牧場の風(6)
「――うん、ちょっと書いた」
「読ませて」
「……はい」
正孝は、手提げからメモ帳を出して、それを愛美に渡した。
愛美は早速、正孝が牧場で作った詩を読んだ。
素朴な詩。
もってまわったようなレトリックや派手な言葉はない。
まるでここの湧き水のよう。
その言葉の一つ一つは、愛美の心の中に雫となって、ぽちゃり、ぽちゃりと零れ入って来るのだった。愛美は二度、三度と、繰り返し正孝の作った詩の言葉を目で追った。自然と、いつの間にか愛美の唇は動いて、葉の擦れるような音読をしていた。
「良い……良い詩だね」
じっくり音読までした後、愛美はそう言った。
その声は、喉の奥で微かに震えていた。
牧場で正孝が涙を流していたらしいこと、馬に乗らなかったこと、そしてさっき、自分の入った三枚目の写真を撮らなかったことも、その理由を愛美は、もう正孝から聞く必要は無いと思った。
正孝は、読み終わった愛美の手からメモ帳を取って手提げにしまった。
そんなメモ帳など無かったかのように、俯いてそれをしまう正孝が、愛美には切なかった。ずっとそうして、人知れず、心も詩も人の目に触れさせないように生きて来た正孝の人生を見たような気がした。
「幸谷君、前学校辞めたいって言ってたけど、今はどう?」
愛美は、そんな質問を正孝に投げた。
正孝は微笑して答えた。
「今は、そんなに思ってないよ」
「良かった」
「……」
「幸谷君いなくなったら寂しいよ」
「うーん……でも、佐藤さん、友達いっぱいいるから、あんまり思わないけど」
正孝のその言葉に、愛美は少し腹を立てた。
〈マトリョーシカ〉と言われた件も、愛美は即座に思い出す。
「じゃあ幸谷君は、私に会えなくなっても全然平気なの?」
「え、いや……」
正孝は愛美の問いに絶句した。
愛美が、まさかそんな鋭い質問をぶつけてくるとは思っていなかったのだ。
「じゃあちょっとは残念? 寂しい?」
今度は少し、からかうような余裕をもった態度で、愛美は訊いた。
正孝は、恥ずかしいながらも「うん」と頷いた。
愛美はにこりと笑って、「ほらね」と言った。
「私も同じだよ。だから、辞めちゃダメだよ」
「うん……でも、そんなにちゃんとは、約束できないけど」
「じゃあ、辞めたくなったら絶対相談してよ」
「……それは、わかった」
よし、と愛美は納得して頷いた。
幸谷君はたぶん、こんな口約束でも絶対に守るだろうと、愛美には不思議とその確信があった。人を裏切るようなことはできない男の子だ。だから、色々がんじがらめになるのかもしれない。人間関係、あっちを立てればこっちが立たず、ということだらけだ。だから、程よく話を合わせたり、小さな嘘を付いたりしながら、上手くやっていく。
それは教室でも、皆がやっている普通の事だ。でも幸谷君は、それが苦手なのだろう。人の気持ちを汲み取りすぎてしまうのだろう。何しろ、馬や牧場に吹く風の気持ちさえ汲み取ろうとする人なのだから。
「待って、え、ちょっと、どこ行くの!?」
いつの間にか正孝と愛美の随分前を進んでいた三人のうち、望が声を上げた。岳斗が、予定の道を反れた坂道を登り始めたからだった。
「一番遠く行こうぜ、〈深山の湯〉」
岳斗が言った。
〈深山の湯〉は無料の湯場で、確かに〈旧跡・名所めぐり〉のスポットの一つになっているが、宿から歩いて三十分ほどかかるという事で、正孝の考案したルートでは、〈深山の湯〉は外していた。
「遠くね?」
拓が言った。
正孝は地図を取り出し、広げて〈深山の湯〉の場所を確認した。
〈旧跡・名所めぐり〉エリアの一番はずれである。しかも、行きは上りの傾斜が続く。その道を、三十分。高校生の脚なら実際には二十分ちょっとくらいかもしれないが、どちらにしても遠い。
とはいえ、どこを巡るかは自由だ。〈深山の湯〉に行くまでにもいくつか〈旧跡・名所めぐり〉の撮影スポットはあり、さっきの道祖神のような、地図には載っていない石像や湧き水の水飲み場などもあるだろう。
学習としては、どこを巡っても約二時間歩き回るのには変わりはないので、宿に戻る時間さえ守ることが出来れば、ルートの予定を変えようが、一番遠くの〈深山の湯〉に行こうが、一向問題ないのである。
「まぁ、戻ってこられるから、大丈夫だよ」
正孝が言うと、「よっしゃあ」と、岳斗は再び坂を上り始めた。仕方ねぇなと言いながら、拓もその後に続く。愛美は、こっそり正孝の顔色を窺った。決めたコースを勝手に変更されて、正孝がもしそれを嫌がっているようだったら、愛美はすぐにでも岳斗と拓を引き返させようと思っていた。
しかし正孝はというと、むしろ急に予定が変わったのを楽しんでいた。班長だから予定は組んだものの、本来的に正孝は、他人をスケジュールの通り動かすのも、自分がスケジュールの通り動くのも、好きでは無かった。
正孝が何だか楽しそうなので、愛美はひとまずほっとした。
――幸谷君って、やっぱり不思議な人だな。
そんな事を思いながら、愛美は正孝の隣を歩いた。
そうして一行は、休憩を入れながら〈深山の湯〉や、その周辺スポットを結びながら道を歩き、宿には予定通りの時間――五時少し前に帰って来た。




