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あなたに甘い劇薬を  作者: ノマズ
2,それぞれの揺り籠
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獣の宴と羊の意気地(4)

 パネル製作メンバーと記念撮影をした後、正孝は体育棟の更衣室で制服に着替えた。


 正孝が体育棟を出ると、グランドに後夜祭のための仮設ステージが作られ始めていた。


 軽音楽部や吹奏楽部の生徒たちが、体育館から折り畳み台座や階段、黒幕などを運んでいる。全体をぼんやり眺めればその様子はあたかも働きアリのようだが、一人一人をよく見れば、その表情は、疲労の中でもどこか楽しげだ。


 正孝はグランドを右手に眺めながら、正門に向かって歩いた。


 そうして正孝は、自分の目が何となく、『何か』を探しているのに気づいた。


 その『何か』が愛美だと気づくまでのうちに、正孝はグランドの半分ほどまで歩いていた。


「佐藤さん、もう帰ったのかな」


 正孝はぼんやりと考えた。


 後夜祭に出ない愛美も想像できないが、かといって、怪我をして後夜祭を見守るだけの愛美も、正孝は想像できなかった。


 そして、愛美がいない後夜祭に出ている自分も、正孝はピンと来なかった。


 それは、何かが違っているような気がした。


 佐藤さんが怪我をしているのに、自分だけ後夜祭に出るなんて、裏切りのような気がする。


 ――やっぱり、後夜祭はやめておこう。


 正孝は静かにそう決めた。


 結局あの後、佐藤さんは保健室を出てきて、最後まで応援エリアで応援だけしていた。


 悔しがったり、落ち込んだりしている様子は一切見せずに。


 でもきっと、本心はそうじゃないのだろうと、正孝は分かっていた。保健室にいた佐藤さんは、やっぱりあれは、落ち込んでいた。約束していた弟とのサッカーが出来なくなってしまった、という話を佐藤さんはしていたけれど、きっとそれだけじゃない。


 そこで正孝は、不意に栞の涙を思い出した。


 パネルが完成して、その大きな絵を見た時に流した涙。


 あの子はあの子で、パネルのリーダーとして、責任をもって仕事にあたっていた。きっと不安もあっただろう。同じことをやっていても、同じ塗り作業でも、きっと、あの子の立場にはあの子にしかわからない、大変さがあったのだ。だからあの涙は、彼女にしか流せない。


 それと同じようなことが、佐藤さんにもあったはずだ。マスゲーム、きっと頑張っていた。だけどその頑張りは、佐藤さんにしかわからない。本当は泣きたかっただろうに、笑っていた。佐藤さんの涙は、きっとあの笑顔なのだ。「大丈夫」とやたら口にしていたのは、自分にもそう言い聞かせていたからに違いない。


 そしてきっと、佐藤さんは、それで本当に、「大丈夫」なことにしてしまうのだ。佐藤さんは強いから、そうやって「大丈夫」と自分に言い聞かせて、これまでもやってきたのだろう。


 だけど、それでいいのだろうかと、正孝は考えた。


 佐藤さんはそれでいいかもしれない。


 だけど、自分はそれでいいのだろうか。


 佐藤さんの涙を知っている。


 きっと、誰にもあんまり話さない、弟想いのことも知っている。


 雷を怖がるのも知っている。


 そんな自分が、このままでいいのだろうか。


 佐藤さんをほっといて、いいのだろうか……。


 そんな時正孝は、朝礼台の脇で、サッカー部の友人たちとしゃべっている岳斗を見つけた。


 愛美とマスゲームを踊るはずだった金髪の男子――凌也も一緒だ。そして、拓も。


「――振られたんじゃないから! 怪我だから、怪我! まじで拓、ふざけんなし」


 凌也が、岳斗に反論しながらふざけて拓を責めている。


 拓は、「わざとじぇねぇよ」と、きまり悪そうに応えた。


「いやぁ、お前の事好きだったら、テーピングしてでも踊るだろ」


 と、そう言ったのは岳斗である。


「それ公式戦のお前だろ? テーピングとか、そこまでするわけねぇじゃんよ」


 凌也が岳斗に言う。


 岳斗はげらげら笑っている。


 そこで岳斗は、正孝に気づいた。


 岳斗と目が合った時、正孝は、あるアイデアが稲妻のように閃いた。


「おぅ、幸谷。帰り? 後夜祭、ちゃんと来いよ」


 岳斗が、手を持ち上げながら正孝に言った。


 正孝は立ち止まり、岳斗に言った。


「遠野、ちょっと、お願いがあるんだけど……」


「え、なんだよ」


 そう言いながら、岳斗は朝野と拓の下から離れ、正孝の所にやって来た。


「何かあったの?」


 岳斗は、正孝に訊ねた。


 正孝の方から「お願い」というのは、岳斗からすれば初めてだった。そして自分を呼ぶ正孝の声の強さも。これは何か大事な話だろうと、岳斗は悟った。


 正孝は、岳斗に訊ねた。


「あのさ……サッカーシューズ、余ってるの無い?」


「シューズ?」


 岳斗は意外な質問に、聞き返した。


「うん」


「何お前、サッカー部入るの?」


「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」


「スパイク?」


「いや、できればトレシュー」


「あぁ、あったかな。お前足いくつよ」


「二十六か、二十六.五なんだけど」


「俺七.五だから、俺のじゃちょっとダメだな。いや、部室に余ってるのあるか……何、今欲しいの?」


「うん、できれば、今日中に」


「しょうがねぇなぁ。じゃあ、一緒に部室行ってやるから」


 岳斗はそう言うと、正孝を引き連れてテニス場脇にある部室棟に向かった。サッカー部の部室は、その二階にある。汗臭く汚いのは、岳斗たちのサッカー部も同じだった。


 二人は部室の中に入り、靴を探した。


 探す、というより発掘に近い。


 穴の開いたスパイク。


 ポイントの無いスパイク。


 砂で固まったストッキング。


 片方だけの脛あて。


 そんなものがいくらでも出てくる。


 そのうち、岳斗が一揃えのトレーニングシューズを探し当てた。薄汚れたシューズケースに入っているが、ロッカーの隙間に落ちていて、忘れ去られていたらしい。


 シューズケースの中から取り出したその靴の両方のかかとを、岳斗は摘まみ持って正孝に見せる。

黒地に、落書きのような赤と黄色の模様が入っている。


 ポイントは、そこまで削れてはいない。


「〈エフ・ルーデンス〉、二十六.五。これいいんじゃね?」


 岳斗は、靴のシリーズ名を言うと、その靴を正孝に放ってよこした。


「履いてみろよ」


 岳斗の言葉に従って、正孝はそれを履いてみた。


 軽い。


 サイズも、ちょうど良い。


 岳斗は近くに転がっていたフットサルボールを、正孝に蹴ってよこした。ボールは正孝の胸のあたりに飛んで来たが、正孝は事もなげにそのボールを胸にあてて勢いを止めると、ポン、ポンと何度かリフティングをして、最後は左足のアウトサイドで、岳斗の胸に返した。


「うん、良さそう」


 正孝はそう言って制服の胸のほこりを払い、再び靴を履き替えた。


 岳斗はにやりと嬉しそうに笑い、受け取ったボールを、今度はゴミ箱に向かって蹴った。


 ガゴン、とボールはゴミ箱に入ったが、勢い余りゴミ箱は倒れた。


「まぁちょっと汚ねぇけどな」


 シューズをシューズケースに入れる正孝に岳斗が言った。


「磨くよ。そういうのは得意だから」


 そうして正孝は部室を出て、岳斗と別れた。




 お疲れ様を貴方に

 誰も言ってくれないだろうから

 お疲れ様

 貴方を温めてくれる人は

 いないかもしれないね

 貴方は強いから

 言葉さえ怖がって

 かけてもらえないかもしれない

 だから僕が

 お疲れ様を貴方に

 強い貴方だから

 それを必要としない貴方だから

 お疲れ様を貴方に




 制服に着替えた後、愛美は、三階の空き教室に来ていた。


 椅子を窓際に持って来てそれに座り、ぼんやりと外の様子を眺める。


 この時期の四時半は、まだまだ昼間だ。


 夕方の気配は、少しも無い。


 昼寝には丁度良い、間延びしたような時間。


 ぼうっとしていると、じんわりと今日の疲れが広がってきて、瞼を重くする。


「疲れたな……」


 愛美は呟いた。


 気局二人三脚で怪我をしてしまったので、クラス競技にも、マスゲームにも出ていない。怪我をした後はせいぜい、応援エリアで声を出していたくらいだ。


 それでも、疲れた。


 明日香をはじめ、皆から届いているメッセージに返事を返す。


 怪我の心配、そして後夜祭への参加の有無。


 後夜祭には出ない、という旨を皆に返信しながら、愛美は小さく笑ってしまった。


 ――私が出なくて困る人なんて、いないでしょ。


 愛美はそう思った。


 クラス競技も、マスゲームも、私がいなければいないなりに、何とかなった。きっとほとんどの生徒は、私の代わりに代役が出ていることに、気づいていない。まして今日だけ見に来た観客は、代役が本物だと思ったことだろう。そしてきっと、怪我をして出ていない生徒がいたなんて知らずに帰っていった。きっとずっと、私のことなんて知らないままだろう。


 それが何だというわけじゃないけど、別に、そんなものだと思うけど……。


 ブルブルと、携帯端末が振動した。


 愛美は、重たい動作でポケットから携帯を引っ張り出した。

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