1-23 とある二人の後日譚
「しくじったな、シンフォニー。魔王軍幹部を捕縛する千載一遇のチャンスを、みすみす逃すとは」
「……返す言葉もありません」
部下に肩を持たれ、眼帯を頭に巻いた、見るも無惨なカフカは言葉を詰まらせていた。
生きるか死ぬかの瀬戸際を彷徨っていたばかりなのに、説教を浴びせられる彼女は、何も知らない目の前の教皇に立腹していた。
だが態度には出さない。刃向かえば確実に首が飛ぶ。
「おい。魔王軍の最新情報を出せ」
「はっ。魔王軍の集団はラップランドを占拠した後、北方へ進軍を進めましたが、常冬の森で転送魔法の展開を我々が感知した後、姿を消しました」
カフカの裏から姿を見せた教皇の伝令らしき男が、淡々と紙を読み上げていく。
「また転送魔法か……。魔王めが、禁忌魔法をここぞとばかりに乱発しやがって……! それで、転送先の見当はついているのか」
「まだ、何も。フレゼリシア近辺を徹底的に捜索させていますが……」
「本当に、見落としがないと言えるのか?」
「大きな洞窟から、小さな蟻の巣まで何日もかけ、何百人も動員して捜索しましたが、特に収穫はありません」
妙だ、とカフカは思った。
ラップランドを占拠し、フレゼリシアには手を出さず撤退?
大陸各地で起こる魔王軍との小競り合い程度であれば、そのようなこともあった。
だが、今回は幹部クラスの強者が直々に出てきたのだ。しかも、冒険者として、幼気な少女として潜伏して。
「有り得ません。幹部が関わってきたのに、ラップランドを落とした程度で満足するはずが」
「簡単だろう。お前を殺しかけた奴が、幹部でなかったというだけだ。今回もアスランや他国でよく起きる悶着と同じように、攪乱目的で攻めてすぐ撤退した。お前が戦ったのはただの下っ端だ」
カフカと戦ったあの女が魔王軍幹部という報告を、一度は信じていたというのに、この男は今までの固定観念に囚われてしまっている。どう説得したものか。
「サナトスが、ですか」
「は?」
「あの女は、間違いなくサナトスでした。龍属性の魔晶を巧みに扱い、街を覆うほどの魔法陣を展開させ、驚異的な身体能力で私と渡り歩き、さらには羽が生えた! 信じてください。サナトスの女が、冒険者として人間界に溶け込んでいるんです。魔王軍として人間を虐殺するだけでなく、五年前のあの事件を人間に思い出させるために!」
教皇に迫って艶の入った木製の机を叩けば、まだ体が痛む。それでも体を奮わせた。絶対、納得させてやる。
だが白ひげの男はカフカの主張を聞いて、一瞬沈黙してから高笑いした。
「うっはははは! おいお前ら聞いたか? サナトスと言ったぞ。今この女が」
「……陛下。冗談を言っているつもりは――」
「五年前に死んだ亡霊が魔王軍幹部として生きていて、お前と剣を交えたと? 喜劇として演じたら、少しは稼ぎになるんじゃないか? はははっ!」
鎧を身にまとった教皇の私兵たちも、カフカを見て笑い合っている。
東方遠征を成功させた立役者の英雄様が、今では狂言を撒き散らして笑いものになると、誰が考えただろうか。
「北方遠征軍団長を辞めて劇作家とは! いい余生の過ごし方ですな!」
「お言葉ですが軍団長様! サナトスは龍族だから魔族ばかりの魔王軍に入るという設定は不自然だと思いますぞぉ! はっはは!」
ここに味方はいなかった。
カフカの肩を持っている新人の部下――フィエラは、気遣わしげに双眸を覗き込ませ、次に笑い合う周囲の私兵たちを見た。
「皆様! これはあまりにも――」
「もういい、フィエラ。行こう」
「カフカ様……」
「シンフォニー、ふざけた狂言を吐くのは自由だが。北方遠征は必ず成功させろ。これは私とアスラン王からの命令だ」
「……御意」
フィエラとカフカは、大扉を抜けて教皇庁の廊下をゆっくりと歩いた。
上質な床を、二人は見るだけだった。
「……フィエラ」
「はい。何か」
「もし私が見たもの全て、夢だったら。陛下やあの連中の言うように、全て私の妄想だったら。神は私を、見放すかな」
「……妄想なんかじゃありません。フィエラもあのとき、いましたから。あの女の仕業です。全部、全部」
「そうよね……私、間違ってないわよね……」
「もちろんです……! フィエラ、あいつに復讐したいです! カフカさんをこんな目に遭わせたあいつを――うわぁ!」
フィエラは段差に足をとられてつんのめった。転倒まではいかなかったが、危うく怪我人を投げ出すところだった。
高い悲鳴と低い呻き声が重なり、橙色のボブヘアとブロンドがゆらりと靡く。
「ご、ごめんなさいっ! 熱くなって、つい……!」
「……っ。大丈夫よ、少し痛いけど……。ふふっ、変わらないわね、フィエラは。あの頃から、ずっと」
大陸全てのゲネラリス教会を統括する教皇庁は、その規模に恥じない荘厳なロマネスク様式の建築であった。
ラテラノの古風な大通りに出れば、行き交う人々が皆笑顔で首から銀の十字架を引っさげ、歩いている。
教皇を敵視する者はいない。主流派の宝庫だった。
ある人に聞けば不気味と蔑視し、ある人にはまるで天国に見えると評される。
カフカにしてみればここが家のようなものだった。
アスランに教皇領の周囲を破壊され尽くしても、ここはゲネラリスの聖地であるから保護された。
ラテラノを征する者が世界を征す。鬣を逆立てた西方の獅子が、虎視眈々とこの地を狙おうとしているのだった。
教皇はあの国王と仲良しごっこをしている場合ではないのに。
そんな文句を、教会に陶酔するフィエラや雑踏の中で言えるはずもなく。停止している馬車の中に押し込まれた。
「ごめんなさい……。こんな調子で」
「謝らないでください! きっと、すぐ治りますよ」
「そうだといいけれど。……出してちょうだい」
豪奢な馬車は悠々と計画都市を貫く煉瓦造りの大通りを闊歩し始めた。
「それで、この後はどこに……」
「……待機中の軍をフレゼリシアに進めましょう。未開拓の、氷の大地に我らゲネラリスを伝道し――」
フィエラの顔が、みるみる晴れやかになる。
心酔する宗教と英雄が同じ道を歩み、北方で交わる。
「奴を――サナトスを殺す。主がそれを、望んでおられる」
「――じゃあ、弟たちをよろしくお願いします」
「えぇ。でも、本当にいいの? こんなところでお別れなんて」
難儀な顔をする保母を前にして、シアは決意を瞳に宿していた。
エルと共に面倒を見た、弟たちの姿を見る。馬車の荷車に乗って、不思議そうな目でこちらを見ていた。
ラップランドに異形の兵士たちが降ってきた後、全速で街から逃げてきた。全ては弟たちを守るために。自分の命なんてどうでもよかった。
それでも幸運だった。一度も相対することがなかったから。
家を失ったこの子たちに為せることと言えば、新しい家を提供することだけ。
でもその家に、シアはいない。
「少し、弟たちと話してきてもいいですか」
「もちろん。気が済むまではなしてきなさい」
そんなこと言われたら、日が暮れるまで話してしまいそうだ。
馬車へ歩いて行った。
弟たちはひょこっと顔を出して、シアを見上げる。
「姉ちゃんは一緒に行かないの?」
「……ごめんクリス。ボクは行けないんだ」
「どうして?」
溢れ出る涙を、ハグしてやりたい気持ちを抑えた。
荷車の木材を握る力が、秒を重ねるごとに増していく。
「ボクは、エルと約束した場所に行く。夢を叶えるためだよ」
「もう会えないの?」
たった一人、一番幼いクリスの素朴な疑問が、シアの涙腺を破壊した。
それを隠すように、小さな体の彼らを一気に抱きしめた。
「会えないなんて、言わないで。お前たちが夢を叶えたときに、きっと、また会えるよ。だからそれまで、エルとボクを忘れないで。主の福音を、忘れないで」
返事を待つことなく、馬車から離れた。恋しい彼らの顔を振り返らず、涙を隠した。
地面を向いていると、嫌でも草の葉にそれが零れた。
「もう、行きます」
「行ってらっしゃい。頑張ってね、シアちゃん」
深緑のショートヘアを僅かに揺らして、シアは立ち去った。
見知らぬラパンから受け取った期待を胸に、太陽の照る方向へ向かった。
故郷であり、灼熱と金色の溢れる砂の大地。メロイア。
かつて古王国で栄華を誇った国王の祀られた、特徴的な逆さまのピラミッド。
金色竜と人間の戦争で大地に刻まれた古傷だった。
その傍らに、円形のオアシス都市があった。
高層の建物こそないが、白い煉瓦造りの建物が無数に鎮座している。
中心にはモスクが目立ち、放射状に道が延びていた。
シアの故郷であり、ファデーラ朝メロイアの都たる、カーヒラであった。
「ただいま」
砂風の中をエルフの少女は歩いていた。
「絶対夢を叶えて、エルもミミリーも驚くような凄い女優になってみせるよ。天国から見てて。ボク、やってやる」
その独白が虚空に落ちた。
目先に見える踊り子と劇団の街で、奔走する自分を夢見ながら。




