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あなたに甘い劇薬を  作者: ノマズ
1,二人の雷
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二人の雷(1)

 午後の活動を終えて皆が宿に戻ってくると、休憩もそこそこに、夕食のカレー作りが始まる。宿の庭には大型のビニールハウスが敷設されていて、それが外食用の簡易食堂兼炊事場となっている。


 カレー作りは、班ごとに作るわけでも、班ごとに工程の分担があるわけでもないので、その場のノリで作業が始まる。ほとんどの生徒――特に男子生徒は、カレーの作り方も良く知らないので、調理用具や食器を持って来たり、野菜の段ボールを運んだり、野菜を切ったりと、心得のある女子の指示に従って動くことになる。


 ぐつぐつ煮え立つ鍋を覗きながら、その暇な時間の間に、味見と称しまだ硬いジャガイモや、コンロの火に勝手に牛肉を炙ったものを食す男子が出てきて、笑われたり、怒られたりする。ちなみに岳斗は、ジャガイモの方だった。


 カレーのルーが鍋に溶け、その匂いがビニールハウス内に漂い始めると、いよいよ腹ペコの高校生たちは空腹の虫を鳴らし始める。この時にはすでに、食事をするグループは何となく固まって決まっていた。


 愛美は明日香や望や、そして夏果と同じテーブル。そのテーブルには拓やローリーこと鈴木条や、明日香や緑と同じ行動班で軽音部ボーカルの深谷光輝などが同席した。いわゆるクラスの一軍グループ、というやつである。


 そこに岳斗が入っていないのは、岳斗がそのテーブルに誘われなかったわけではなく、岳斗が正孝を誘って、違うテーブルの席を取ったからだった。そのテーブルには、岳斗と仲の良い柔道部女子、桜庭蓮子がいる。体格が良いという共通点で、岳斗にとっては気の置けない女友達なのだ。


「お前、おかわりは十杯までにしとけよ」


 岳斗は、蓮子がカレーの皿を持って着席すると、そんなことを言った。


「そんな食わねぇよ!」


 蓮子は、低い声で透かさず岳斗に突っ込んだ。


 蓮子の他にそのテーブルには女子が二人――横井悠理と長谷部静が一緒である。横井悠理は、体つきも性格もおっとりした、棘っぽい所の無い女の子で、岳斗と蓮子のやり取りを見てずっと笑っている。


 一方、長谷部静はひょろっと背の高い女子で、黒淵の四角い眼鏡をかけている。実は正孝と同じ文芸部だが、正孝は文芸部の活動には出ていないので、互いにしゃべったことはほとんどない。


 正孝は席に着いた後、自分が幽霊部員である負い目から最初、静を恐れた。静も、柔らかそうなタイプではない。ステレオタイプの文学少女の真面目さと硬さに、一匙、強さを持っている。眼鏡の奥の知的な黒目のその奥には、揺るぎの無い自我が見える。その強さに、正孝は怯えた。


 しかし静は、正孝が部活に出ていないからと言って、そのことを責めるような考えは少しも持っていなかった。それどころか、正孝には少なからず興味を持っていた。男としてではなく、〈ポエマー〉として。詩を書くのなら部の作品で出せばいいのにと、そう考えていた。そしてまた、そうしていないのには何か理由があるのだろうとも。もしその理由が、自分や文芸部で解決できるような事なら、積極的に介入したいという気持ちもあった。


「幸谷君、話すの久しぶりだよね」


 食事が始まってすぐ、静は正孝に声をかけた。


 静は、正孝の正面の席に座っている。


「う、うん……」


 そう返事をして縮こまる正孝に、静に笑顔を見せた。


 実は笑うと、静の目の横にはいかにも優しそうな皺ができる。正孝はそれを、意外に思った。恐れていた第一印象の分だけ、許されているのかもしれない、という期待がわっと湧いてくる。


 その正孝の、一瞬見せた子犬のような無邪気な表情に、静はくすりと笑った。


 それで静の方でも、正孝に持っていた印象が変わった。


 静は、正孝がもっと気難しく、どよんと薄暗い男子だと思っていた。髪を切って外見の印象は変わっても、静にとって正孝は、一年の最初、何度か部に来た時のまだ髪も長い時の正孝のままだった。


「前にも話したことあるの?」


 と、二人にそう訊いたのは横井悠理である。


 悠理と正孝は、これが正真正銘、最初の会話だった。


「幸谷君も文芸部なんだよ」


 静が言うと、悠理が「え」と、意外そうな声を発した。


「ほとんど行ってないから……」


 正孝は、文芸部、として紹介してもらったことが申し訳なくなって、そんな補足をした。


「そういえばあだ名あったよね。詩書くんでしょ?」


 蓮子が言った。すると岳斗が、蓮子をからかって言った。


「え、お前詩とか知ってんの?」


「あんたこそ知らないでしょ。詩とか、絶対理解できなさそう」


「はぁ? 俺こう見えて繊細だぜ? 詩心とかめっちゃあるから」


 岳斗が言うと、蓮子と悠理が同時に吹き出した。


「いや、マジマジ! 笑い事じゃねぇよ!」


 岳斗が向きになるのを見て、正孝も笑った。「そのなりで?」と、蓮子も容赦がない。しかし正孝は笑いながら、岳斗に繊細な部分があるという点については、確かにその通りかもしれないと、こっそり思うのだった。




 岳斗の笑い声が聞こえてきて、愛美は、ふっと、岳斗のいるテーブルを見やった。岳斗や正孝のいる席は、愛美からはテーブルを一つ挟んだ向こうの対岸にある。


「――入ってきちゃえば良かったのに!」


 夏果が言った。


 丁度話題は、愛美たちの午後の活動についてだった。岳斗が思い付きで散策ルートを変えて、一番遠くの湯場に行った、ということを愛美が話すと、夏果は、だったらその湯場でお風呂入ってきちゃえば良かったのにと、そう発言したのだ。


 確かに、その手もあったなと、愛美は思った。


 当然、今は旅行ではなくあくまで移動教室の〈学習〉なのだから、勝手に風呂に入ったりしてはいけない。しかし、風呂に入って来たからと言って、それをわざわざ教師陣に自白する生徒もいないだろう。別に、誰の目があるわけでもない。ここの湯場は大抵無料で、勝手に入ることができる。しかもどこも温泉である。


 そこまで考えると、愛美は、本当に入ってくればよかったと、後悔するのだった。本来のルートを外れただけで好奇心を満足させてしまった数時間前の自分の頭を、一つ小突いてやりたい気分になる。


「そういえばここ、混浴のトコとかあるらしいよ」


 後先考えない元気な声で、明日香が言った。


 その大声と発言内容に、少し離れたところで食事をしていた教師が、ジロリと明日香を見たり、やれやれとしたいった風な笑みを浮かべたりした。


 愛美のいるテーブルの会話がピンク色を帯びる中、しかし愛美は、適度に少しはその方面の話題に興味がありそうな振りをしながら、気になるのは岳斗の――正孝のテーブルだった。何の話をしているのかはわからないが、程よく盛り上がっている。


 正孝の表情も緩んでいて、微笑んでいるように見える。


 幸谷君、優しい顔してるな――……。


 愛美は、なんだか悔しいような、寂しいような気がして、人知れず頬を強張らせた。


 話は混浴の話題から、この後皆で、どこかの湯場に入りに行こうか、という話になっていた。もちろんこれは現実的な話なので、混浴の湯場に行くわけではない。


「え、でも、湯場って、お湯めっちゃ熱いらしいじゃん」


 そう言ったのは、明日香だった。


 湯場は、ちゃんと外出名簿に名前と、行く先の湯場の番号を記入すれば行くのは自由だが、外の湯場は実はあまり、人気が無い。というのも、宿についている温泉が素晴らしく(内風呂の他に露天風呂もあり、どちらも勿論温泉である)、それに比べると外の湯場の温泉は、熱い上に、どこも観光客用では無いので、薄暗い。男子はそれでも冒険心が勝ったりするが、女子の場合はそうではない。


 そのため、一年時の移動教室でも、女子で外の湯場に入った、という生徒はほとんどいなかった。夏果も、緑も、そして明日香も、当然望も愛美も、去年は宿の温泉に入った。


「まぁでも、行くだけ行ってみてもいいよね」


 そう言ったのは緑である。


 まぁ確かに、行くだけはタダだもんね、と他の女子が同意し、とりあえずは行くことになった。そうすると今度は、このテーブルの面子の他に、誰か誘う奴いるかなと、そんな話になる。


「岳斗は誘おうぜ」


 光輝が言った。


 岳斗を誘うことについては、誰も異論がない。むしろ最初から、このテーブルにはいないが、岳斗はメンバーに入っているようなものだった。


「じゃあ、幸谷君は?」


 と、そう言ったのは夏果だった。


 その口元に小馬鹿にしたような笑みが浮かんだのを、愛美は見逃さない。とはいえもう、それに反応することも無い。


 夏果に反応したのは光輝だった。


「いや、いらないでしょ」


「いらないとか言うなよー」


 ローリー鈴木が、いつもの、ふにゃっとしたような言葉で、光輝を咎める。


「確かにそれは言い過ぎ。そういうトコだよ光輝」


 怒るというよりは少し楽しそうな声で、明日香が言った。


 その一連の会話を、望が笑いながら聞いているのに、愛美はムカっと来た。拓が笑っていたから、それに付き合っただけかもしれない。でも、だとしても愛美は、望の態度は許せないと思った。――もうずっとそうやって、ふらふら、へらへらしてればいいのよ、と。


 そしてまた同時に愛美は、望たちと湯場になんか行くもんかと心に決めたのだった。

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