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あなたに甘い劇薬を  作者: ノマズ
2,それぞれの揺り籠
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ナイフと麻紐(4)

 白団のマスゲームの練習が終わった後、運動着から制服に着替えた愛美は、二年教室棟二階の休憩スペースで飲み物を買っていた。その休憩スペースは、一年生から三年生教室棟までを真っすぐ結ぶ連絡廊下の一角にあって、飲料水の自動販売機が四台の他、アイス、パンの自動販売機も一台ずつ設置されている。


 どれにしようかと、愛美は自販機を前に商品を選んでいた。しかしある瞬間、背後に人の気配を感じ、ぱっと振り向いた。


 愛美の後ろに立っていたのは、宇川夏果だった。


 夏果は愛美と同じクラスであり、そしてさっきまで一緒に、マスゲームの練習をしていた。夏果はダンス部なので、二年でも教える側に回っている。


「あ、おつかれー」


 愛美はひとまず、差しさわりの笑顔と声でそんな挨拶をした。


 夏果とは、決して、『仲の良いクラスメイト』ではない。移動教室の行動班決めの際、夏果が片想いしている小佐田拓を自分の班に引き入れた件がある。夏果が自分を敵視しているのは、愛美も承知していた。


 とはいえわざわざ、喧嘩なんていう害ばかりで得の無いことをするつもりも無かった。


 何か因縁を吹っ掛けられる前に、ここはさっさと立ち去ろう。そう決めて愛美は、自販機のICリーダーにカードケースを翳した。リーダーの丸い縁が青く光り、カード残高が小さいモニターの枠に表示される。


 とりあえず、レモンティーで手を打とうかと愛美は、ボタンに指を伸ばした。


 しかし、愛美がボタンを押す前に、夏果が、愛美の背中に声をかけた。


「マナ」


 愛美は、ぴくっと、動きを止めた。


 何か、真剣な用事がある、そんな声だ。


 仕方が無いと、愛美は翳していたカードケースを制服のポケットにしまい、振り向いた。


 夏果は声だけでなく、表情も真剣そのものだった。少し不機嫌に感じるのは、その、少しだけ長い頬のせいである。


「どうしたの?」


 小首を傾げながら、愛美は訊ねた。


 夏果は、小さく呼吸を整えてから口を開いた。


「今日、この後、時間ある?」


 『ない』と愛美は応えようかと思った。バイトがあると言えば、それで済む。


 しかし愛美は、今の夏果は、そう無下にはできないと思った。


 愛美がどうしたものかと考える、少しの沈黙の間に夏果が続けて言った。


「ちょっと……話し、したいことがあるんだけど」


 私にはないんだけどなぁと思いながらも、愛美は応えた。


「いいよ、空いてるよ」




 二人な何となく無言のまま、駅のバスロータリーに面したファミリーレストランに入った。


 席に着き、愛美はストレートティー、夏果はサイダーを取ってきて、改めて向かい合って座る。


「夏果から誘われるなんて驚いた」


 愛美が言うと、夏果は弱弱しく笑った。


 調子狂うなぁと、愛美は思った。夏果はもっと、傍若無人に振る舞うのが普通なのだ。反抗期がそのまま人格になった様な、そんな子である。そんな女子だったはずなのに、今は何か、随分と、いつもと違う。


 愛美は、最初はマスゲームの話題から始めることにした。口が軽くなってきたら、話をしたいというその本題も口にしやすいだろうと考えた。


 マスゲームの衣装の事、振り付けのことや、ダンス部の先輩のことなどを愛美が聞き、夏果が答え、その会話で、二人の飲み物の最初の一杯が無くなった。二杯目を二人で取りに行き、そうして席に戻り、そこで夏果は、本題を切り出した。


「拓と望の事なんだけど――」


 愛美は、「うん」と頷き、先を促した。


「拓、やっぱり望のことが好きなのかな」


 愛美はコップに口をつけ、表情を隠した。


 今更自分に、拓のことを訊くなんて、と思った。愛美は今となっては、拓の件に関して、望の味方をするつもりも、夏果の味方をするつもりも無かった。しかし夏果からすれば、自分は望の側についていた敵であるはずなのだ。そんな自分に、拓のことを真っ正面から聞き出そうなんて、随分弱気になったものだなと、愛美は思った。そうして今の夏果のそのしおらしさが、少し鼻についた。


「なんでそう思うの?」


「何となく。でも、移動教室の時、マナ同じ班だったから、もう知ってるんじゃないかと思って」


 愛美は、夏果の目を見つめて観察した。


 夏果も、愛美の目を見ていた。


 愛美はここで、しらばっくれても良かった。明るく、いつも通りの高いソプラノの、男子には評判のいいコロコロした声で「全然分かんないよぉ」と。そう言ってしまえば、この話はここまでだ。別に私は困らない。


 しかし愛美は、そうしようか、それとももう少し本当の所を話そうか、迷っていた。


「私愛美の事わからないよ。望の味方だと思ったら、今全然、望と一緒にいないし、私の事嫌いなのはわかるけどさ……」


 愛美は、ぐいぐいと懐に入ってくるような夏果の態度に、内心たじろいでいた。いつもなら適当にはぐらかすところだが、今日はどうも、それができない。


「別に、夏果の事嫌いなわけじゃないよ」


 と、愛美は、会話の進みを保留させるような一言を言ったが、夏果は首を振って、微かに笑いながら応えた。


「いいよ、そういうのは、何か、マナらしくないし」


 愛美はそう言われて、返答に詰まってしまった。


 夏果が、体面を捨てて自分と話しているということが、愛美のいつもの余裕を奪っていた。


「私、拓とは一年の頃にね……同じクラスで、まだ誰も友達がいなかったときに、最初に話しかけてくれたのが拓だったんだ。たぶんそれがきっかけ。一年の時も、告白しようかなとか思ったことはあったんだけど、結局できなくて今に至るって感じ」


 愛美は、冷たい紅茶を喉に流し込んだ。


 そんな馴れ初め、私興味ないんだけどと、愛美は、そう言ってやりたい衝動に駆られた。同情を引こうなんて、もしそんな作戦だったら、その手には引っかからないわよと、愛美はそんな意思表示をしてやりたかった。


「あ、そういえば……マナも拓のことが好き説あるんだけど、それはどうなの?」


「無い無い」


 愛美はそれには、笑って首を振った。


「それはないんだ」


「望をからかって濁して答えたことはあったけど、それだけ」


「望と何かあったの?」


「何かって?」


「だって、移動教室前は一緒にお昼とか食べてたじゃん。でも今、全然一緒にいないよね? 喧嘩でもした?」


 愛美は、別に大したことじゃないよというように、鼻で笑って応えた。


「まぁ、望は今緑と仲良さそうだし、それでいいんじゃない?」


「あぁ、確かに、最近よく一緒にいるけどね。でもそれって、それでいいの?」


「私は別に」


 愛美はさらりとそう応えて、しまった、と思った。


 少なくとも、夏果に対してとる態度では無い。今の自分は完全に、瑞希と一緒にいる時用の――つまり、ほとんど本音の自分だ。普段クラスメイトに見せている自分より鋭く、ダークで、冷たい。


 愛美の斬り捨てる様な返答に、夏果は一瞬ぽかんとしていたが、やがて、くすくす笑い始めた。


「あ、いや、そういうんじゃないよ? どうでもいいとか、興味がないとかじゃなくて、望が、緑と仲良くするのは良いことだと思ってるだけで」


 愛美は、何とか言葉を繋げて取り繕うが、夏果の笑いは止まらなかった。


 しかし夏果が笑ったのは、愛美の慌てて取り繕う姿が可笑しかったからだけではない。


「いいよ愛美。私全然、今の愛美嫌いじゃないから。むしろ、ちょっと憧れる」


 そう言われても愛美は、「なんでよ」と笑いながら応えることくらいしかできなかった。しかし愛美の方も実は、今の夏果は、そう嫌いでもなかった。教室にいる時よりも、今まで接してきたどの夏果の顔よりも、自然体で穏やかなのだ。


「まぁ――」


 と、愛美は紅茶で唇を濡らすと切り出した。


「私の見立てだけど、たぶんタックンも、望のことが好きだと思うよ」


 愛美の見解を聞いた夏果は、すうっと息を吸い込んだ。そうしてじっと、愛美の目を見つめた。夏果から見る愛美の瞳には、不確かな揺らぎは無かった。確信を持って言っている。それが、愛美のその目と、その声のはっきりした輪郭から感じ取れる。


「やっぱ、そーなんだ」


 途中で息を吸って言葉を切りながら、夏果が言った。


 夏果も、実の所、覚悟はしていた。何となく、そんな気はしていたのだ。だから夏果は、焦っていた。望が結果的に仲間外れになるように仕向けたり、望から拓へのアタックをけん制したりしていた。


 ――私の方が、望なんかより、あんなぼんやりした子なんかより、全然いいと思うのに。


 夏果はそんな気持ちを飲み込んでから、ぽつりと言った。


「なんで望なんだろ」


 夏果の口からそんな言葉が出てくると、愛美でも流石に、居たたまれない気持ちになった。愛美からすると、拓が夏果を選ばない理由はわかったていたが、しかしかといって、選べば選べる立場から、あえて望を選ぶ理由の方は、未だによくわからなかった。


 しかしそんな事よりも何よりも、夏果が――あの夏果が今、自分の前で弱音を吐いたということが、愛美には衝撃だった。この子は、人の前で――しかも大して仲良くない同級生の前で、こんな弱気を見せるんだと、少し感動さえしていた。そして少し、羨ましかった。


 夏果は、涙を堪えた様に少し唇を震わせた後、無理やり笑いながら言った。


「でもそりゃ、結局こうなるよね。わかってたけどさ」


 夏果の痛々しい笑顔に対して、愛美はクールに残りのストレートティーを飲んで見せた。


 可哀そうだから慰めるなんて、絶対にしない。


 気休めの言葉をかけることも。


 ここで、「望より夏果の方がいいよ」とか、「拓に見る目が無いんだよ」なんて言ったところで、それが何になるだろう。そんなのは、慰めている自分に酔っているだけだ。


 それに、と愛美は思った。


 ――私と夏果はそういう関係じゃない。


「でもまだ、決着はついてないと思うけど?」


 愛美は、覗き込むように夏果を見やった。


 夏果は目を丸くした。


「私の経験からすると、男の『一途そう』なんて当てにならないわよ」


「マナ、どんな経験してきたの……」


 夏果は、引きつった笑顔で愛美に言った。


 愛美は、くすりと笑った。愛美は、それ以上のことを夏果に言うつもりは無かったが、こう言って夏果がどうするのかには、少し興味が沸いた。


 そして、もし夏果が、望と拓の両想いを知りながらそこに割って入ろうと挑んだ場合、案外勝率は低くないのではないかと、愛美は思った。


「何か頼もっか。愛美、今日はバイト無いの?」


「うん、体育祭の準備期間中は、少しセーブしてるから」


「そなんだ」


 夏果はそう言うと、早速リモートパネルでメニューを選んだ。愛美もそれに続き、マグロ丼セットを注文した。ファミレスでマグロ丼というチョイスを面白がって、そのことで少し二人は笑い合った。その後で、夏果はちらりと愛美に訊ねた。


「ところでマナは、今、彼氏いたりするの?」


「いないよ」


「じゃあ、狙ってる男子は?」


 愛美はそう聞かれると、にやっと笑みを浮かべた。意味ありげで、何かをにおわせる様な、やたらと艶っぽい微笑み。


 その暴力的な怪しさに、夏果もつい、引き込まれてしまう。


「わかる?」


 と、愛美は夏果に質問した。


「わからない」


 夏果は、ほとんど考えもせず応えた。


 それを聞いて愛美は、微笑みの中で、内心安堵していた。

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