れかけた、二階建ての廃ビル。


元は中層住民向けの集合住宅だった建物。今は、住人が引き払い、完全に放棄されている。中層特有の苔と埃の匂いが、廃墟全体に染み付いていた。


蓮はミオを、二階の部屋の床に、そっと寝かせた。


彼女の呼吸は、浅く、速かった。瞼が閉じ、銀白色の睫毛が、僅かに震えている。意識は朦朧としているらしい。


「……ミオ」


蓮は、初めて、彼女の名前を呼んだ。


応答義務を発動させてしまうことを、知っていた。だが、今は、それでも、呼びたかった。


『……応答……し、ます』


ミオの声は、弱々しかった。


『……指示は、ありません……ね?』


「ない。——休め」


蓮は短く言った。


「お前が動けるようになるまで、俺がここを守る」


ミオは、ゆっくりと目を閉じた。


数秒後、彼女の呼吸が、徐々に深くなった。眠りに落ちた——人工的な存在には、不要なはずの、自然な睡眠。


蓮は廃ビルの窓から、爆発したジャンク屋の方角を見た。


遠くで、まだ黒煙が立ち昇っている。だが、サキ自身の安否は、ここからは見えなかった。


——生きているのか。


蓮は窓枠に手をついて、低く呟いた。


「サキ……」


答える者は、いなかった。


彼は、パイルバンカーを傍に置き、一晩の見張りを始めた。


夜の闇の中で、廃ビルの外壁を、遠くの電光が、時折、舐めるように走った。


ゼノンは、まだ、諦めていなかった。


---


第13話 完

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