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あなたに甘い劇薬を  作者: ノマズ
2,それぞれの揺り籠
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狼のマスク(5)

 体育祭がいよいよ近づいてくると、体育の授業も体育祭仕様となる。


 つまり内容が、体育祭のクラス競技の練習になるのだ。二年生のクラス競技は『中玉運び』である。必要なのはストレッチボールとコーン。グランドの半面をさらに分けて、片方を六組が、もう半分を七組が使う。


 ちなみにグランドのもう半面では一年生の二クラスが、巨大浮き輪を膨らませている。定番のシャチと、三人乗りのフラミンゴ浮き輪。一年生のクラス競技『ジャンボバトンレース』のバトンに使うのだ。


 コース設定のコーンを設置し終え、ストレッチボールの空気も入れ終わると、いよいよ七組の練習が始まった。決められた四人一組で座り、第一走者グループが、ストレッチボールを四人で囲む。ルール上、背面でボールを支えるか、腹と胸を使って支えるかは自由である。つまり、どっちが速いか、そして、ボールのどの場所を担当する人物がどっち向きになっていたほうが良いのかなど、検討しなければならない。


 ひとまず七組は、進行方向に対して一番前の人が、ボールに対して背中を向け、それ以外の三人の競技者が前を向いて、腹と胸でボールを支える形を最初に試すことにした。それぞれ腕を伸ばし、四人の輪でボールを抑え込む。


 力を入れすぎると、対面の仲間がその反動で飛ばされかねない。


 もっとも、競技としてはそのあたりのエラーが面白いのだが、クラスとしては、一位を取るつもりで、真剣である。もともとが、イベント好き、祭り好きが集まる高校である。「体育祭だりぃ」といった気配は、微塵もない。


 正孝のグループは第四走者。全八グループの丁度真ん中である。


 男子二人、女子二人。男子は、拓が一緒である。


 第三走者グループがコーンを回り、ゴールで待っている第四走者グループの元まで走ってくる。ボールを運び終えた第三走者がしゃがんでボール下ろし、さっと離れると、そこに今度は、第四走者の各員が配置につき、手を伸ばして輪を作り、ボールを持ち上げる。


 先頭は拓。そして正孝は、その対面――つまり一番後ろである。


 走り出すと、ボールはぼよんぼよんと、皆の想定以上に揺れた。かといって、急に強くボールを押えると、反対の生徒にその衝撃が伝わってしまう。しかしそういったことを気にしすぎては、今度はスピードが出ない。


 練習とは思えない大きな声援を背に、正孝は走った。


 二十五メートル先のコーンを回り、復路。さっきまでまで背中に聞いていた声援が、今度は全く聞こえなくなる。それどころではなくなるのだ。自然と皆の走る速度が上がるので、バランスが崩れやすくなる。


 往路残り半分というところで、ついに正孝は、全体のバランスを保つことが出来ず、隣の二人の手を離して転んだ。かなり派手に転んだので、応援していたクラスメイトは、笑い声だけでなく、息を呑む様な声も同時に上げた。


 しかし、正孝がすぐに起き上がったので、生徒の不安もすぐに吹っ飛び、「しっかりしろよ!」だとか、「何やってんだよ!」というヤジが飛び、皆笑った。幸谷君だから仕方ないね、というような、少し安心したような雰囲気の笑い声である。


「おい、早くしろ!」


 起き上がった後ぼうっとしているような正孝を拓は一喝し、四人は転がるボールを追いかけて止め、再び囲んで持ち上げると、第五走者グループまでボールを運んだ。


「お前ほんとトロいな」


 と、拓にそんな事を言われながら、列に並び直す。


 一回皆で走った後は、各グループで改善会議が始まる。


「折り返した後、速度上げないほうが良いと思うんだけど」


 と、正孝はそんなことを、四人に提案してみた。


 走る速さがばらばらで、特に拓のスピードに、左右の二人の女子が、ついていけていない。そのうち片方は運動部の女子だからまだ良いが、もう片方の女子は漫画研究部で、運動も苦手そうだ。息も、かなり上がっていた。


「速度上がってたか?」


 拓は、グループの皆に聞き返した。


 女子二人は、どうだったかなと、首を傾げた。


「俺も特に上げたつもり無いよ。お前、あの速さだと厳しい?」


「うーん……」


 正孝は少し考えてから答えた。


「往きはあれで大丈夫そう。でも帰りは、ちょっと下げてほしいんだけど、それでもいいかな?」


「まぁ、しょうがねぇか」


 拓も、しぶしぶ了承し、そうして全グループの作戦会議が終わると、二回目の試走が始まった。一回目は走り切ったグループが、この二度目は止まったり、ボールを落としたりなどという事もあったが、全体としては二回目の方が、タイムは伸びた。正孝たちのグループも、速度を調整した結果、誰も転ばすに、ボールも落とさずに最後まで走ることができた。


 試走はこの日、もう一度行った。


 各グループの改善の甲斐あって、三度目の試走のタイムが一番早かった。


 結局この日は、正孝ほど派手なダイビングを決める生徒はいなかったので、授業の後は、正孝のそれはこの時間だけの、ちょっとした話の種になった。


「お前、早くしろよ」


 と、岳斗は、ボールの空気を抜く正孝に言った。


 まだ授業の終了チャイムの鳴る前で、しかも次が昼休みというのもあって、何となく、のんびりした時間。更衣室に戻り始める生徒もいれば、暖かい人工芝の上に寝転がって、しゃべっている生徒もいる。


「やってるんだけど、なかなかっ!」


 正孝は岳斗にそう応え、ボールを抱きしめる両手の腕に力を込めた。


 そんな一生懸命な正孝の様子を見て、岳斗は小さく舌打ちをした。その時岳斗は、グランドの端にサッカーボールが転がっているのを見つけた。あとで一年に説教だな、とそんなことを少し考えながら、岳斗はボールを拾いに行く。


 その間に正孝はストレッチボールの空気を抜き終えて、体育倉庫にそれをしまった。


 そして正孝が体育倉庫から出てきた時だった。


 それを待ち構えていたかのように、グランドの真ん中あたりから、岳斗が正孝目掛けて言った。


「ごめん、わざと!」


 岳斗はそう言うと、自身の少し前に転がしておいたボールを、フリーキックよろしく、インステップで、ボン、と蹴った。ボールは高く宙を飛び、体育倉庫前の正孝に向かった。


 丁度その様子を見ていた愛美は、岳斗の蛮行に驚いた。


 四十メートル級のロングキックだが、蹴ってからボールがその落下点に着弾するまでは、一瞬である。正孝を見れば、完全に気を抜いて、突っ立っている。


 ――危ない!


 愛美はそう思ったが、声は出なかった。


 バレーボールを正孝の顔にぶつけた時のことが脳裏によぎる。


 ところが、ボールは正孝の顔にはぶつからなかった。


 飛んできたボールは、正孝の顔ではなく左肩越しに少しズレた。と、その瞬間、正孝は左足の外踝側を持ち上げた。勢いよく飛んで来たボールは、正孝のその持ち上げた足の外側面にあたり、ぽんと弾んだ。


 ボールは弧を描き、正孝の頭を越えると、正孝が遠慮がちに出していた両手の中にすっぽり収まった。


 え、と愛美は目を疑った。


 しかし愛美の他、誰もその瞬間は見ていなかった。


「中に入れとけばいい?」


 正孝は、何事もなく、遠くの岳斗に訊いた。


 岳斗は、怒鳴るように応えた。


「入れとけ!」


 正孝はそう言われると、再び体育倉庫に、ボールを持って入って行った。


 愛美はもう一度、誰か驚いている生徒はいないかと、きょろきょろ他の生徒を見た。グランドの中、外、グランドに面した三年生教室棟や体育棟の窓、テニス場。


 しかし、目撃者は誰もいない様だった。


 岳斗も、全く驚いた様子を見せない。それどころか、なぜかいらだった様子である。


 今のは、何だったのだろうと、愛美は首を傾げた。あまりに当たり前にそれが起こり、終わってしまったので、なんだか、当然のことという気もしてくる愛美だった。あるいは、目の錯覚だったのか。


 そんなことを考えているうちに、正孝が体育倉庫から出て来た。

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