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アザレアの射手  作者: 佐倉花梨
第一幕 冒険者篇
20/25

1-20 アザレアの射手

「冷静になった方がいい」


 そう言われ目を見開き声のない吐息をついたカフカは、リィナに向けていた切っ先を石畳に落とした。

 あっけなかったが、未だ降伏の意思は示していなかった。

 リィナも番えた弓をおろし、体を正面に向けた。カフカが不意打ちを仕掛けてきたときに対応できるよう、右足だけ一歩後ろに。


「……ええ、少しは冷静になれた気がするわ。この湧き上がる怒りが鎮まる気配はないけれど」

「おお、怖い怖い」

「聞きたいことがたくさんある。なぜキャシーの貴女が、こんなことを起こしたの? どうして、魔王なんかと手を組んだの。そもそも、どうしてさっきまで人間と嘘を吐いていたの?」


 そうだった、とリィナは気づいた。自分の頭には、角じゃなくて猫耳が生えているんだ。

 この女には、目の前にあどけないキャシーの少女が、黒鉄の武骨で威圧的な弓を構えているように見えている。そしてその少女は、街を覆うくらいの巨大な魔法陣を展開し、魔王軍を転送してきた。異様に感じるのは仕方ない。


「あたしはキャシーじゃない。人間でもない」

「……は?」


 仕方ないことだ。そう言い聞かせても、こいつに対する不快な感情は消えなかった。

 その感情が、声にそのまま出た。包み隠すことなく。


「キャシーとか人間とか、そんな低俗な種族と一緒にするな」


 それこそが低俗の証明かもしれないとは、一片たりとも思わなかった。

 右耳の根元に付いた躑躅(アザレア)を触れると、猫耳から角へ変容していく。

 違和に気づいたカフカの口は、その容貌が一変するごとに開いていく。


「お、前……死んだ、はずじゃ」

「……そうだよね、あんたは信じられないだろうね。だってあたしたちを殺戮し尽くした東方遠征を、率いた張本人が、他でもないあんたなんだから」


 あの時、彼女はいなかった。

 東方遠征に同行した一派。アスラン国王の率いる軍隊が起こした襲撃だった。

 だがその襲撃を承認したのは、他の誰でもないカフカだ。

 東方遠征の指揮官だと噂で聞いた時、リィナは確信した。


「サナ、トス」

「そう、あたしは亡霊。驚いた?」


 カフカの、剣を持つ右手にぐっと力が入った。


「それじゃあ、はるばる墓場から這い出して復讐しに来たってことなのね……」

「そうだよ。あたしは、あたしたちの仲間をあんな風に惨殺したお前たち人間を、全員殺すために今ここにいる」


 ギリ、という歯ぎしりが聞こえた気がした。

 声を荒げたのは、カフカだった。


「罪のない人々を何人も殺すのは、復讐の域を超えてるわ! こんなことが許されると思ってるの!?」

「罪がない? それ、本気で言ってるの? バカみたいで笑える」


 リィナの口角が上がった。嘲笑であり、失笑である。


「あたしたちを散々嘲って、ゴミのように扱った、あの人間たちに一切の罪がないって、そう言いたいの?!」

「もしそんな事があったとしても、あなたの向ける矛先は、あの人達じゃないはずよ」

「何もわかってない。あんたは何もわかってない! 険しい山の中腹で、限られた資源の中貧困にあえぐあたしたちに、手を差し伸べてくれた人間が、一人でもいたと思う? それどころか、あたしの仲間を嬲り殺した勇者たちを傍観して、称賛したんだよ。そんなの共犯と同じだ。みんな奴らと……おじいちゃんを殺したアイツと、おんなじなんだよ!」

「それは、貴方達の犯した罪が――」

「あたしたちが何したって言うの?! 人間をたくさん殺したのは、せいぜい千五百年以上前のサナトスなんだよ!」


 カフカは言葉に詰まった。

 目眩のする視界を抑えながら、胸にグサリと刺さった言葉の刃に憔悴する。


「あんたらは結局、あたしたちを迫害する意味も目的も分からないんだよ。周りが嫌うから、自分もサナトスを嫌う。みんなそうして、嫌いな気持ちだけが独り歩きしてる。それこそが、人間の罪なんだよ。そんな自我も持たない種族なんて、みんな、みんな死ねばいい」


 沈黙が流れた。

 どんよりとした湿度の夜風に、血腥い死臭が乗っている。赤い月が照りつける地獄の街は、悲鳴と断末魔で溢れかえっていた。


「異常者……この、異常者めが……。貴女は。いや、貴様は、私が見てきたどんな種族の、どんな個体よりも異常よ! 今すぐその頭を飛ばして、然るべき場所で解剖させないと」

「その、人間以外を物として扱うあんたらのほうが、異常だと思うけどね」


 カフカは、虚ろな目で小首を傾げた。どうやら、言っている意味がわからなかったようだ。

 数瞬後、理解したように「ああ」と相槌を打って、勝手に一人で笑い始める。


「あははははっ! まさか、貴様みたいな人外が、人間と同等だと思ってるの? 傲慢にもほどがあるわよ!」


 どの口が、とリィナは言いそうになる。

 だがゲネラリス教の殆どがこんな感じだ。仕方ない。

 だからこそ、東方遠征でサナトスを始めとした少数種族を虐殺した。もっとも、彼らは同じ人間ですら、異教徒だという理由で殺害したが。


「そういう、あんたらの嫌いなところを何度も見てきた。だからあたしは、人間を殺したい。あんたら人間が、あたしを異常者に仕立て上げたんだよ」

「言わせておけば……! もう我慢ならないっ! さっさと私に、平伏しなさい!」


 カフカはバスタードソードを構え、リィナへ突進する。

 リィナは再び素早く矢を番え、射る。だが若干その狙いは外れ、カフカの左手に直撃した。


「くっ……!」

「やばっ……」


 血飛沫が上がるも、突進の勢いが落ちることはなかった。リィナは慌ててダガーを抜き、一撃を抑える。

 甲高い金属音。

 街の業火が、高さを増している。城壁の半分まで火の手が上がり、噎せ返るほどの死臭を、熱帯夜に撒き散らしていく。

 汗と血を散らしながら、二人の憎悪はぶつかり続ける。


 ダガーで反撃することは叶わなかった。傍線一方の中、ようやくカフカの斬撃が止まったかと思えば、そこは城壁の縁だった。

 後ろを見れば、逃げ惑う人々やそれを追う骸骨、そして業火の数々。

 カフカの方を見れば、鋭い切っ先が喉元を捉えていた。

 右手首をがっちりと掴まれ、ダガーは無力化された。


「形勢逆転、ね」

「ははっ、あんたもなかなかやるね」

「こんなに嬉しくない褒め言葉は初めて」


 リィナの喉元を捉えようと牙を剥く切っ先は、更にこちらへと迫る。

 無垢で汚れ一つない首が今まさに傷つけられようとしている。

 この女なら、息つく間にリィナの首を飛ばせるだろう。

 ――万事休す、か。

 左手をぷらんと自由にした。


「やっと大人しくなった。危なっかしい子供ね」

「……そんなに年、離れてないと思うけど」

「次気に入らないこと言ったら、この手離すわよ」


 今カフカが左手の力を抜いたら、ぶら下がっている状態のリィナは真っ逆さまだ。

 もう一度下を見やる。

 今まさに、人間一人が骨の塊に嬲り殺されていた。

 鼻を鳴らして口角を上げたリィナはカフカを見下して。


「下に行って、あんたの大好きな教徒や人間さんたちを助けてきた方がいいんじゃないの?」

「そうね……! 早く貴様を殺して、貴様の部下も皆殺しにしてやるわ!」


 にい、と白い歯を見せて、カフカは剣を振りかぶった。


「さぁ、おしまいよ!」


 素早く右手を捻り、自由な左手でカフカの鎖骨あたりを押した。


「あんたには、あたしを殺せない」

 

 それだけ言い残して一歩後ろに進めば、体は地面と平行になった。天を仰いで、一人の少女は落下した。

 構えた剣を下ろし、一歩進んだ。落ちたそれを見やった。

 高さは何馬身か。サナトスといえど、落ちてしまったらひとたまりもない。

 しかも直下は業火に包まれている。

 彼女の死は確実だった。

 それを見下すカフカの目は、達成感に溢れたものであった。昂った胸を前に突き出し、燃えるような目と紅潮した顔。

 勝利を確信していた。

 だが、リィナは平静を保つどころかその顔は微笑にあった。

 カフカは一度弛緩した表情を少し堅めた。まさかとは思ったが、確実に死を見届けようと直視する。

 また、リィナに予想の更に上を行かれた。

 灼眼がゆらりと、蠢いた気がした。


 リィナの背中から、白い龍の両翼が顕になった。

 バサッ、という大きな音を立て、彼女の二倍はあろうかという横幅の翼が広がった。

 東洋の意匠を凝らした白磁器のように滑らかで、そして美しい。

 天使の羽にも似ているが、カフカの目には悪魔の象徴にしか映らなかった。

 両翼には躑躅(アザレア)の花弁が咲き、茎が巻き付いている。

 カフカは一瞬の内に直感した。

 この少女は、ただのサナトスではない。

 紛れもない怪物だ。

 そしてリィナの語るとおり死んだはずの──亡霊の悪魔だ。

 

 リィナは自由落下を翼の展開により抑制し、その微かな反動の力を弓矢に込めた。

 体が天を向きながらも矢を番え、カフカの顔を狙う。

 黒鉄の弓や白磁の翼の周囲には暗赤色のベールが不規則に飛び回り、稲光が僅かに発生していた。抑えきれないほどの力を秘めた龍属性の魔素が、落日弓から溢れ出、リィナの体中を駆け巡っていた。

 暗赤色のベールが矢に託されたかの如く、リィナの腕を通っていく。すかさず放った。

 重力が恨めしく思った。矢はあっけなく速度を落とし、カフカの足元へ。

 だがその矢は、単なるそれではなかった。

《古龍の矢》は着弾後に爆発する。それを知る者は少ない。だがカフカは。


「っまず──」


 咄嗟の回避行動により難を逃れたカフカであったが、城壁の縁は粉々に爆散した。

 一本の矢では考えられないほどの爆風に、彼女は思わず剣で防御をした。

 リィナは宙で羽ばたき、爆煙を突き抜けるようにして舞った。

 城壁の見張り塔に着地し、カフカを見下ろす。


 カフカは石畳にへたり込んで、白い両翼を広げるリィナを見上げた。

 息をのんだのは翼を広げた衝撃と、認めたくないそれの美しさだった。

 彼女の灼眼と同じ赤を持った躑躅(アザレア)が、炎と月の光を以てその麗しさを増幅させていた。

 ――アザレアの、射手……!


 紫雲から一筋の稲光が煌めいた。


 悪態を吐いてカフカは立ち上がり、リィナを睨んだ。


「貴様ッ……!」

「あなたがあたしを殺すのは、何年、いや何百年も早い。……だってあたしは死なないもん。」

「フッ……上等よ! まずは貴様の、その翼を粉々にして、次に首を狙えばいい。そんな卑怯な手を使うなら、覚悟しておきなさい!」

「その剣が、空飛ぶあたしに届けばいいけどね」

「見てなさい……! 今すぐそっちに行ってあげる!」

「やめとけばいいのに」


 駆けだしたカフカに放ったその独白は、無論聞こえていなかった。

 ため息を漏らした後、地面に一本の矢を放った。

 禍々しい暗赤色のベールは、先ほどと比べものにならないほどの暗さだ。

 その闇を覗けば、深淵へと引き込まれてしまいそうな重みがあった。

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