牧場の風(5)
宿に戻ると昼食である。
業務用の大きな炊飯器に大量の白飯が用意されていて、それで握り飯を作る。すでにいくつかの班は戻ってきていて、食堂はわいわいと賑わっていた。どの班も大抵、班の女子がおにぎりを作り、男子に施している。こういう時男子は、独活の大木になって、ただぼうっとしている。やることが無いわけではなく、やることを見つけられないのだ。
「ほら、早く水とってきてよ! あと海苔とそぼろ、貰ってきて!」
女子にそう言う風に指示されて、やっとその仕事の存在に気づき、のそのそと動く。
それでも、同級生の女の子が作ってくれたおにぎりを食べられるという特典のために、なんだかんだ、男子たちは浮かれて、指示されることに文句を言いながらも指示通り動いていた。
正孝たちの班も、おにぎりを作るのは、望と愛美だった。
中には、率先しておにぎりを作る男子生徒もいたが、正孝の班では、拓も岳斗も、そういうタイプではない。正孝もまた、食への執念の無さから、料理はほとんどやらない。
「望、絶好調じゃん」
と、隣り合っておにぎりを作りながら、こっそりと愛美が言った。
隣の望は、顔を赤くする。
望と拓は、サッカー部ではいつも一緒だが、とはいえ選手とマネージャー。二人だけ、という瞬間はほとんど無い。七組の教室でも他人の――特に夏果の目があるので、易々と拓には話しかけることはできないのだ。
その反動でかこの二日間、望はほとんどデートのつもりで、拓と一緒にいた。それを岳斗に茶化されることはあっても、咎める班メンバーはいない。それを良いことに望は、自分が相当盲目的な態度になっていることを自覚していた。拓ばかり見て、他に気が回らない。
「マナ、ごめん、私、良くないよね……」
「何今更真面目になってんのぉ?」
望の言葉に、愛美はおちょくるような声でそう応え、ちょこんと肩と肩をぶつけた。
「今は今しかないんだから。周り気にしてたら、チャンス逃しちゃうよ?」
「そうかな? でも――」
望が言いかけた時、食堂に新しい班が入ってきた。
緑や明日香、そして望の恋のライバルである夏果たちの班である。
「おかえりー」
食堂に入ってきた生徒たちに向けて、愛美が声をかける。
男子は少し格好をつけて「おう」と手を上げ、女子は「ただいま」と大きい声で返事を返す。
「マナ、望、一緒に食べよー」
挨拶の後すぐに、夏果が二人にそう言った。
「うん、食べよー。夏果、まず手洗ってきなよ」
夏果は「はいはい」と軽く返事をして、一旦食道を出た。
「ほらね」
愛美は、望に目配せをして言った。
「チャンスは一瞬だよ」
愛美に言われて、望はぎょっとした。自分と夏果が今は本当に、恋の宿敵同士なのだと、望はそれを実感したのだった。
昼食を食べた後、行動班は午後の活動に移る。
正孝たちの班の午後の活動は、〈旧跡・名所めぐり〉である。野釜村の神社や石碑や、湯場などを巡り歩き、写真を撮る。
山の斜面の村なので、少し散歩のつもりで歩いても、じわりじわりと、体が汗ばんできて、岳斗などは、宿を出て五分ほどで額からそれとわかる汗を流し始めた。
「お前汗かきすぎじゃねぇ?」
堪らずに、拓がそう指摘すると、岳斗は「俺汗っかきなんだよ!」と半分ムキになって応えた。地蔵とは随分違う、卵を半分にしたような形の道祖神の石像を見つけた時である。
相変わらずその脇の水路を、ちょろちょろと、水が流れている。
「一応、撮っておこうか」
正孝はそう言うと手提げから、各班に一台貸し出されている携帯端末を取り出して、その可愛らしい道祖神の石像を撮った。
「おいおい、撮るなら皆入ろうぜ」
拓がそう言った。
なるほど、確かにそうした方が良いかと、正孝も思い直し、皆を入れての二枚目を撮った。
「はい、しっかり撮れたよ」
正孝はそう言うと、今度こそ端末を手提げにしまった。
すると今度は愛美が言った。
「え、幸谷君が入ったのも撮ろうよ」
「……いや、いいよ」
正孝は、小さく笑いながら、愛美の提案を断った。
愛美の発言のあと、一秒にも満たないたった一瞬だったが、正孝は、愛美以外の三人が、不自然に挙動を止めたのを見ていた。そこから、皆の心の中にある、もう一枚撮るその面倒さを正孝は正確に感じ取ったのだ。
正孝が手提げに端末をしまっている間に、拓、岳斗、望はさっさと立ち上がって、歩き出した。ここにはもう全く未練が無いというようなその淡白さに、愛美は少し腹が立った。
「幸谷君、いいの? 写真、今だけだよ? 幸谷君も撮りたいでしょ!」
と、そんなことを強く正孝に言いたい愛美だった。
愛美は、何となく正孝が、皆に気を使ったのを感じ取っていた。拓はともかくとして(最初から正孝とは馬が合わないようだから)、岳斗にしても、望にしても、幸谷君に対してちょっと薄情じゃないだろうかと、愛美はそう思った。
先頭の三人の後ろから、愛美は正孝を待って、二人並んで歩くことにした。
そうすると、愛美には意外なことだったが、先に話しかけたのは、正孝の方だった。
「お昼、おにぎり、ありがとうね」
「え? あぁ、あはは、お粗末様でした」
愛美は笑って応えた。
昼食の正孝のぶんのおにぎりは、愛美が作ったのだった。具は何が良いかと聞くと、具無しの塩にぎりが良いと正孝がリクエストしたので、それを三つ作った。正孝は二つしか食べなかったので、残りの一つは、岳斗が食べたらしい。
「幸谷君、写真好きじゃないの?」
「そんなことないよ」
「撮る方が好きとか?」
「あぁ、それは、そうなのかも。自分が写るとなんか、邪魔な気がして」
「え、何それ! 全然そんなことないのに」
「うーん、そうかな。でも、うん、なんかね」
ぼんやりした正孝の返事が、いかにも正孝らしく、愛美は小さい笑みをこぼすのだった。
「幸谷君って、なんか、ペース違うよね、皆と」
「うん。自分が遅いのか、皆が早いのか……」
「なんか、落ち着く感じ」
愛美にそう言われて、正孝はどう応えて良いかわからず、曖昧に笑って誤魔化した。褒められているのか、皮肉を言われているのか、正孝にはわからなかった。
「乗馬の時も幸谷君、乗らなかったけど、体調悪かった?」
「え、あ、いや……体は大丈夫だったんだけど」
「うん」
愛美に話の続きを促され、正孝は困ったなと思いながら俯きがちに、歩みを進めた。それでも愛美が、自分の言葉を待って何も言わないでいる。この沈黙に付き合ってくれている愛美の態度に観念して、正孝は口を開いた。
「なんか、可愛そうになっちゃって」
「え、馬が?」
「うん。いや、そんなことないんだろうけど。ほら、係の人が話してくれたでしょ、ほとんどの引退馬は殺処分されちゃうって。それにあの引退馬たちも、たくさん走らされて、大変だっただろうなとか、思って」
「あぁ……そうだね、言われてみれば、そうだよね」
愛美は、深く頷いた。
愛美は正孝の涙の事を思い出した。本当に泣いていたかどうかはわからないが、あれはやっぱり、そうだったのではないかと愛美は思った。それからあの時、一瞬目が合った後、幸谷君はメモ帳を、慌てて手提げにしまい込んだ。もしかするとあの時、幸谷君は詩を書いていたのではないだろうか?
「幸谷君、牧場で詩、書いてなかった?」
「え!?」
愛美に訊かれて、正孝は驚いた。まさかそこまで見られていたとは、思っていなかったのだ。
しかし、愛美の確信のありそうな声音に、正孝は、もう誤魔化してもしょうがないと思った。




