狼のマスク(3)
今年の体育祭のテーマが『獣』なので、白組マスゲーム団のペアダンスのパートにも、『獣ダンス』というパートがある。男の方が、『Thriller』のような少しゾンビチックな踊りでパートナーを脅かしながら迫り、女子の方がそのアプローチを躱す。それを何度か繰り返すのだが、最後に、女子の方も『獣ダンス』に変り、男子を脅かす。
そこからは立場が逆転し、女子が獣の男子を、犬を調教する時のように躾け、男子がそれに従う。仁王立ちの女子の前に男子が寝転がって腹を見せ服従を示したり、お座りからお手をしたりする振付けがある。それがこのペアダンスの笑いどころであるが、当の男子の方はそのダンスをパートナー女子と練習しながら、何かに目覚めてしまう者もあった。
愛美も凌也と、今日はそのペアパート部分を重点的に練習した。
愛美は、凌也の顔の前に掌を差し出す。
凌也はお座りの姿勢のまま、愛美の掌に『お手』をする。愛美は微笑を浮かべて小さく頷き、凌也の前髪あたりをぽんぽんと、撫でる仕草をする。
これは振付けなので、ペアダンスの女子は全員そうするのだが、愛美はここが、抜群に上手かった。
征服感と可愛らしさが混在する微笑には妙な迫力があり、また愛美と凌也の身長差も良かった。十センチ以上背の高い、そして運動部らしい体躯をした男子凌也を、小柄な愛美が、完全に支配している。
「佐藤のグループ、場所変えよう」
ペアダンス二回目の練習の時、マスコ長がそう決めた。
ペアダンスの時は全体で円形に陣を敷き、全員が観客から見えるようにするのだが、ただランダムにペアを配置するわけではない。ダンス部のいる上手いペアが、そうでないペアを挟むようにするのだ。そうすると、どの方向の観客ら見ても、見栄えが良い。
今回、マスコ長が愛美たちのグループを移動したのはその、『上手いペア』が配置される場所だった。ダンス部のいるペアでそうでないペアを挟むといっても、所属するダンス部の人数の関係で、全部のポイントをそうできるわけではない。そのため、ダンス部がいなくても特別に上手いペアは、マスコ長がそうして、適切なポジションに移動させるのである。
最後に一度、愛美たちの場所を移動させた後で、全体通しでペアダンスまでを踊った。
それが終わるとマスコ長は曲を止め、
「今日はここまでです。お疲れ様でした。振付、どんどん覚えちゃってください。解らない所は、俺とか、ダンス部のやつ捕まえてね。じゃあ解散で」
全体にそう言って、この日の練習はお開きとなった。
「マナちゃん、もう振り全部覚えたの?」
ダンス直後、上がった息の合間から凌也が、愛美に訊ねた。
愛美も、動いた後で息を弾ませている。
「全部じゃないよ。でも、動くの嫌いじゃないんだよね。ダンス部でデモ動画上げてくれてるし」
「そうなんだ。え、マナちゃん、ダンス部とか入らないの?」
「うん、そこまでガチではない」
「全然できるんじゃね?」
「ううん、これくらいがちょうど良いよ」
「でも、すげぇな。俺全然振り覚えられねぇよ」
「サッカー選手って、リズム感良いんじゃないの? ジンガとかやるんでしょ?」
凌也は、愛美の口から『ジンガ』なんていう単語が出てきたことに驚き、笑った。『ジンガ』というのは、サッカー王国ブラジル発祥のステップである。それをトレーニングに取り入れるのがサッカー指導の業界で一時期流行ったことがあった。そのため、そのトレーニングをしている、していないにかかわらず、概要くらいなら、サッカーをしている人間であればほとんど誰でも知っている。しかし一般には、かなりマニアックな知識である。サッカーをやったことがない女子高生が知っている類の言葉ではない。
「なんで『ジンガ』なんて知ってるんだよ! え、もしかしてサッカーファン?」
「弟がサッカーやってるんだ」
「へぇ、いくつ?」
「まだ小学四年生」
「あぁ、だからか。そのクラブで、ジンガやってんの?」
「うん。サッカーは下手なんだけど、ジンガだけはやたら好きなんだよね」
「へぇー」
と、凌也は感心したような低い相槌を打つ。
愛美はこの時、少し、小学生のサッカーのことを凌也に聞いてみようかと思ったが、しかし凌也の「へぇー」という、不自然に低い、そしてわざとらしいその相槌を受けて、話すのをやめた。
「あ、そういえばさ――」
と、凌也の方でも、あっけなく話題を変えた。
「後夜祭、マナちゃんも参加する?」
「うん、たぶんね」
「フォークダンス、一緒に踊らない?」
「いいよ」
愛美は即答した。
――ダンスくらいならね、という言葉は腹の中にしまう。
「マジで? じゃあ、よろしくね。あ、今日もバイト?」
「ううん。でも今日は、友達と約束」
愛美はそう言いながら、何となく校舎の方を眺めた。
すると、グランドネットの柱に体重をあずけ、頬に指を当てて、値踏みするようにこっちを見ている女子生徒がいた。遠目からでも、愛美はすぐにそれが誰だか分かった。
市川瑞希――まさに今日、これから一緒に焼き肉を食べに行く相手である。
「あ、もう来てる」
愛美がぽつりとつぶやき、凌也も、瑞希の姿を認めた。
「クラスの子?」
「ううん。市川瑞希って子、知ってる?」
「あぁ!」
凌也は声を上げた。
今度は本当に驚いたような相槌。
「五組の市川さんでしょ? 演劇部の。知ってる知ってる」
そりゃあそうよね、と愛美は小さく笑った。
市川瑞希は、今年は五組のボスとして君臨しているのだ。一組には桃園春香がいるのと同じように、五組には市川瑞希がいる。ただし瑞希の場合は、いわゆる『アイドル』枠ではない。外国人女優のような、『ご立派』という、決して細くない体つきをしていて、顔も、美人は美人だが、エラの張った輪郭とつり上がった眉で、『綺麗』『可愛い』よりも『強そう』という印象が勝っている。
「え、市川さんと仲良いの?」
「まぁね」
愛美は、少し優越感を覚えながら短く答えると、「それじゃ、行くね」と微かに流し目を凌也に送りながらそう言って、瑞希のもとに歩いた。
「なんだ、見てたの?」
愛美は、瑞希のところまで行くと言った。
「あれ、誰?」
「沢城君。サッカー部の」
「ふーん二年?」
「うん、六組の体実」
「一緒に踊る相手?」
「そうそう。後夜祭のダンスも誘われちゃった」
「またモテてんの?」
「でも、ダンスだけね」
「ふーん。遊ぶ気ないんだ」
「うん」
あら、と瑞希は意外に思った。
こういう時愛美は普通、もう少し含みを持たせるのだ。
「そういう相手じゃない?」
「うーん、いや、たぶん、そこそこ楽しいと思う。いかにもサッカー部って感じで」
明るいし、と愛美は小さく付け加える。
二人はそんな話をしながら正門を出た。愛美はこの日、瑞希と焼き肉に行くことが決まっていたので、自転車は焼き肉屋近くの公民館に置いて登校していた。
目当ての焼き肉屋までは学校から歩いて十分ほど。
二人の行きつけである。
「あ、そういえば、PVやっと明日公開になったよ」
学校を出てバス通りを駅とは逆に並んで歩きながら、瑞希が言った。
『PV』というのは、体育祭のプロモーションビデオのことである。武蔵黒目高校では毎年、体育祭と文化祭には、二週間前になるとプロモーションビデオを動画投稿サイトに公開している。実は、愛美と瑞希が初めて顔を合わせたのは、その動画制作の現場でだった。瑞希は今年も出ているので、二年連続の出演ということになる。
「え、ホント!? 見せて見せて!」
「はい」
と、瑞希は携帯端末を制服のポケットから出すと、まだ視聴者限定公開になっているPV動画をモニターに表示させた。それを、大画面にして、愛美に渡す。
愛美は早速、再生ボタンを押した。




