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アザレアの射手  作者: 佐倉花梨
第一幕 冒険者篇
21/25

1-21 絆の理由

 息を切らしたカフカが、見張り塔の頂上に登ってきた。


「遅かったね」

「ハァ……ッハァ……。次は、次は確実に殺してやる」

「あんたは、何もわかってない」

「全て知ったような口で……!」

「……もう行くよ。時間ないし」

「待てっ! どこに逃げる!?」

「そうだな。あんたが追えないような場所」

「そんな場所などない! 私はどこまでも貴様を追うぞ!」

「無理だよ、もう。あんたには無理」


 リィナは飛び降りた。

 目を見開くカフカと、天の星々が遠くなる。

 身体を捻り、地面を向いてから一度羽ばたく。宙にその場で静止し、前進した。

 空は自由だった。誰にも邪魔されない、リィナだけの場所だった。

 背後で、一際大きな爆発が起きた。轟音とともに、城壁の一部が崩落していく。西門もそれに巻き込まれたようで、陥落した街から逃げようとした人々に石材の雨が降り注いだ。

 カフカが立っていた見張り塔こそが爆心地であり、粉塵とともに暗赤色の煙が上がっていた。

 あの様子じゃ爆発を避けられたとしても、崩落とともに死んでいるだろう。

 リィナは振り向くことなく、北側の城壁へ向かった。


「城はもう陥落してるみたいだね。よかった」

「さすがあたしの部下」


 白塗りの立派な古城は骸骨の大群に攻められ、窓という窓には血糊がべたりとくっついている。中で何があったか知る由もないが、どうせろくなことじゃない。


「ねぇ、ちょっと寄り道していい?」

「どこに?」

「地面に」


 石畳に着地する。北側もかなり死臭がきつい。

 猫耳に変幻させ、一歩踏み出した。

 骸骨たちの行進は、大通りを中心に放射状へ家々を駆け巡っていく。所々で悲鳴が聞こえ、命乞いが聞こえ、臓物の潰れる音がする。

 リィナはその中を、ゆっくりと歩いていた。骸骨の兵士たちは何の感情もなく、ただ逃げ惑う人々を捕まえ殺していく。捕まった人々は、「許して」と乞うても意味がない。振り向く間もなく心臓を貫かれるのだから。

 ふと、丘の上にある小屋へ目を向ける。

 城壁の外側から通った運河の支川に揺られ水車がゆっくりと回転し、長閑な雰囲気を感じさせる。

 血みどろな街とは対照的だった。生き残りはいないだろうが、リィナは一応確認することにした。

 草臥れた木の扉を強く押し込み、中を確認する。居間に見える蝋燭だけが、この家の光源のようだ。

 そして蝋燭の傍らに、なにやら編み物をする老婆の姿があった。老婆は玄関の扉が開いたことに気づいたのか、こちらを見やる。

 

「あら、バーバラちゃん。今帰ったのかい? 遅かったじゃないか」

 

 リィナのことを孫か何かと見間違えているようで、編み針と布をテーブルに置いて手を広げてみせた。

 

「ほら、こっちにおいでぇ」

 

 リィナは腰からダガーを抜き、老婆に一歩、また一歩と近づく。

 

「今日は、楽しかった? お友達と、どんなことをして遊んだの? おばあちゃんに聞かせて」

 

 みし、みしと、暗い部屋に木材の軋む音が響く。

 蝋燭はリィナの首から下を照らし、表情は確認できない。

 

「どうしたんだい? お友達に、何かされたのかい? 話してくれないと、分からないよ」

 

 老婆の前に立つと、首を傾ぐ彼女に向けて、何の逡巡もなくダガーを振り下ろした。

 皺だらけの痩せこけた体躯は、血飛沫を上げながら力なく椅子から崩れ落ち、静かに眠る。

 暗闇で揺らいだ紫の眼光を、消え賭けの蝋燭の明かりがはっきり捉えていた。


「あの世で一緒に仲良くしな」


 水車小屋から出て、そこから少し歩いたところに城壁がそびえていた。

 暗闇の中で城壁に上る方法を探す。血にぬれた石煉瓦の壁を指先で触れ、辿っていく。途中に倒れた死体があろうと、邪魔なら蹴ってまで扉を探した。

 やっとの思いで扉を見つけて、城壁を登る。

 北側の壁の上。夜風に揺らめく黒いローブが、歩くのに邪魔だった。


「ろんろん、ありがとう。助かった」

「まさか、あそこで使うことになるとは」

「あたしも。いきなりろんろんのお世話になるとは思わなかったよ」


 あの翼は、背中に潜む小龍でありリィナの相棒であるろんろんの戦技だ。

 翼をリィナと一体化させ、飛翔を可能にする。

 普通の龍人族はあのような翼を持たない。

 これこそ二人にしか成し得ない連携技というわけだ。


「それにしても、あの躑躅(アザレア)は何? びっくりしたよ」

「あのうさぎの子がくれた魔道具、僕にも効いてるらしい。どういう原理かはわかんないけどね。でも、かっこいいからいいじゃん」

「まぁいいけどさ」

「……あんなお別れで良かったの?」

「何のこと」

「うさぎの子だよ。ミミリー。だって、さよならも言ってないじゃん」

「必要ない。ミミリーにはあたしなんて、いらないもん」

「そうかな……」

「そうだよ。……恐怖支配のパーティメンバーなんて、対等な関係になれやしない」


 一度は殺そうとし、脅しまでした。

 ミミリーはかなり懐いていたが、リィナにはそれが無理をしているように思えた。

 だからこそ、ミミリーをこの凄惨な殺戮に巻き込みたくなかったんだ。


「きっと、あたしと離れられてホッとしてるよ」

  


 ミミリーはゆっくりと目を開ける。遠くに聞こえる悲鳴と、木製の何かが地面に叩きつけられる音が聞こえる。

 舞う土埃の奥に、燃え盛るラップランドの街が小さく映った。

 うまく状況が読み込めない。

 自分はなぜ馬車に揺られているのか。

 先ほどまでいた街はなぜ燃えているのか。

 リィナはどこにいるのか。

 飛び起き、慌てて周囲を見渡す。

 ギルドに預けていたはずの大きな鞄と、宿の部屋に立てかけてあった大剣が紐で括られ、荷台に置かれていた。

 真っ暗な荷台の中は、煩雑に積み上げられた木箱でいっぱいだ。

 リィナの姿はない。

 荷台の中を走り、馬主に向けて身を乗り出す。

 見れば前にも、何台と馬車が連なっている。

 キャラバンのようだった。


「あのっ! このキャラバンは、いったいどこに……」

「やっと起きたのか……ハァ……」


 怪訝な表情で、中年の男は手綱を握りながら答える。


「この馬車はフレゼリシアのノルトハーゲン行きだ。夜遅くにキャシーの嬢ちゃんから、あんたを運んでくれと言われた。いつもはそんなの断るんだがな、その嬢ちゃんは結構な大金を出してくれたからよ」

「リィナさん……なんで……どうして……」

「俺も詳しくは知らねぇよ。起こさないでくれって言われたから、そのままにしておいた。気持ちよく寝れたか?」

「そんなことはどうでもいいんですッ! どうして、どうして街が!」

「俺らが出発してからのことだ。今各地で起こってる、魔王軍の侵略だよ。あんたも冒険者ならわかるだろ。全速力で逃げてきたんだ。途中助けを求めるやつの制止も振り切ってな。命拾いしたな、ウサギの嬢ちゃん」

「そ、それじゃあリィナさんは……」

「おれに金を渡してきた嬢ちゃんがそのリィナってやつなら、もう無理なんじゃあねぇかな。あの子、見るからに幼かったし。大切な友人なら、残念だ。本当に」

「助けに行きます」

「ハァ?」

「助けに行きます。降ろしてください」

「お前、自分が何言ってるかわかってんのか?」

「わかってます。すごく危険だということも。でも、ここで行かなかったら死ぬまで後悔する。だったらここで、死んでもいいから助けに行くんです! それが、冒険者たる私の努めです!」


 耳をピンと張り、鋭い視線で凄んだ。刹那の沈黙のあと、馬主が溜め息交じりに口を開いた。


「……荷物はノルトハーゲンのギルドに預けておく。お代も要らねぇ。その代わり、約束しろ」

「約束……」

「生きて帰れ。絶対にだ。客に死なれたらおれも後処理困るからよ」

「……わかりました。荷物は、ミミリー・ヨルゲンセンの名前で預けておいてください」


 馬車は畦道の傍らに停止し、ミミリーは後部から飛び降りた。背中には相棒の大剣、ただそれだけ。

 振り返り、馬主を見やる。


「怒鳴って申し訳ありません。このご恩は必ず、お返しします」

「気にすんな。早く行ってこい」


 ミミリーは頷いたあと、街に向けて駆けてゆく。馬主はその影が見えなくなるまで、馬を降りて目を細めていた。ミミリーは決して振り返ることなく、しかし馬主を思いながら進んでいく。


 キャラバンの車列から抜けたことに違和感を覚えた馬主の友人が、馬車に近づいてきた。


「おいどうした、行かねぇのか?」

「……おれはここで待つ。この荷物を頼む」


 ミミリーの鞄を指さす。彼女の伝言も、友人に託した。

 

「はぁ? そりゃどういう風の吹き回しだよ。遅延したらお客にこっぴどく叱られるぞ。魔王軍の追手も来るかもしれん」

「頭下げりゃいいし、夜の間はあの森に身を隠す。武器くらいは持ってるしな……。それより、あいつらが心配なんだ」

「……あのウサギの小娘か? そういや、どこ行った?」

「あそこに戻った」

「ラップランドに? ハハッ、正気じゃねぇ」

「だから心配なんだ。見たところ冒険者だが、子供だった。お前だって娘がいるからわかるだろ。この気持ちが」

「まぁわかるけどよ……。少しは自分の身を案じろ」

「心配どうも。お前は、おれのことは忘れて先に行け」

「そうさせてもらうよ」


 友人は愛馬に跨って、振り返った。


「あんま無理はすんなよ。先で待ってる」


 馬主は顎を持ち上げて、「早く行け」と合図した。

 そしてもう一度、気遣わしげに燃え盛る街を見た。

 


 ミミリーが外壁に着くと、そこには血だらけで倒れる衛兵の姿があった。彼女は乱れる呼吸を無理やり整えて、必死に言葉を絞り出す。


「大丈夫ですか!?」


 そう言って駆け寄るが、応答はない。既に事切れているようだ。

 壁門の先から、血の匂いが漂ってくる。ここからは地獄があるのだと、ミミリーは悟った。


「リィナさん……今行きますから」


 門の中から、逃げ惑う人々が駆けてくる。

 冒険者や司祭、子連れなど様々だ。ときより後ろを気にしているようだが、その先に魔王軍の兵士がいるのか。


「西門がやられたみたいだ! 出口はこっちしかない!」

「早く行け! 早く! もう後ろまで来てるぞ!」

「押すなって!」


 瞬間、街の反対側で大きな爆発音が轟いた。

 暗赤色の爆煙に、粉塵。崩れ落ちる城壁。あの下で、何人、いや何十人が犠牲になっているのだろうか。

 その音を聞いた人々は、更にパニックを起こす。


 ――あの黒煙、どこかで。いや、気にしてる場合じゃない。

 ミミリーは息を呑んで覚悟を決め、その集団に突撃する。


「道を開けてください! 通ります!」

「何だお前! 城はもう落ちてる! そっちは魔王軍が!」

「あの爆発を見ただろ! 死にてぇのか!?」


 人々の集団を抜けると、目に入ったのは日に焼かれた家々と、死臭の漂う大通りだった。

 思わず鼻を塞ぐ。

 そして眼の前には、大斧や槍といった武器を持つ骸骨の姿があった。


「これが……魔王軍のモンスター……」


 骨の軋む音やかすかな唸り声を上げて、ミミリーを凝視していた。


「私が相手です!」



 五体ほど倒したところで、道が開けた。

 その間を縫うように走っていく。

 持ち前の俊敏さで街を駆け抜け、リィナの姿を探った。

 どこにもいないのか。もう逃げたのだろうか。それとも――。

 最悪の考えが浮かんだ。

 それでも、走り続けた。

 リィナが扮せるようにと必死で魔道具を探したあの時も、同じだった。

 街中を駆けて、目的の物を探した。

 道中襲ってきた骸骨は乱雑に斬りつけて、助けを求めてきた市民は瓦礫から引き出した。それでも門外まで護衛はしなかった。

 それほどリィナを、体が求めていた。


 北側の城壁に、見覚えのある姿があった。


「リィナさん……?」


 間違いない、と確信するよりも先に足が動いていた。通用口の扉を乱暴に開け、石階段を登る。早く、早く。きっと、リィナはここまで必死に逃げてきたんだ。

 二人なら、きっと抜け出せる。そうだ。昨日、一緒に戦ったときみたいに。二人で協力すれば。


「リィナさんッ!」


 外壁の塔の一つに出ると、真下に立つリィナに向けてそう叫んだ。

 ゆっくりと、黒尽くめの少女はこちらを振り返る。

 縋り付くように、泪を振りほどきながら手を伸ばした。

 


 どうしてここに、という疑問はなかった。リィナにとっては想定の範囲内だった。

 腰からダガーを抜こうとする。

 自分でも驚いた。逡巡したのだ。

 殺すのを、躊躇っているのだ。

 ミミリーは塔を飛び降り、外壁を走ってこちらに駆け寄る。


「リィナさん……リィナ、さんッ! ああッ!」


 手が滑ったのだろうか。バランスを崩して転んだ。リィナは咄嗟に、ミミリーの手を掴んだ。


「ご、ごめんなさいッ……いててっ……こんなときに……」

「いいんだよ。来てくれるとは思わなかった」

「……ありがとうございますっ! リィナさんなら、一人でも逃げられると思いましたが、心配で心配で……ひっぐ」

「ごめんね。勝手に、馬車に乗せちゃって」

「どうして、あんなこと……えっ」


 リィナが突然ミミリーの肩を掴んだ。咄嗟のことに驚き、声を洩らす。


「えっと……」

「あたしが、あたしがこれを起こしたから」

「えっ? これ、って……」

「ミミリーは、あたしの正体が何であったとしても、許してくれる? 認めてくれる?」

「正体って。リィナさんはサナトス、です。それはしっかり、受け入れました。だから私はリィナさんが何であっても受け入れます」

「あたしは。あたしは、魔王軍幹部。こうやって、魔王軍を召喚して、街や村を滅ぼす。そんな存在、なの」

「魔王軍、幹部」

「うん。ごめん。隠してて、ごめん」


 ミミリーは、視線だけ街に移す。

 二人の下には、直視できないほど惨憺たる光景が広がっていた。無数の市民が嬲られ、殺されていく。冒険者や騎士たちだけでなく、子供や老人まで。骸骨の兵士たちは、無差別に。容赦なく。

 ミミリーは崩れ落ち、膝をついてその場に座り込む。


「これが全て、リィナさんの……?」

「世界の為。古龍の復権のためには、仕方のないことなの。だから、許して」


 ミミリーの目はもはや焦点が合わず、青白い顔で地獄を見下ろしていた。


「……もし私が、受け入れないと言ったら、殺すんですか」


 ――殺す。

 今までのリィナなら、そうはっきりと答えた。

 自分の秘密に触れたものは、誰一人生きて帰すことはなかった。

 それでも今、彼女は躊躇っている。

 頭の中に、ミミリーの笑顔が。あの多幸感あふれる表情が駆け巡っている。


「私とリィナさんの絆って、そんなに脆かったんですかっ……?」


 消え入るような声だった。

 ――絆なんて。

 頭の中ではそう思った。

 ――まだ二日の関係だ。

 

 でも右手は、全く動かない。それどころか震えていた。

 それが証明だった。


「たしかに最初――サナトスだと知ったときは、貴女が怖かった。それでも一緒に戦ったり、パーティメンバーとして秘密や過去を共有して、楽しい時間を過ごして、変わったんです。リィナさんに対する見方が」

「あたしはてっきり、ミミリーが無理してあたしについてきてると――」

「そんなわけないっ!」


 大粒の涙を、石畳に落としている。

 あの、恨みをただ吐き出していただけの、言語とは言えないぐちゃぐちゃな声じゃなく、丁寧ではっきりとした、気持ちの表明だった。

 そして、彼女は再び立ち上がった。

 朝焼けを背に、はっきりとこちらを見ていた。目尻にはまだ、涙を浮かべていた。


「私の、このフローラさんに対して持っていたのと同じような、胸が張り裂けそうなくらい大きな尊敬を、抑えられる唯一の手段が、絆なんです。友情なんです」


 ミミリーは自らの胸に手を当てる。どこか憐れみを含んだ表情で。


「こんなことを、私は許せません。大変な罪だと思います。……でも。言いましたよね、別れの連鎖を断ち切りたいって。あのとき、どうやったら断ち切れるか、リィナさんは答えてくれませんでした。別れるって、知ってたからなんですよね」

「そう、かもね」

「ひどいですよ、そんなの」


 食い気味にそう言った。

 だがその表情に失望なんてものはなく。むしろ相好を崩した。


「……私はついていきます。優しいリィナさんならきっと、目を覚ますと信じて。ずっと、ずっとずっと、貴女の隣にいます」


 薄明が、二人の涙を照らした。

 リィナはまた、この少女を殺し損なった。

 それどころか、柄にもなく笑顔を返したのだ。

 ミミリーと同じ、無垢な笑顔を。


「もうどうすればいいか、わかんないや」

「えへへっ。私も、ですっ」


 ミミリーは「でも……」と続けた。


「行き当たりばったりな旅のほうが、冒険らしくて好きです!」

「……それ、なんの答えにもなってない」

「あれっ? そうですか?」


 涙を拭いながら、二人は笑った。

 これくらい適当に笑っていたほうが、身の丈にあっている気がした。

 絆の理由なんて、それだけで構わないのかもしれない。

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