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星が近づく世界  作者: 藤苺めぇ


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6/7

接触

夜はさらに深くなっていたが、暗くはなかった。空が明るすぎたからだ。星の光が異様な強さで地上を照らし、街灯の役割を奪っている。影は濃く、輪郭は不自然なほどくっきりと浮かび上がっていた。現実の夜ではない。どこか別の場所にいるような感覚が、ずっとまとわりついている。


沙紀の車は、細い道路を走っていた。幹線道路を避け、なるべく人の少ない道を選んでいる。それでも完全に安全とは言えなかった。道路にはひびが入り、ところどころでアスファルトが盛り上がっている。スピードを出しすぎれば、すぐに制御を失う。


車内は静かだった。


エンジン音と、タイヤが路面を擦る音だけが続く。ラジオは切っていた。あの通信を聞いてから、誰も音を入れようとしなかった。


蒼は助手席で、ずっと窓の外を見ている。視線は落ち着かない。何かを探しているわけではない。ただ、じっとしていると不安が膨らんでくるから、無理やり外を見続けている。


美月は後部座席で小さく体を丸めていた。さっきからほとんど喋っていない。時々、息を深く吸い込む音が聞こえる。泣くのを我慢しているのが分かる。


沙紀は前だけを見ていた。ハンドルを握る手は安定しているが、頭の中は休まっていない。あの男の言葉が、何度も繰り返し浮かぶ。


観測対象。


管理下。


あれは脅しじゃない。事実をそのまま告げているだけの声だった。


「……ねえ」


蒼が口を開く。


「さっきの人たちって、何なんですか」


沙紀はすぐには答えない。言葉を選ぶように、ほんのわずかに間を置く。


「たぶん」


短く息を吐く。


「知ってる側の人間」


蒼は眉を寄せる。


「知ってるって……この状況のことを?」


「全部かどうかは分からない。でも」


沙紀は視線を前に固定したまま言う。


「少なくとも、私たちよりは」


その言葉の重さが、車内に沈む。


知っているのに、何も言わない人間がいる。


それだけで、世界の見え方が変わる。


蒼は小さく呟く。


「……じゃあ、なんで隠してるんだろ」


答えは出ない。


そのときだった。


道路の先に、影が見える。


一人。


真ん中に立っている。


さっきと同じような構図。


沙紀の目が細くなる。


「……また」


アクセルを少し緩める。


だが今回は、男だけではなかった。


その後ろ。


もう一人、立っている。


細い体。


肩までの髪。


風に揺れている。


蒼の呼吸が止まる。


「……あれ」


理由は分からない。


でも、目が離せない。


見たことがある気がする。


どこでかは思い出せない。


それでも、強く引っかかる。


沙紀が低く言う。


「避ける」


ハンドルを切ろうとした瞬間。


女が一歩前に出る。


動きが、異様に速い。


次の瞬間、道路の中央に立っていた。


完全に進路を塞ぐ形。


ブレーキを踏む。


タイヤが鳴る。


車体が大きく揺れる。


ギリギリで止まる。


衝突まではいかなかった。


でも、距離はほとんどない。


女がこちらを見ている。


感情のない目。


まっすぐに。


蒼の背筋が冷える。


ドアが開く音。


気づいたときには、蒼は外に出ていた。


自分でも分からない。


なぜ降りたのか。


ただ、あの目から逃げられない気がした。


夜の空気が重い。


星の光が強すぎる。


現実感が、さらに薄くなる。


女――ミオが、ゆっくりと口を開く。


「あなたたちは」


一瞬、言葉が途切れる。


その間に、ほんのわずかな違和感が混じる。


だがすぐに続く。


「観測対象に指定されています」


蒼は何も言えない。


ただ見ている。


どこかで確信している。


この人は危ない。


でも同時に、どこかで知っている。


矛盾した感覚が胸の中でぶつかる。


「ここで止まってください」


ミオが言う。


声は静かだった。


命令なのに、怒気がない。


ただ事実を伝えているだけのような声音。


沙紀が車から降りる。


蒼の横に立つ。


「止まったらどうなるの」


ミオは答える。


「保護されます」


一瞬の沈黙。


その言葉の意味を、全員が理解する。


保護じゃない。


管理だ。


「拒否した場合は」


ほんのわずかに、ミオの目が揺れる。


それは本当に一瞬だった。


見間違いかと思うほどの微細な変化。


それでも、確かに揺れた。


「排除します」


その言葉が空気を変える。


美月が車の中で息を呑む音がする。


蒼の心臓が強く鳴る。


でも、不思議と体は動かなかった。


怖いのに。


逃げなきゃいけないのに。


目の前の存在から、目が離せない。


そのとき。


空が歪む。


全員が同時に上を見た。


星の向こう。


さらに奥。


空間がねじれるように、渦が広がっている。


黒でもない。


光でもない。


ただ、存在してはいけないもののような“歪み”。


見た瞬間、理解できない感覚が脳に流れ込む。


遠い。


近い。


大きい。


小さい。


すべてが同時に存在しているような矛盾。


蒼は膝をつきそうになる。


「……なに、あれ」


声が震える。


ミオも空を見ている。


その表情が、初めて変わる。


ほんのわずかに。


ほんの少しだけ。


「……近い」


それは独り言だった。


誰に向けたものでもない。


任務とも関係ない言葉。


その瞬間。


ミオの中で、何かがずれる。


記憶ではない。


もっと深い部分。


消されていたはずの“感覚”。


胸の奥に、わずかな引っかかりが生まれる。


なぜか分からない。


でも、はっきりと違和感だけが残る。


その隙。


ほんの一瞬。


沙紀が動く。


「乗って!」


鋭い声。


蒼の腕を引く。


車に押し込む。


ドアが閉まる。


アクセルが踏み込まれる。


車が急発進する。


ミオは動かない。


追わない。


ただ、その場に立ったまま。


遠ざかる車を見ている。


その目は、さっきまでと少し違っていた。


完全に無機質ではない。


ほんのわずかに、迷いが混じっている。


空の歪みが、さらに広がる。


星が、また一段と近づく。


世界は、もう戻れないところまで来ていた。

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