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あなたに甘い劇薬を  作者: ノマズ
2,それぞれの揺り籠
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バトニング(5)

 一方同じ日、マスゲームの練習が終わったと、愛美がグランドを離れるよりも早く、緑が、愛美のもとにやって来た。ずいずいと歩くその歩調とその目の色で、愛美は、緑から声をかけられるまでもなく、緑の用向きが解った。


「マナ、ちょっと話あるんだけど」


 緑が言った。


「どうしたの?」


 愛美は、さも驚いた風に、高い声で応えた。


「この後、空いてるよね?」


「今日、ごめん、バイトあるんだよね」


 愛美は答えた。


 しかし緑は、愛美を逃がすつもりは無かった。


「五分なら、いいでしょ」


「五分なら大丈夫だよ。どこで話す?」


「三階の空き教室でいい?」


「わかった。着替えたら行くね」


 愛美はそう応えると、二年教室棟に戻った。


 いつものように更衣室で制服に着替えながら、愛美は息を吐いた。これから何が起きるか、愛美には、手に取るように分かった。


 話は、拓のことだろう。


 きっと空き教室には、緑の他に望もいる。


 あの二人は最近仲が良いが、その仲の良さも、この件に関して緑が介入するのも、友情のためではない。いうなれば、利害の一致だ。望は、私と疎遠になった今、頼れるのが緑しかいないから。そして緑は、この件に介入すれば、正義感を振りかざして私に好き勝手言えるから。


「面倒くさいなぁ……」


 愛美はそう呟きつつ、愛用の深紅のボウタイを垂らし結びに結ぶ。他の女生生徒は普通、ストラップタイプのリボンを使っているが、愛美は面倒でもボウタイを使っている。一度はストラップリボンも試してみたが、愛美の好みでは無かった。首輪のように首にかけるだけでというのは、どうにも格好悪く、第一気合が入らない。


 ロッカーの扉内側についた鏡で、いつもより少しきっちり、結び目に気持ちふくらみを持たせるようにセットして準備完了。


「よし」


 と、気合を入れて扉を閉め、愛美は三階の空き教室に出向いた。


 三階は閑散としていた。


 廊下の電気は付いているが、連なる部屋の電気は消えている。


 もう日も落ちているので、廊下の明りも心もとない。


 三階には食堂があるが、その反対側には何にも使われていない『空き教室』が数部屋ある。昼休みになると、そこで昼食を摂る生徒もいるが、それ以外の時間は、誰も、何にも使わない。


 愛美は一応、三階の全部の空き教室を見て回った。どこも電気が付いていなかったので、誰もいないのは、部屋に入るまでもなくわかった。


 愛美は、階段から一番近い空き教室の電気をつけ、中に入った。


 机と椅子が数セット、他には何もない、がらんどうの教室。


 愛美は部屋を横切って、窓際まで移動した。


 もうすっかり日は落ちたかと思っていた愛美だったが、窓の奥、西の彼方にまだ、微かなオレンジの光を見つけた。窓の下にちらほらと、二階教室棟から出てきて正門に向かう生徒が見える。隣接する三階教室棟の向こうには、グランドを照らすナイター塔が、まだ白く光っている。


 暫く窓から外を眺めていた愛美だったが、やがて、階段を上ってくる足音を耳にすると、部屋の階段側の入口に向き直った。


 それからすぐに、二人の生徒が、その入口から空き教室に入ってきた。


 ジャージ姿の緑と制服の望――愛美の読み通りだった。


 望は悲しそうな、しかしどこか傷つき顔を演じている風にも見える表情をし、緑は愛美を窓際に認めると、一見勇ましいような、挑戦的な目を愛美に向けた。


「待たせた?」


 まずは緑がそう言った。


 言葉とは裏腹に、気遣うような口調ではない。


 緑にしては、威圧的。


 しかし愛美は、その威圧を相手にする気は無かった。


「ううん、今来たとこだよ」


 いつもと変わらない高い声で、弾むように応える。


 それが、二人をいら立たせるのを知りながら。


 緑を先頭に二人は、教室の中ほどまでやって来た。そうしてそこで緑は、歩みを止めた。望も、その半歩後ろで止まって控える。


「愛美、何のことか、わかってるよね」


 緑が言った。


「何の事?」


「拓のこと」


「タックン?」


「ねぇ、その呼び方止めなよ」


「ごめんごめん。でも、私ずっとそう呼んでるから」


「ずっとって、いつから? 二年になってからでしょ?」


「そうだけど、私にとってはずっとだよ」


 愛美が言うと、緑は一度、望の顔色を窺った。望は、やはり悲しそうな目で愛美を見つめるにとどまっている。何も言わない。


「愛美さ、望の気持ち知ってるよね?」


 緑は、流石の愛美でも逃げ場のない質問を投げつけた。


 しかし愛美は、悪びれた様子などは全く見せず、からっと応えた。


「小佐田君のことでしょ? もちろん知ってるよ」


「じゃあさ、普通ありえないんじゃない?」


 緑が、いよいよ詰問の手を強めて来た。


 しかし愛美は、少しも動じない。実際愛美は、望に悪いことをしたとも、拓に悪いことをしたとも思っていなかった。ましてや緑に、何かを言われる筋合いは無い。


「二人三脚のペアの事?」


「そうよ」


 じれったそうに緑が答えた。それから、加えて愛美を追求した。


「なんで、拓を取ったの?」


「取ったつもりは無いよ。でも、ペアだったら小佐田君が良いなぁと思ったの」


「マナさ、自分のやってること、わかってる? 相当下衆いことやってるよ?」


 愛美は驚いた風な顔をすると口を開いた。


 しかし、愛美が何か言うより早く、緑が続けた。


「――だとしても、望に一言言うでしょ、普通。私おかしいこと言ってる?」


「でも、二人三脚を一緒に走るだけだよ。それ以上どうこうなんて、私考えてないよ」


「そういう問題じゃなくない」


 緑がぴしゃりと言った。


 愛美も口を閉じた。


 気まずい沈黙が流れるが、それは愛美にとって気まずいわけではない。愛美は、こういう場は慣れている。やがて耐え切れず、望が言った。


「マナちゃん、拓のことは別にして、私何か、マナちゃんに嫌われるようなことしたかな?」


「え、なんで? 全然、嫌ったりなんてしてないよ?」


 愛美は、素っ頓狂な声で応えた。


 緑の唇がぎゅっと結ばれる。


「でも――」


「ねぇ、マナさ、私本当に信じられないんだけど、人の恋を邪魔して楽しむタイプの女なの、愛美って。私も、噂では聞いてたけど、愛美はそうじゃないって信じてたよ。でも、実際やってることってさ、そうじゃない? だとしたら、幻滅だよ」


 望の言葉を遮って、緑が言った。


 愛美は、少し間を開けてから、望に訊ねた。


「望も、そう思ってる?」


 望は、一瞬ドキリとしたように目を見開いたが、やがて、首を縦に振った。


 その瞬間、愛美の脳裏に、皆に迎合するような望の笑い顔と、緑の『ふざけないでさ、ちゃんと走れる人出してよ』の言葉がフラッシュバックした。


「ふーん、そうなんだ」


 愛美の表情に浮かんでいた微かな微笑が冷笑に変わる。


 その、少し低くなった愛美の声音と冷たい笑顔に、緑と望はぎょっとして押し黙った。


「じゃあ、私に取られないうちに誘えばよかったのにね」


 愛美は、その低いトーンまま、望に言った。


 望は、「えっ」と驚いたまま、固まってしまった。


「は? 何それ。そんな言い方なくない?」


 緑が憤慨したように言ったが、その声は浮ついている。


 もうどうにでもなれ、という気持ちで、愛美は、今度は緑に言った。


「緑はさ、どういう立場なの?」


「は? 立場?」


「望が夏果からハブられてた時、放ってたじゃん。それで今は友達面? 笑わせるよね。人の事色々言うけど、自分はどうなの。望の肩を持つのだって、私が気に入らないからでしょ? わかってるよ緑。緑はさ、明日香と仲良くできれば、それでいいんだもんね」


 愛美の口から明日香の名前が出てきた瞬間、緑は鼻を膨らませた。


「何、わけわかんないんだけど! マナさ――」


「緑さ、人に喧嘩売って、それだけ悪口言っといて、自分だけ無傷でいられると思ってたわけ? それ、都合良すぎるでしょ。一人だけ友達思いの良い子で終われると思ってたの?」


 愛美はそう言うと、続け様に、矛先を望に向けて言った。


「望も望だよ。私は一言も、望の味方をするなんて言ってない。そうでしょ? それなのにもう彼女気取り? 自分から行動を起こさなくても、周りが勝手に外堀を埋めてくれて、問題は周りが勝手に解決してくれる。自分じゃ何もしないのに、都合が悪くなると、人のせい。移動教室の時は私、今は緑。次は誰にするの? 別にいいけど、小佐田君との関係は、自分で解決してくれない? なんで私が、手を焼かなきゃいけないの? それが当然? 勘違いしてるんじゃないの」


 誰もまだ聞いたことが無かった愛美の本気のトーンに、望はぼろぼろと泣き出してしまった。緑もそれを見て、目に涙を浮かべている。それがまた、愛美の癪に障った。泣くくらいなら、私に挑んでくるなと思った。


「緑もさ、文句があるなら、私じゃなくて明日香に言ったら。私は別に、明日香を独り占めしようとか思ってないし」


「だから、明日香は今関係ないじゃん!」


 緑は、顔を真っ赤にして反論した。


 しかし愛美は、半笑いを浮かべてから言った。


「まぁ別に、口では何ともで言えるからね。いいよ、そういうことでも。勝手に私を悪者ってことにして、叩けばいいんじゃない? でも面倒くさいから、私を一々呼び出すのはもうやめてね。お互いに時間の無駄だし、言い合いしたって、嫌な思いするだけで何にもならないでしょ? 別に和解とか理解とか、仲直りとか、お互い望んでないんだし」


 愛美がそこまでいうと、ついに緑も、鼻を啜って、目にたまった涙をジャージの袖で拭った。


 もうここまでにしようと、愛美は腕時計を確認して二人に告げた。


「じゃあ私バイトあるから、もう行くね。じゃあね」


 愛美はそう言うと、二人を残して教室を出た。そうして、なんであんな本音、ぶちまけちゃうかなぁと、後悔しながら階段を降りた。

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