1-22 一緒に行こう
二人は朝焼けと壊滅した街を背にし、北へ歩いていた。
エルが死んで絶望にくれていた時とは違い、横並びで歩いていた。
互いの華奢な小指が、少し触れ合うそんな距離感で。
猫耳とそれを凌駕する長さの兎耳が、どちらもピンと張っていた。
リラックスなんかできなかった。どちらも自分の心臓がうるさかったんだ。
「歩きで行ったらどれくらいかかるの?」
「ぶっ通しで歩いて三日と言ったところでしょうか。そこまでかかりませんよ」
「ラパンの脚力を基準に考えないでくれる?」
「えへへ……そうでした……」
ミミリーは兎耳をへにゃりと折り曲げて、苦笑いした。
「……リィナさん」
「なに」
「昨夜のあれって、やっぱり魔王の指示なんですか」
「……受け入れてくれるって言ったのに」
「ち、違いますっ! ただ、知りたいだけで」
「……まぁ、そうだよ。魔王様は、魔族だけの世界を目指してる」
「魔族だけの、世界」
想像しただけで悪寒がしたのだろう。顔色を悪くしてリィナの右腕に縋り付いた。
「正直、人間を全員殺す意味はないと思う。……だけど、あたしがそうしたいからしてる」
「復讐、のためですか」
「そう。利害が一致したから、協力してる」
「〈八龍〉の復活。とも言ってましたよね、リィナさん」
魔族が台頭する世界も、〈八龍〉の威光が差す世界も、どちらも共通して人間支配の脱却が求められる。
まずは列強の中でも比較的小国のフレゼリシアから滅ぼし、最終的に超大国のアスランへ。と、魔王の計略は非常に単純明快。
そしてその滅ぼしていく道筋。すなわち七列強には、かつて大地を統べた最強の龍たちが眠っている。
大陸を旅してきたミミリーなら、身に沁みてわかっただろう。これから二人で旅する国々全てが、昨夜のラップランドのように滅ぼされる。それどころか、龍災で秩序がまるまる変わってしまう。
「その刻が来たら私も。……殺すんですか」
「どうかな。こう見えてあたし、意志弱いから」
「……説得力ないですよ」
ふふ、と二人は微笑んだ。
「決めたことは、今更やめる気ない。それでも……」
「それでも?」
――揺らいでいる自分がいる。
なんて言ってしまったら、格好つかないな。
「必要がなかったら、殺さない。そもそも人間以外殺す理由ないから」
「必要があったら……」
「……そもそもあたし、二度も見逃した相手を殺せるのかな」
ズコッと、前のめりになったミミリー。「何ですかそれ!」と突っ込んだ。
「もしあたしがしくじったら、あんたがあたしを殺して」
「は……?」
柄にもなく敬意の一欠片も含まない返事をした彼女は、まず自分の耳を疑った。
そして自然に、涙が出た。滝のような涙が。
泣きながら呆然と立ち尽くすミミリーに振り向いて、リィナは声かける。
「冗談じゃん。本気にしないでよ」
「冗談でも、そんなこと言わないでください」
拳を握って、一息。
「自分で言うのもおかしいかもしれませんが、リィナさんが思っている以上に、私は貴女を尊敬しているんです! いつの日か貴女みたいに強くなって、いつの日か出会う、私だけじゃ越えられないような壁を乗り越えて、二人で一緒に最強の冒険者になりたいんです」
「……ごめん。そんなに怒るなんて」
「怒ってませんっ! ……リィナさんが変なこと言うから」
「そんなに変かな。いつも最悪を想定してるだけだよ」
「最悪すぎるんですよ! 私たちは冒険者です。行き当たりばったりでいいんですよ」
涙を拭って、再び歩き出す。白妙の雲を二人で眺めて。
リィナはミミリーの背中を見ていた。生真面目な性格のようで、場当たり的なのか。それとも、無理してそうあろうとしているのか。
見習うべきなんだろうな。こういう、気楽な性格も。
「それ、さっきも言ってた。……行き当たりばったりでいいのかな」
「……私にとってはリィナさんについて行けるだけで夢のようなんですから。今は今のことだけを考えさせてくださいよ」
「はいはい。もう変なこと言わないよ」
細やかな指で手遊びしながら、リィナは眠そうに歩いている。
スキップしながら歩く溌剌としたミミリーと違って、昨夜は一睡もしていないのだ。
まずミミリーが寝た後に彼女を姫抱きして大荷物と一緒に商人へ預け、城壁の頂上に登り転送魔法で魔王城に出向き腹立つ二人と話して、それから街を一つ滅ぼし。今に至る。
彼女を先に馬車へ乗せたのは、ばかばかしい運命に巻き込まれて死んでほしくないからだ。復讐もできず志半ばで他界なんて、少なくともリィナの望んだ結果じゃない。それでも彼女は、自分からその運命に片足を突っ込んだ。不本意とはいえ。
「そういえば」とミミリーを見て。
「馬車から飛び降りて街まで戻ってきたの?」
「違います! さすがにあの速さで飛び降りたら私でも怪我しますよ! ……商人さんが親切で良かった、です」
「なるほど、下ろしてもらったんだ」
「はい! ちょうどあのあたりで……あれ?」
薄明の空の下で、木製の馬車につながれた二頭の馬車に餌をやっている中年の男が、こちらを見て手を振っていた。
「……あ、あたしがお金渡した人だ」
「待っててくれたんだ……! 行きましょ、リィナさん! ……殺さないでくださいよ?」
「殺さないよ。少なくとも今は」
ミミリーも大きく手を振りながら、男のもとへ駆けていく。
「商人さんっ! もしかして、一晩中ずっとここに……?」
「すまない。ギルドに届けるって、約束したのにな。……怪我はないか」
彼女がブンブンと首を横に振ると、長い耳が弾け飛びそうになる。
「いいんですっ! それより、待ってくれていたお礼を……」
「そんなものいらん。とにかく乗れ」
「は、はい……」
「……ありがとう。」
男は荷台前方の椅子に座り、手綱を握った。気遣わしげに、荷台後方の二人を振り返る。
「いいか、出発するぞ」
返事を待たずして、馬車はゆっくりと前進し始めた。木製の車輪は、ごろごろと音を立てながら轍を草原に残していく。
「……お礼って、何も持ってないくせに」
「……っ! リィナさんだって、この馬車に全財産注ぎ込んだくせに!」
「あたしはちょっと残してます〜」
「言っときますけど、フレゼリシアの宿は結構高いんですからね! 他の国とは技術が違いますから技術が」
「……そうなの?」
「そうですよっ! もうっ!」
「……まぁ、ギルドには預けてるから。あんたもあたしも」
「せっかくした貯金がぁぁぁ……」
「行き当たりばったりで行くって言ったのはあんたでしょ」
「それとこれとは話が別なんですよ!」
手綱を引く男は後ろから聞こえてくる二人の声にふっ、と鼻を鳴らす。仲が良いのは素晴らしいことだ。
ではなぜ、キャシーの少女はあんなことをしたのか。
守りたかったのか、あの襲撃から。
予見していたとは思えない。あんな、ただの少女が。
しかもあの二人が来るまで、生存者と思われる者が男の前を通ったのは数回程度だ。
早いうちに襲撃を察知して逃げてきたのであろう人々だった。
夜がふけると、人の気配はなくなっていったのだ。
もうミミリーはとっくに死んだだろうと、馬に餌をやって出発しようと思ってたところに、二人は現れた。
見たところ無傷で。
それもあんな襲撃がなかったかのように二人で笑い合っている。
状況がわかっていないほど愚鈍なのか、それともあれ程では怖気づかない強者なのか。
考えれば考えるほど現実味がなく、ついには考えるのをやめた。
今はこの二人を、無事にフレゼリシアへ送り届けるのが先だ。
彼女たちがそこで生きるも死ぬも、この道中で事故や雪崩にでも巻き込まれたら本末転倒だ。
進めば進むほど、泥砂の道に雪が混じっていく。
すっかり寝てしまったリィナの口から、小さな白い息が出始めた。
膝上で寝息を立てるリィナの頭を優しく撫でながら、ミミリーは微笑んでいた。
艷やかな、若々しいリィナの頬を撫でる。目尻から伸びる、桃色の肌を擦ると、まるで新芽に触れているかのような感覚に襲われた。
あの人には、似ても似つかない。
ときより見せる強さしか、同じじゃない。
――私、死ぬほど辛かったんですからね。ここで起きたとき、貴女がいなくて。
あの人が――フローラが姿を消したときも、同じだった。
夢から醒めたとき、いつも隣にいたはずのフローラがいなかった。
十五になったばかりのミミリーをただ一人置いて、どこかへ行ってしまった。
今生の別れなんて、もう二度としたくない。
もう二度と、貴女を離さない。
……それにしても。
――どうしてリィナさんに、フローラさんを重ねてしまったんだろう。
「――こいつぁ、まだガキでっせ。しかもラパン。すばしっこいだけで、スプーン一つも運べやしない。まぁ、奴隷としての価値は、金貨一枚にも届きませんぜ」
「構わない。この子が欲しい」
恐る恐る目を開けると、格子の向こうから覗き込む黒髪の女がいた。覗き込むと言っても、その顔には両目を覆うバイザーがあってこちらから目が見えない。
それを不気味に思って、八歳の幼いミミリーは声にならない声を上げた。
「ひっ……! こ、殺さないで……!」
「大丈夫。私は敵じゃないわ。……手を握って」
差し出された手を見て、一度は体を退けた。それでも、一縷の望みを信じてゆっくり、震える小さな手を伸ばした。
大きくて綺麗な手は、それを包みこんだ。初めて感じた温かさを、体が受け止めた瞬間だった。
そして、幼女の中で何かが崩れた音がした。
「あら……寂しかったのね。泣かないで」
「おかあ、さん……おかあさん……いか、ないで」
「……離れ離れになっちゃったのね」
女は手を離して、骨の浮き出た腕を通り首輪に指を潜める。
タグに、その名前が刻まれていた。
「ミミリー。それが、貴女の名前ね。……可愛い名前」
ミミリーはこくん、と頷く。
「何があったかは、いつか聞かせて」
女は「今は……」と言って、奴隷商人に金貨一枚を渡した。
立ち上がり、格子の中でもう一度手を伸ばして。座り込むミミリーを見た。
スラリと伸びた黒髪と、革と鉄でできた実用的な装備。腰についた片手剣。
ミミリーは目を見開いた。
もう周りの景色など、何も見えていなかった。
彼女には、その女しかなかった。
その女は――フローラは、まるで母の言っていた、神話の。
「私と一緒に行こう?」
――あなたにフローラさんを重ねてしまったのは。リィナさんのお顔が、天使みたいだから。ですかね。




