そっと貴方の戸口の下に(4)
マスゲームの練習が終わった後、愛美のもとに夏果がやって来た。
お疲れ、と互いに、友人にしてはかなり素っ気ない挨拶を互いに交わし、愛美の方はそれで、グランドを離れようとした。
しかし夏果は、愛美が早々に帰ってしまうのを許さなかった。
「ねぇマナ、緑と望に謝ったんだって?」
愛美はいきなりそんな質問をされ、はぁと、ため息をついた。
ファミレスで二人で話した時は少し、つい本音で話してしまったが、いつもいつも当たり前にそうなると思うな、と愛美は少し、夏果には反抗的な気分が残っていた。
「まぁ、いいじゃん、そのことは」
「いいけどさ。でもマナさ、なんで拓とペア組んだの。あれってもしかしてさ、私の事――」
「夏果、私気分屋だから。あんまり変なこと言わないでよ」
そう言われて、夏果は唇を結ぶ。
しかし夏果は、またすぐに口を開いて愛美に告げた。
「私、体育祭で拓に告白しようと思ってる」
「……ふぅーん。そうなんだ。いいと思うよ?」
高いソプラノ、いつもの声でそんな感想を口にする。私にそんな事言ったって、何にもならないわよと、暗に告げる。夏果のことなんて、別に興味があるわけじゃない。拓のことも、望の子とも、みんな勝手にすればいい。
「マナ」
「うん?」
「もし、マナ、好きな人出来たらさ――」
愛美は、夏果の思いつめた表情を見て、笑った。
私の前で、なんて顔してるのよと思った。いつから貴方はそんな無防備になったの? そんな、簡単な平気で人に弱みを見せるような女の子に。
「教えてよ、私、力になるよ」
愛美は笑い声を消し、冷笑に近い微笑みを浮かべて応えた。
「うん、期待してる」
愛美はそう言うと、今度こそグランドを後にした。
そうしてまたいつものように、更衣室で制服に着替えていると、携帯が着信を知らせた。明日香か、さもなくば緑だろうかと愛美は思った。ところがモニターに映し出されていたのは、愛美にとって意外すぎる名前だった。
「もしもし?」
愛美は、電話に出た。
意外ではあるが、その意外性に愛美は、何かを期待したのだった。
『あぁ、佐藤さん? 俺、八木尾だけど、覚えてる?』
声の主は、モニターに出ている名前と一致している。
八木尾辰巳。
愛美は彼が、今同じ学校の二年生であることを、当然知っている。
「もちろん覚えてるよ! というか、たまに見かけるし」
『あぁ、そうだよね。でも、話すのは久しぶりだね』
「うん、久しぶり。元気してた?」
『あぁ、うん、元気だよ。佐藤さんも、元気そうだね』
「まぁ、ね。まぁまぁ、ぼちぼち、やってるよ」
中学の同級生。愛美にとっては、少しやりにくい相手だった。何しろ自分の、中学時代を知っている。中学時代、少し不良になっていた時期があることも。そして、全然あか抜けない、大して可愛くも無い、真面目なだけが取り柄の中学一年生の時代があったことも。
「何かあった? 電話なんて、驚いたよ」
『うん、俺も別に電話するほどの事でもないとは思ったんだけど』
辰巳はもったいぶるようにそう前置きして、それから言った。
『幸谷君のこと、振ったんだって?』
愛美は、『幸谷』の名前がスピーカから出て来るや否や、ばっと顔を上げ、誰もいない更衣室の中を、きょろきょろ思わず確認した。それから愛美は、マイクと口元を隠して声を潜めながら、辰巳に訊いた。
「それ、誰から聞いたの? どこ情報? なんでヤギ君が?」
『本人情報だよ。俺今――作るのは今日で終わっちゃったんだけど、マスコのパネル作りで一緒だったんだよ、幸谷君と』
「……っ!」
愛美は言葉を失うほど驚いた。
そんなことになっているとは、全く知らなかった。マスコの情報は、完全にノーチェックだったのである。
『で、幸谷君と仲良くなっちゃったから、ちょっと佐藤さんに、物申したくなっちゃっただけ。それでこの電話』
辰巳はそう言うと、電話先でけらけら笑った。
しかし愛美には笑い事ではない。
「え、待って、ヤギ君、今どこ? もしかして今、幸谷君と一緒にいたりする?」
『ううん、さっきまで一緒だったけど、もう別れたよ。俺は今自宅』
ひとまずはほっと胸をなでおろす愛美。
電話の先に正孝がいるかいないかは、愛美にとっては重要なことだった。そしてもしいたら、電話を替わってもらおうと思っていた。
「そうなんだ。え、でも、私に物申すって、どういうこと?」
愛美の中に、何か酷いことを言われるのではないかという不安が広がる。批判には慣れているが、それが正孝がらみとなると、愛美は、それに耐えられる自信は、今は無かった。
『さすがにさ、断るのでも、もうちょっと優しくしてあげてもいいじゃんって、そう言う話。てかさ、コウちゃんのこと最初から、なんて言うか、ダンスもしたくないような相手と思ってるんだったら、思わせぶりな態度とるのは可哀そうだよ』
辰巳の言葉は早口だが、淀みがない。
そして、嫌味のような雰囲気も、悪意や敵意といった感情も。
ただ本当に、思ったことを言っているだけなのだ。辰巳は、中学時代も優等生だった。その優等生らしい賢さと、鼻に抜けるような正義感が、愛美はいつもつまらないと思っていた。辰巳はいつも、正しいことを言う。
しかし今回は、完全に、彼の誤解だ。
「私、そんなつもり無かったんだよ!」
愛美は、そう言うしかなかった。
『まぁ、そうだろうけどね』
「そうじゃなくて! ヤギ君、誤解してる。私幸谷君の事嫌いじゃない!」
『じゃあなんでダンス断ったの?』
「返事できなかっただけ! でもその後――」
『いやいや、その後で誘われたって、コウちゃんじゃなくたって断るよ。そんな、同情をかけるみたいにさ』
それは、その通りだと、愛美は思った。
正孝の『誘ったりしてごめん』の、あの寂しそうな、悲しそうな声が愛美の中に蘇る。
「幸谷君、何か、言ってた?」
『落ち込んでたよ』
「そう、だよね。そりゃあ、そうだよね……」
それから愛美は、辰巳に訊いた。
「私の事、嫌いだって、言ってた?」
『いや、それは聞いてないけど』
「ホント?」
『うん。いや、実際俺、コウちゃんと佐藤さんの詳しい関係は何も知らないんだよね。だからよくわかんないんだけど、まぁ、嫌いとは言ってなかったかな』
「そっか……」
『まぁ、俺からはそれだけ。じゃ、また学校でね。目合わせるくらいだろうけど』
辰巳からの電話はそれで切れた。
「私と幸谷君の関係、か……」
愛美はそう呟いて、携帯をスクールバックのサイドポケットにしまった。
「私は嘘が多すぎるもんね……」
愛美はすんと鼻を啜り、誰かがやってくる前に更衣室を出て帰路についた。




