-【5-3】-熟達の戦士は、一呼吸で「覚悟」を決める
グロテスクな表現があります。
注意してください。
「みんな、もう呼吸は整ってきたかしら?もしそうでないなら
お腹を意識して深呼吸を繰り返すと、心拍数が下がりやすくなりますよ」
傾注させる為か、ワザとらしいジェスチャーでアドバイスしてから
アーテリスは、宣言通りに少年兵達に向けて作戦行動の復習を喋り始める。
だが彼らの実年齢を聞いた今、もはや少年兵と言う名詞の違和感は否めなかった。
「戦士団からの合図を視認した後、再び【固空】によってここから一直線に足場を作ります。
まずは、ゼオとカテバの二名が先行し、ここへ登った時と同じ方法で足場を可視状態にしますが
先ほどと違い、目立たない黒い塗料を使うので注意してください。
先行した二人が見張りの死角に位置してから、
私を筆頭とした「後に指名する6名の護衛」と共にで塔へ接近します。
もしその時点で見張りに発見され攻撃を受けた場合、二人は死角から不意打ちを仕掛けてください。
見張りに気付かれずに塔に接近できた場合、私が屋上で哨戒している三人の見張りを紋術で無力化します。
ゼオとカテバは、見張りの掃討を確認してから屋上入り口を挟む形で警戒待機し、そのまま務めてください。
皆、どの場面でも紋弓を警戒する事」
ゼオと、カテバと呼ばれた細身の少年が返事を返す。
「相手に使用する紋術は【炎雨】です。一応説明しますが、
【炎雨】は、燃焼性能の高い炎を相手に浴びせ付着したものをしばらく燃やし続けます。
もし、私の紋術による一撃で見張りを無力化できなかった場合。
「6名の護衛」は、相手が炎に気を取られている内に屋上から突き落とすか、
各自、装備した短剣で直ちに致命傷を負わせてください」
アーテリスは、穏やかな口調で詰まる事なく作戦を伝える。
そこに緊張や焦りといったものは無くオーケンの言う通り、
彼女が幾度となく戦場を経験してきた事を物語っていた。
ここにきてリュンクは「なんで人を殺す為の説明を受けているんだろう」と我に帰る。
先ほどのゼオの言葉を突拍子もないと感じたが、それは謝りで、
ただ単に、リュンクが状況を正しく認識出来ていないだけだ。
どんな背景があって、どんな感傷を持っていても
リュンクがここに居る理由は「人を殺す為」なのだ。
オーケンの言った「覚悟」と、ここまで来て初めて向き合う。
数日前まで、絶対的な庇護下にあった11歳の少年が、戦場での「覚悟」と対峙した時、
それは到底、受け入れられる類のものでは無い。
「まぁ、とりあえずやってみるかな」
だが、リュンクの心は、すんなりと状況を飲み込んで見せた。
それは、楽観的な希望的観測でも無く、創作物と自分を重ね合わせた現実逃避でも無い。
しかし、同盟軍代表のオーケンにして重いと形容した「覚悟」を抱いた訳でも無かった。
只々、行動と行為に対して試みようと状況を飲み込んだだけ。
一言で言うならばそれは「殺伐の受容」だった。
それは普通に生きてきた子供ではあり得ない、
常人ならば精神世界を脅かす程の異常な反応である。
同盟軍アジトで、ハキホーリ達と揉めた時と同じく
まるで意図的に、モラルへアクセスする回線が切られている様だ。
だが精神世界において完結する心の反応は、
本人が自覚しなければ誰も気付きようが無く
リュンクがその異常性に気づく事はなかった。
アーテリスは、少年兵達の反応に、
納得のいく手応えを感じてから説明を続ける。
「屋上を制圧した後、合図を出すので残る17名は、塔へ接近してください。
私と「6名の護衛」は、先んじて塔内に侵入し状況を確認した後、残る17名を待ちます。
17名は、屋上入り口から塔内に侵入し大きな声を出しながら壁や床を叩きます。
喧騒に準じる紋術に心得のある者は、各自の判断で使用して構いません。
私はその間、紋術【流壁】で防壁を展開させ、行使でき次第それを盾に下の階へ降りて行きます。
護衛役の6名は私と共に、屋上へ登ってくるアマテオ兵の対応を、
17名は喧騒を保ちつつその場に留まってください。
一応言ってきますけど、騒ぐのに体力を使いすぎてバテてしまう事の無い様に」
最後の忠告に、数名の少年兵が「はっ」と、間抜けな顔をした。
残念な事にその中にリュンクも含まれている。
アーテリスは、少し間を空けてから「6名の護衛」を指名する。
「では、護衛の役目を‥‥。
デウム。ハギン。リュンク。キキサ。アロバロ。ブレアエロ。
以上6名に頼みます」
名指しで護衛に指名されたリュンク。
以前アジトで説明を受けた時点では護衛は5名で、彼の名前も含まれていなかった。
だが、この事は前もってオーケンから知らされていたので動揺はしない。
話が終わるのを待たず、デウムがリュンクの小脇を突き「頑張ろうな」と言う。
ゼオとアテテロは、見た事のないハンドサインでエールを送っているが、
きっとサムズアップと同じ様な意味合いなのだろう。
アーテリスは「合図まで待機」と簡潔に言った後、
再び例の岩陰に隠れる様に座り、自分の杖の先端に着いた鉄の突起物を弄り始める。
その行動に興味を持ったリュンクがそれに注視していると、
アーテリスは、突起物の蓋を開けて中に液体を注ぎ始めた。
「‥‥紋術媒体を見るのは初めて?」
リュンクがあまりに興味津々に見つめるものだから、
少しやりにくそうにアーテリスがそう言う。
「名前くらいしかわかんないや。紋術を使うときに‥
なんか、紋術を使い易くなったり、効果が増すんでしょ?
それは何を注いでいるの?」
「原積水の事?」
「原積水って‥たしか広場で会った時に買いに来てた?」
「そうよ。でも驚いた。あなた原積水を知らないのね?」
「あ‥えーっと」
「ふふ。良いの、別に恥ずかしい事じゃないわ。
原積水はね、積集して液化した原級素の事よ。
空気中の原級素は、目に見えないけど、一か所に集まり留まり続けると
液体になるの」
アーテリスは瓶の中で揺れる原積水を見せる。
その色は赤紫色で、その揺れ動き方は液体というよりも煙に近く感じた。
「そうやって紋術媒体に補充して使うものだったんだね!」
「そう。私の紋術媒体はあまり良いものじゃないから、
小まめに原積水を補充して使うの、さっき使ったから補充しておきませんとね。
それと原積水は飲んでも良いの、飲めば紋腺の疲労を回復して活性化できるから
怪我の治りを早めたり、紋術の行使を早めたりできるわ」
アーテリスは、そう言い終えてから
丁寧な仕草で再び杖に原積水を注ぎ始める。
先程の話に出てきた紋腺という言葉は、
多数の人間から何度か聞いた言葉だ。
おそらく異界人の体には、そういう名前の
神経とかリンパ腺みたいな器官が有るのだろう。
無論、未界人であるリュンクの体内には、そんな器官はない。
紋腺なる器官が、紋術の行使に必要なのだとしたら、
リュンクは紋術を使うことができないという事になるが、
それはなんとも面白くない話だ。
「もう少し高級なものが有れば良かったのにね」
作業を終えて、小さな漏斗や瓶などの専用器具を、
道具入れに戻したアーテリスが杖を両手で持ち、そう溢した。
よく見れば、その木製の杖は傷跡や凹みが多く、
朽ちた部分には金具などで補修した跡があり、
その年期の長さを語っているかの様だ。
リュンクは、紋術=魔法みたいなものと考えていたので、
その場合、魔法使いに該当するアーテリスが杖を持っている事に
なんの疑問も抱かなかったが、そういえば、こういう類の杖とは何の意味があるのだろうか?
「ねぇアーテリス。その杖って紋術媒体って話だけどさ
具体的にはどう言う意味があるの?」
「んーそうね。難しい話は省くけど、私の杖は、一度紋術を媒介させる事で
狙いを定めやすくなったり、紋術の持続力が伸びたり‥まぁ、そんなとこかしら」
なるほど。前提の通り難しくない話だが、
そう言う言い回しをされると意固地に突っついてみたくなるのは
子供ながらに抱いたリュンクのプライドなのかもしれない。
「怖いもの見たさで聞くけど、難しい話を省かなかったら?」
「杖型紋術媒体とは、木材に浸透した原積水を四管紋腺の延長、すなわち五管紋腺と仮定。
体外器官として認識し紋術回路を構築する事により、線状優位効果を相乗させた行使座標の指定が容易となり
また、体内に保有できる適合原級素以上の原級素を空気中から直接取り込み‥‥」
「あっ‥やっぱ良いや」
元が教職というだけあり、饒舌に語った
その情報量にリュンクの脳は処理が間に合わない。
言葉がただの音として聞こえ、耳で詰まってもう何も聞こえない(聞きたくない)。
良くも悪くも、子供のプライドとはこんなものだ。
「ふふ。意地悪してごめんね?何か求められている気がして悪乗りしちゃいました。
紋術媒体はね、素材や製法によって使い方が全然違うの。
高級品には、予め紋術回路が組み込まれていて原級素を消費するだけで紋術が使えるものや
行使の難しい紋術の補助をしてくれたりするけど‥‥」
そう言いかけたアーテリスが、咄嗟にとある方向に顔を向ける。
同じくリュンクもその視線の先を見つめた。
夜明けが近い黎明、暗闇がわずかに透過し輪郭こそ定まらないものの
視界に映る様々な物が認識できる様になっていた。
塔からは死角となる山岳の一角にて、
凝視しなければ見過ごす程の微かな光が、等間隔で三回見えた。
戦士団の配備が完了した事を知らせる火打ち石での合図だ。
「全員、用意なさい。ゼオ、カテバはここに」
熟達の戦士は、一呼吸で「覚悟」を決める。
先ほどまで口元を隠しながら優しそうに笑っていたアーテリスは、
まるで別人の様に冷静に指示を出し始める。
目の前に居たリュンクは、その様子にたじろぎ、
それを発信源に、一気に緊張が跳ね上がる。
全身がビンビンと疼き、両手足が不安定に震え、たまらなくなる。
これが武者震いというやつか?
アーテリスは、いつもは穏やかな楕円をしたマゼンタの双眼を、
猛禽類の如く鋭角に研ぎ澄ましタイミングを図っている。
一秒毎に感覚が高まるリュンクは、その胴体に大穴が空き
そこから風が入り込み胸を乾かし冷やして行くような感覚に陥る
その奇妙な感覚は緊張の延長線上にあるものだった。
リュンクは、今までに感じた事のない恐怖を認めた。
アーテリスの鋭い眼光は、暗躍する戦士団の動きを捉えている。
彼女の視界に、塔の前で警備を行っていたアマテオ兵が音も無く殺害された様子が映った。
それに伴ない分断監視塔へ向けて杖を構えるアーテリス、
再びその後頭部からキラキラと光が生じ、杖の先端まで到達してから杖を降ろす。
アーテリスは【不視の紋術】=【固空】を行使した。
「ゼオ、カテバ用意」
冷たい声。
その声は、甘い声でおっとりと喋る、いつもの彼女からは想像もできない。
名を呼ばれたゼオと、もう一人の少年カテバが、
アーテリスの側で姿勢を低くして合図を待っている。
彼らの緊張は、リュンクのソレとは比較にならない事だろう。
視界の中の情報から、タイミングを読むアーテリスが坦々と言う。
「行きなさい」
あまりに平然と発せられた行動開始の合図に、まごついて動かない先行役の二人。
それに対してアーテリスは穏やかな声で「信用しなさい」といつものように優しく言った。
それを受けた二人は、顔を見合わせた後
飛びかかる野犬の様に勢いよく空を駆け出した。
ゼオが先導で【固空】の足場を走り、
その後を塗料を垂らしながらカテバが追う。
身軽な足取りで、タタタと地面を走るゼオとカテバは、
見る見るうちに監視塔に接近し、屋上の構造を利用し警備の死角に身を潜めた。
二人の背中を見てわかったが、この岩場から分断監視塔まで
目で見るよりも結構な距離がある。
しかも、黒色の塗料は、説明通り視認しづらく、
どこまでが足場なのか正確に判断できない。
これは怖いぞ。
「続いて、護衛の6人は私に続きなさい。
残る者は打ち合わせ通り、制圧の合図まで待機」
そろそろ自分の番だと、リュンクの心臓がブレイクダンスを踊っている。
やばい、吐いてしまいそうだ。
リュンクだけじゃない、指名された6人の護衛たちは、
皆、アーテリスの後ろに連なるも、大岩の一部かという程ガチガチに緊張している。
「大丈夫よ。横風も止んでいるし、
まだ視認性も低くて気付かれる可能性も低い‥‥勇気を出して」
アーテリスのフォローを受け
リュンク達6人の護衛たちは、その言葉に深く頷く。
「行きます」
少し長めに瞼を閉じた後、小さく呟いたアーテリスは、
恐れる様子もなく細い塗料の示す頼りない足場を進み始める。
リュンクは、先ほどのゼオ達と同じ様に、すぐに足を踏み出せないでいたが
高いところが怖いと弱音を吐いていたデウムが
「お先」
と言って走り出して行ったのが悔しくて、デウムに続き二番手で駆け出した。
空中を走る。
足下の細い塗料の軌道に意識を全部集中させ、道を行く事にだけに努めた。
大岩から分断監視塔までの数十秒の道程が何分間にも感じる。
建造物が視野の中で拡大されていく、
頭を上げて道の先を行くアーテリスの背中を見た。
走りながら紋術行使の準備を整えているのか、
彼女の背中がキラキラと輝いているのが見えたが
今まで紋術の初動に見た光とは色が異なっていた。
監視塔間近で一気に走るスピードを上げたアーテリスは、そのまま大きく跳躍し
分断監視塔屋上の縁に飛び乗り、そこを足掛かりに更に大きく飛躍し
そのまま上空から紋術を行使する。
アーテリスは【炎の紋術】=【炎雨】を行使した。
瞬く発火。
ボワァっとアーテリスの紋術媒体から射出された
真っ赤に滾った炎の飛沫は、正に炎の雨となり
屋上の上空を覆い隠す様に無数に降り注いだ。
有害な炎が警備兵の頭上へ放射線状に投下していく。
突然、上空からぶちまけられた炎に絡みつかれたアマテオ兵達は、
パニックを起こし、情けのない悲鳴をあげながら
バタバタと必死になって衣服を叩いたり、脱ごうと試みるが
要所に装備された防具が衣類を固定しているのでそれは叶わない。
監視塔に到達したデウムだが、何故かすぐに屋上に侵入ぜすに
足場の縁に両手を付き踏ん張っている。
「リュンク!足場になるんだ!」
そう言われたリュンクは後続してくる護衛の仲間を見て
その行動に納得し、デウムの横で同じ様に踏ん張る。
すると、後続してくる四人がリュンクとデウムの背中を踏み台に跳躍、
瞬時に屋上に侵入し、その勢いのまま駆け抜けて
屋上の端で燃えながらもがく2名のアマテオ兵を
四人がかりで思いっきり蹴り飛ばす。
アマテオ兵は、なす術なく吹き飛び
耳にこびりつく悲鳴をあげて下へ落下していった。
ゆっくりと屋上へ上がったデウムは、火を消しきれないまま身動きが取れず
爛れた顔面を掻き毟りながら発狂している瀕死のアマテオ兵の喉元に短剣を差し込む。
「三人目も‥とどめ刺しとは‥‥」
介錯を受けたアマテオ兵は、海老反りに硬直し
ブルブルとしばらく痙攣したが、やがて動かなくなった。
その時、分断監視塔全体を包み込む様な金属音と鬨が、谷合に響く。
どうやら戦士団の特攻が始まった様だ。
目で見える相手はもう屋上には居ない。
予定通り敵を排除した後、アーテリスの放った【炎雨】の残留も消え始めた。




