-【3-8】-元いた世界に戻してくれないかな?
目の前で自分を害をそうとして居る
この脅威を排除しなければいけない。
殺さなきゃ、殺される。
リュンクの狼狽に対し、心が何か不思議な反応を起こし
意識とは無関係に、パチンパチンと様々な感情をシャットアウトし始めた。
最初に、損なわれたのはおそらく、良心と敬意だった。
相手を想い、相手を敬う感情。
心がそれを手放した事で、枷として機能するはずの「道徳」が欠如する。
リュンクは「目の前の存在に対して容赦しなくても良いんだ」と思った。
女神に付けてもらった肩当てに
鞘ごと引っ掛けていた竜剣を下ろし勢いよく刀身を引き抜く。
同時に、足元の分厚い木の床が
まるで鉄塊でも乗せたかの様に異常に軋んだ。
得物をその手に人と相対するこのシュチュエーションに、
西洋剣術を習った時の記憶が蘇る。
当時、教わった構えは、修道女がお祈りをする時のポーズに似ていて
左手には、鍋の蓋程度の小さな盾を持ち、剣も細長い物を使っていた。
わざわざ、記憶の奥底からサルベージしてくれた脳みそには申し訳ないが、
その経験は、この状況では活かせるものではない。
リュンクは、他にやり様も思いつかないので
いつでも力一杯に剣を振れるように、
背中に背負う様な姿勢で竜剣を構えた。
それで再度、認めざるを得ない。
羽の様に軽いこの竜剣は
どう考えても武器として使えるとは思えない。
思い出すのは、その昔、工作で拵えた発泡スチロール製の剣。
その出来栄えに胸が高まり、早速に剣戟を繰り出してみたが
脆く堅牢さのカケラもないその剣は、振っただけで柄の根元からポキリと折れたのだ。
その時、リュンクは重さと頑丈さは、ある程度比例するのだと理解し
故に、この竜剣の堅牢性能に期待など微塵もできないのだ。
だが他に獲物などないのだからしょうがない。
正に藁をも縋るとはこの事。
リュンクの抜剣を見た大人達は慌てた様子で
怒声混じりの強い口調で静止を訴えながら
海原に生じる波の様に一斉にリュンクの元に近づく。
一方、ハキホーリは、驚いた様な、怒った様な顔をした。
リュンクは、津波の様に迫り来る大人達を意に介さず、
一切、全く誰の言葉も耳には入らない。
心中にて定まってゆく闘志の絶頂と
体内で練り上げられるフィジカルの昂りが
ぴったりと呼応し重なり合うのを感じた瞬間。
弾け飛ぶバネの様に、俊敏に突進する。
ブワァという奇妙な感覚が身体にまとわりつき
皆の動きが全く遅く感じられる。
いや。主観で感じているだけではない。
まるで時間という概念を克服したとでも言いたげに、
明らかに時の流れ方が自分だけ異なっている。
皆、走り始めたリュンクに焦点を合わせていない、
彼のやや後ろを注視するか、先ほどまで立っていた地点に腕を伸ばしている。
だが、どれもこれも今は構わない。
集中力が研ぎ澄まされていく、
剣の柄を一層握り込み、最も敏捷が刀身に付与されるその瞬間、
竜剣をハキホーリのショートソードへ思いっきり叩きつけた。
振っただけでへし折れそうとまで言われた竜剣は、
まるで実力を見せつける様に風切りで咆哮し
打ち付け合うショートソードの刀身を大きく湾曲させ、
いとも容易くへし折る。
まるで皆が水中かと見紛う時の遅延。
空中では、ショートソードの刀身だった部分が落下しながらワヨンワヨンと震えている。
竜剣から放たれた衝撃によって、得物と同じくへし折れたハキホーリの右手首は、
人体の可動域を超えプラプラとゴム製品のように垂れ下がっている。
他人の身体を破壊した。
リュンクは、その酷い光景を前に、背徳心どころか罪悪感すら湧かない。
胸中を痛めるどころか、次の攻撃に備え様とさえしていた。
振り下ろした竜剣、既に慣性は死んでいる。
その諸刃を利用すれば、今度は振り上げる動作で首を狙える。
骨折するほどの衝撃を受けたハキホーリは、
崩れ落ちる様に体を傾けさせ、ゆっくりと倒れ
ワンテンポ遅れてから。
顔面の中心に皺を寄せ苦痛の表情を浮かべ始めた。
無論、既に振り上げられた竜剣の刀身をまだ知覚すらしていない、
竜剣の切っ先は既に風を切り唸り始めている。
今更気付いたとしても、最早、既に遅い。
本当に首を飛ばせるかどうかはさて置いて、
この白刃は確実にその首に届く。
それを確信し、次には鳩尾へ駄目押しの突き上げをと、
思っていると。
遅延しているはずの時間の中において
竜剣の刀身に追従する影の様なものが見えた。
それは、首を跳ね飛ばそうと接近してくる竜剣の刀身を弾く様に接触、
途端、激しい打音と共に何かが吹き飛んでいくのを感じた。
再度、全身を包むブワァとした感覚。
今度は、身体にまとわりついたその感覚を引き剥がす様に広がり
直ちにリュンクの時間経過が正常に、皆の動きが元に戻る。
それに伴い、遮断されていたあらゆる感情が一斉に反応し始め、
ゾワゾワとした鳥肌と酷く恐ろしい気持ちに身も心も震える。
まるで感情のタイムラグだ
「い”っぅうぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
足元には激痛に苦しむハキホーリが見える。
右腕を抱え込む様にうずくまりながら、
涙目でリュンクを見上げた。
その周囲には、砕けたショートソードの破片が散らばり、
落ちた拍子に床に突き刺さった刀身の一部が
振動しながら細かく光を反射している。
絶句とは、網膜に映る有様への否定。
正に今。この状況をいう。
先程まで、声を荒げていた大人達は皆、ゴクりと生唾を飲み込み
唖然と、または畏怖の目でリュンクを見つめた。
それはまるで、見た事も無い異様の怪物を見る様な視線だった。
この状況、もはや完全に、リュンクの対応能力では処理できない。
居直る。
もはや、あたふたと弁解したり、陳謝する事もせず、
彼は落ち着いた気持ちで、心おだやかにし、すっと目を閉じた。
リュンクは「頼むから、今すぐに、元いた世界に戻してくれないかな?」と思った。
「いやいやいや!!!こいつは参った!!えぇ?」
大きな声。
それは野太く安心感のある大きな声だった。
それは先程、竜剣の刀身と接触した
何かが吹き飛んでいった方向から聞こえた。
「うわうわっ!なんだこりゃ!こんな事になるかよ!?普通よぉ!!」
声の主人は、身の丈2mはありそうな大男、
リュンクが肉眼で見た誰よりもマッチョな体をしている。
大男は、独り言を言いながら、なぜかアジトの壁にめり込む
自身の身長程はありそうな長い剣を頑張って引っこ抜こうとしている。
なんとか、壁から剣を取り出した大男は、リュンクに向かって歯を見せて笑った。
「見事な怪力だな!まさか吹っ飛ばされるとは思いもしなかったぞ!?えぇ?
格好良く剣を受け止めて…そこまでだ!!と言いたかったんだが……こいつはきまりが悪い!!!」
そういった後、アジト中に響く程の大きな高笑いする大男を見て
やけに豪快な人間だと、リュンクはそう思った。
ふと、大男が持つ例の大きな剣を凝視すると、持ち手の柄となる部分が壊れている。
巻きつけた皮は解け、木材は砕け散って茎が剥き出しになっている。
どうやら、この大男はあの大きな剣の柄で竜剣を受け止めた様だ。
大男は、自分の武器に愛着がないのか
剣をズリズリと引きずりながら、リュンクの方へ歩いてくる。
竜剣をじっと見つめた大男は、無精髭をこすりながら「ん〜?」と唸った後、喋り始める。
「なんと、その剣はあれだけ思い切り良く、刀身同士をぶつけたのに、刃こぼれすらしていないとは!
見た目はともかく!いい剣じゃないか!!えぇ?少年よ!」
リュンクは、言われて直ぐに、竜剣の刀身を見たが、確かに刃こぼれは見当たらない。
というか、そんなことは今どうでもいい。
「…えっと。どなたですか?」
大男は、再び白い歯を見せニヤリと笑い、
腰に手を当て胸を張りながら堂々といった。
「俺はオーケン。オーケン・アクテオールだ。この地方同盟の主導者をやっている」




