「ジャンク屋の真実」
第四十層からの帰路は、液体窒素の後始末で意外と時間がかかった。
現場に残された取り巻きたちと凍結したマリーンは、企業の救助部隊が到着する前に蓮たちが離脱する必要があった。蓮は全装備の微調整と、痕跡の最小化を行いながら、ミオを連れて四十層の外縁部を二時間かけて歩き抜いた。
サキのジャンク屋に戻ったのは、中層の人工太陽が再び沈んだ後——中層時間で夜十時過ぎだった。
裏口の三回ノック。
サキはすぐに出てきた。
「……よく生きてたね」
彼女は短く言い、蓮の肩の裂けたコートを見てから、視線をミオに移した。
「そのガキ、元気そうだね」
『応答できます』
ミオが反射的に答えると、サキは眉を寄せた。
「あたしが聞いたんじゃなくて、この男に聞いただけだよ」
ミオが、小さく、首を傾げた。
その仕草が、以前よりも自然だった。サキはそれを見逃さず、目を細めた。
「……まあ、中に入りな。医療スキャナーに両方、通してやる」
蓮は頷き、ミオと共に店の奥へ入った。
---
作業室の奥には、古い医療スキャナーが設置されていた。
企業時代のサキが、退職時に密かに持ち出した最上位機種。普通の闇市場では手に入らない、精密な生体・マナ診断装置だった。
蓮は先にスキャンされた。
画面には、蓮の全身データが映し出される。右肩の腱損傷、軽度の脱水、アテロイド弾頭の反動による前腕の打撲。どれも致命的ではない。
「……連射しすぎだよ、お前」サキがため息をついた。「肩の腱、一ヶ月は安静にしな」
「覚えとく」
蓮は機械から降りて、次にミオを呼んだ。
少女はスキャナーの台に座り、蓮が促すままに静かに横たわった。作業着を着ているサキが、スキャナーの操作パネルを叩き始める。
スキャン開始。
——三秒後、警報が鳴った。
「……なんだ?」
蓮が身を乗り出す。
サキの顔が、急速に険しくなっていた。彼女はパネルに表示された数値を、二度、三度、確認し直している。
「……レン、これ見な」
画面には、ミオの生体データが表示されていた。
心拍数、呼吸数、体温、血圧、脳波——一部は人間と全く同じだった。だが、下に表示されているデータが異常だった。
マナ波形:管理者クラス。
細胞構造:人工複製型/基材は実在個体(複数)。
識別番号:MIO-0712/プロジェクト内ID:ジェネシス七号。
蓮は息を止めた。
人工複製型。
基材は実在個体(複数)。
画面の下の方には、さらに小さい文字で、こう表示されていた。
『基材Aの採取年:2029年/基材Bの採取年:2030年/基材Cの採取年:不明』
2030年。
蓮の父が「事故死」した年。
そして、2029年。蓮の妹が、突然家族の前から姿を消した年だった。
サキは、蓮の表情を見て、小さく息を吐いた。
「……気づいたか」
「……サキ」
「分かってるよ」彼女は目を伏せた。「ただ、基材が複数ってことは、ミオは一人の誰かじゃない。複数の少女の意識データを、合成して作られた存在だ。——『妹そっくり』だとしても、『妹』じゃない可能性も、十分ある」
蓮は画面を凝視した。
論理では、サキの言う通りだった。
だが、心のどこかで、それでも、と呟いている自分がいた。
---
蓮は深呼吸をして、話題を変えた。今は感情に流されている場合ではなかった。
「スキャン、他に何か分かったか」
「ああ」サキは別のタブを開いた。「この娘、身体機能の再構築がまだ完了してない。生体としての経年が、約三年分、遅れてる。カプセルの中で、長期間、成長を止められていたんだろう」
「成長を止める? そんなこと、できるのか」
「企業が本気を出せばね。——ただ、今は止まった成長が再開してる。あと数週間で、本来の年齢相当の身体に追いつくはずだ」
蓮はミオを見た。
ミオは台の上で、スキャナーのモニター画面を、無表情のまま見上げていた。自分自身のデータを、他人のことのように観察している顔。
「……お前、こういう自分のデータを見て、何も感じないのか」
ミオは数秒、考えた。
『……今、私は不快に分類される反応を、身体内で検出しています。胸部に圧迫感、指先に軽度の震え。——これが、何かの情動である可能性が高いです』
「怒りか?」
『いえ、該当しません。恐怖に近いですが、対象が明確ではありません。……空虚感という感情の、初期症状かもしれません』
蓮は短く息を吐いた。
この少女は、自分が何者かを見た瞬間、初めて空虚感を覚え始めた。合成物という言葉の重みを、肌で感じ始めている。
「降りろ。続きは飯を食いながら話す」
蓮はミオに手を差し出した。
少女はその手を、初めて自分から、掴んだ。
---
サキが用意したのは、簡素な夜食だった。缶詰のスープとパン、そして中層産のコーヒー。蓮は黙々と食べ、ミオは初めての食事を、動きを蓮に真似しながら、小さく口に運んだ。
食事の間、蓮は店の奥の棚に目を向けていた。
棚の上段に、古い写真立てが置かれている。
サキの店に来るたび、蓮はそれを横目に確認していた。写真立てには、父の残した唯一の家族写真が飾られていた。二〇二五年頃——蓮が十二歳、妹が八歳の頃、最後に家族四人で撮った写真。
蓮は食事を終えてから、写真立てを棚から取って、ミオの前に置いた。
ガラスの中の、色褪せた四人の笑顔。
「……これ、見てくれ」
ミオは写真立てを両手で持ち、じっと見た。
薄紫の瞳が、写真の人物たちを一人ずつ、数秒ずつ、確認していく。
父。母。兄の蓮。そして——妹。
ミオの視線が、妹の顔に止まった。
三秒、五秒、十秒。
蓮は、その間、息を止めていた。
やがて、ミオは口を開いた。
『……データ照合:失敗』
「……失敗?」
『この少女の顔データは、私の内部記録に該当しません』
蓮は一瞬、気を抜きそうになった。
——該当しない。
つまり、ミオの基材の中に、妹は含まれていない。少なくとも、顔認証レベルでは一致しない。
だが、次の瞬間、ミオは続けた。
『ただし——心拍パターンとマナ波形が、既知のプロファイルの一つに、一部一致しています』
「……心拍パターン」
『この少女と、私のうちの基材Aの人物が、血縁関係にある可能性があります』
蓮は、椅子の背もたれに、体を預けた。
——血縁関係。
妹ではない。しかし、妹の血縁。
つまり、ミオを構成する素材の一人は、蓮の妹と、血が繋がっている誰か。
それは、妹自身かもしれない。
あるいは、妹とは別の、家族の誰かかもしれない。
曖昧なままの情報。だが、糸の端だけは、確かに、蓮の手に残った。
蓮は写真立てをゆっくり元の位置に戻した。
「——サキ」
「なんだい」
「妹の、消息を調べたい」
サキは短く頷いた。
「ジャンク・ギルドに、調査を回させるよ」
「頼む」
「ただし、向こうの条件を飲む必要がある」
蓮はコーヒーを一口飲んだ。
「分かってる」
---
夜が、更けた。
サキは客用の簡易ベッドにミオを寝かせ、毛布を二重にかけた。少女は眠るという行為を知らなかったが、サキに促されて目を閉じると、数分後には静かな寝息を立て始めた。
身体が、眠りを覚え始めている。
蓮はカウンターの席で、コーヒーを啜っていた。サキは彼の向かいに座り、自分のマグカップを両手で包んでいた。
沈黙が、続いた。
やがて、サキが口を開いた。
「……レン」
「ああ」
「あの娘を、そのまま置いていけ、と言ったら、どうする」
蓮は短く笑った。
「断る」
「……だろうね」
サキは目を伏せ、コーヒーを一口飲んだ。
「あたしね、ずっと迷ってたんだ。お前をジャンク・ギルドに紹介するかどうか。——あいつらは、お前の親父の遺志を継ぐと言ってる。だが、実態は、ただの利用だ」
「利用、か」
「あの娘を手に入れれば、企業の心臓部に穴を開けられる。ジャンク・ギルドの目的は、そこだ。お前が背負うべき親父の仕事とは、方向が違うかもしれない」
蓮はカウンターに視線を落とした。
「……サキは、どう思ってる」
「分からない」
彼女は短く答えた。
「でもね、お前と、あの娘——二人で決めるべき道だと思うよ。ギルドの筋書きに沿うんじゃなく、お前たち自身の筋書きで進むべきだ」
蓮は、長く息を吐いた。
その時だった。
店の裏口の方から、小さなノック音がした。
三回、短く。それから、二回、長く。
サキの顔が、一瞬で緊張した。
「……サキ、これ、誰の合図だ?」
「……ライアンだ」
蓮は目を上げた。
「ライアン?」
「元ダイヤモンド・ダイバー、ライアン・コール。——ジャンク・ギルドの使者として、たまに店に来る男だよ」
サキは立ち上がり、ドアに向かった。
蓮もコーヒーを置き、パイルバンカーの位置を確認した。
——謎の男が、動き始めていた。
---
第10話 完




