-【9-5】-人は学を持たずして心身の繁栄はならん
学園都市ビッショウを囲む標高の高い巨壁は、
人工物然とした角張る形状に艶のない黒色をしており、
その印象的な見た目から、外部では【学都の黒璧】と呼ばれ
キンビニー地方では、外界から隔立たれた学生達の聖域の象徴となっていた。
その黒壁から近い場所にある、
教職員用の休憩棟の一室で、同格の大男が2名
顔を向かい合わせ対談している姿がある。
地方同盟の指導者オーケン・アクテオールと、
学園都市ビッショウ制圧の責任者アマテオ軍人のウィフフ・ギリンだ。
二名の巨漢が持つ規格外のボディが内包する質量は、
単純で視覚的な印象だけでは説明できないほどの圧迫感を生み出し、
オーケンの護衛として場に同席しているリュンクには、
その体感で、室内の温度が高く感じ、天井が低く、また部屋も狭く感じた。
「今のあんた等が置かれた状況なら、
それも、ありえない選択肢じゃないはずだ。
何も、本当に鞍替えしろってんじゃない。
お互いが抱えたこのクソったれな状況を覆す為に、
ひと時協力し合おうという話だ」
オーケンは、アマテオ帝国の軍人【怪力のウィフフ】に対して
地方同盟への一時的な寝返りを提案し、そのメリットをふんだんに語り終え、
始終、般若の様な表情を固着させて頷きすらしないウィフフの返事を待った。
数分前、突然現れたリュンクとオーケンに、対してウィフフは強い警戒を見せ
即座に戦闘態勢を取ったが、オーケンが両腕を広げ
戦闘の意思がない事をアピールすると、彼は静かに対談に応じ
オーケンの話を遮る事なく聴きに徹し今に至る。
「‥‥‥‥‥‥。」
オーケンの提示した数々の提案に対し、
ウィフフが、目を瞑り、額に深い皺をこしらえてからしばらく経つ。
ただでさえ、圧力の甚しい情報量が詰め込まれた室内に、
沈黙が生み出す冷やりとした神経の高ぶる緊張が走り、
空間は、どうにも形容し難い異様な雰囲気に変質している。
まるで「キンキンに冷えた茹だる熱湯」の様に、
経験した事のない感覚に当てられたリュンクは、
無駄に精神力を削られ今にもまいってしまいそうだった。
なにせ、この次の文句には、
地方同盟の命運を決定づける言葉が返ってくる。
ケトアト民、ポルシィやデウム、アテテロから、
アンガフ民、ミアキスや決起隊の皆、
それからこのビッショウの学生たちに至るまで、
多くの人間を巻き込む返答が待ち受けていると考えると、
リュンクの不安は至極まっとうな感覚だ。
そんな命運を握るカードを怖気もせず、
豪快にテーブルに叩きつけるこのオーケンが異常なのだ。
リュンクは「マジで金玉が口から飛び出そうだ」と、
急速に縮み上がった己の睾丸が持つ伸縮性能を過激に表現した。
「地方同盟の指導者、オーケン・アクテオール‥殿」
プチプチと、鳥肌が全身に広がる。
リュンクは、ウィフフが語尾につけた敬称に対して、
先走った考察を巡らせると浮き足立っていたメンタルを、
やや上斜めに傾け安堵させ、付随した彼の下腹部から、
やんわりと緊張が解けると、彼のピーナッツはズズズと下方向に緩む。
「‥‥‥残念だが。
貴公の申し出を受け入れる事は出来ないのである」
提案の不成立。
それが長考を説いたウィフフに返事であった。
再びリュンクの睾丸は、弾かれたスーパーボールの様に、
バフッ!と、跳ねる様に縮み上がり、ビタンと下腹部に衝撃を覚えた。
「いててっ」
リュンクは、やや内股気味で鈍痛を抑え込みつつ
「テクニカルな急所攻撃すんなや」と、人知れず一人相撲をとった。
一方、緊張感の衰えない大男達、両者の眼光は未だ鋭い。
強面の中心で強かな視線を光らせるウィフフ、
その脳裏では、古い記憶がノイズのかかった映像でフラッシュバックする。
吹雪に晒される寂れた村と、虚ろな目で枯れ枝を火にくべる痩けた人々の姿、
そして、自分を強く糾弾する友の姿が‥‥‥。
~以下回想~【ウィフフ・ギリンという人間】
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ウィフフ・ギリンは、誠実な人間だ。
彼は、アケマ地方、アマテオ帝国領、
トトエオー山脈北部にあるスーゼンという村に産まれた。
スーゼン村は、アマテオ帝国がアケマ地方を占領する以前から
その地に根付く、歴としたアケマ地方原住民の集落だ。
かつてその地には多くの原住民の集落があったが、
東大雪原の影響で一年の大半が冬季なアケマ地方は、
ある程度発展した都市でも無い限り、
人が住み着くには適さない部類の土地であり、
純粋な原住民の集落は、今ではスーゼン村が残るばかりだった。
スーゼンの民が、その地に留まり過酷な生活を選んだのは、
かつて獣人族との生存戦争に勝利してこの地を得た先祖に対する敬意と、
その選民思想がそこに住む事を誇りとし、次世代への変化を滞らせたからだ。
自らを誇り高き民族と信じるスーゼンの民は、
先祖の残した文化を踏襲する事で、その武勇を継承できると思っており、
つまりは、自分達は先祖と同じ栄光を宿し、羨望の対象だと考えていた。
古き戦とそこに在った武勇は、語り草にこそなれど
時を経ればただの昔話でしかなく
ましては何代も前の先祖が遂げた偉業でリスペクトされる事はあり得ず、
況んやそれが待遇の良し悪しを決める事もない。
誇り高き民族はそれを受け入れられなかった。
本質を言ってしまえば、彼らが小虫の様に縋りつく
楽天的で傲慢な言い訳が通用するのは、
この地を除いて他に無かったのである。
そんな生活を続けるスーゼン村が過疎化するのは想像に容易く、
村民の減少は、みるみる内に進み、やがて寒村と成り果て
比例して激減した子供の出生数は、ウィフフ誕生の時点で2桁を切っていた。
また、村民の高齢化も著しく、
現役で動ける大人達は、高齢者の世話をしながら
その日食べる食料を確保せねばならず、
生きる事に必死な大人達には、子供の教育に割ける余裕など無く
そこで育ったウィフフと数名の友は、まともな修学のない幼少期を送った。
ウィフフがスーゼンで暮らす中で感覚的に理解した唯一の学びは、
「鮮度を失った名誉は、人間を腐らせる呪いでしかない」と言う事。
この不条理について、友人とウィフフは幾度となく思いの丈をぶつけ合った。
ウィフフがある程度成熟し、自分の生き方に疑問を持った頃、
大人達が、自分に強いようとしている古い習慣をトレースするだけの生活と、
それを固着させている【人を腐らせる呪い】に強い嫌悪感を覚え、
友人にスーゼンからの脱出を持ちかけたが、友人たちは
「俺たちはこの村を内側から変えてみせるから、お前は違う方法を見つけてくれ」と告げ、
いつしかこの村を救済する目標を胸に、ウィフフは、一人村を飛び出し、
単身でアマテオ帝国の大都ハイテリンに向かった。
アマテオ帝国が持つ現代技術を過量に孕んだ大都市ハイテリン、
そこは、ウィフフにとっては異世界と同等な場所だった。
堅牢な土木建材で建造された強く美しい街並みと、
高度な紋術回路で開通された水道設備や、
同じく紋術を活用した物理方法に頼らない防寒設備、
夜でも煌々と明るい街並みと美意識のある都民の衣食住など
寒村で、枯れ木を噛み樹液を舐めていた自分の生活を省みた時、
ウィフフの目尻は熱く滾り、その瞳には無意識に涙が溢れた。
「人は、何をすればここまで成長できるのか」
幼いウィフフの胸に、初めて成長への関心が湧いた瞬間である。
しかし、どれだけ恵まれた環境に身を投じても
その恩恵を受けられるのは、都民として在る「何者か」のみで、
「何者でもない」ウィフフは、ただそれを間近で見るだけの部外者に他ならない。
ウィフフの他にも、ハイテリンには多くの放浪者が居り
その多くは物乞いとして生計を立てていた。
その放浪者達に混じり生活し、
暫く様子を伺っていたウィフフは、
この街に在る仕組みを徐々に理解していく。
貴族と平民、奴隷という階級制度が持つ簡単な社会構造、
糧に、直列しない労働の存在と、
金銭という、物品流通の基盤。
ウィフフはまず最初に、奴隷となる事を望んだ。
奴隷とは、誰かに属する事で地位を得る
公約された地位を持たない者が、
何者かになる為の一番簡単で確実な方法だからだ。
それは、生物が産まれながらに持つ、
物理的かつ精神的な権利の一部を代償に、
社会に参加する権利を得る等価交換を意味する。
また、発展した文化を持つコミュニティに属そうとする部外者にとっては、
唯一与えられた救済処置とも言えた。
だが、ウィフフは奴隷にはなれなかった。
異界に置いて、奴隷とは重要な人的資源であり
血統に属さない家族として扱われる地位だ。
所有者が求める労働を正確にこなせるだけの資格が必要とされ、
誰でも権利を差し出せばなれるというものでは無かった。
つまるところ、奴隷として雇用する以上は、
衣食住を含めた持続的な報酬が伴い、
それ相応の労働力が約束されていなければ
誰も奴隷を迎えようとは思わない訳だ。
その観点から見たウィフフは、
何の実績も持たないただの子供であり、
人的資源としては無価値に等しかったのだ。
だが正統な手続きを介さず奴隷を雇用したい者は、
いくらでも居り、それが仮初であれど地位の付与には変わりなく
ウィフフ自身もそれを望んだが、本来、人を救う
神の加護に相当する【断罪録】が、それを邪魔した。
断罪録では、異界管理局、戦争省の規定に則らない
【奴隷の輪】の行使を強く禁じていたのだ。
正規に契約されず【奴隷の輪】を行使された者の多くは、
不当な労働条件や、性的な虐待に無力であり
罪罰の神トトジトトは、それを強く憎み
【断罪の化身達】と【大力僧】は、違反者を強く罰し
故に、余程の切迫した理由でも無い限り、非正規の奴隷契約は成立しない。
「この程度であきらめるものか」
奴隷としての地位を得られなかったウィフフが、
次に試みたのは労働者としてこの街に属する方法。
何者でもなく地位もないが、
労働という行為を通す事で街と繋がりを持て
また報償として賃金を得られる。
衣食住の内、衣食はこれで賄うことが出来るのだ。
もとより大きな体に恵まれたウィフフは、
技術を必要としない単純な肉体労働ならば
十分にこなす事が可能だったので、この試みは成功する。
こうして、労働者としての役割を得たウィフフは、
これより数年の間、大都ハイテリンの中で行われる
建築業や整地業に勤しみ、少年期を送って行く。
賃金は安く、また肉体労働は過酷なものだったが、
スーゼン村で強いられていた、意味も意義も理解できない
ただ闇雲に苦しいだけの生活とは異なり
そこには、賃金の報酬という明確な目的が存在していたので、
過労による疲弊こそあれ、そこに辛さは無かった。
だが、ウィフフの胸には、いつもとある感情が燻っていた。
それは、この大都にたどり着いてすぐに抱いた感情、
「この街を作り出した、その成長の根本にある何か」
それに対する強く燃えるような知的好奇心だった。
そして彼の人生を大きく変える出来事が起こる。
とある時、ウィフフはアマテオ帝国貴族の名門、
プディウム家の所有の施設建造に参加する事となった。
ウィフフが、ハイテリンに住み着き何年もの歳月が経っていたが、
アマテオ帝国の貴族と顔を合わす事は一度として無く、
故に、その仕事の一部に携われる事に強い意義を感じていた。
無礼があってはならない、間違えても
彼らにとって無礼に相当する行為をとらぬ様に
心掛けねばならない。
わかっていたはずなのに。
作業中、目の前を通り掛った貴族を前に、
ウィフフは、胸に秘めた感情を抑え込む事が出来なかった。
「貴族様!どうか教えてください!!
人は何を抱けば、この様な素晴らしい街を得る程に
成長できるのですか!?」
ウィフフの理解する階級制度とは、見て知った程度で
「この時を逃せばもう2度と質問できる機会は訪れないかも知れない」
その思いを制御できるものでは無かったのだ。
その時、その場には凍てつく様な旋律が走った事だろう。
ハイテリンでは奴隷以下、人として扱われかも疑わしい
不衛生な放浪者と肩を並べ労働する薄汚い子供が、
アマテオ帝国貴族でも高位に位置するプディウム公に、無作法を働いたのだ。
瞬く間に多くの大人が集まりウィフフを地べたに叩きつけ、
その行為を強く否定し、暴力による折檻が行われた。
その一部始終を黙って見つめていたアマテオ貴族
プディウム家の現当主ミステ・プディウム3世は、
ウィフフへの折檻が終わるまで黙って佇み、
彼が動けなくなるのを待ってから「諸君等、ワークに戻りたまえよ」と、
作業者全員に告げて姿を消した。
ウィフフは、仕事の斡旋を打ち切られ、
それからは、何処の仕事にも有り付けず
しばらく後悔と自己嫌悪を繰り返す日々を過ごした。
そんなウィフフの寝床にプディウム家からの使者が訪れる。
ウィフフは、自分の現状から、
自分が犯した失態が恐るべき行為だと理解しており
その裁きを受ける覚悟で使者の後ろに続いた。
プディウムの使者に連れられ向かったのは、
ハイテリンの富裕区にあるプディウム家の大邸宅。
地位を持たないウィフフを、富裕区へ招き入れる事は、
階級制が支配するアマテオ帝国内では、
プディウム家の尊厳を汚しかねない危うい行為であり、
故に万位一つもあり得ない待遇であった。
護衛や側近すら居ないプライベートルームで、
ミステ・プディウム3世は、ウィフフに面と向った対話を望んだ。
「ギンギンで、パワフルなボーイ。
君の熱烈な質問に私は痺れてしまったよ。
その問いに答えたくて、生きあぐねてしまう程にね」
拷問じみた罰を覚悟してここまでやってきたウィフフにとって、
プディウム3世の言葉は、正に青天の霹靂であったが、
それ以上に、胸を焦がす問いに対し、答えが与えられる気配に心が滾る。
「‥‥あなた様は‥知っているのですね!!
どうか教えてください!!この町の繁栄に隠された根本を!!
人がこれほどまでに成長する術とはなんですか!?」
生きあぐねるとまで言ってのけた、
その質問を再度受けたプディウム3世は、
心の性感帯を愛撫されたとでも言う様に恍惚とし
大きく頷いてから語り始めた。
「よく聞きたまえよパワフルボーイ。
それが身体であっても、心であっても
人が成長する方法はたったひとつだよ」
「ひとつ‥‥それは!?」
「それは‥‥学習だよボーイ」
─── 学習。
プディウム3世の饒舌な言葉。
学習とは、生物が環境に適応し、常に最上であろうとする貪欲な欲望であり、
自身をアップグレードする為に搭載された野生的本能である。
野生で誤れば、傷つき死ぬ。
つまりは死を回避する事が学習の根幹にあり、
その構造はいつしか、簡略化と総括を繰り返す内に変質して
【学習】は【解析と理解】に昇華された。
あらゆる物事に疑問を持ち、その傾向を分析し解析する。
解析され暴かれた法則を、更に念密に調べ理解する。
「それを長い間繰り返し続け、ギンギンに成長させた。
その一部がこのハイテリンだよ。
更に、複雑に分岐した【解析と理解】は、各々の進化先で
文化を形成し、現代の学習構造を成り立たせた」
プディウム3世は、独特な赤い鼻をブルルと揺らして
その持論を用いてウィフフの疑問に対する返答を終えた。
さらにプディウム3世は続けて言う。
「だがねボーイ。
昨今の学習は高度になりすぎてしまった。
本来、我々の脳みそをギンギンにするはずの
学習本能を刺激しなくなっているんだよ」
「‥それは‥なぜですか?」
「学習が、ただ文字を覚え、読み解くだけのものに成り下がったからだよ。
それに目的と意義を見出せないのは当たり前だ。
上手く狩りをこなす方法の学習と、効率よく家畜を生産管理する学習では、
同じ食料供給でも、前者の方が、目的も意義も明解だろう?
しかし、単純な学習濃度で言えば、後者の方がカロリーが高い。
だが、本来の学習機能から離れれば離れるほど、本能の刺激は甘くなり
意義を見出しにくくなるのだよ」
ウィフフは彼の説く小難しい話の全て理解するには至らなかったが、
プディウム3世が、学習の衰退を嘆いている事が事実であるのは理解していた。
なぜならば、この度、彼が自らの資産を多額に投じ建造したのが、
学習を目的とした修学施設だったからだ。
単純な商いとして学問に携わるのならば、
新たに開校するよりも、既存の学習施設に投資する方が理に叶っている。
それにもかかわらずプディウム3世が、自ら開校を計画したのは
彼の持論に準ずる教育を説き、憂う学習の在り方を正す為に他ならない。
「さてパワフルボーイ。
君はその歳で、まともな修学も無く
それにも関わらず、知的好奇心に正直でホットな意欲を抱いている。
学習を本来の姿に戻すには、君の様に熱烈な人間が必要なのかも知れないと
私はそう考えたのだよ‥‥そう、ギンギンにね」
「自分が‥ですか?」
「そうだよパワフルボーイ。
単刀直入に言えば‥‥私は君をゲットしたい」
「ッ!!」
この時与えられたプディウム3世の言葉が、ウィフフの人生を一番大きく変えた。
自分の疑問に答えを与えてくれるだけでは無く、
その領域に自分という存在が必要だと言ってくれた。
ウィフフの目尻には、このハイテリンに行き着いた時、
無意識に溢れ出た涙よりも、熱烈で大量の涙が溢れ
彼は、その場でプディウムに謙り、その大きな胸に天命を抱いたのだった。
それからミステ・プディウム3世は、
ウィフフを自宅に招き扶養しながら
彼に様々な【学習】と【成長】の機会を授けた。
プディウムの思想を胸に宿してからのウィフフは、
彼の求める人間になれる様に、猛烈な勢いで勉学に励んだ。
建造された修学施設で学びながら、
自らも子供らに教えを説き、
失敗し、間違い、苦悩しながら
ウィフフは学習という言葉が持つ本質を追いつづけた。
いつしか、プディウムが論じた学習を他者に与えられる
そういう教育者になる為に。
しかし、現実は無情であった。
ウィフフには学問でのし上がる才覚が無く、
修学時期が遅かった事もあり、何度チャレンジしても
教育者としての資格、地位を会得することは叶わなかった。
結局ウィフフは、プディウム3世の後ろ盾で
アマテオ帝国の軍人となり、身体を酷使して生きる道に戻る。
だが、プディウム3世の授けた学習は、無駄では無く
帝国軍内部でのし上がる為の大きな一助となり、
そこへ持ち前の腕っ節が加わった結果、
ウィフフ・ギリンは帝国でも高い役職を持つ軍人となったのだ。
ウィフフが、帝国軍で部下を持つ上役となってから、
一番最初に行ったのは、かつて友と交わした約束、スーゼン村の救済。
あの日、逃げる様に村を去った少年は、
屈強な肉体と、強靭な知性を持つ大男へと生まれ変わり
故郷を救う為に帰ってきたのだ。
しかし、それは既に手遅れだった。
「誇りを捨てた堕落者に用は無い。
2度とこの地に足を踏み入れるな」
これは、故郷に帰り、救済を提案したウィフフに対し、
痩せこけた友人達が吐き捨てた言葉だ。
腐りきり蛆の湧いた名誉が、未来を跳ね除けた。
幼い頃、共に村の不条理を罵りあったはずの友人は、
数十年の年月で、完全に毒に侵されていたのだ。
その経験がウィフフに強い意志を生じさせ、
彼の中での【学習】が完成するきっかけとなる。
古い因習、古い知識、古い価値観を、改めず抱き続ければ
新しい物を拒絶する排他的な思想を量産し、
成長は滞り、人は腐敗し衰退する。
その証拠に、一体あの寒村のどこに名誉があると言うのだ。
学習とは、解毒だ。
学習、学が無ければ、
人は心も身体も毒され衰弱する。
故に、学習と人の繁栄は二重線で同一となる。
「人は学を持たずして心身の繁栄はならん」
それが彼が抱いた学習の完成形、そして人生を掲げるテーゼとなった。
人の繁栄を頭上に掲げるのであれば、
学習は常に平等でなければならない。
自分の様に、機会に恵まれない人間や、
機会に恵まれてもそれを全うできない人間、
その両方に道を示すものでなければならない。
それが座学であっても、実技であっても
明確な目的と意義を持って等しく成長を促すものでなければならない。
学習は、常に生きる為に用意されているのだから。
ウィフフ・ギリンは、誠実な人間だ。
それは彼が抱く強い学習が、彼を彼たらしめているからだ。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
~以上回想終わり~
オーケンとウィフフがぶつけ合う眼光は、
迸る雷光を彷彿とさせる。
それは、お互いに強い意思の元に在り、
引く事の出来ない立場にあるからだった。
その視線を先に退けたのは、ウィフフ。
「正直な話‥今すぐにでもその剛腕を手に取り、
こうべを垂れて協力を願いたい思いである。
しかし、それは叶わないのだ」
「‥‥それは忠義か?」
オーケンの言葉。
その抑揚からは、やや諦めた様なニュアンスを感じる。
「ご名答である。
私はアマテオ自体にはなんの未練もないのだ。
生徒の為ならば、この軍服を脱ぎ捨てる事に躊躇はない。
だが、プディウム公は違うのだ。
あの方への忠誠心だけは手放せないのである。
もしもそれを手放せば‥‥私はもう学習を示すことが出来ないのである」
ウィフフは続けて「あの方がアマテオ帝国に籍を持つ限り、
私の居場所はそこである」と、告げた。
両目は強く瞑り、歯を砕けんばかりに食いしばっている。
ウィフフからしても、これは苦渋の選択で強い葛藤の末、
導き出された答えだと知れた。
「そうか‥‥それは残念だ」
オーケンは、目を伏せ不成立に終わった提案を丸めてしまうと、
次に目を開いた時には、殺意に満ちた威圧を放つ。
「だがな、残念だけでは終れない。
俺はもうあんたさんの前に出てきてしまったからなぁ、
ここから先は話し合いじゃ済まない‥‥」
ゴクリ。
生唾を呑み込んだのはリュンク。
巌包で、ズヒーに当てた
押し潰す形式を持ったオーケンの気迫が、再び目の前にある。
その威圧を前にしては、怪力の異名を持つウィフフでさえ、
額に大粒の汗を滴らせては、怖気に肩を震わせた。
「‥‥‥仕方がないのである。
私とて軍人。貴公とやりあって無事で済むとは思えん
なので‥‥‥」
言葉を終える手前で、ゆっくりと懐に腕を入れたウィフフ、
リュンクは、そこから武器が登場するのを想像し、
思わず帯剣する竜剣の柄に手をかけたが、オーケンは手でそれを制し
黙ってウィフフの行動を見続けた。
リュンクは、オーケンの制止に疑問を持ったが、
目の前に置かれた大きな掌から、いつでも戦闘を始められる気概を感じ
ゆっくりと竜剣から手を遠ざけて佇む。
「これを‥受け取って欲しいのである」
そう言いながら、ウィフフが取り出したのは、
そこそこに分厚い資料の束で、
文字の羅列から察するにどうやら名簿の様だ。
「これは?」
突如として手渡された名簿を受け取ったオーケンは、
表面から数枚、ペラペラとめくりつつウィフフに問う。
「ここには特定の生徒と教員の名前が記してある。
体が弱いもの、心が弱いもの、その他、様々な事情がある者、
皆、内政管理官の示した新しい体制に沿うのが難しい者達である。
彼らは、予め【奴隷の輪】を行使されない様に根回ししているのだ」
オーケンはその資料を見て、それが乱雑な手書きである事に気付き、
それは管理の一環で規定の資料として刷られた、
正規の資料から引用したものではなく
ウィフフ自身が内々に認めた物である証明だった。
こんなものを作成できるのは、
日常的にアンテナを張り、観察している人間だけで、
つまりは、ウィフフ自身にしか作り得ないものだ。
「ここを去られるのだオーケン殿。そして懸命な少年兵達よ。
そして勝手ながら、その名簿の者達一緒に連れて行って欲しいのである。
どうか、自力では生徒すら救えない、無能のわがままを聞いて欲しいのだ。
その代償にこの首が欲しいと言うのならば‥‥喜んで差し出すのである」
忠義により、アマテオを裏切れず、
だが自分の抱くテーゼも曲げることが出来ない。
そんなウィフフが葛藤した末に導き出した答えが、
自らの命を代償にして、最低限の人間を生かす方法。
つまりは、プディウムを裏切らないまま、
過労により壊れてしまう人々を見捨てずに済むのなら
自らの命を断たれても文句はない。
そういう事だ。
オーケンは、ウィフフの切望がズシリと乗せられた資料を見つめ、
目を細め長く考え込んでから、ウィフフに視線を戻す。
「俺は‥見誤っていた。
自分にがっかりした気分だよ。
ウィフフ‥いや、ウィフフ校長。
貴殿は、俺が思うよりも思慮深く、強い人間だった様だ」
オーケンは「たまんねぇーよな」と、うなじをかきながら言う。
リュンクには、それが心なしか嬉しそうな表情に見えた。
「もし、俺達が現れなければどうするつもりだった?」
「この腹を裂いてでも時間を作り
部下に彼らを逃す様に命じるであろう」
「ははは!!あんたならやりそうだな」
「勿論である」
堅く真面目にそう答えるウィフフを前にして、
濃いため息を吐いたオーケンは、その資料をリュンクに手渡すと
深々と腰を折り曲げ、礼節ある態度を取ると
「貴殿の願い。地方同盟の名にかけて、
このオーケン・アクテオールが聞き入れよう」
と告げた。
それからオーケンとウィフフは、名簿の人間を逃す算段を立て、
今晩、それを実行に移す様に手筈を整える運びとなる。
そして、それは同時に地方同盟の撤退を意味するのだった。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「みんなすまんがそういう事になった。
納得できない奴も居るだろうが、
ここは素直に協力して欲しい」
ビッショウに潜伏する地方同盟の関係者が一堂に会する部屋で、
オーケンは皆にウィフフと対談して決めた一部始終を告げた。
この部屋は、陽動の為に起こした騒動から逃げ果せた者達が、
事が終わるまで待機する様に命じられた教員棟の一室で、
鍵の掛かっていたが、何故かオーケンがその鍵を持っていて
うまく身を隠す場所として活用できたのだ。
オーケンがウィフフの要求を飲んだ事に、その判断を否定する声もあった。
しかし、彼とて単純な情に流され願いを聞き入れたわけでは無い。
名簿の人間を逃す事に協力する変わりに、
いくつかの情報と条件をウィフフに飲ませたのだ。
まずは、当初の目的の一つ。
ビッショウに眠る、紋術媒体資材の入手。
名簿の人間を連れて逃げる際に、
彼らに持てるだけ物資を持たせ
地方同盟へ持ち帰れる様にしたのだ。
また、他にも有用な情報を聞き出す事にも成功している。
ビッショウから、次の町であるウニウラへ向かうにあたり
アマテオ兵が行う哨戒の穴に当たるルートをいくつか提案してもらったのだ。
ビッショウの奪還に失敗したとしても、
持ち帰った資材で紋術媒体を製造し軍力を強化した後
ウニウラへと軍を進める事ができれば、
キンビニー地方奪還の最終目標である
ヘテルダ王国での真っ向勝負に持ち込める。
以上がオーケンがこの潜入を無駄だと言わせない為の最低限の口実だ。
しかしながら、これでは本来の作戦を半分もこなせておらず
地方同盟が打ち立てた計画の次の一手は、大きく遅れをとる事だろう。
付け加え、ビッショウに敵兵を残すことは、
後方からの攻撃を警戒する事になり、
ウニウラ攻略から、ヘテルダ王国への進軍は、
ほぼ休息なしで行動に移さねばならず、
本来の必要以上に兵力を消耗するだろう。
進軍の計画よりも人の決意を優先したオーケンは、指導者として失格かもしれない。
それでも、忠義により自分の本懐を後回しにしたウィフフの様に、
オーケンがオーケンである以上、この選択は必然だったのだ。
かくして、オーケンは待機する地方同盟とコンタクトを取る為に去り
リュンク達少年兵は、予定の時刻まで待機を命じられ、
各々、様々な考えを巡らせていた。
重苦しい雰囲気に息苦しさを覚えたリュンクは、
気を紛らす物でも無いものかと部屋の中を物色していると、
オーケンがこの部屋の鍵を持っていた理由に勘付く。
部屋の机に置かれたままの羊皮紙に書かれた
繊細で撫でる様に優しい文字。
見覚えのある茶目っ気のある落書き。
「お弁当マーク‥‥そうか、ここはアーテリスの」
アマテオ帝国が侵略する前は、アーテリスはここの教員だったと聞く、
おそらく、当初立案された計画では、ここへの同行はオーケンではなく
彼女だったのだろう。
それを踏まえて部屋を見れば、所々に可愛らしい小物が置かれ
彼女が生きていた証が、まだここに残っている様な気がした。
「なんだー?ここは女の部屋かよ!」
物思いに耽るリュンクの横で、諜報隊の少年兵が頭を回した。
リュンクと同じ様に、部屋を物色して気を紛らわせるつもりの様だ。
「へへ!いい暇潰しだ!
下着の一つでも残ってるかもなぁ!」
そう言い、無思慮に部屋の家具に手をかけた少年だが、
その手は急に震え出し、ガチガチと歯をぶつけ何かに狼狽し始める。
「あ‥‥なんだよ‥これ‥‥」
「やめろ」
「な‥‥なんだよ‥‥い‥良いだろ別に‥
良い子ぶんなよ」
悪戯を働こうとした少年は、リュンクの声を聞き
一度は動きを止めたが、居直って目を合わせず
再び手を伸ばす。
しかし、リュンクはゆっくりとその手を制し手首を掴んだ。
「っち!なんなんだよお前!
新入りの癖に!偉そっ‥‥」
リュンクの制止が正義ぶって鼻についたのか
少年兵は、その手を払いのけて、睨む様に横を向く。
「ひっ!」
そこにはブラックホールの様な、
光のないドス黒い瞳でこちらを見る二つの目玉。
感情のないその目は、
暗闇を覗き込んでいる様な錯覚を覚える程に異様、
思わず声を飲み込んだ少年兵は、
その場に尻餅をついてリュンクを怖れた。
「この部屋の物に触るな」
「わかった‥わかったから‥‥こっち見んなよっ‥
お前‥っこわいよ!!」
子供から発せられたとは思えない
冷え乾いたリュンクの声に、
異常な恐怖を覚えた少年は、一目散に逃げ出し
部屋の隅に座り込んで目を伏てしまう。
「其処元。
そう尖らんと落ち着かんか」
一連の流れを端から見ていた篤丸が、
トンっと、リュンクの肩を叩きその激昂をなだめる。
「でもなぁアツ。
俺も兄貴がイラつくのわかるぜ?
あれだけ頑張って結果がこれじゃなぁ」
篤丸の後ろでオトロが言う。
「兄弟もそう言うな。
わしはオーケン殿の義理堅さに敬意を持ったぞ
のう?其処元もそう思わんか?」
「‥‥はは‥どうだろうね‥
オーケンらしいけど‥‥」
リュンクは、どうにか胸で渦巻いたドス黒い感情を抑え込み
二人の言葉にまともな返事返す。
彼自身も、急にスイッチの入った自分に
恐れを覚えていたのだ。
リュンクは「色々シリアスに考えるのは止めよう」と、
どうしようもないと薄々感じながらも、感情の蓋を強く閉めようと試みた。
それからは、
普段剽軽なリュンクも、
空気の読めない篤丸も、
おしゃべりなオトロも、
部屋の中で縮こまる学生や少年兵達も、
作戦を損なった地方同盟がこれからどうなるか分からず、
また、そこから生じる不安に煽られ誰も何も喋る事がなかった。
だが事態は、急な展開を迎える。
それは、ビッショウ全域に広がる
けたたましい警報音と共にリュンク達にその発生を伝えた。
日が落ち込む寸前の黄昏時。
夕陽を呼び込んだ紅蓮の照明に照らされる大集会場に、
イズオを筆頭とする内政管理官たちが横並びになり
拡声の紋術装置で高々に宣言した。
「コソコソ隠れている賊どもに告げる!
直ちに降伏しなければ、この場でこの者達を見せしめにする!!」
そこに並べられていたのは、ウィフフが選び出した名簿の者達だった。




