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あなたに甘い劇薬を  作者: ノマズ
2,それぞれの揺り籠
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そっと貴方の戸口の下に(4)

 マスゲームの練習が終わった後、愛美のもとに夏果がやって来た。


 お疲れ、と互いに、友人にしてはかなり素っ気ない挨拶を互いに交わし、愛美の方はそれで、グランドを離れようとした。


 しかし夏果は、愛美が早々に帰ってしまうのを許さなかった。


「ねぇマナ、緑と望に謝ったんだって?」


 愛美はいきなりそんな質問をされ、はぁと、ため息をついた。


 ファミレスで二人で話した時は少し、つい本音で話してしまったが、いつもいつも当たり前にそうなると思うな、と愛美は少し、夏果には反抗的な気分が残っていた。


「まぁ、いいじゃん、そのことは」


「いいけどさ。でもマナさ、なんで拓とペア組んだの。あれってもしかしてさ、私の事――」


「夏果、私気分屋だから。あんまり変なこと言わないでよ」


 そう言われて、夏果は唇を結ぶ。


 しかし夏果は、またすぐに口を開いて愛美に告げた。


「私、体育祭で拓に告白しようと思ってる」


「……ふぅーん。そうなんだ。いいと思うよ?」


 高いソプラノ、いつもの声でそんな感想を口にする。私にそんな事言ったって、何にもならないわよと、暗に告げる。夏果のことなんて、別に興味があるわけじゃない。拓のことも、望の子とも、みんな勝手にすればいい。


「マナ」


「うん?」


「もし、マナ、好きな人出来たらさ――」


 愛美は、夏果の思いつめた表情を見て、笑った。


 私の前で、なんて顔してるのよと思った。いつから貴方はそんな無防備になったの? そんな、簡単な平気で人に弱みを見せるような女の子に。


「教えてよ、私、力になるよ」


 愛美は笑い声を消し、冷笑に近い微笑みを浮かべて応えた。


「うん、期待してる」


 愛美はそう言うと、今度こそグランドを後にした。


 そうしてまたいつものように、更衣室で制服に着替えていると、携帯が着信を知らせた。明日香か、さもなくば緑だろうかと愛美は思った。ところがモニターに映し出されていたのは、愛美にとって意外すぎる名前だった。


「もしもし?」


 愛美は、電話に出た。


 意外ではあるが、その意外性に愛美は、何かを期待したのだった。


『あぁ、佐藤さん? 俺、八木尾だけど、覚えてる?』


 声の主は、モニターに出ている名前と一致している。


 八木尾辰巳。


 愛美は彼が、今同じ学校の二年生であることを、当然知っている。


「もちろん覚えてるよ! というか、たまに見かけるし」


『あぁ、そうだよね。でも、話すのは久しぶりだね』


「うん、久しぶり。元気してた?」


『あぁ、うん、元気だよ。佐藤さんも、元気そうだね』


「まぁ、ね。まぁまぁ、ぼちぼち、やってるよ」


 中学の同級生。愛美にとっては、少しやりにくい相手だった。何しろ自分の、中学時代を知っている。中学時代、少し不良になっていた時期があることも。そして、全然あか抜けない、大して可愛くも無い、真面目なだけが取り柄の中学一年生の時代があったことも。


「何かあった? 電話なんて、驚いたよ」


『うん、俺も別に電話するほどの事でもないとは思ったんだけど』


 辰巳はもったいぶるようにそう前置きして、それから言った。


『幸谷君のこと、振ったんだって?』


 愛美は、『幸谷』の名前がスピーカから出て来るや否や、ばっと顔を上げ、誰もいない更衣室の中を、きょろきょろ思わず確認した。それから愛美は、マイクと口元を隠して声を潜めながら、辰巳に訊いた。


「それ、誰から聞いたの? どこ情報? なんでヤギ君が?」


『本人情報だよ。俺今――作るのは今日で終わっちゃったんだけど、マスコのパネル作りで一緒だったんだよ、幸谷君と』


「……っ!」


 愛美は言葉を失うほど驚いた。


 そんなことになっているとは、全く知らなかった。マスコの情報は、完全にノーチェックだったのである。


『で、幸谷君と仲良くなっちゃったから、ちょっと佐藤さんに、物申したくなっちゃっただけ。それでこの電話』


 辰巳はそう言うと、電話先でけらけら笑った。


 しかし愛美には笑い事ではない。


「え、待って、ヤギ君、今どこ? もしかして今、幸谷君と一緒にいたりする?」


『ううん、さっきまで一緒だったけど、もう別れたよ。俺は今自宅』


 ひとまずはほっと胸をなでおろす愛美。


 電話の先に正孝がいるかいないかは、愛美にとっては重要なことだった。そしてもしいたら、電話を替わってもらおうと思っていた。


「そうなんだ。え、でも、私に物申すって、どういうこと?」


 愛美の中に、何か酷いことを言われるのではないかという不安が広がる。批判には慣れているが、それが正孝がらみとなると、愛美は、それに耐えられる自信は、今は無かった。


『さすがにさ、断るのでも、もうちょっと優しくしてあげてもいいじゃんって、そう言う話。てかさ、コウちゃんのこと最初から、なんて言うか、ダンスもしたくないような相手と思ってるんだったら、思わせぶりな態度とるのは可哀そうだよ』


 辰巳の言葉は早口だが、淀みがない。


 そして、嫌味のような雰囲気も、悪意や敵意といった感情も。


 ただ本当に、思ったことを言っているだけなのだ。辰巳は、中学時代も優等生だった。その優等生らしい賢さと、鼻に抜けるような正義感が、愛美はいつもつまらないと思っていた。辰巳はいつも、正しいことを言う。


 しかし今回は、完全に、彼の誤解だ。


「私、そんなつもり無かったんだよ!」


 愛美は、そう言うしかなかった。


『まぁ、そうだろうけどね』


「そうじゃなくて! ヤギ君、誤解してる。私幸谷君の事嫌いじゃない!」


『じゃあなんでダンス断ったの?』


「返事できなかっただけ! でもその後――」


『いやいや、その後で誘われたって、コウちゃんじゃなくたって断るよ。そんな、同情をかけるみたいにさ』


 それは、その通りだと、愛美は思った。


 正孝の『誘ったりしてごめん』の、あの寂しそうな、悲しそうな声が愛美の中に蘇る。


「幸谷君、何か、言ってた?」


『落ち込んでたよ』


「そう、だよね。そりゃあ、そうだよね……」


 それから愛美は、辰巳に訊いた。


「私の事、嫌いだって、言ってた?」


『いや、それは聞いてないけど』


「ホント?」


『うん。いや、実際俺、コウちゃんと佐藤さんの詳しい関係は何も知らないんだよね。だからよくわかんないんだけど、まぁ、嫌いとは言ってなかったかな』


「そっか……」


『まぁ、俺からはそれだけ。じゃ、また学校でね。目合わせるくらいだろうけど』


 辰巳からの電話はそれで切れた。


「私と幸谷君の関係、か……」


 愛美はそう呟いて、携帯をスクールバックのサイドポケットにしまった。


「私は嘘が多すぎるもんね……」


 愛美はすんと鼻を啜り、誰かがやってくる前に更衣室を出て帰路についた。

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