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アザレアの射手  作者: 佐倉花梨
第一幕 冒険者篇
18/25

1-18 混乱

 幼気な少女の前に顕現した黒装束の骸骨は、漆黒の城に向けて歩き出した。

 のしのしと、彼女の前をゆっくり歩いて行く。何も言わず、静かに。足音は一つもなく、服がすれる音だけ。

 訊きたいことが山ほどある。

 おじいちゃんは? ここはどこ? あなたは誰?

 それでも、彼女は堪えた。十歳にもなれば、ジエンに何があったかくらい、信じたくはないが大体予想がつくし、目の前にいる異形の正体も察せられた。


「あなたは、魔王なの?」


 返事はなかった。のしのしと、歩くばかり。

 城内は、外観と変わらず不気味だった。

 あちらこちらに骨やら蜘蛛の巣やらが散らばり、お世辞にも綺麗とは言えない。

 明かりも十分じゃない。これほど巨大な城なのに、松明の数はそれに見合わないのだ。


「入れ」


 やっと口を開いたと思えば、階段を数十段も上った先にある、大きな扉に行き当たった。

 王の間のようで、玉座を中心に大きく開けた空間だった。

 怯える彼女は骸骨の指さすその玉座の前へと震える脚を進めた。


「ここは……」

「私の部屋だ。貴様が言った通り、私は魔王と呼ばれている」

「おじいちゃんは、どうしてここに……」

「貴様は、今選択を迫られている」

「選択……?」

「ジエン・ロンシャンは死んだ。サナトス最後の指導者であり、優秀な我が下僕であった」

「おじいちゃんが、貴方の……?」

「そうだ。我の指示に従い、我のために戦い、我のためにこれを献上した」


 玉座の前で掌を仰いだ魔王は、骸骨の奥底に眠る宝石のような瞳を煌めかせた。

 黒曜石の床に現れた紫色の魔法陣から、這い出すように現れたそれは、弓だった。

 ただの弓に見えたが、その巨躯と漆黒、そして暗赤色の魔晶から、サナトスであるリィナはそれが何かがはっきりとわかった。


「古龍神器の弓……落日弓」


 ロンシャン家に保管されていたはずの神器。

 リィナがジエンの地位を継いだとき、神器もまた相続する予定であった。


「どうして、ここに」

「ある目的のためだ。我ら魔族と、サナトスの全てが望む、新たな世界秩序のため」

「おじいちゃん、一体何を……」


「〈八龍〉の復活」


「……っ!」


 かつて、この世界を支配した八体の龍。今では人間に封印され、世界中に眠っている。

 彼らを復活させれば、秩序はめまぐるしく変わる。

 そしてそこに魔王の力が加われば、人間の台頭が終わるんだ。

 

「祖父の遺志を継いで、我が下僕となるか。それとも野垂れ死ぬか。選べ、リィナ・ロンシャン」


 ジエンの顔を思い出す。

 彼は一体、何をしようとしていたのか。魔王と手を組んでまで、やらねばならぬことだったのか。

 自分には同じことができるのだろうか。

 人生を賭けるのは、かまわない。他ならぬジエンの望みなら。

 十歳の彼女にとっては、重すぎる選択だった。

 だが、何の逡巡もなく彼女は弓を掴んだ。

 その瞬間、弓の魔晶が真紅に染まり、稲光が落ちた。


「あああああああああああっ……!」


 右目の激痛に唸る。呻く。

 顔が破裂して、頭蓋の中身が全て炸裂してしまいそうなほどだ。


「素晴らしい。それでこそサナトスだ」


 痛みに耐えろ。リィナ・ロンシャン。

 新たな主となり、光を堕として夜の立役者となれ。

 抗え。この世の全てに。


 ――サナトスたり得るには、ただ一つ。己の血統に恥じない高潔さを、徹頭徹尾保つのみである。



 影とともに現れた灼眼と紫眼の少女は、城壁のてっぺんから夜の街を見下ろしていた。

 夜といえど、街は騒がしい。

 その理由は明白だった。

 敵襲を知らせる鐘が鳴り響く。城壁の外を、大量の魔王軍が西側と東側の城門を突破しようとしていた。兵士たちはそれの対応に当たり、順調に追い払っていた。

 リィナの立つ城壁は南側で、門がない。警戒が薄まっており、誰一人としてキャシーの少女に気づいていなかった。

 右目を左手で抑えながら、リィナは右手を虚空に翳す。

 紋様が、一際妖しく光った。


「ろんろん。全部、見てて」

「うん。見てるよ、リィナ」

「この大きさの街を滅ぼすのは初めて。だけど、今日も一緒に見届けよう」


 ろんろんはリィナの背中に隠れた。見え隠れする灼眼は、宵闇に突き抜ける一筋の光線となり、ぼうと煌めいていた。まるで、ぼんやりと燻る小さな炎のようだった。

 炎は小さくても、やがて街をも食らう火焔になる。炎とは災害であるとともに、生き物なのだ。何もかもを喰らい尽くして焼き晴らす怪物。喜怒哀楽も不倶戴天も相思相愛もない。ただただ無機質で、ただただ燃え上がるだけの、化け物。


「世界は、常に流れ往く。千年前も今も、起こることはすべて同じだから」


 上空の叢雲に紫煙が立ち込め、そこに街を覆うほどの巨大な魔法陣が出現する。複雑な階層をなすそれは、その巨大さ故不完全であった。

 魔王の力は確かに強大だが、遠く離れたこの街で、このサイズの魔方陣を保つことができるほどの力は持ち得ない。

 そのため、同じく強大な魔力を持つ何かで補完しなければならなかった。

 黒鉄の落日弓を背中から取り出し、魔方陣の中心へ放り出す。

 暗赤色の魔晶から、大量の魔素があふれ出し、魔法陣へ吸い込まれる。



「なんだあれは!?」


 西の城門で対応に当たる傭兵たちを支援する聖堂騎士団魔術師部隊の、少し引いたところで指揮を執る指揮官が、上空の魔法陣にいち早く気づいた。長く魔術師をやっているであろう長い白髭の彼でさえ、驚愕するほどの巨大なそれ。


「転送魔法陣かと思われます! でも、何が送られてくるか……」

「天誅だ! きっと天誅だ! 神が使者を送ってくる!」

「全部無駄だ……! 逃げても戦っても無駄なんだ……!」

「解除魔法、受け付けません!」

「主よ……主よ、お許しください……」


 聖堂騎士団は教会勢力ということもあり、敬虔なゲネラリス教徒がほとんどだ。人智を超越した、神秘的にも見えるその光景を、神の御業と言わず何と言う。

 杖や魔導書を捨て天を仰ぎ諦める者。無駄だと知りながら、紫煙に向けて解除魔法をぶつける者。逃げ回る者。やがてその混乱は前線の兵士にまで到達し、そして市民にまで。


「皆落ち着け! これは魔王軍の攻撃だ! 奴らは増援を送ってくる! 戦闘態勢を整えろ! 速やかに!」


 冷静な者たちはせこせこと準備を始める。未知の魔法を見せられても、戸惑いを見せないその姿はやはり何年も続いた東方遠征を経験した、百戦錬磨の聖堂騎士団員だなと、壁上から見下ろすリィナは感心した。


「カフカ様をお呼びしろ! 早く!」

「了解!」

「傭兵たちへの支援を続けろ! 残った者は市民の避難誘導だ!」


 伝令が駆けだし、街の中心にある城へ。城門は使えない。市民が避難できるところと言えば、そう、城だけだ。

 そして中年の指揮官は、城の天辺――塔の上に浮く、豆粒のような物体を凝視した。

 何か判別はつかないが、たしかにそれから暗赤色の魔素が、魔法陣に放出している。魔素を分け与えているような、そんな光景。

 目を凝らした。彼の中に、ある可能性が浮かんだ。



「無事に終わらせて、勝鬨を上げよう。見せてやる。あたしたちの本気を」


 叩き起こされた市民たちが、街の中心に集まってくる。城門への警戒が薄く、全てのリソースが市民へ移されたそのとき。

 待ってましたと言わんばかりに、紫煙の魔法陣から、眩い粒状の光たちが次々と灯った。

 次の瞬間、上空の魔法陣から骸骨の兵士が驟雨のように降り注いだ。

 魔大陸とラップランドをつなぐ門が、開いた。

 魔王城の大広間で、その細い腕を上げる骸骨たちの大軍が、次々と閃光に包まれ消えていく様を見、魔王と軍師はニヤリと笑った。


「さぁ、舞踊劇の開演です」


 

 茶色のブラウスとコルセットスカートという軽装に身を包んだカフカ。城門への襲撃くらいなら大丈夫だと領主に言い聞かされて、城の中にとどまっていた。魔法陣の出現を聞いてから自分が出ていればと後悔する時間はなかった。

 腰に金のバスタードソードをひっさげて、太った領主の制止も無視し城の中庭へ。


「お、お待ちくださいカフカ様っ!」

「私が前線に出ず、誰が出るというのです! ここは私の故郷で、守るべき街なのです!」


 ポニーテールを乱雑に結ぶが、そのブロンドの猛々しい容貌は全く崩れない。目尻がきりっと引き上がり、凜々しい表情がさらに強調される。

 背をピンと張り、服装以外は戦士を体現したその女を見て、士気の上がらない部下はいなかった。


「私が、なんとしてもこの街を侵す悪を打ち倒す……。止めないでください」


 領主に止める権利などないと言ったような雰囲気だった。実際ただの領主ごときにそんな権利などはない。だが彼は頭を抱え悪態を垂れた。


「あの女が死んで、首を飛ばされるのは私だというのに……」


 

 ふと領主は窓の外を見た。

 全方位に叫ぶ指揮官は目を見開いた。

 城から出たカフカは、出会ってしまった。

 

 剣や斧を持った骸骨という異形の衆が、逃げ惑う市民たちを、無防備な魔術師たちを、切りつけている。それはなんの躊躇もなく、なんの容赦もなく。

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