-【6-4】-混ざり合った液体は、もう分離する事はできない
ブリウトンは、無気力に「降伏させてくれ」と申し出た。
誰も想像だにしなかった出来事に荒らされた分断監視塔は、
既に戦場とは呼べないほどに趣きを損なっていた。
特に、アマテオ兵側の士気の喪失は、組織として成り立たない程に落ち込み
更には、同盟軍側もそれに追い込みをかける戦意も湧かず
オーケンは代表者として降伏を受け入れた。
取り敢えずは、捕虜として軟禁する事としたが
残念ながら同盟軍側には捕虜を食わせていく余裕も
彼らを有効に活用させる手段も持ち合わせていないので
オーケンは、頃合いを見てアマテオの戦線から逃れている
東南への逃亡を提案する腹づもりだった。
侵略した土地で、反乱軍に敗北し、主要施設を奪われ
独断で降伏したとなると、彼らの末路など想像に容易い。
もうアマテオ帝国に戻る事は無いだろう。
同盟軍が捕虜の拘束や、施設内の探索に慌ただしくなる中、
オーケンは、血まみれのリュンクを、あの時と同じカビ臭いポンチョで包み
塔の外へと連れだす。
塔から少し離れた木陰にリュンクを座らせたオーケンは、優しい口調で喋る。
「リュンク。正直に言って、今はお前の側に居てやりたい。
だが、煩わしい事だがそうもいかないんだこれが」
「‥‥‥うん」
リュンクは、いっそ心労果てて、気でも失えれば良いのにと想うが
最悪な事に、頭も冴え、体に疲労も無い。
ただ疲弊した心が、意地悪な反応を起こし
目と耳にこびりついた嫌な光景と言葉を反復し続けている。
まるで機能を取り戻した道徳が犯した罪を裁いている様だ。
「用事を済ませたら、一番に戻ってくる。
それまで待てるか?」
「僕は、大丈夫。わりとね」
「‥‥」
オーケンは、無言のままリュンクの頭をクシャクシャと撫で
感情に蓋をしてから分断監視塔に戻る。
彼が一番に向かったのは、塔の上層。
中層で捕虜に枷を付ける同盟兵士を掻き分けて上層への階段に脚をかけると、
ちょうど屋上で保護されたデウムとアテテロが降りてくる所だった。
オーケンは二人の様子に意識を向ける。
まるで死んだような表情だ。
オーケンを見た二人の視線や、表情から対話を望んでいる事が強く伺える。
「きちんと時間をとって話を聞かせてもらう
今は、心と体を休めてくれ。何よりも大事な事だ」
今は話す時じゃ無い。
オーケンは、対話を拒絶する事で二人にそれを伝えた。
二人だけでは無い。
例の出来事を目にした1番組と2番組の同盟兵達にも
同じ様に箝口令を強いた。
謎の黒い球体。
サルホーガ・イデラケウスの死と
それを遂げた人物。
これらの情報を自由に開示するには、
今の同盟軍は不安定すぎる。
この事柄に対し、恐怖では無く有望を抱く者も多いだろう。
だが、実態や本質の解らないものへ、盲目的に期待を寄せ
裏付けの無いエネルギーとして扱われては、
達の悪いカルト集団とそう変わらなくなってしまう。
結成し間も無く、盤石な土台を持たない組織は、
特にそういう傾向がある。
オーケンは、地方同盟がコントロールできなくなる事を恐れていた。
しかし、箝口を強いたところで
どれほど持つかは解らない。
「落し所を見つけなければ」
そうオーケンが考えていた時、
老人コクラクが目の前に現れる。
「ああ‥‥爺さんか。無事帰ってきた様で何よりだ
きな臭い感じになっちまったが、俺たちの勝利だ。
勝鬨でもあげるか?」
「逃げた男から情報を引き出しての‥急いて戻ったんじゃが
ここの様子を見るに嘘じゃなかった様じゃの」
オーケンの軽口に付き合う気がないのか
コクラクは、真面目なトーンで返事を返す。
「男は?」
「国に返す訳にもいかんし、見逃す義理もないしの
少年兵にあの様な仕打ちをする輩じゃ始末したわい」
「逃げた兵士は‥やっぱり白銀騎士隊か?」
「そうじゃの。あの兜は白銀騎士、突貫隊のものじゃったわ」
「ふむ」
白銀騎士隊を当然の様に始末したと言うコクラク。
この老人の底が知れない。
「対応行動7番」
「‥‥‥アマテオの軍用番号の欠番か。
それを男が言ったのか?」
「まぁ‥そんな所かの」
恐らく、様々な方法を使い、それの裏付けが取れる情報を
敗走した白銀騎士から得たのだろう。
どの様な方法を使ったのかは、あまり想像したくは無い。
「‥‥‥‥‥‥」
コクラクの口から出た対応行動7番と言うキーワードに
オーケンと老人の間で沈黙が続く。
老人コクラクは、ギラギラとした視線をオーケンに向けたまま動かず
まるで試す様に彼がどの様な言葉を返すのかを待っている。
それに対して、オーケンは、分かりやす目をそらし
「後で話し合おう」と、コクラクに背を向けた。
コクラクは、その言葉に納得した様子で、少し頷き
空を見つめながら「長耳には、まだ黙っておくぞ」と言った。
それに対してオーケンは「悪いな。助かる」と返した。
こうして予想もしない形で勝利を納めた地方同盟は、
分断監視塔を完全に制圧した。
塔内での用事を粗方終えたオーケンが、
後の事を任せリュンクの元に戻ると
彼はポンチョに丸まり小さないびきをかきながら眠っていた。
それを見たオーケンは「そりゃ、あれだけ暴れりゃ疲れるわな」と
口元を緩ませ、彼を背負い、仲間達を引き連れ戦場を後にした。
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まどろみに埋もれる感覚が、少しづつ明確に意識へとつながる。
陸地に打ち上がったボロボロの舟と終わりのない海。
夕焼けの様に真っ赤な空。
リュンクは、それを見て直感で理解する。
これは夢だ。
小さな頃から風邪で熱が出たり
体調を崩した時に見る夢の一つだ。
ガタガタと何かが暴れる音がした。
朽ちた船の横、ガラクタで組まれた歪な小屋から
何かの気配を感じる。
ジャラジャラと鎖を引きづる音からして
そこには犬か何かが居るのだろう。
だが、あれは無害だ。
小屋の中に続く鎖は、青と白で交互に紡がれた独特な鎖で、
リュンクは感覚的にそれが絶対に壊れないと知っている。
夢の中の事なので、説明はできないが
とにかく、あの鎖はそう言うものなのである。
更に小屋の横には、透き通った液体の入った見上げるほどの大きな瓶と、
その真上に、透過できないほど濁った赤い液体の入る古い意匠の壺が吊るされている。
夢が何かを暗示しているのなら、
あの瓶や壺は何の意味があるのだろう。
再び、ジャラジャラと鎖を引きづる音が聞こえる。
その音につられ、小屋の方へ視線を向ける。
暗い小屋の中で、ギラギラと光る大きな目が見えた。
なんだあれ。
どうして今まで勘違いしていたんだろう
あれは犬なんかじゃ無い。
もっと君の悪い、得体の知れないものだ。
思わず目を逸らす。
でも大丈夫だ。
あの鎖があれば、あれはあそこから出てこれない。
ひたひた。
聞いた事の無い足音に寒気を覚え
小屋へと視線を戻す。
ひたひたひた。
うまく形容できない形の何かが目の前に居る。
信じられない事だが
あれは遂に抵抗の鎖を砕いた様だ。
小屋から出てきた得体の知れない何かは
リュンクに目もくれず、あの大きな瓶によじ登り始め
その上の古い壺まで達すると、柄杓を持ち
壺の中の赤い液体を僅かにすくい上げこちらを見つめた。
そして。
歯垢のこびりつき黄変した歯茎を剥き出しに
顔面に数多の皺を作りながら粘っこい笑みを浮かべ
透明な液体の入る瓶にポタポタとそれを垂らした。
赤い液体は透明な液体と混ざり合い
その色をやや赤みかかった色に変えた。
混ざり合った液体は、もう分離する事はできない。
リュンクはそれを、無表情のまま見つめた。




