-【8-10】-今度会ったら歯磨きでもしてあげようかな
酷く暗いその場所は、
両側の壁ですら闇に溶かし、
何処までが暗闇で、何処までが通路なのか
正確に認識できない。
翁の杖が地面を打つ音だけが、密閉された空間に良く響き
リュンクと篤丸は、それに導かれるように黙々と歩みを進めた。
二人の心は、闇を媒介に溶け合い
言葉を交わさずとも、浅く速い呼吸を聞くだけで
互いの不安を窺い知れる。
やがて、穴ぐらの最奥地から、
息を呑む程に暖かな光が俄かに見え始め
またそれは、雲の切れ目に差し込む
神々しい陽光を彷彿とさせた。
岩石の潜水船、巌包の中枢、
神秘に包装されたその場所は、
物事の通りを知らぬ子供等を持ってしても
特別で、神聖な場所だと知らしめる迫力を持っていた。
歪な石材と、朽ちた木材で紡がれた古びた社。
その傍らにポツリと置かれた、
今にも壊れそうな古い椅子を見れば
ここが、翁の住まう殿である事を伺える。
石木の社には、様々な意匠の破損した武器が、
ひとつづつ、丁寧に供えられ、
それ等の切っ先は、社の奥に向かい放射線状となっている。
中央、破壊した武器の指し示す先には、
大人の手の平ほどの鉱物が祀られ、
鉱物は、やや黒く燻んでいるが、
ガラスの様に透過しており、
その中で黄金の粒が瞬いている。
ここが神社じみた建造物だとするならば、
あれが御神体に違いない。
鉱石は、形状からして一枚物ではなく、
何かしら大きな母材から砕け落ちた
その一部の様な印象を受けた。
「これは、碑の原本、その破片だよ。
君に像を見せた正体さ。
今は、主人が居らず、ただここに眠っている」
リュンクの視線を慮った翁が、そう告げる。
「碑の原本?あれは‥あの石は本なの?」
「認めた意志を紡ぐという意味ではね。
碑とは、意志文とも言える、
強かなままの意思を紡ぐ、人の足掻きの様なものさ」
翁の言葉は、疎通の紋術を以てしても上手く理解できない。
ただそこに有るのは、理屈も理由もわからない説得力だけだ。
「どうやら君には、活性化した原級素が見える様だね。
それは稀有な才能だよ。大事にしなさい」
「‥そっか。あのキラキラは他の人には見えないんだね」
ここにきて、ようやくそれを理解する。
異界人が紋術を使用した際に見える輝きは、
普通の人間には見えない様だ。
言われてみれば、北アンガフで
死体に化けたアマテオ兵の紋術を見破った時、
彼等は驚いていた様子だった。
これも、リュンクの持つ紋印の影響で間違い無いだろう。
「さて。二人ともここへ」
翁は、社に上りその床に腰を下ろすと、
杖を置き分厚いローブを脱いでから二人の顔を見た。
衣服に隠れ分からなかった事だが、翁には左手が無い。
リュンクは、その古傷から連想されるエピソードに
ドキっとしたが、とてもそのルーツを聞く気にはなれなかった。
「二人とも、とても緊張しているね。
でも大丈夫さ。
怖い事も、痛い事もしないよ。
少しだけ、そうさ、ほんの2つほど質問をしたいだけなんだ」
「質問?わし等にか?」
「そうさ。
何も難しいことは無いさ。
思ったまま、感じたままに
答えてくれればそれで良いんだ」
篤丸もリュンクと同様に、
神仏を畏れる延長上にある感情を持って
状況に押されている。
顔を見合わせるリュンクと篤丸、
この状況で、翁の申し出を断る術など二人には無い。
「では、まずリュンクから」
そう言い右手を差し伸べる翁、
リュンクはその手を取る。
色の褪せた刺青が這いずる、痩けたその指は、
想像よりも柔らかく力強い。
社の中心にある鉱石、碑の欠片と対面する。
「ここに座りたまえ。
そして、その背負った武器の切っ先を
あれに向けなさい」
翁に言われるままリュンクは、
社の床に腰を下し、破損した他の武器と同様に
竜剣の先端を鉱石に向け床に置く。
「‥うっ」
碑の破片は、見ているだけで胸をざわつかせ
リュンクは、まるで数多の視線に曝されている様な感覚に陥る。
翁の言葉。
「君は紋印の力に触れ、それを行使したのだね。
紋印は、世界の理に大きく干渉するが、
それ自体が理に組み込まれる事は決してない。
異界に蔓延する力の源流、その根幹であっても、
あらゆる自然法則から孤絶し、必要性を持たない。
紋印と、それから派生した紋術
それは独立した影響力そのものだ。
世界を構成する現象、
その理の中でしか生きられない生物が、
その理の外にあるものを扱っているのさ。
途方もなく、そして
意味も、価値も、目的もない。
ただの影響力を」
翁の言葉は、まるで睡魔に襲れた授業中、
教壇の上で長々と話す先生の言葉の様に、
ボヤけて上手く聞き取れない。
リュンクは、虚ろな瞳で、眼前の鉱物を見続けた。
やがて碑の原本、その破片とよばれた鉱石が黄金に輝く。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
陸地に打ち上がったボロボロの舟と終わりのない海。
夕焼けの様に真っ赤な空。
視界に広がる紅蓮の世界。
見覚えがある。
ここは、リュンクの夢の世界だ。
慌ただしい気配が、周囲を駆け巡り
やがて朽ちた小屋に飛び込む。
『‥‥‥‥‥‥‥‥』
薄暗い小屋の中で、アレがこちらを見ている。
どうにも酷く興奮している様だ。
「なるほど。
これは長耳でも手に負えないだろうね」
傍を見ると、なぜかそこには翁が立っていた。
一体どうやってここに入ってきたのか、
リュンクは疑問を持ったが、
そんな事を考えても仕方がない気がする。
だってここは、夢の中なのだから。
翁は、アレの潜む小屋に背を向け、
赤く汚れた海を臨む広大な砂浜に腰を下ろした。
「さて、問1だ」
落ち着いた様子の翁。
人の夢の中でこうも堂々と振る舞うとは、
何とも太々(ふてぶて)しい事だが、
恐れもなくアレに背を向ける姿勢を見ると
彼にまともな対応を望むのは難しそうだ。
リュンクが、砂浜に腰を下ろすのを待ち、
翁は言葉を続けた。
「君は、紋印をどう思う?」
紋印。
リュンクの脳裏には、紋印の効能を色濃く見た
サルホーガとの死闘が蘇る。
危険を察し、時間の枷を一時的に外す異能。
生物を逸脱するほどに死に辛い体。
人格を捻じ曲げてまで目的を遂行する強行性。
要領を知らぬとも行使できる未知の紋術。
リュンクにとって紋印とは、以上の効能効力を
アドバンテージとして与えてくれる装置の様なものだが
彼の中には、既に紋印に対して抱く簡潔な言葉がある。
「僕にとっての紋印は、命を侮辱する恐ろしい力だよ」
漫画や、アニメに登場するキャラクターたちが、
必殺の掛け声と共に行使するケレンの効いた超能力。
リュンクは、いつだってそれを扱い冒険する日を夢見ていた。
でも、だからこそ言える。
紋印と、それが齎した、
あの悍ましい行為の数々は、
リュンクが望んだ、あの美しく勇敢な超能力じゃない。
有限の命を侮蔑し、
人の築いた栄光を踏みにじる。
ひとひらの努力も、才能も必要としない。
歪で、奪い、蹂躙するしか能が無く、
薄汚く命を侮辱する穢れた異物だ。
こんなもの、世界にあっていい筈がない。
「よろしい。
では、問2」
『ォオオ‥‥ォオオオン‥‥』
翁の言葉の繋ぎを遮る様に、
紅蓮の世界に、嗄れた嗚咽が響いた。
小屋の中のアレが、堪らなく無様な鳴き声をあげている。
しかし翁は、構わず二の句を続けた。
「君は、その力が何の為にあると思う?」
紋印を持つ意味。
ひたすらに奪い、穢しながら
命を侮辱する力をこの手に持つ意味。
そんなものに意味など有りはしない。
その答えは明確な筈なのに、
どうしてだろうか?
紋印を手にしている事を考えると、胸が熱くなるのは。
思えば紋印の効能を深く、本質的に引き出したのは、
とても強い原動力、その衝動に突き動かされた時、
胸が熱くなるのは、今もまだあの衝動が、
リュンクの原動力として胸の中で燃えているからだ。
紋印を手にする意味と、
胸を熱くする原動力の共通点。
魂の破片達の気配がする。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
優しく鼻を小突く白い手。
小さな背で悪態をつく声。
鋭い抜き手で喉を貫く激痛。
濃紺の髪に輝く翡翠の髪飾り。
涙と鼻水で濡れた温かな笑顔。
背中を包み込んだ柔らかな抱擁。
優しく頭を撫でる大きな手の平。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
答えが俄かに浮かび上がり、
しっかりとした輪郭を持って胸中に宿る。
リュンクの深層心理にある深い渇き
最も強く、確固たる原動力。
それは「何か失う事への恐怖」だ。
必要なんだ。
この原動力が生み出す衝動をあやす為に、
リュンクが得た居場所と、それを分け与えてくれた人達を失わない為に。
この世界には、紋術がある。
その紋術を行使する紋術師がいる。
この世界には、竜が居る。
その竜から強さを得た超人がいる。
この世界には、戦火が迸っている。
圧倒的な戦力で、国々を征服する帝国がある。
無知で無力なリュンクが、
この拙い渇望を潤せるとすれば、
それはこの紋印を扱う他に方法はない。
リュンクの中で考えがまとまった。
「途方もなく強い相手が居るのなら、
途方もない強い力が必要なんだ。
僕が紋印を持つのは、それを使って
失わない為、もう何も失わない様にする為」
その言葉を翁に吐いてすぐ
不意に、ノイズのかかった魂の破片が呼応する。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
8本の腕を持つ異様な怪異。
体毛の生えた大きな爬虫類達。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
これは、誰の記憶だ?
「なるほど。
君という人間がよく分かったよ
ありがとう」
翁の言葉で我に返る。
「あの‥翁‥」
『オォオオオオオオオンッ!!!』
その時、リュンクの言葉を遮り、再びアレが奇声を上げた。
印象の話でしかないが、
先程とは異なり、歓喜している様に聞こえる。
「‥‥ねぇ翁。
あれは一体何?」
リュンクが小屋の中のアレを指差し問うと、
翁は振り返る事はなく、ただ少し口を綻ばせた。
「他の誰よりも、君の事を愛して
恋焦がれる偏った感情の集まりさ。
時には感謝したまえよ。
あれほど一途な思いを私は知らないのだから」
翁の言葉を聞いたリュンクは、複雑な気持ちになる。
思えば、幼い頃から見ていた夢の中で
幾度となくアレと出会っていた気がする。
リュンクは、しばらく小屋に目を向け、
少し思案した後、以前にアレを目にした時、
その歯が歯垢まみれだった事を思い出し
「今度会ったら歯磨きでもしてあげようかな」と思った。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
あれからどれだけ時間が経ったのだろうか。
リュンクが、しっかりと覚醒した時には、
既に篤丸と翁の対談は終わった後だった。
思えば、ぼんやりと二人のやり取りを見ていた気がするが
寝ていたのに寝てないと思っていた時の様な、
自分の意識に自信が持てない感覚に似て、
二人の話していた内容も含めてはっきりとしない。
社から降りてきた篤丸も、
心ここに在らずと言った様子だが
自分の意思で歩いている所見ると
リュンクよりも意識の混濁は浅く見える。
その後、翁に連れられ戻ってきたリュンク達を、
血相をかいたオーケンが出迎えた。
フラフラと歩くリュンクと篤丸を、
ガッチリと受け止めたオーケンは、
二人の顔をまじまじと見つめてから翁に向く。
「翁!!それで?
どうだったんだ!?」
穏やかじゃないのは、
オーケンだけじゃない。
長耳の敏捷とコクラク、大男ズヒーも目を見張り
翁の言葉を待ち侘びている。
そう言えば、翁の言う「見出す」とは、
何を意味する言葉なのだろうか?
ふと、長耳の敏捷を見れば、
ぶちまけられた下半身は既に再生しており、
肉体と異なり再生しなかった衣類は、
新しいものに履き替えられていた。
皆の視線を集める翁は、穏やかなまま
水晶球のホールの端に移動し、
木製の椅子に腰掛けるとようやく口を開く。
「残念だがね。
この子達はオミガジモンの主人にはなれない。
素質も条件も申し分ないが‥‥
二人には、既に宿命が施されている様だ」
場の緊張感がゆっくりとほどけていく。
「今回も選ばなかったんだね‥」
長耳はその耳を左右に揺らしそう言う。
コクラクは鼻から深い息を抜き、
ズヒーは、ドスンと壁に体重を預けた。
オーケンに至っては、ヘナヘナとその場にへたり込み
「マジにビビった」と一人言をこぼす。
「ただ、オーケン君。
リュンク君についてだが‥‥厄介な兆しだ。
彼には、他の要素の入り込む余地がない程、
凄惨な宿命が課せられている。
長いこと生きてきたが、これほど過酷な天命は見た事がない。
まだ‥オミガジモンを率いるほうがマシなくらいさ」
「一体この子に何を見たんじゃ翁よ」
翁の吐いた、全容の掴めない不吉な言葉に
一番に反応したのはコクラクだった。
「さてね‥‥
アレは一体なんだろうか‥
得体の知れなくなるまで煮詰められた
愛情の成れの果て‥‥もしくは‥‥
おや、そうだ、忘れる所だった。
長耳、もう体は良さそうだね?
さっきの今で申し訳ないけれど
篤丸君の事も見てあげなさい」
コクラクの質問に答える途中で、
翁は何かを思い出したのか急に言葉を途切り
長耳の方を向きそう告げた。
「相変わらず人使いの荒い事だねぇ
しかし一体何でまた篤丸を?」
「なに。
簡単な話さ。
その子も紋印持ちというだけだよ」
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
一同を驚愕させる言葉を、ポツリと置いてから
翁は再び穴ぐらの奥へと消え
そのまま、もうそこから出てくる事はなかった。
皆、翁に対して各々問いただしたい事があったが、
それよりも翁の置いていった言葉の真意が気になる次第だ。
「動くんじゃないよ」
長耳の敏捷は、リュンクにそうした様に
篤丸の胸に手を当てて何かを探り始める。
ようやく調子が戻ってきたリュンクは、
少し離れた場所でそれを見守った。
特に意味はないが、ちょっとしたトラウマの様なものだ。
オーケンは、落ち着かない様子で
顎鬚をこすりつつ1箇所を行ったり来たりしているが、
その様子は、昔テレビドラマで見た
分娩室前で奥さんの出産を待つ父親に良く似ている。
「それとズヒー。
さっきと同じ様な事が起こっても
篤丸を掴みあげるんじゃないよ?」
「はい。
心得ています」
ズヒーは、その図体に似合わない丁寧な所作で、
人数分の飲み物をカップに注ぐと、
順番に配り歩き、この状況に関心がないのか、
果てには「翁にお茶を出してきます」と告げ穴ぐらに消えた。
ズヒーが消えた事で、リュンクは胸を撫で下ろす。
もう、ぶちのめされないと分かっていても
学習能力は、そう簡単に警戒を解いたりしない。
正直、リュンクは、あの大男の近くには居たくなかった。
「なんてこった‥これはどういう事だい」
長耳の発言に、場の全員がググッとその近くに寄る。
「驚いた‥これは、怪異の紋印じゃないか。
篤丸。あんた一体どこで、これを継承したんだい?」
怪異の紋印。
どうやらそれが篤丸が保有している紋印の名称の様だ。
「んん‥‥そう言われてものう
身に覚えがないのう」
鎖骨辺りをボリボリとかきながらそう言う篤丸、
その仕草を見ると本当に心当たりがない様だ。
思い返せば、アンガフ渓谷に落下した時、
リュンクは、異常な速度で回復する篤丸の体を見た。
それならば、その可能性を考えても良さそうなものだったが
流石に自分と同じく未界から来た人間が、
同様に紋印を保有していると言うのはあまりに出来過ぎており
無意識に可能性から除外していたのだ。
一方、長耳の敏捷は、怪異の紋印について
何かしら知識があるのか、腑に落ちない様子。
「怪異の紋印はね、代々最高神の巫女に継承される中位紋印だよ
ある意味では、どの紋印よりも会得し難いだろう
それをどうして‥‥」
「ちょっと待ってくれ長耳。
そもそも無自覚に紋印を継承するなんてありえるのか?
リュンクの場合は、親族が絡んでいるから何とも言えないが
紋印の継承は仰々しい儀式が必要だと聞いた事があるぞ?」
と、オーケン。
「あれは神関省がやらせている茶番さ。
けったいな儀式で神聖さを演出させているだけだよ。
紋印を継承する方法は2つ。
保有者が相手の体に触れて【譲渡する】と意識するか、
保有者を殺害して奪い取るか。
まぁ‥一部、紋印を使って紋印を奪う方法もあるが‥篤丸には無理だね」
リュンクは、長耳の言葉を聞いて
サルホーガの発言を思い出す。
確か、サルホーガは戦いの中で「紋印を継承する」と明言していた、
つまり、リュンクを殺して紋印を奪おうとしていた訳だ。
リュンクは、身震いする。
もしも自分が殺され、
サルホーガに紋印が奪われていたらと思うと
鳥肌を立てずには居られない。
しかし、オーケンの発言からして、
紋印の継承条件は、普通の人では知り得ない知識の様だが
サルホーガは、どうしてそんな事を知っていたのだろうか?
「体に触れる‥‥そうじゃ!!
思い出したぞ!
そう言えば門が閉まるとかなんとかで
アエウオに突き飛ばされたんじゃ!
その時かもしれんの!!」
そうだ。
篤丸はこの世界に来る前、
アエウオとか言う女に何かを託されたが
それを受け取る前に突き飛ばされてこの世界に来たと言っていた。
アエウオが託そうとしたのが紋印で、
突き飛ばした際に譲渡したのだとすれば色々と辻褄が合う。
「門が閉まる?
一体何の事だい?」
無論、篤丸の事情を知らない長耳は、
頭を傾げて疑問符を浮かべんばかりだ。
全然関係ない事だが。
童顔で小柄という事もあって、
長耳が首をかしげる動作はとても可愛い。
「ああ!!しまった!!」
その時、オーケンはワザとらしい大きな声で叫んだ。
心なしか額に汗をかき、落ち着きがない。
「そのな‥‥最初に言おうとしてて‥
でも、なんかあれだったろう?
だから言いそびれてな‥‥
いや、別に忘れていたわけじゃなくて‥‥
‥うん‥だから長耳、怒らないで聞いて欲しいんだが‥」
「何モジモジ喋ってんだい!!
大男が気色の悪い!
御託はいいから、ささっさと言いなよ!」
オーケンのまごついた様子に、
長耳はすでに怒っている。
「えっとだな‥‥リュンクも篤丸も異界の人間じゃなくて、
違う世界‥未界からやってきた人間なんだ」
オーケンの言葉を受けて
真顔に戻り沈黙する長耳の敏捷。
一方で、同じく話を聞いていたコクラクは、
驚いたり問い正したりする様子は無く、
ただ素早く両耳を塞いだ。
「あんたぁッ!!!
そりゃ一体どういう事だいっ!!
なんでそんな大事な事を言わないのさぁっ!!!」
ホール中に響く長耳のどデカイ怒声。
その時、例の穴ぐらの奥から、
一瞬だけズヒーが顔を出したが
その様子を見てゆっくりと穴ぐらに戻って行った。
「いっ!いてぇ!!
勘弁してくれ長耳!!」
「この!あんたら野郎は!!
いっつもそうだよ!!
なんで!大事な事を!!言わないんだい!!!」
激怒するあまり、長耳は荷物から取り出した
お玉のような器具でオーケンをでたらめに殴り折檻している。
リュンクと篤丸はそれを乾いた視線で見つめ、
コクラクは自分に被害が及ばないように隣の部屋に移動した。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
オーケンは、ここにきて当初の目的であった
リュンクと篤丸を取り巻く様々な事情について長耳に説明した。
お玉を持ったまま、ようやく落ちついた長耳は、
目を瞑り、眉間に皺を寄せながら内容を聞いている。
そして、オーケンがひとしき説明を終えてから
目をカッ!と見開き言う。
「あたしゃ!こんなにややこしい奴等にあった事がないよ!!」
「落ち着かんか長耳。
あまり動くと臓物がはみ出るぞ」
と、隣の部屋から舞い戻ったコクラクが
喚く長耳をなだめる。
長耳の言い分も最もである。
当事者のリュンクも、説明をしたオーケンも、
全く持って同じ気持だ。
篤丸だけは、一人ぽかんと惚け
不意に、衣類に付着した焼きコンクの破片をつまんで
意地汚く口に運んで食べた。
それを横目で見ていたコクラクは、
長耳の荷物を勝手に弄り
中から甘味菓子を引っ張り出して
差しだすと、篤丸は喜んでそれを頬張った。
「未界‥‥他の世界から人が来るなんて聞いた事がないけどねぇ‥
ちょっとコクラク。私の写本を取ってくれるかい?」
その要望を受けたコクラクは、再び長耳の荷物を漁ると
中から朽ちて古びた書物を取り出し長耳に手渡す。
書物は、様々な大きさの皮紙で構成されており、
きちんと製本されたものではなく、
長い期間をかけて継ぎ接ぎされて出来た様だ。
長耳はその書物をバサバサとめくるが、
その扱いは乱雑で、この写本がこれだけ朽ちているのは、
経年劣化だけが理由ではないと見える。
「これだね‥‥相当古い文書だよ‥
ここに未界と異界の接点が書かれている」
リュンクは、長耳の後ろに陣取りそのページを見ているが、
この世界の文字が読めないので多くの情報を得る事はできない。
しかし挿絵として描かれている図を見て、既視感を感じる。
「これって‥‥朝夜の門?」
リュンクの言葉に反応して、
長耳が視線を向ける。
「ああ‥‥やっぱりこれを通ってこちらに来たんだね?
あんたさんのいう通り、これは朝夜の門に関わる文書さ。
太古に神族が編み出した紋術で出現する他界に渡る為の門だよ」
「他の世界に渡る?
なんでそんなもの作ったんだ?」
オーケンは、思案する時のクセで無精髭を頻繁に擦っているが、
昨日から頭を使うことばかりだったので、
ややヒゲが薄くなっている気がした。
「さてね‥‥神族の考える事なんて私が知るもんかい。
それよりも気になるのは、朝夜の門よりも破壊の神の方だよ。
リュンクの会ったマティテの話じゃ‥‥これが蘇ろうとしているんだろう?」
長耳の敏捷は、書物をペラペラとめくり
該当するそのページを見開いた。
そこ描かれているのは巨大な蛇に似た化け物、
この怪物こそ語り継がれた破壊の神ゲゲブアーロの姿なのだろう。
「やはり‥翁の言っていた天命というのはそれなのか?」
双眸を鋭くしたオーケンは「こいつは相当厄介だぞ」と言い、
皮紙の中で塒を巻く破壊の神を指で弾く。
「‥‥どうだろうねぇ‥。
実はね、あたし等も神族に関する情報をいくつか仕入れている。
どういう理由か、現在、最高神は神殿を離れていて、
何者かの手によって無力化されている様だよ」
「無力化?‥‥ちょいと待てよ。
異界神族のトップが倒されたって事か?
‥‥そりゃつまり‥‥」
長耳に告げられた内容から
様々な情報を関連づけ連想したオーケンは、
事の重大さを悟ったのか、額に脂汗を滲ませる。
「いや‥流石に、あの最高神が殺される事はあり得ないよ。
何かしらの事情があって身動きが取れないと考えるのが妥当だろうね。
それに、その場所も見当がついている」
その時、リュンクの脳みそがピンと閃いた。
「その場所って‥‥アマテオ帝国でしょ?」
あまりにも不意にリュンクが核心めいた事を呟いたので、
その言葉に、長耳だけではなく全員が傾注する。
いや、正確には、一人だけゴクゴクと茶を飲んでいる篤丸以外だ。
「ああ‥‥その通りだよ。
それも女神が言っていたのかい?」
「まぁ‥うん。その関係者がね」
その情報をリュンクに授けたのはフロエだ。
彼女が当初に語った「悪神が封じられている場所」
それがアマテオ帝国だった。
もしも、悪神ゲゲブアーロと敵対している最高神が何処かに向かい
身動きが取れない状態に陥ったのなら、その座標は重なって然るべきだろう。
「ふむ‥‥つまりは、昼光の神マティテは、
破壊の神ゲゲブアーロの復活を知り、
それを企てる者に命を狙われ未界に敗走し、
そこでリュンクと出会い‥‥悪神の討伐を請い
紋印を託した‥‥そういう事になるのかねぇ?」
長らく不明瞭だった事実が、
少しづつ浮き彫りになる感覚に、
リュンクは高揚感を隠せない。
実際には、殆ど自分の事情を再確認したに過ぎないのだが、
それでも正確に相手に理解して貰えるのは大きな前進だ。
もしくは自分の天命とやらに一歩近づいた達成感だろうか?
「それなら‥‥リュンクの継承した紋印は、
昼光の紋印という事になるねぇ」
「昼光の紋印?
それが僕がもらった紋印の名前‥‥
一体どういう能力の紋印なの?」
不意に告げられる自分が保有する紋印の名称、
長耳なら、全容の知れないこの紋印の能力を紐解く
重要な情報を聞けるかも知れない。
リュンクは、長耳の言葉に集中する。
「さてね‥昼光の紋印を含めた
神族の宿す紋印はあたしでも専門外さ。
多くはわからない‥けど‥‥紋術回路を解析する様な力みたいだねぇ
なるほど‥オミガジモン達が見えたのもそれが理由かも知れない」
紋術回路を解析する力。
ざっくりしていてよく分からないが
相手が使用した紋術を分析する様な能力だろうか?
それだけ聞いては、今リュンクが自覚している効能とは離れて感じる。
思案に耽るリュンクを尻目に、
パタンと本を閉じた長耳は、続けて言う。
「もしも、本当に破壊の神が蘇ろうとしていて
それを阻止する秘密がキマセ離島にあるのなら
あんたさんは直ぐにでも向かった方がいい。
一体何の意味があってただの子供に紋印を授けたのか理解に苦しむけど
何やら嫌な不穏さを感じるよ。
神族のいざこざは今に始まったことじゃない、神々の動向はいつも読めないからね。
でも今回ばかりはどうにもやばい匂いがするよ‥」
長耳が漏らした不安を煽る様な文句に、不穏な空気が流れ
コクラクとオーケンも難しい顔をして見つめあっている。
リュンクは周りの様子を伺いながら
キョロキョロとする事しかできない。
薄々感じていた事だが。
彼らが、かつてアマテオ帝国を打ち倒した
オメガジモンとか言う英雄軍の一員なら、
悪神の討伐に協力してくれないのだろうか?
悪神の討伐だけじゃない。
今、悪質な征服行為に及んでいるアマテオ帝国を
再び打ち倒すため助力してくれてもいいのでは?
恐らく白銀騎士のサルホーガよりも強いズヒーだって居る。
そう思ってしまえば、
リュンクは問わずにいられない。
「ねぇ‥オミガジモンは何もしないの?
とっても強い伝説の英雄軍なんでしょ?
アマテオ帝国をやっつけたり
悪神の復活を阻止したりして‥‥
みんなを助けたり‥‥しないの?」
「「‥‥‥‥」」
嫌な沈黙が流れた。
長耳も、コクラクもリュンクの問いに答える様子はなく
ただ、嫌な雰囲気が流れ、リュンクは失言があった事を認めたが
自分が間違った事を言ったとも思えない。
しばらく間をおいて、オーケンがリュンクの目の前にやってきた。
オーケンは、とても厳しい表情をしており
少し怒っている様に見えた。
「リュンク。お前は、弱者にすがられ
紋印を使って人を殺してくれと言われたら人を殺すのか?」
「あっ‥‥ごめんなさい」
大人が怒っている事で、反射的に謝ってしまうリュンク。
「謝る必要はない。
どうなんだ?」
「‥‥そんな事は、しないよ僕」
「そうだろう。そうであってほしい。
人は様々な理屈、都合を持って生きている。
ただ力があるから、ただ自分よりも優れてるからと
弱者である事に胡座をかいて、善意を盾にして
相手に何かを要求する事は礼儀を欠いた浅ましい行為だ」
「‥‥ごめんなさい」
リュンクは、オーケンの前で幾度となく調子に乗り
小馬鹿にしたり、失礼な言葉、ナメた態度をとってきたが
彼がそれを叱った事などなかった。
いつも和かなに笑い、受け止めてくれた。
そのオーケンが、厳しい言葉と態度を持って
リュンクの失言を問い正している。
リュンクは、自分がよほど悪い事をしてしまったのだと深く反省した。
「直ぐに理解できなくてもいいんだ。
でも、今の言葉を胸にしまい、
時々取り出して自分に問い続けて欲しい」
「‥‥うん。ごめんなさい」
「前にも言ったろ?
俺は謝れなんて言ってないぞ?
さぁこっちにおいで」
オーケンは、あの時と同じ様にリュンクの背中をバンバンと叩いた。
「ごめんねぇ‥リュンク坊や
あたしらが今相手にしているのは、だいぶ厄介な連中でね
それに手一杯なのさ」
長耳は耳を垂らして申し訳なさそうに言う、
コクラクも、耐える様に目を伏せている。
その表情を見て、リュンクは幼稚な駄々を捏ねて
相手を困らせたのだと気付き恥ずかしくなった。
するとオーケンが思い出した様に言う。
「そうだ!篤丸はどうなんだ?
篤丸は一体どんな理由があって紋印を?」
「いや‥それだよ‥
あたしもそればっかりは良く分からないのさ」
「なんだぁ?なんでも知ってるババアの名が廃るぞ?
なぁ!長耳!!何か思い当たる節はないのか!?」
「いや‥考えてはいるんだけどねぇ‥」
「なんでもいいんだ!
何か情報を!!」
リュンクは、そう言うオーケンの傍らで立っていたが
コクラクが俊敏に耳を塞いだのを見てハッと気付き、
大急ぎで自分の耳を塞いだ。
「いい加減にしな!!
あんたさっき自分で言った事を思い出しなよ!!!
何でもかんでもあたしに頼るんじゃない!!
あたしだってもうてんやわんやだよ!!」
オーケンのしつこい問い掛けに
ついに爆発した長耳の敏捷は再びお頭をその手にした。
「落ち着かんか長耳。
あまり動くと臓物がはみ出るぞ」
とコクラクは、再び長耳を諌める。
「コクラク!!あんたはそれしか言えないのかい!!
あんたらも!もう用事は済んだだろう!!とっとと帰んな!!!」
長耳の激を受けたオーケンは「怖ぇーっ」と漏らし
大急ぎで荷物をまとめズラかる準備を始める。
しかし、何故か長耳がそれを引き止めた。
「ちょっとお待ち!
これだけは念を押しておくよ!
よく聞きな!」
長耳の甲高い怒鳴りに対し
身構えるオーケンとリュンク。
「‥‥?」
「??」
しかしいつまで経っても長耳は言葉を続けず、
リュンクとオーケンは、恐る恐る互いに視線を合わせている。
変な間が空いてから、長耳は再び怒鳴り散らす。
「あんた聞いてんのかい!?
こらッ!!!篤丸ッ!!!」
と、不意に突然自分の名前を呼ばれた篤丸は、
3杯目の茶をビチャチャとこぼしながら「おう!?」姿勢を正す。
「あんたにその紋印を託した奴が、
何を考えてるのかわかりゃしないけどね!!
その紋印だけは絶対に使っちゃいけないよ!!」
「ん?紋印!?ようわからんが‥使うとどうなるんじゃ?」
「どうなるかなんて言ったら!!
使いたくて堪らなくなるんだろう!?
言わないよ!!」
リュンクは、そこまで言われると逆に使えって言っている様な気がした。
「かと言って簡単に誰かに譲渡するのも駄目だよ!
あんたは運よく紋印を保有できただけで
親和性の無い体に紋印を譲渡したらどうなるか分からない!!
いいかい!!絶対に怪異の紋印を使うんじゃないよ!!
もし使ったら!!!おちんちんをちょん切っちゃうからね!!!」
「おちっ‥ま‥股ぐらが掛かっとるならば、よう話が解るぞ。
何が何やら分からんが、しっかりと気をつけるわい!」
篤丸は、やや内股気味になり真剣な顔で返事を返した。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
これ以上、長耳を怒らすと後が大変だと、
老人コクラクが面倒くさそうに言い
それきっかけに一行は巌包を後にした。
別れ際、長耳はプンプンと怒りながらも
「こっちでも色々調べておくからまた日を空けてきな」と、
オーケンに告げ、リュンクと篤丸には、お土産にと
お菓子を持てるだけ持たせてくれた。
再び波に揺られ小船でケトアト港に戻る途中でオーケンが言う。
「リュンク、例のキマセ離島についてだが‥
残念だがすぐに連れて行くとは言えないんだ。
と言うのも、海流の関係でなキマセ離島に向かうには
やはりササンから出航する他ない。
しかし、今はこう言う状態だ。
ササンに向かうにも簡単じゃない」
「そうだね‥隣町のアンガフに行くだけで
あれだけ大事だったんだ
アマテオ帝国が侵略している以上は
簡単に動けそうに無いね!」
先ほど叱られた事もあり、
リュンクはオーケンに対して気まづさを感じながらも
それを感じさせない様に、できるだけいつ通りに振る舞う。
「そうだ。
だからな‥その‥待っていてくれないか?」
「うん‥‥え?待つ?」
不意に告げられた要望に、
その真意が分からず戸惑うリュンク。
「そうだ‥ポルシィと二人で家で待っていてほしい。
悪神がどうとか言ってもお前はまだ子供だ。
もう無理にアマテオとの戦争に関わる必要なんかない。
紋印を手にしているとしてもだ‥それに‥その‥あれだ‥」
オーケンは、何やら顔を赤くして言いづらそうにしている、
ポルシィに小遣いをねだる時の表情にも似ている。
「俺は‥俺とポルシィには‥こ‥子供がいない‥‥
だから‥その‥お前に身寄りがいないのなら‥あれだ‥」
オーケンが顔を真っ赤にしてまで
言わんとする事が解りリュンクの心がドクンと跳ねる。
リュンクの顔も既に真っ赤だ。
「あの‥‥僕‥その」
「ポルシィも!‥同じ気持ちだ‥
いや‥‥本人に聞いちゃいないが
いや‥聞かなくてもわかる‥‥
だから‥お前さえ良ければだな‥‥その‥」
リュンクは、オーケンの提案がとても嬉しかった。
だがそれと同時に、
そんな風に自分のこ事を思ってくれる人達に、
自分は何ができるのだろうと考えた。
─── 居場所。
リュンクが分け与えられた、
この世界で一番最初の居場所は、部屋や家の事じゃなく
きっとオーケンとポルシィその二人の間にある。
女神やフロエの切望する願いや使命、天命よりも
居場所を失わない様に必死になる。
リュンクにとっては、それが一番大事だ。
それなら、その居場所を守る為に、
自分ができる事と言えば、
やはり、この紋印を使い死力を尽くす他ない。
オーケンやポルシィ、地方同盟の皆も
暴力によって死んでしまうが
自分はただの暴力では死なない。
それなら、リュンクが居場所を失わない為に、
なにが出来、どうすればいいのかそれは明白だ。
「オーケン!!」
「な‥なんだ?」
「僕!とっても嬉しいよ!!
でもね!!僕だって男だ!
ポルシィと一緒に家で守られるよりも
オーケンと一緒に戦いたい!!
キマセ離島とか悪神とかよりも
僕は地方同盟がアマテオ帝国に勝つ事に協力したいよ!!」
リュンクのかっ飛ばした目的意識の強い明言に、
オーケンは目を丸くして驚いていた。
そして、ゆっくりと穏やかな表情に戻る。
「そうか‥いや、そうだったな。
思えば、お前は自分で戦う道を選んだんだったな」
「だからね‥その後で‥‥そうしようよ‥」
「‥‥そうか‥‥そうだな‥‥
ああ‥そうしようか」
余りにもむず痒いやり取りを経て、
照れた様に視線を合わせない二人、
だが、二人の間には確かで温かなものが産まれている。
ジョボボボボボ!!!
プスコファ~ブペッ!!!
「おうぅ!間に合ったのう!
茶飲みすぎてションベンが弾むわ!!
しかも屁まで出よったのう!!
こりゃ景気がええわ!!」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
あまりに無粋な篤丸に、
二人は速やかなアイサインで意思を合致させ
思い切り踏ん張ってから、勢い良く海に蹴り落とすのだった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
水面が投影する陽光、その斑らな文様が、
その場に居る人物の顔に不気味な化粧を施す。
円卓を囲んだ3人の表情は、皆一様に不穏だ。
「長耳の敏捷。
本当にあのまま返して良かったのですか?
私は、あの場で始末しておくべきだったと思います。
陶器の鱗を無駄に消費しました。」
影の1つ、大男が冷静な言葉で告げる。
「‥‥早まる事は無いさ。
翁もあの子を見逃したんだろう?
あの子が、無意識に奴らの手駒になっているのなら
今は泳がして置く方が合理的だよ」
暗闇の中で歪に光る大きな瞳孔、
その焦点は知れず、獲物を捕らえている様にも見える。
「そうじゃのう。
あの子供は彼奴らの居場所を知らせる猟犬足り得る
驚異の到来ではなく、好機の訪れと解釈すべきじゃ」
老人は、体に刻まれた数多の古傷のひとつ、
その中で最も深く、大きな傷に指を這わし爪を立ててなぞる。
「そうだよ。
あれから凡そ1000年の年月が経ち
ようやく訪れた奴らの尻尾だ。
柔軟に、そして思慮深く洞察する必要がある」
その言葉の後、長耳の敏捷は、
己を象徴する長耳の被り物を脱ぎ
その頭部を露わにする。
そこには、被り物の衣装と同様に
獣の耳が生えていた。
「黎明の神フロアウトと、
夜陰の神ハーテンティール。
あの忌まわしき外道どもの息の根を止める。
今度こそ、決着をつけるよ」
その言葉に決意を宿し、
3人の影は復唱する。
『安寧に至る抵抗を』と。




