狼のマスク(4)
冒頭は、会社のオフィスのシーン。リクルートスーツのサラリーマンたちが、モニターに向かって座り、キーボードを叩いている。いかにもっ仕事をしている、という風景。
一瞬カレンダーが映し出される。
体育祭前日までが×で消されている。
そこへ、宅配便がやってくる。「そこらへんに置いといて」と、眼鏡にスーツの男が言う。
事務所の片隅に置かれる箱。
それが突然、ぼんと爆発し、崩れた段ボールの中から、金色の優勝カップが現れる。
画面にノイズが入り、微かな暗転。
『獣を思い出せ』の文字。
次の瞬間、仕事をしていた会社員たちの衣類が裂け、その中の一人が、「俺のだ!」と言いながら優勝カップにダイブする。そうして男が優勝カップを持ちさって部屋を出ると、一瞬遅れて、あれだけ真剣に仕事をしていたサラリーマンたちが、パソコンや机や書類を滅茶苦茶にしながら、鬼の形相でカップを持ち去った男を追いかけ始める。
廊下を全力疾走するサラリーマンたち。
競り合う男性社員と女性社員。
ぶつかり合ったその瞬間、女のタックルに男が弾き飛ばされ、置いてあったバケツに突っ込んで、そのまま数人を巻き込みながらもみくちゃになる。
「瑞希じゃん!」
愛美は声を上げた。
男をタックルで吹っ飛ばしたその女性を演じているのが、まさに瑞希だった。緑のペイントを頬にして、その形相はサバンナやジャングルの奥地に生きる戦闘部族そのものだ。
街中、駅のホーム、空港と、暗転を繰り返しながら、優勝カップを追う逃走劇。追う者同士も敵同士で、派手にぶつかり合っては、色々なものを破壊する。
「去年も思ったけどさ、どんだけ予算使ってるの?」
「学校にスポンサー付いてるらしいよ。てかこの学校、母体の法人がこういうの大好きらしいし」
それにしてもすごいな、と愛美は思った。
予算の方もそうだが、動画制作は在校生がやっている。演者も勿論、生徒たちだ。それを考えると愛美は、何か勇気が出る様な気がした。
ちょうどシーンは結婚式場。新郎新婦が入刀しようとしたケーキに、バランスを崩した一人が突っ込む。べしゃっと、飛び散った生クリームが親族やらゲストやらの顔面にかかる。
ところが次の瞬間には、新郎新婦も、カップを追いかけ始める。
やがて場面は黒目川。
武蔵黒目高校の由来にもなった、学校の横を流れる川である。学校へ渡る〈平和橋〉が封鎖され、追っ手は手すりをよじ登り、川へと侵入。川の茂みから騎馬戦の騎馬が出現し、追っ手に襲い掛かる。
新婦が泥にまみれ、騎馬は、体当たりしてきたリクルートスーツもろとも崩れて、川に落ち水しぶきを上げる。
その混戦をかき分けて、部族ふんする瑞希が行く。
やがてシーンは武蔵黒目高校校内。
びしょびしょの追跡者たちが、ついにカップを持った男を引き倒す。
カップはくるくると宙を回転し、朝礼台の上に着地する。
瑞希と数名の役者たちはうつぶせに倒れ、その様子を見ている。
そこへ、白ジャージの男(体育教師)があらわれる。
ジャージ男は無言で、すっと右手に持ったスターターピストルを頭上に掲げる。
うつぶせの役者たちが、互いに睨み合う。
そこに一瞬映し出される黒背景に、『お前の獣が目を覚ます』の文字。
ピストルの黄色いハンマーが振り下ろされる。
煙が、ピストルからはじける。
互いに衣服を掴みあいながら立ち上がろうとする役者たち。
スローモーション。激しすぎるビーチ・フラッグレース。
カップを狙う全員の瞳の中に、その金のカップが映るのが、大写しになる。
その時。
「――っと! マナ、危ないよ!」
瑞希が、愛美を強引に抱き寄せた。
え、と愛美は顔を上げる。
ちょうど自転車が、そばを通り過ぎた。
「全く危なっかしんだから」
瑞希は、愛美の肩に腕を回したまま、ほっと胸をなでおろした。
「ごめんごめん。でもすごいね、瑞希、主演じゃん」
「まぇね」
と、瑞希は息を吐きだしながら、愛美を解放した。
白団マスコットのパネル製作の方は、相変わらず作業は正孝、栞、そして辰巳の三人で、時たま誰かもう一人、二人ほど気まぐれに参加することもあったが、そのごく少人数で作っていた。それでも毎日の作業の賜物で、三枚のパネルシートのうち二枚目の半分以上を、描き終わった。
「はぁ、ちょっと休憩しない?」
辰巳がそう言うと、正孝も栞もそれに賛成した。
三人で飲み物を買って戻り、図工室の隅に移動させた机に思い思い座る。
「――そういえば、体育祭PV、明日公開になるらしいよ」
急に思い出して、辰巳が言った。
栞や正孝に比べると、辰巳は情報通である。
「今年は、結構間際なんですね」
と、栞が言った。
体育祭までもう、二週間を切っている。体育祭は、六月の第一土曜日だ。
――あと、十日。
「ホントは日曜日出るはずだったんだよね。延期、延期で、明日。この学校のPVめっちゃすごいから、楽しみだったんだ。俺も一回くらい出演したいし」
「PVって、誰が出るの?」
「制作側にスカウトされた人」
「制作側って――」
「生徒会と映画研究部と、写真部も入ってたっけな。なんかそんな感じ。てか、去年の体育祭のPV、佐藤さん出てたよそう言えば」
正孝は、栞のいる前で不用意に愛美の名前を出され、口を閉じた。
栞は、正孝のそんな反応を見逃さず、辰巳に訊ねた。
「二年生ですか?」
「そう。コウちゃんのクラスメイト」
「へぇ、そう、なんですか」
正孝は、小さく頷く。
「てかさ、コウちゃん聞いてよ、俺、桃園さん誘ってみたんだよ」
「え、後夜祭に?」
「うん」
「どうだった?」
「ダメだった」
かぶせるような即答に、正孝は思わず噴き出した。
辰巳も、自分で言って笑っている。
「桃園さんって、軽音楽部の……?」
栞が、おずおずと辰巳に訊ねた。
まだ入学して間もない一年生の栞も、『桃園春香』は知っていた。なにしろ、入学式の後、新入生歓迎会で曲を披露したバンドの一つが、春香のバンドだったのだ。
「そう、その桃園さん」
辰巳が、ケロっと答えた。
「でも、よく誘えたね」
正孝が言った。
「まぁね。いや、初対面ではないから」
「そうなの?」
「うん。軽音部って、全部のバンドがじゃないけど、ライブするんだよ。で、俺、桃園さんのバンドのライブ、何回か観に行ってるから、顔は覚えられてるんだ」
「あ、そうだったんだ」
「だからまあぁ、また次の機会だね」
「え、また、誘うの?」
「そりゃ、そうだよ」
丸い眼鏡の奥で目を丸くして、辰巳が答えた。
「俺別に、振られたわけじゃないから。向こうに先約があっただけだから」
「あぁ、そっか……」
「だって桃園さん、まだフリーだぜ? 好きな人がいるかどうかは知らないけど、俺は、まだチャンスは平等にあると思ってる」
辰巳のポジティブさに、正孝はまた笑う。
「ヤギ先輩、桃園先輩のことが好きなんですか!?」
栞が、驚いて声を上げる。
それにも辰巳は、「うん、そうだよ」と応えた。その後で笑って、「これ秘密ね」と付け足し、加えて辰巳は、好きな食べ物を聞くような気やすさで栞に訊ねた。
「水瀬は好きな男子とかいないの?」
そう訊かれた栞は、一瞬言葉に詰まり、顔を赤くして俯いた。
「なんだよ、そんな恥ずかしがることないじゃん」
と、あっけららかんとした辰巳。
「いません……」
栞は、小さくそう応え、いかにも恥ずかしそうに目を伏せた。栞はその後、三人の飲んだ空き缶とペットボトルを捨てに行くと言って、図工室を出て言った。
部屋に正孝と二人になると辰巳が言った。
「コウちゃんも誘ってみなよ」
「え?」
「佐藤さん。後夜祭にさ」
「うーん……」
「俺もチャレンジしたんだから、さぁ」
そう言われると正孝も、心が動いた。誘うだけなら、誘ってみようかな、という気分になって来る。ダメだったらダメだったで、辰巳のように考えればいい。そんなに落ち込むことは無いのだから。
「確かに、ねぇ……」
正孝はその場では明言せず、曖昧に応えた。




